「ああ、楽しかった。賑やかだったね」
「あれは騒々しいって言うんだ……バカ騒ぎだったな」
「そんな事言って。君も楽しんでたくせに」
パチリと電気をつけたクラブハウスの廊下は、しんと静まりきっている。先ほどまでのどんちゃん騒ぎに慣れきった耳に静寂は痛い程だ。少しだけ紛れていた酒で上気した体には冷えを感じないが、夕方からからっぽだった広い建物は屋外と変わらない温度に下がってしまっているだろう。
足早に廊下を抜けて、リビングに入り空調をつける。
日が変わるまで続けられた会長主催のカウントダウンパーティは、冬休み中の催しにもかかわらず本国に帰らなかった生徒も多く参加した。全ての片付けが「ハッピィーニューイヤー!」の乾杯を繰り返した後に終わる筈がなく、それでも酔客も紛れ込んだパーティホールの惨状をそのままにすることは出来ず、生徒会と有志によるおおざっぱなお片付けを終えた今はまもなく朝になる時間だ。先に帰らせたナナリーはベッドで眠りについているはずだった。
「今日の予定はないんだろう? 一眠りしていけよ」
「うん、そうさせてもらう。さすがに…疲れたし。あ、どうせなら初日の出見ようかな」
「まだそんな時間じゃないだろう?」
コートは着たままルルーシュはキッチンに立った。お茶を入れるためにケトルを火に掛けると、実感していないだけで本当は寒がっている事が分かる。じわりと広がる火の温度に、体の芯が緩められるのを感じる。
ソファで座って待っていればいいものを、スザクはキッチンの入り口に立ってルルーシュを見ていた。彼は既にコートもマフラーも解いている。天井の高い室内は、動き始めたばかりの空調ではさっぱり暖かくならないのに、彼はそんなことを気にしない。見てる側が寒くなりそうなのに、真冬の屋外でも大して着込もうとしないのだ。今日していたマフラーは、クリスマスに無理矢理ルルーシュが押しつけたものだった。
じんわり伝わるコンロの熱にほっとしていたのに、近寄って来たスザクはルルーシュの襟元からマフラーを抜き取った。たった今まで甘やかされていた首筋は、突然さらされた冷たい空気にすくむことしかできなかった。
「火、使ってるんだから危ないよ」
寒いだろう、と文句を言う前にもっともな事を言われ、開いた唇は諦めて閉じるしかない。
「あと一時間程度かな」
きっと表情は見えないながらもルルーシュの事などお見通しと言わんばかりに、笑みを滲ませてスザクは夜明けの時間を口にする。癪だから、はっきりとしたそれに気付かないふりをしたのに言葉に不機嫌は滲み出してしまった。
「一時間も待ってられるか、お茶を飲んだら寝るぞ」
「お風呂、入らないの?」
「……」
「寒そうだけど」
「……もう、眠い」
「首筋、鳥肌が立ってるよ」
「……スザク」
「うん?」
肩越しに笑顔を向けられて、諦めたようにルルーシュはため息をついた。
「寒い」
「うん」
満足そうな声音で、背後から温度を与えられた。首筋に触れる癖毛はくすぐったいし、掛かる体重は重い。だが、目の前で上げ始めたケトルの湯気より暖かなそれに悔しいが吐息が落ちる。
「あけましておめでとう、ルルーシュ」
「もう、何度も言っただろう?」
「そうだっけ?」
「酔ってたんだろう」
「それは君だ」
ささやくような声が、耳にくすぐったい。ああ、なにをやっているんだろうとルルーシュは途方にくれそうだ。こんな幸せを感じているのが、嘘のようだ。
「一緒にお風呂に入ればいいよ、そしたら一時間くらいすぐに過ぎる」
「……そんな体力、今日はもうないぞ」
「君の体力が万全じゃないのなんて、いつもの事だ」
しゅんしゅんと短い間隔でケトルが鳴き出し、もうこの時間が終わってしまうと残念に思ってしまう。スザクの誘いは本当は魅力的だ。暖かな風呂に入ってただ抱き合えるだけならば。
「途中で寝るぞ」
「初日の出、見ないの?」
「見たいのはお前だけだろ?」
「せっかく、一緒にいるのに」
「見たいなら他の日にしてくれ。後、お湯が沸いた。お茶を入れたいんだが…」
ちぇ、とスザクは不満げにつぶやいて離れて行った。
「お風呂、沸かして来る」
初日の出はどうやら諦めたらしい。途中で寝るのは、受け入れられたのかどうか……しかし本当にもう眠い。夜更かしには強い方だが、昨日から準備に借り出された上に、一日中騒ぎのただ中にいたのだ。疲れたし、きっとわずかな酒ががまんを奪っている。
温度を手放してしまった背中が寂しいと訴えているのも、きっとそのせいだ。
「日の出なら、明日にでも付き合ってやるよ」
「なに、それ。意味がないよ」
笑いながら、スザクがリビングを出て行く。何度も泊まっている彼は、この家の事を知り尽くしているのだ。
どうやら誰もいない部屋で空調は頑張っていたらしい。コートが邪魔に感じる室温になっていたリビングに
ほっと息をついて、準備した茶器をテーブルへ並べた。脱いだコートをソファに掛けようとして、つくねられたスザクのそれに苦笑する。
意味など、必要ないのだ。今日であろうと明日であろうと、いつだって構わない。彼が当たり前の顔をしてここにいて、一緒に見ると言うのなら。
「幸せだな…」
とすん、とソファに座ってコートを二枚、自分の上に掛けた。
思わず出た言葉がらしくなさすぎて、軽く吹き出して、目を閉じた。
とろりとルルーシュを包み込む優しい眠気は、遠慮無く与えられる幸せと同じ温度と重さで、数分後破られる。