汚れなくていいてのひら
EU戦線に駆り出されるのは予想の範囲内だった。
ナイトオブラウンズの一席に座し、ようやく半年。実力だけがものを言う座だとは言われているが、ナンバーズである自分がブリタニア内では一エリアでしかないテロリストを捕らえた功績だけで得た地位だ。試されている事は分かる。
皇帝直属ではあるが、さまざまな前線指揮官に借り出され招かれるのは常に最前線・最激戦地だった。すべてはエリア11とは別の、だが同様の立場にある既存エリアの暴動の鎮圧であったり、未だに版図拡大の一途を辿るブリタニアが新しく得ようとする地域の――侵略戦争の直中だった。
矛盾を否定はしない。
枢木スザクはナイトオブラウンズ、ブリタニア国内で最も尊敬される皇帝直属の騎士の一人だ。だが、生まれは既に敗戦、併呑された極東の一地域の出身であり、名誉ブリタニア人でしかない。故郷を蹂躙された人間だ。
序列はないとされるナイトオブラウンズだが、ただひとりナイトオブワンだけは別格とされ、彼には一エリアの統治権が与えられている。
それを、目指している。
自分の故郷を、自分がナイトオブワンと言う武力によって最強とされる地位を手に入れている間のみ、解放できるとという甘い誘いに乗って、今も自分の手は自国を取り戻そうと、自国を守ろうとする人々の首を刎ね夢を閉ざす。
「枢木卿、鬼神のような働きすばらしいものでありました! これでこの戦線も……」
「自分はあと三日、この地に滞在します。その期間に平定の目処をつけることが皇帝陛下よりの御命令。自分はそれに従うのみ。貴候らの協力を引き続きお願いします」
「イ、イエス…マイロード」
ランスロットから降りたばかりのスザクは、パイロットスーツに身を包まれている。ただ12人にのみ許可されたマントを彼は今羽織っていない。
他の戦闘員より小柄であり、まだ十八にならない年令を考えれば未発達の子供にすらみえる。だが、簡素に告げた言葉を聞いた長く現地で指揮を取ってきた諸候らは、なにかに呑まれたように怯えを抱いて背筋を伸ばし、去って行く彼の後ろ姿を見送った。
白く無機質な廊下は長らく兵舎として使われてきた建物の一部だが、ラウンズが参入することによって一部手を入れられたらしい。
塗料の匂いすらまだ漂う場所を歩き、スザクは自分に宛てがわれた部屋へ向かう。
感傷は半年前に殺した。
ルルーシュがゼロである可能性、それはいつからか否定するには努力を要する程のものに成長していた。最初は思考の端にチラチラと引っ掛かる不愉快なものでしかなかったのに、いったいいつ無視できないものになったのだろうか?
彼がゼロを支持していたのは知っていた。彼の子供時代も知っている。ブリタニアを壊したい事も知っていた。
ゼロの言動が彼の告げる言葉といちいちかぶる事が増えた。
ゼロが台頭し、告げる言葉が増える度にそれはどんどん増した。
――彼が、ルルーシュが学校にこなくなった。
敷地内に住居はあるのに、知っている一番昔からずっと変わらず誰より大事にしていたナナリーすらもクラブハウスに置き去りに、彼は姿を消す事が増えた。
それは、イレギュラーな所属ではあったとしても間違いなくエリア11を掌握する軍に所属する自分が忙しくなる時期と前後していた。
今から考えれば、彼がゼロであって当然だったのだ。
ナナリーだけが大事だった子供時代。自分すら粗末に扱った彼が自分以外の知らない命を大事にする筈がない。目的なら最初から知っていた。ブリタニアを彼は許せなかった。
自分と、生きて行くには余りにも不自由なハンデを負わされた妹を捨てた国を――父親を許せるはずがなかった。あのプライドの高い彼が顔すら表に出さず様々な人を利用する事は良すぎる頭が簡単に可能にしただろう。
そう、その仮面。
そこにも解答はあった。顔を曝せない理由が彼にはあった。滑稽で威圧的な仮面は演出のためではない、理由があったから被らざるを得なかったのだ。
死んだ皇子であるルルーシュの姿は、7年過ぎても分かる人には分かってしまっただろう。そこから身を守る術を持たない妹へ手が伸びる事なんて、あのルルーシュのことだ。当たり前に予想した。
ルルーシュは利口だ。あの頭脳はきっとひとつの武力になるだろうし、事実ゼロが起こした反乱はエリア11を混乱に叩き込んだ。だが、ナナリーを押さえられては動けなくなる。
だからこそ。だから、彼はひとりきりでやろうとした。
片腕だと思っていた紅蓮のパイロット――同じ生徒会だったカレンにすら正体を明かさず、人でない力を用い様々な者を利用した。人の心をねじ曲げた。ユフィですら、彼の目的のために殺害した。
そして、自分まで――きっと、一番彼が大事にしていただろう季節を共にした枢木スザクも欺いた。
最後まで騙しとおせるとでも思っていたのだろうか。
あんなにヒントを与えて。
それとも、それほど自分は侮られていたのだろうか?
分かるはずがないと。ルルーシュのことなど、理解していないと。
それとも、バレたところで丸め込む事が可能だと?
大事だと思っていたのは自分だけで思い上がりに過ぎなかったのだろうか。ルルーシュに取って大事なのはナナリーだけで、自分などいつでも捨てれる存在でしかなかったのだろうか。
いっそ、殺してしまえれば良かったのだ。
裏切られた事が許せなかった。ユフィのことは大切だった。彼女の夢は自分の理想でもあった。彼女を殺した事、夢を踏みにじった事、理想を理解されなかったこと、自分は必要無かった事。
そんなすべてが、受け入れられなかった。
あの場で殺してしまえば良かったのだ。
今もスザクは後悔している。
ルールに従うべきではなかった、と。
自分が殺してしまえば私刑になる。それをしてしまえば、彼と同じになる。唾棄すべき存在に落ちてしまう。
だが、それでも良かったのだ。
殺せば良かった。
記憶を失った彼が、今ものうのうとあたたかな学園で毎日をおくっている。
大事な、何よりも大事な記憶を失う屈辱は与えられても彼はそれを認識していない。それは、罰だったのか――?
あの日から何度も繰り替えされている。常に感じていたゼロへの憎しみはルルーシュへ向けられる事になり、単純な思想の相違だけではないさまざまなものを含み、憎む事でスザク自身も傷つける。だが何をどれだけ思おうと、全ては終わってしまった出来事。何も変わる事がない。
だから、感傷を殺した。
大事だったはずの友達が、大事だと言う言葉だけで済まない存在が自らを裏切った時から感傷も感情も殺した。
殺せば良かったと呪詛を吐く自分を見たくなかった。それならば、そこへ至る思考全てを止めてしまう方が楽なはずだった。
大事なものは裏切られ失われてしまった。
だから、欠片だけでも残った自分へとどめを刺すように、恨みをくり返す事をやめてしまいたかった。
だが、きれいごとだけで済まないものが心の中でいつまでもくすぶる。
だから、目を閉じてただ目の前にある戦闘を処理する。従い続ければ、いつか日本だけは取り戻せる。
通路の一番奥にスライドドアがある。
警備は完璧だ、不粋にも人を配する事はせず、システムがはり巡らされている。
自分の持つIDカードを壁面のスリットへスキャンさせて、静脈を読み取らせる。同時に視線の高さにある小さなカメラが網膜を読み取っている。
全てが合致して、ようやくロックの外れる小さな音がした。
たった3日の滞在先だ。重要なものはと言えばランスロットのキーくらいしか持ち合わせていないが、この警備システムは中に誰かが潜まないよう、もしくは戦闘と戦闘の合間の短い休息を邪魔させないためだけに用意されているという。一番重要なのは、この枢木スザクの身体だと言うのだ。
ラウンズが派遣される先には標準で用意されていると言うから、物々しいものだとスザクには苦笑いを禁じえない。
たった1年も遡らなくとも雑魚寝でロックなどとっくに壊れた兵舎が自分の自宅だった。
他のラウンズの話では、スザクに用意されたセキュリティなど甘過ぎるもので、もっと厳重にさせるべきだとも憤ってはいたが、そんな必要も感じない。
ナンバーズ出身だからと言って甘く見るのは抜擢した皇帝への不敬罪にもあたるとまで口にするが、親に守ってもらう無力な子供ではないのだ。欲しくはないが本国出身のラウンズと同じ扱いを受けたいのならば、それ相応のはたらきをまず見せるべきだった。
地位から見下ろして命令するのでは、変えたいと望むブリタニアそのものでしかない。
スライドボタンをおせば、圧縮された空気が吐き出される音とともに扉が開く。戦場には不似合いな広さと調度。入ってすぐのごてごて飾られたつい立てを避ければアンティークらしい円卓と優しい形をした椅子がセットで置いてある。テーブルの上には昨日着任時に置かれた瑞々しいフルーツ。
従卒は先に断ってある。食事も着替えも自分の手で十分に賄える。それより、落ち着かない空間であろうが一人で過ごせる時間の方が現在では貴重だった。軍隊に所属して以来叶う事はないだろうと思っていた、個人時間だ。物質による贅沢は望まないが、どうせ与えてくれると言うのならば、この時間こそを大事に受け取りたい。
併設された簡易キッチンは本来スザクが使う事を想定していなかったようで、ここだけが彼にも安心できる質素なつくりだった。
湯を湧かして、紅茶を入れる。酒はリビングに何本も並んでいたが戦闘中の感覚を引きずったままではどうせ酔えないだろうし、万一酔っても悪酔いがせいぜいだろう。明日――いや、まだ伝えられていないが夜半にでも再度出撃があるだろう。日中の戦闘でかなりのダメージを与えたとは言え、双方共に想定の範囲内だ。夜間の奇襲はランスロット一機を重用するのだとすれば、しない方があり得ない。
小さな冷蔵庫から卵を取り出し、目玉焼きを作る。
まるで日本に――エリア11にいた頃と同じだなと急に笑いが浮かんできた。戸棚にはそのころとは比べるまでもない上等なパンが入っている。固まりのハムを削ぎ切り、目玉焼きと一緒に炒めて乗せて立ったまま口へ運ぶ。
一連の作業の間に冷めた紅茶で流し込むと、ふと懐かしい声が脳裏に響いた。
『どうせまともなものなんか食べてないだろう。ナナリーも喜ぶんだから、たまにはうちに来い。夕飯くらいなら食べさせてやる』
あんな調理器具のほとんどなかった土蔵で、たった10歳で、それまで皇室育ちだったろうにルルーシュの作る御飯はおいしかった。
枢木の家ではちゃんと彼等の御飯も用意していたのに、ルルーシュは絶対に食べなかった。もちろんナナリーにも与えない。それをひどく腹立たしく思っていたけれど、理由を知った時にはなんとも言いがたい気持ちになった。無力感、そして罪悪感。自分と同じ歳なのにそこまで考えなければならない彼が哀れで、悲しくて、同時に自分の無力さが悔しかった。
そのまま、彼はアッシュフォードに引き取られた後もナナリーを害させないために自分で食事を作り続けていたのだろう。環境も整い腕もあがったルルーシュの作るものは、彼の言う通りろくなものを食べてなかった事を差し引いてもひどく美味しかったし、そして懐かしい味がした。
午後からずっとランスロットに乗っていた。朝食の代わりに液体ゼリーを口にしただけだったからひどく空腹だった筈なのに、美味しかった温度のある食事は味気なく喉につっかえる。
手が小さいのに丸ごと一個梅干しをいれたせいで、すっぱくてたまらなかったおにぎりが思い出されて、それより手にしているものの方がずっとおいしい筈なのに懐かしくなる。
「おかしいな…殺し過ぎたか?」
騎乗時間、10時間23分。
感覚がどこかずれてしまったのかもしれない。
エナジーフィラー技術の飛躍的向上により、ナイトメアフレームの稼動時間は半年前と比べるまでもなく伸びた。それに伴い、一般兵士ならともかく戦況を左右する、そしてそれだけの身体能力が保証されているスザクのような人間は戦闘状況下におかれる時間も伸びている。
一撃のMVSで5機。フロートユニットを使用し、中空から放つヴァリスで10機。一度の出撃で過去20がいいところだった撃墜能力は今では数えるのも面倒な数を撃破する。
その全てに、人は乗っている。
命を断っている。
いつも、スザクはそれらを殺し続ける。殺すためにだけ、日々生きている。
矛盾は否定しない。
ユフィは理想だった。夢のような存在だった。
だって、自分にはこんな血に濡れ、自分ですら誤ちと理解した方法しかとれない。ルルーシュだって、本当は分かっていた。彼は自分と良く似ていた。
望むものはあったけど、最悪の方法でしか手に入れる方法を思い付けなかったのだ。
そんな彼は、今なんのわだかまりもなく幸せな学園生活をおくっている。
いっそ殺してしまえば良かったと思うのは、憎かったからだ。
自分のいない場所で幸せを享受する彼が恨めしい。
彼の苦悩に踏み込ませなかった事が腹立たしい。
そしてなによりも。
彼を理解できなかった事、自分を理解されなかったこと、分かりあおうとする機会を永遠に失った事が悲しかった。
ギアスは破れない。ルルーシュはあのまま偽りの世界で暮らす。
そして何もしらないまま、C.C.が姿を現せばその命も終わる。
彼の手は、もう血に汚れない。
口の中に押し込んだオープンサンドはひどく飲み下しにくかった。口の中がぱさぱさだ。
冷めた紅茶を流し込みながら、塩も多くてすっぱくてお茶をほしがったあの子供の頃をやはり思い出していた。
感覚が狂っている。殺したはずの感傷が、自分を苛む。
この三日間、自分は殺し続ける事になるだろう。今だけじゃない、この後も戦い続け、殺し続ける。
こんな脆弱な神経じゃあ日本は取り戻せないと、くり返し自分へ告げる事しか今のスザクには出来なかった。