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あけめやみとじめやみ

 目を閉じて、世界を見る。
 それは彼女にとって非常に慣れ親しんだ世界の受け取り方だった。目に映る世界はとても色とりどりで鮮やかで華やかで、記憶を頼りに心に描いていたそれよりずっと――…ずっと、なんだろう?
 彼女はいつも見える事に対して、思う言葉を上手く手に入れられない。
 色も形も光も失われていた世界は、あたたかかったと思う事が、きっといけないことだと分かっているからだろう。
 きっと、ずっと望んでいた事なのに彼女はやはり上手くそれを受け入れられないでいる。
  何を思っても何を感じても開いた目蓋は光を取り入れ見たくとも見たくなくとも全てを自分へ与えて行く。それは喜ばしい事のはずだった。だけど、急激に動く世界は感情をかみしめる時間もなく情報ばかりを与えて次へ次へと進んでいく。
 鮮やかな世界は、兄の存在を否定して成り立ち動く。
 ナナリーが理解することを待たず急ぎ動いていく世界は、それが本来の世界の速度だったのだと否定された存在を更に色濃く彼女へ焼き付け、必死に追いつくために目を見開き色と光のかたまりの世界を不器用に取り込みながら日々を過ごす。
 本当は、そうだったのだ。
 自分は子供だった。親のいないふたりきりの兄妹でお互いを支えているのだと心のどこかで言い訳をしながら、全てを兄に委ねていた。本当は子供で良かったのかもしれない。優しく庇護されて構わない年齢ではある。自分は子供でも良かった。だけど、たったみっつしか歳の変わらない兄が大人である必要はなかったし、親である必要など尚更無かった。私たちはふたりで支え合わなければなからかったのに、自分は全てを兄に頼っていたのだ。
 あの時、ダモクレスで彼は否定したけれども、彼がいつでも自分のために動いていてくれたことを知っている。思い上がりだったかもしれない、だけど、それを否定する事はあまりにも甘やかな記憶が自分の邪魔をする。
 昔から知っていたけれども、当たり前に過ぎていく世界の速度を感じれば尚更分かる。自分は彼に守られていた。早く早く流れていく世界を理解して納得するまで一番側にいて世界の入り口だった彼は待ってくれていたのだ。
「ナナリー代表、準備が整いました」
 控えめなノックの音と共に、硬い声が扉の外から自分を呼ぶ。
「はい、わかりました」
 皇族の象徴。優美なラインの白いドレスは自分の意志だった。ブリタニアと言う国が恨まれている事は知っている。だけど、まだ守られている事も知っている。
 兄はずるかった。
 早すぎる世界の動きを自分には見せず、だけどあの利口な兄がしようと思えば不可能ではなかっただろうに、私を世界から隔絶はしなかった。
 あの頃は映像が見れなかったけれど、ラジオは普通にあったし、だから皇族がこういった時にどう動くべきかは理解していた。自分から醜くも見える世界を遠ざけようとしながら、彼の言葉は残されている。優しい世界。それは、自分が求めていたものだ。
 そして同時に、兄が求めていたもの。
 きっと彼の目を通して映した世界が今も自分の指標となっている。
 私が、幸せになること。
 それはとても難しい事だけれども。
「ナナリー代表?」
「すいません、今行きます」
――私の幸せはお兄さまがいてこその世界。
 それを分かってもらえなかった事だけを今もナナリーは恨む。
 目隠しされて、自分でも目を閉じて、兄がいてあの優しい学園で過ごす世界が自分の幸せだった。
  あの場所はいつか奪われる場所だった。可能性は考えないでもなかった、だってそんなこともう価値はないと思っていたけれども、確かに自分は皇族だったのだ。目を閉じて今だけが永遠に続くんだと思いこんだ自分の浅はかさに気付けば誰も恨めない。兄を恨むなどもってのほかだ。
 憎しみの象徴なんて大げさな名を背負い、今でも解放されたと言っている人々が、本当は彼の優しい世界の夢に取り込まれている事を知る事はあるのだろうか。自分のように、何もかも終わってから気付くのだろうか。
 車椅子を動かし、扉へ向かう。
 ふと鏡を見て、随分伸びた髪をほんのすこし手櫛で整えた。
 綺麗な紫の目。子供の頃自覚していなかった目の色は、本当に綺麗だ。だけど、一番綺麗なのはもっと赤みの強いあの人の目。やさしい彼の目より、自分の瞳の色は冷たい。

 世界において行かれないように、彼の望みがかなえられるように、だから自分は目を閉じる。
 目を開いたままで、大好きな兄への思慕を閉じこめる。
 誰に、何を言われても笑顔で。
 大好きな兄と共に過ごし、この結果を選んだ仮面の人と並んでも笑顔で。
 問い掛けたくなる、懐かしみたくなる心は、早すぎる世界が立ち止まるのを許してくれないからそんな機会も与えてはくれないだろう。

「お兄さま、わたし、十六になりました」

 貴族制度、エリア制度を廃止してくれていたのに、まだブリタニアは王政だ。
 優しかった学園で、ルルーシュの思いをナナリーは受け取っている。自分だって知っている。誰かに命令されるのも誰かに奪われるのも、誰かを憎むのも誰かを恨むのも心に辛い事を持つのは、誰も望んではいない。
 ゼロが――世界の代表となり誰かに虐げられない世界を作ろうとしている。
  自分は世界で一番大きな国の代表で、本当はまだ皇帝と言う座についているけれども、あの兄の気持ちを知っていて、誰よりも兄の側にいて喪失を知るあの人の事を知っているからこそ、自分も悲しんでいてはいけないのだと思っている。自分の言葉を語らない記号になってしまったあの人へは、私も自分の言葉を告げてはいけない。それは、自分の甘えでありあの人の覚悟への裏切りであり、兄への情けない泣き言だ。
 誕生日の日は、暖かな空気のダイニングにミルクたっぷりのオムレツを作ってくれていた。それは特別なことじゃなく、毎朝の事だ。いつものようにその日を迎え、学校に行き、帰って来たら甘い甘い匂いのおいしいケーキがサプライズにもならないのにほんのわずかなはにかみと共に用意されていた。いつでも柔らかな声音が幸せに滲んで誕生日おめでとうと言ってくれた。

「おいしいケーキ、楽しみにしていますね」
 
 ばかなことを言っている。
 扉の外には皇帝の誕生日を祝う為の式典へ導く人々がいる。
 それをいらない、などとは言ってはいけない。
 平和な世界の入り口へようやくさしかかった世界の象徴として、自分は早く自覚して動かなくてはならない。もう、十六になったのだ。兄が望んだ役割を、早く果たさなくては。彼はこの歳の頃、既にアッシュフォード学園で優しく自分を守ってくれていた。
 あのケーキはもうない。
 お勉強ではないけれど、帰って来てもそこは自分一人の部屋だ。
 いつまでも待っていてはいけない、今度は自分が何かをあの大好きな兄へあげなくてはいけない。

 兄の汚名を雪ぐ事は望まれていない。辛くともそれはしてはいけない。
  誰よりも優しい世界を望んだ彼の為に、おいしいケーキをありがとう、愛してくれてありがとう、なにもかもを与えてくれてありがとうと告げる代わりに出来る事は、この世界をせめて望んだ優しい場所へ近づける事だけだ。

 準備は行って来た。
 短い時間だったので、早すぎる世界と同等自分ではきちんと把握出来ているのかわからない。
 だけど、彼へのありがとうの言葉とともに、きっと彼がそうであって欲しかっただろう世界への安堵の言葉を彼女は式典で、告げる事になっている。
 誰もが望む明日は、誰かが望む明日ではないはずだと彼女は開いた目蓋のした、澄んだ瞳で人々に告げる。

 甘いケーキはない。
 優しいふたりきりのダイニングもない。
 これはそんなものしか知らなかった、知ろうとしなかった自分への罰だ。

 仮面の下で、かの騎士もきっとほほえんでくれるだろう。
 彼とは決して語り合えないけれども、私は早く彼に追いつき兄に追いつき、世界のスピードに追いつき自分が甘やかされていた事を自覚して知って、いつかは兄を愛しているときちんと言葉に出来る世界にしなければならない。
 憎しみは、消えない。
 憎しみのない世界なんて、どこにもない。

 だけど、優しい世界はどこかにある。

 それが見えるまで、私は閉じた瞳の世界と閉じて、開いた目の世界を見る。
 例え闇夜に見えたとしても、兄が与えてくれたあの柔らかでまぶしい世界を、きっといつか見ることが出来るだろうから。
2008.11.1.
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