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出来ない話

 教室移動の途中で、ふと面倒になった。
 まだチャイムは鳴っていないが、同じ生物室へ向かう人の流れからなにげなさを装ってルルーシュは道を逸れる。
「ルル!」
「忘れ物だよ」
 しっかりとシャーリーに見とがめられたが、苦笑を浮かべてそのまま階段へ向かった。忘れ物の筈がない、このまま気紛れでサボるのだとしっかり理解している彼女はさらに何かを言いつのろうとしたが、リヴァルが「まあまあ」と押しとどめ、クラスメイト達の流れとともに遠ざかって行った。
 彼女をなだめるリヴァルがしっかりルルーシュを見て一度にやりと笑ったことには感謝の代わりに片手を軽く上げる。生物の後は昼休みだ、生徒会室へ彼等も来るだろう。礼の代わりに途中で学食へ寄り、昼休みに入ってからでは手に入らない競争率過剰な惣菜パンをいくつかと、最近リヴァルの中ではやりを迎えている甘過ぎるチョコルネを買っておく。どうせ今日も彼の昼食はパンだ。報酬を理解しているリヴァルは手ぶらで生徒会室へやってくるに決まっている。もちろん買っておいただけで奢るわけじゃない。そこまでの感謝を示すには、大袈裟すぎる。
 近頃、とみに睡眠が足りていない。
 教室の片隅に座り、教科書を見ているふりで浅いが時間だけはたっぷり眠れる座学と違って、実習は居眠りどころか手を抜くのもなかなかに面倒だ。この学園は良家の子女のためでありながら、学力レベルは本国の貴族学校とは違うのだ。良心的にまっとうな教育を教師らは学生へ与える。
 小さなあくびを噛み殺し、人気がまばらな学食で買ったパンの袋を手に生徒会室の扉を開ける。学食を出た自転でチャイムが鳴ったので、当然室内には誰もいない。
 大きな窓からは雲一つない晴天のもたらす眩しいまでの陽光が射し込んでいた。閉め切った室内はほんのりと暖かかった。
 パンの袋と不要になった生物の教本とノート、筆箱をテーブルの上に置くと、奥のソファへと足を向ける。
 二重生活のきつさは覚悟の上だ。それでも短すぎる睡眠は判断力を鈍らせるし、緊張に尖った心は選択肢を狭める。
  持てる力は予定通りに増してきていた。重責に押しつぶされるような不様な状況に陥ってなどいないが、選択ひとつで多くの命を失い、自分の進む道も狭められていくからには慎重さは見失いたくなかった。そのための余裕を得るためにも、休める時には休みたい。
 元より真面目に授業を受けるような生活をしていなくて良かった。授業中のうたた寝も、くり返されるサボタージュもまたいつものことかと呆れながらに見逃される。何かを企てているなど想像の埒外、ましてやルルーシュをゼロへ結びつける可能性は、考慮する必要のないほど低いものだろう。
 生徒会室のこもった空気が眠気に誘われた体には気持ちがいい。大きなテーブルを迂回し、このままソファに横になればさぞ気持ちよく眠れるだろうと今度は噛み殺すことなく大きなあくびを漏らした。
 
「……お前は、何をしてるんだ?」

 室内には誰もいないと思っていた。なぜなら部屋の入り口から見渡せるどこにも誰もいなかったからだ。椅子に座ってもソファに座っても寝転んでも、あり得ないだろうがネコタワーに昇っても、倉庫代わりにしている別室に入らなければ、意図的に隠れない限りすぐに分かるはずなのだ。
 ソファに座ったとたんに目に入ったそれ。
 生徒会の作業用に列ねられた大きな机のしたに、大きな固まりがある。
「おい、スザク?」
 眠気が一瞬で飛んだ。きっちり椅子は引かれている。机が大きくとも机下のスペースは自分と似たり寄ったりの身長、そして悔しいかな勝る体格の彼にとって非常に狭いだろう。
 しかし彼はそんな場所でしっかり寝こけているらしく、ルルーシュが部屋に入ってきたこと、どころか控え目な呼び掛けに身じろぎすらもしなかった。
 驚きが過ぎてしまえば、呆れしかない。
 ため息をひとつ深く深く付けば、苦笑が浮かんできた。
 軍人だと言うのにこんなに無防備でいいのだろうか?
「制服のままで……いつから寝てるのか知らないが、シワになるだろう」
 きっと、軍の仕事から解放された時間が中途だったのだろう。次の授業になるまで時間を潰すために、しかし――ユーフェミアの騎士となった彼の日常もきっと自分に劣らず過酷であるに違いない。
 ぼうっと待つことなどできずに、しかしながら真面目な性格の彼のことだ。堂々と寝るには気が咎めて、こうやって隠れるようにして寝てしまったのだろう。
 おかげで目覚ましになる筈だったチャイムの音も隠ってはっきり聞こえず、体が求めるままに睡眠をむさぼっている。
 休めていないのだ。
 ユーフェミアの抜擢であろうと――いや、だからこそナンバーズの彼はどこででも心が休まらない。度の超えた真面目さを持ち合わす彼は、あらゆる場所からの重圧から逃げるなど考えもせず真っ向から向き合い心を削っているだろう。
 早くやめていればよかったのだ。ブリタニアになど仕える価値はない。こんな、簡単にやめることも叶わない場所にまで行ってしまう前に無理矢理にでも自分達の元へ引き寄せれば良かった。
 ギアスは使えない、使いたくない。
 ただ、自惚れでなく大事に思ってくれているだろう学生である自分と愛しい妹のためならば……と思い、自嘲した。
 その手は、ゼロでなくとも差し出した手も既に何度も振り解かれている。自分の声は彼には届かない。
「おい、スザク。せめてこっちで寝ろ。授業にはどうせ間に合わない」
 手を伸ばし、小さくまるまっている彼の肩を揺する。
「…え?!」
 ようやく人の気配に気付いた彼は、ひどく焦って飛び上がる。机に頭をぶつけないあたりはさすがだが、しばしここがどこか、目の前にいるのが誰なのかすら分かっていない様子だった。
「おいおい、寝ぼけてるのか?」
「ル、ルーシュ…? あれ、おはよう?」
「おはよう。なんでこんな場所で寝て…ん? お前、泣いてるのか?」
 ようやく自分を認識し、まだ奇妙な顔をしていた彼は机の下からはい出してくる。その頬が濡れていることにルルーシュは気が付いた。
「あ、れ? うん…泣いてたみたいだね」
 頬を拭って、スザクは恥ずかしがる訳でもなくまだ夢を引きずっているかのように、不思議そうな顔をしている。
「なんだ、悪い夢でもみたのか?」
「悪い夢…そうかな、――そうだね、悪い夢だ」
 立ち上がり、彼は頬をもう一度拭ってから伸びをする。
 子供の頃に比べてプラスの感情が増えていたが、彼は元来感情屋だ。泣き顔を見られた事くらいなんでもないのだろう。自分ならあり得ないなと思いながらも、そんなスザクの姿にほっとしたものも感じる。
「僕が死んだ夢だったんだ。ナイトメアに乗ってたんだけど、有無を言わさずまっぷたつ。さすがにあれじゃあ僕も死ぬなぁ……ルルーシュ、紅茶飲む? 喉乾いちゃって」
 軽く言われた言葉に、一瞬でルルーシュの機嫌は低下した。
 ない返事に肩を竦め、スザクはそのままティセットを用意する。ここにきてから覚えたと言っていたが、手慣れた仕種で棚から会長その他が取り揃えた茶葉の缶を見比べ、セッティングしてゆく。
「夢だよ、僕は生きてる」
 軍人であることにルルーシュが強く反対しているのは、スザクも遠に知っている。何度も何度も危険だからやめてくれとルルーシュはくり返していた。技術部だとごまかされていたこともあった。
 今では世間に名立たる皇女殿下の騎士。一貫してナイトメアのパイロットであった事も、騎乗する機体があの白兜であることも、そして所属は確かにエリア11の軍内部では特殊な立ち位置になるが技術部で、スザクが嘘をついた訳ではないことも知っている。そして今では皇女殿下の騎士様だ。
 誰もが頭を垂れる皇室は、ルルーシュに取っては憎しみの象徴でしかないと言うのに、彼は命を捧げ忠誠を誓う。
「――死んだ事が悲しくて、泣いてたのか?」
 軍の話など、普段ルルーシュはスザクの間では話題に上らない。
 やめろ、やめないの話はし尽くした。もう簡単にやめられない騎士になってしまった以上、ルルーシュには何も言える言葉がない。
 それを、スザクも知っている。言いたくても言えない言葉に気付いているからお互い避けてしまう。夢の話、だからだろう。こうやってナイトメアに乗るスザクの話が続くのは。下降していく機嫌には気付いてはいたが、ルルーシュは会話を止める気にもまたなれなかった。
「いや。結構それはどうでも良かったんだ。相手も強かったし、それに…」
 濁された言葉の先を、ルルーシュは知っている。沈んだ調子の声はきっと『やっと死ねる』と続けたのだろう。彼は、まだ自分に罰を与えたがられている。
「でも、そういうんじゃなくて。そうだな…満足だったよ。ちゃんと守りたいものを守ってたから。夢だからだろうけど、痛くなかったしね」
 沸いた湯をティポットに注ぎ、テーブルの上にスザクは置いた。会長が用意したものにしてはファンシーすぎる柄のコジーを被せてスザクは作業用の椅子に座る。そして、ルルーシュを真直ぐに見た。
 きっと難しい顔をしているルルーシュへ苦笑じみた笑みを、彼は掛ける。泣いた余韻が残るほんの少し赤い目もとを緩ませて、優しい顔をする。
「ああ全部終わったんだなあと思ったのに、気が付いたら僕はここにいたんだ。部屋の入り口に立って、いつものように部屋にいる生徒会のメンバーを見てた。自惚れてるかもしれないけど、みんな僕のために泣いててくれてさ。シャーリーとか、会長とか、カレンさんとか。リヴァルも泣いてるのにみんななだめてたんだ。らしいなぁと思った」
「おれは?」
「君は、そうやってソファに座ってた」
 コジーを外し、スザクは真っ白なカップに紅くも見える鮮やかな色の紅茶を注ぐ。ふわりと香りが室内へ広がる。
「そこで座って、みんなを見てたんだ。ひとりだけ泣いてなかった」
「なんだ、お前の中じゃおれは薄情者みたいだな」
 ふ、と笑いかけて、途中で笑みはこわばった。
 きっと彼がそうやって死ぬ事があれば、同じように自分はただひとり泣かないだろうからだ。なぜなら、彼を殺すのは――自分だ。 
「違うよ、ルルーシュ。違うんだ……君は、泣いてなかった。無表情で泣いてるみんなを見て、呆然としてるようだった。君はとても頭がいいのに、まるで何が起きたのか分かってないみたいで――そんなのを見てたら、ひどく悲しくなった。ルルーシュが可哀想になったんだ。ごめん、って言いたかったんだと思う」
 立ち上がり、スザクはソーサーをルルーシュへ手渡す。ほんの少し波立った表面を気にしながらこぼれていない事に安堵して、スザクはまた同じ席へ戻った。
「でも、言葉は届かないんだ。僕は死んでしまっているから、君にはなにも伝えられない。もどかしくて涙がどんどん溢れてきて、どうしたらいいのか分からなくなった」
 いつか、同じ景色を作るだろう。自分の手で。
 無表情なのは泣く権利が自分にはないからだ。
 悔やんではいけないのに、きっとその時になれば、自分は悔やんで責める。殺してしまったことを、受け入れたくなくなる。 「ああ、いやだな。またなんか泣けてきた。それに、ひどい自惚れだよね、これ。みんなも、君もそこまで悲しんでくれるかどうかなんて分からないのに」
 また滲んできた涙を拭いながら、照れ笑いを浮かべる大切な幼馴染み。
  ユーフェミアの騎士。ブリタニアのナイトメアフレーム騎乗者。
 そして、他のどの機体より邪魔で仕方のない、白兜のパイロット。
「……だったら」
 大事なものは、きっと数える程しかない。そうしなければ生きてこれなかった。自分の両手で囲い込んで守れるものは、ほんのわずかしかない。
 そんな少ないものも、この後一番大事なものの為に切り捨てていく。後悔はない、そう決めた。自分で選んだ選択だ。だけど。
「だったら、軍なんかやめれば…っ」
 だけど、だからと言って失われていない内に、諦める潔さまではまだ持ち得ない。
「ルルーシュ?」
「死んでから、死んでごめんなんて言われたくなんか…っ」
 真っ白な陶器に満ちる、紅色の紅茶。会長が本国から取り寄せた代物だ。
 彼女のお気に入りで、香りが高い。
「無理だよ、それは」
 感情のままにカップの中身は波打ち、ソーサーへこぼれ落ちる。穏やかな、だが確固とした意志で言い聞かせる様なスザクの声が溢れた紅茶へしみ込んでゆく。
「何度も言ったよね、僕はブリタニアを内側から変えるためにこの道を選んだんだ。騎士にもなった。昔より夢に近付いてるんだ」
「………」
「これは、僕が自分で決めた事だよ。僕が軍人だってことをルルーシュが本当に嫌がってるのは分かってる。でも、かえられない事もあるんだ」
 動揺が、カップの内側に波紋を作る。
 彼は、自分ではない。
 彼も、自分で選んだ選択の為に生きている。
「――そうだな」
「うん。だから、僕は死なないように気をつける。あんなのは僕もごめんだからね。何も伝わらないのはいやだよ」
「……」
「ごめん」
「簡単に謝るな」
「でも、ごめん。君の望みは何だって叶えたいんだけど」
 だけどこれだけは叶えられない。
 スザクはそう言葉にせず続けたのだろう。本当は何一つ彼は望みを叶えてなどくれないくせに、それに気付こうともせず自分だけが今気付いたそれに対して言葉だけを彼は与える。
 だがそれを恨む事もできない。
 自分がブリタニアの軍人であるスザクを許せないように、きっとゼロであるルルーシュを彼は許さないだろうからだ。
 だが、自分は謝らない。謝れない。

 生きていても、伝えた言葉が何も伝わっていない事に、彼は気付いていない。
 どこまでも相反してしまった自分達の間で、互いをいたわる言葉など、既に存在していること事体が滑稽でしかない。彼がエリアを統治する皇族の騎士であり、自分がそれを破壊するゼロである以上、いずれ殺しあう事は前提条件として横たわっているのだ。
 どこまで本気であろうともうこれはなにもかもが茶番でしかない。そんな言葉はどこにも届かない。
 
 カップの中の紅茶は既に冷めていた。
「死んでからごめん、なんて言いたくないから。だから話をしよう、ルルーシュ」
 語れる事のないルルーシュへ向けられた優しい言葉は、しかし語る事の出来ない彼へ向けられた残酷な言葉だけだった。
 
 死んでから、殺してからごめんと言うのはきっと自分だろう。
 そのときに、きっとようやく言えるのだろう。
2008.10.25.
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