アンハッピーエンド
「いつまでそんなわがままを続けるつもりですか?」
三ヶ月振りに発見したかつての上司は、EU領の北端にいた。
よくこんな辺鄙な場所を合衆国の情報班は見つけたものだ。それとも、なんだかんだとセシルの把握する情報網の中――合衆国領から出て行かない彼こそが迂闊なのだろうか?
上から怒り含みに告げる言葉は、なにも上下関係がなくなった今だからだと言うわけでは無い。かつての特派のメンバーが見れば懐かしさのあまり、涙するかもしれないほど日常的な変わらないものだった。
常識が無い代わりに立場を振り翳さないロイドが現場トップを務めた部隊は、技術色が強かったとは言えまがりなりにも軍隊であったのだから、今から考えれば夢を見ていたのかも知れないと思うくらい不可思議な場所だった。
そんな彼等が所属していた組織は、今では全て解体されている。
ブリタニア帝国第二皇子が旧知の仲であるロイド・アスプルンド伯爵の才能に任せた特別派遣嚮導技術部。一気に第七世代ナイトメアフレームを開発し、その後ラウンズに昇格したデバイサーである枢木スザクの専用開発機関として継続されたキャメロット。そして、それら全ての前身であるブリタニア本国の研究室。特派は発展的解消を遂げ、キャメロットは主人である枢木スザクが皇帝ルルーシュに就いた時点でナイトメア開発機関ではなく、国家の技術部門となった。それも『悪逆皇帝』に捕われた超合衆国の首脳陣を解放する裏切りを働き、独裁者ルルーシュによって取り潰されている。
前身の研究室は、それら大戦の中フレイヤによって帝都ごと壊滅させられ跡形も無い。
現在の軍事力は黒の騎士団のみが保持している。
前のブリタニア皇帝――独裁者であり、多くの人が知らないまま無駄に血を流さない世界を用意したルルーシュによって、今の世界は軍事力その存在自体が空虚なものとなっている。
依然悲しいかな内紛は起こるが、皇帝ルルーシュ対現宰相シュナイゼルの戦いで最新鋭のナイトメアは全て破壊されてしまった以上、それが必要とされる事もなくなった。
戦争は金がかかる。兵器の開発はその主たる要因だ。必要とされないものに裂かれる予算はなく、世界はむしろ長く続いたブリタニアによるエリア制度の弊害、貧困や飢えの救済へと視線が向いている。
そして、ナイトメアを製作する上で必要不可欠だったサクラダイトは以前にも増して――いや、比べる事すら馬鹿馬鹿しい希少鉱物となってしまった。
それすらもルルーシュの画策だったのだろうか? 全世界のシェア70%を誇るフジに眠る鉱脈を、たかが一戦闘の戦術で爆破してしまった以上、この世界に余情なサクラダイトは存在しない。純粋な超伝導体として平和利用するにもギリギリの数なのだ。こうなれば分配会議の末席にすら不要な軍事利用ナイトメアの為には用意されない。
「だって僕の研究はもう無意味だし? もういいじゃない、貴族制度もなくなったけどそれなりに貯金もあるし適当に人生楽しく過ごさせてよ」
「……じゃあ、言葉をかえさせていただきます。いつまで拗ねれば気が済むんですか?」
かつて、と言うにも記憶も時間も近すぎる世界で最先端のナイトメアを最終的に全てを手掛けたロイド・アスプルンド元伯爵はこうやって世界のあちこちを歩き回っている。飽きず追い掛けてくるセシルに説教されるのも、二度や三度目ではない。
「そりゃああれだけ大好きだったナイトメアの研究ができないのは確かにおかわいそうですけど、ロイドさんの能力は…」
「ああ、やめやめ! 何度も言うけどさあ、そういうの趣味じゃないんだよね。僕はおもしろいことをしたかっただけなんだから。誰かの役に立つからって、おもしろくもないもの手掛けたくなんかないよ」
心底うんざりした声も姿も、彼の言葉の通り既に見飽きた。ロイドが誰かのためになんて行動を軍属になって以降一度もしていないのは、最初から最後まで見ていたセシルは良く知っている。この説得が意味を為さない事なんて呆れる程自分でも分かっていた。
「何? なんか言いたそうだね、君はずっと」
だが、初めて口にする言葉をやはりセシルは戸惑った。
「――ルルーシュ陛下のこと、恨んでるんですか?」
促されて言うなんて、本当にずるい事だ。
もう研究者じゃないんだからさあ、などとうそぶくくせに、彼の格好はどこの地で発見しても同じような今までと同じ白衣姿だ。だからだと言い訳したくなる。
サクラダイトがほぼ失われ、ナイトメアを新規に製作しようとする動きがなくとも、それでも尚かの資源は貴重なエネルギー源として揺るがない。より効率的にサクラダイトを使用する事にかけては、結局用途が違うだけでロイドの能力は未だに高く評価され続けているのだ。だからこそ生まれ変わり行く世界は暇ではないのに、彼には一定数以上の捜索隊が割り振られている。
毎度毎度追跡者として姿を現すのがセシルなだけであって、追跡網は小さな規模ではなかった。まだ彼女に預けてもらえている今のうちに、セシルとしても早く諦めてもらいたかった。
「え、なんで?」
「ロイドさんの、面白いものを――結果的に取り上げちゃったから」
「まさか」
尋ねてはいけないだろう事を口にした事も相手が促したのだからと言い訳しても尚、口にした事を悔やみそうになった言葉は、しかし心の底から驚かれてセシルの内心は懐かしいいつものように簡単に流されてしまった。
「だって、あんな面白い事に参加させてくれたんだよ? ナイトメアを開発できなくなったとしても、差し引いて感謝するね、僕は」
「面白いことって…」
「面白いよ」
彼は独特な笑いを浮かべてから、ゆっくりと呼吸して表情を改める。自分が安っぽい考えを抱いていること、それを恥じている事、だがそれを捨てれなくて情けなく思っている事など、世俗に捕われない彼はやはりまるで無関係な事と切り捨ててしまった。
「面白いよ、彼の信念は所詮絵空事だった。世界は簡単に争うことなんてやめやしない。人間っていうのは、結局憎んだり争ったり殺したりすることが大好きなんだもの」
だが、そんな悔しさのようなものすら、彼は簡単に打ち壊す。
誰もが知っている事、だけど、誰もが言わないこと。
悲観的で訳知り顔な思春期の子供が訳も分からずに気軽に言う言葉と同じ調子で、誰よりも理解しているからこそ言えない筈の立場で、だが彼は――ロイドは言うのだ。タブーなどこの世界にないかのように。
「スザクくんだって分かっているはずだし、彼もわかっていただろうね。きっと世界は平和になる――今みたいにね。でもこれは長く続かない。彼がもたらした平和は、彼に対して憎悪を抱いた人の記憶が続く間だけのものだよ。彼を知らない人はそんなことがあったとしか知らないから、憎悪の対象が打ち倒された瞬間のカタルシスも知らない。そしたらまた簡単に争うよ」
「やめて…ください」
「セシル君は彼等のそばにいた、だから彼等の決意をそんな簡単に踏みにじってほしくないんだろう? でもそれは単なるヒロイズムだね、感傷的で現実的じゃない」
セシルは怒りの表情を上手く作れなかった。何も言えなかった。
本当は彼等の描いた理想郷をそんなありふれた当たり前の言葉で永遠じゃないと言われて、きっと怒らなければいけなかった。そうじゃないと否定しなければいけなかった。
彼等の決意を理解していた。だから彼等が望んだ優しい世界は叶えられ物語のように否定してはいけなかった。そうでなければ――どうしてそんな子供が無茶をするのだと止めたかったのにとめられなかった自分はどうなる? 自己愛でしかない、分かっている。だけど、止められなかった自分を未だ受け入れられないでいる。
彼等は絶望していた、きっと。
世界はより良いものだと信じていたくせに、自分はその中にいないものだと扱って、諦めた。そばにいた大人の役割としてなら、頬をたたいてでも内側に入れてあげなくてはならなかったのだろう。
だが、背負ったものはあまりにも重かった。
セシルも、戦争の中に生きてきた。身近な人間もあっさり失った。むしろ、ブリタニアに生まれてしまった以上、生まれた頃から戦争は続いていて、持ちえた科学技術の才能は惜しみ無く人の命を奪うためにのみ捧げられて来た。
守るための軍人である、とは詭弁だ。
新しい理論を発見すればそれが人を殺すものだと理解しても実感出来ず喜びを持って作り上げた。大事な人を失っても目の前で人が死んでも、その死を生み出したのが自分の技術であっても、それが当たり前でそういう世界でのみ生きて来た。死は余りにも軽く扱われ、それなのに重くのしかかる。
そんな自分が、あなたたちの望む通り、きっと世界は優しいものだと――多くの人を殺し絶望している彼等に、殺す事を唆しさえした彼に、生きる事を強制することは、出来なかった。
そんな世界しか知らなかった、と言うなら彼等はセシルより歳若く、より争いしかなかった世界しか見ていなかったはずだ。
支配者である血筋の息子と、被支配者となった国の代表の息子。彼等が、どうして手を結び綺麗な世界を描けたのかは今となっても断片でしか分からない。もう彼では無いゼロと、まだ少女と呼んで構わない、きっと最後の皇帝となる覚悟をした彼女から語られる言葉はない。想像をする事しか、きっともう出来ないのだろう。
自分には彼等の覚悟に殉じる事も出来ない。彼等の選んだ道を綺麗事だと言われるのは許せないくせに、自分が取ろうとすれば綺麗事だとしか思えない。
「でも、僕は彼等のきれいな夢に賛同する。楽しい事に参加させてもらったんだ、そのお礼はしなくちゃね」
ロイドの言う通り、セシルの感じる全ては感傷でしかないのだろう。
「なに…を」
「これから僕は本格的に身を隠すからよろしく」
目の前で、朗らかにロイドは笑う。
まるであの頃の、ランスロットが期待通りの数値を初めて叩き出した時のように。
「サクラダイトの平和利用? バカを言っちゃいけないよ。もちろん『そんな風にも使える』だろうね。でも、僕は今までずっと人殺しの道具としてしか使ってこなかったんだよ。そんな人間が表に出たら、また期待しちゃうバカが出て来るじゃないの。だから、君も『そんななんだろう?』」
にやり、とした笑いはまるでまるで悪巧みをする子供だ。
――そして、あくまで理知的である人間の覚悟をずるく底に隠している。
「そんなの相手にするの面倒だしさあ、あんだけ彼やスザクくんが頑張って作ろうとした世界だよ? 隙を作るなんて野暮なことしちゃあいけない」
自らも技術者として求められている事を理解しながら諾とせず、かつての上司だからと捜索隊の一員となった。
かつての上司を追ったのは、自分の世界が停止していたからだ。世界に殉じた子供達への行き過ぎた同情と片寄った愛情を処理しきれず、立ち止まっている事を自分でも理解しきれず情けなく言い訳をして追い掛けていた。
「ああ、ラクシャータなら大丈夫だ、彼女には医療の実績がある。軍事とは関係ない背景を背負って、これからの世界に協力できるよ。セシル君、君も早く身の振り方を考えた方がいいよ? ちゃあんと真正面からスザクくんに協力するなら覚悟決めなきゃだし、僕は協力するからこそ身を隠す。別に、研究なんて顔だして名前だしてやんなきゃいけない義理はないしね」
まだどんな顔をすればいいのか、全てを見透かされているだろう事を取り繕えばいいのかあなたはズルいと素直に言えばいいのか、――いっそ、泣けばいいのか。どうすればいいのか分からないセシルへ、ロイドは信頼する技術者への笑みを向けた。
「――さて、どこに身を隠したらいいと思う?」
人殺しでなく、そんな未来を見れる唆し方を自分も知っていれば良かった。
自分は、ずっと後悔している。彼らを止められなかった事、今も止められない事。だから立ち止まって、あの時から考える事すらやめて組織に所属している。
――ここで、涙を落とすのは、きっと誰に対しても卑怯なことだろう。