神様はいるかいないか
困ったなあ、とスザクは仰向けに転がって天井を見る。
どういう成り行きか自分でも分からない間に、本来なら重火器すら所持を認められなかった自分がナイトメアのパイロットになった。正確にはパイロットではなく、デバイサー。開発途中の新型の、言ってみればテストパイロットのようなものだろう。現エリアを統治する総督の意向により、ナンバーズを戦闘へ参加はさせない――とは渋られているが、そもそも本来なら許容されないナンバーズを引き抜いて、研究が楽しければそれでいいと隠しようもなく、それどころか公にまで言ってしまう主任の率いる名称ばかりが技術部は、なんだかんだとごりおしして戦地へは適時投入されていた。
この所属になってから、スザクの住居もここだ。
大事大事な新型ナイトメアの研究所であり、保管庫であり、移動手段でもあるトレイラーの元は仮眠室であっただろう一室を、スザクは与えられていた。
元からそう使用されていなかっただろうそこは狭かったし、窓もないし、唯一あるベッドはスプリングも効いていないぺたんこなソファの延長みたいなものだ。だが、軍属になってからひとりの時間を得られなかったスザクに取っては有り難い場所だった。
しかも軍属でありながら学校へ通うと言う特別待遇を与えられて、とっくに失ったと思った優しい日常を得る事が出来るのは、とても嬉しい。
軍に所属すると決断をして以来、得られないものとあきらめとともに捨ててしまったものが全て手に入ってしまって、正直なところ困惑もあるのだけれどもそれを無視出来る程、うれしさが勝る。もちろん軍務と平行するものばかりだから、全てが十全に与えられている訳ではないけれど。
全寮制の学園で、生徒ひとりひとりに与えられる部屋は今じぶんが寝そべる部屋の10倍近くの広さがあって、ベッドはふわふわだし、スザクの部屋はランスロットの輸送手段を兼ねているトレーラーの中だから当然戦闘の余波で天井がへこんだままだけれど、もちろん寮にはそんな傷もなく上等に綺麗に作られている。
スザクが見た事があるのはリヴァルの部屋だけで、彼はそれでもあれこれ愚痴を言っていたけれど、それも自分の部屋を見たらごめんと謝るんじゃないかなあと思って、その想像は少しばかりスザクの口元を緩ませた。
別にそれより劣悪な条件だからと自嘲している訳じゃない。
この小さな部屋だって、スザクに取ってはあり得ない贅沢なのだ。軍に所属してからは小隊ごとに一室が与えられていただけだったし、年齢層もまちまちだから、一番子供だったスザクのいる場所なんて中でも一番狭い場所だった。枢木の息子だから、という扱いを受けた事もないでもなかったが、一貫してナンバーズへは酷い扱いを強いるブリタニア軍の中にあっては誰が悪いなんて言い出すのも今更過ぎて、名誉ブリタニア人になっても何も変わらない事に結局は絶望していたから、さして酷い目にも遭わなかった。
その頃の文句を言いたい訳でもない。
自分が夜、寝れる場所がある。それだけで十分幸せだった事を懐かしく思うだけだ。
あんな事があったのに、自分はそれでも夜露をしのげ、食べるに困らず、生きてこれた。
リヴァルの部屋でほんのわずかにでも心を刺激したのは同年代、学生というあたたかな時代を過ごせる世界が確約されたようで、学校に縛られると言う感覚に憧れただけだっただろう。
なんにせよ、スプリングはないに等しく天井もへこんだまま改修されない特派トレーラーの中にあるスザクの自室は、全く問題ない。
困った事は、自分の心の中にだけ存在している。
灰色の天井に向けて手を伸ばしたけど、当然何も掴む事は出来なかった。
ルルーシュと再会した。
7年前、あの状況、自分のしたことを思えば二度と会えなくなるのだろうと諦めていた、暖かな日々の象徴と再び出会えた。彼は自分を覚えていたし、小さな子供の張り合いも、それを越えたからこそ認め合った感情も全てそのままで、別れた時のままナナリーと共に再び出会えた。
かみさまは、いるかいないか。
困惑するばかりでいっそ考えを放棄したくなった自分が、もしかしたら答えが得れるかもしれないと思ったのはそんなフレーズだ。
正直、考え事は得意ではない。
いろんな事があっていろんな事を考えざるをえなかったけれど、どれが正解と分からない内側だけで繰り返すそれは得意ではない、…どころか、苦痛ですらある。
多分考えるより先に動く方が性に合っている。
本当は、それではだめだったとの証明は、心の底にいつでも重く暗くくすぶる過去がいつでも自分を制している。考えないまま、求めるがままに動く事は悪というにも甘い。
繰り返さない為に出来た事は、幼すぎる自分を律する事と、主観を自分に求めない事だ。
その方法はあながち間違えていなかったのかもしれない。幼い頃、ルルーシュにも良く言われたことだ。お前は人の話を聞かない、と。だから自分は話をするのではなく、聞いて動く事にしたのだ。
それが良いのかどうか分からない。あの頃得た結果は自分一人で背負うには重すぎるのに、背負い方も分からないまま背負っている。あんな事はきっと今後しでかさないだろう……とは、甘すぎる認識だ。
だから、正しいと思われる世界に判断を委ねる。
正しいと思われる世界に従い、それを判断基準とさえすれば少しは罪も償えるかもしれないとの儚い希望を抱いていた。ブリタニアの帝政は決して正しいものだとは思えない。ただ、この国が覇権を唱え確固たる覇者であるのならば、――あの求めてた世界を再び手に入れるために従うしかないのではないかと思ったのだ。
今の国が気に入らないからと言って、覆す手段はそれこそ無数にある。
だが、ルールから外れた方法ではまた悲劇を生む。
誰も傷つかない事は不可能でも、上からのゆるやかな変化であればきっとまだしもましな筈だと思うことが、今のスザクのよすがだった。
だけど、今困っているそれにブリタニアは多分関係ない。
自分の決めた事に矛盾はないはずだし、もうそれについて悩む事はやめた。
基本的に、自分は至極シンプルに出来ているのだなあと、苦笑混じりに天井を再び見上げて、だけどまぶたを伏せた。
再会したルルーシュは鮮やかだった。
記憶の中の姿からずいぶん成長していたけれども、相変わらずスザクの目に映る姿は突然やってきた皇子となんら変わりない。
「君、そんな調子でバレてない? そりゃあ変わったところもあるけど、まるで皇子様だよ」
そんな事が言いたくて仕方がなくなる事もある。
彼はナナリーだけが大事で世界の全てを閉じていた子供時代からは、確かに変わっていた。
ナナリーが大事な事だけは変わらなかったけれど、皇族から離れて7年以上にもなるのに、立ち居振る舞いや言葉の端々に品がある。それは上に立つ者のプライドに裏打ちされた華やかさだ。上手くごまかしてもいるけど、それでも滲み出ているものは隠せていない、と思うのは、自分が彼の過去を知っているからだろうか?
学園に編入して、ルルーシュが副生徒会長としてあれこれの仕事を取り仕切っている事を知った。彼の若干反則技な手段を用いて、ブリタニア本国からの生徒ばかりであるアッシュフォード学園で、ナンバーズの自分を上手く引き入れもしてくれた。
目立たないように成績は中庸、表に出る事はしたくないと言っていたけれど、派手好きオマツリ大好きなミレイ会長の下についてしまった以上、彼の願いは叶っていない。学業では抜きまくっている手を個人能力は多分把握し尽くしている会長にフル活用されて、頭のいい彼にしては上手く立ち回る事が出来ていないようだ。
彼は、楽しそうだった。
広大な敷地にあり、緑豊かな学園は気風が自由な上に現生徒会長のノリの良さとオマツリ騒ぎに文句を言いつつ楽しそうに巻き込まれていて、充実しているようにみえた。
生徒会の面々は彼の大事なナナリーを同じように大事にしていて、だからこそルルーシュも幸せそうに過ごしている。
完璧な整った容姿、一歩引いた接触、誰かを敢えて傷つけない為の穏和なやりとり。
彼は本当によくもてていたし、同じ生徒会のシャーリーだって、本人が何故気付かないのかと信じられないくらいの秋波を送っているのに、全く気付いていない。あれだけ完璧なくせにいっこだけ取りこぼした恋愛方面のカンが全て天然に切り捨てていくのだから、周りは本当にご愁傷様だ。
だけど、平和この上ない幸せすぎる環境を、多分考える事が自分と違って100万倍は得意なルルーシュは気持ちよく作り上げているのだ。
――ああ、困ったな。
何も拾えなかった天井に伸ばした手は、からっぽをつかむ手のかたちのまま胸の上に落ちてきた。
ルルーシュに会えて嬉しい。
もう出会えないかもしれないと思っていた。
毒ガス流出のシンジュクゲットーでの事件でも、あの場で離ればなれになって彼が無事なのか想像出来なかった。いや――あの状況下。明らかにブリタニア人である彼の姿を見ても躊躇せず処分対象にしていた軍の動きを見れば、あの短い一瞬だけの邂逅が奇跡だったかもしれないとも思った。悲しすぎる再会だが、それでもいままで生きていてくれたんだと喜びに心が塗りつぶされた。その先は恐くて想像も出来なかった。
それが、編入先の教室に普通の顔をして座っているのを見た瞬間の気持ちをどう表現すればいいのだろう?
神様は、いる。
まるであの頃のようだ。
軍属のために毎日学校へ通うことは出来ないが、行けば必ず会える大好きなあのルルーシュがいる。
過去は過去。あの頃の延長ではないことは7年の月日が横たわっているのだからあり得ない筈なのに、むずがゆい気持ちになりそうなほどやわらかくあったかく懐かしい視線と愛情を向けてくれている。
ルルーシュに、会いたかった。
あの時犯した自分の罪を告げてしまいたかった。
彼に許してもらえれば、何かが変わったかもしれないと思った。――でも、ルルーシュは父殺しを許す立場ではない。
単に、知った上で受け入れてもらいたかったのかもしれない。
きっとナナリーならば。
彼女ならなにがあったとしても、ルルーシュは受け入れただろう。
それくらいあの頃近い場所にいたと思っている――うぬぼれかもしれないが――自分が告げても彼は許してくれたかもしれなかった。
あれだけ重いものをたくさん抱えていた子供のルルーシュへ、自分の心の安寧のためだけに告げなくて良かったとは思っている。でも、だけど、今なら?
それも、本当は言い訳だ。
見上げる天井は無機質だ。
この向こうに神様はいるだろうか?
じぶんが救われたい訳じゃない。ただ、神様はいるのだろうか。
きっと、いるに違いない。
それは自分にとって甘い神ではないかもしれないけれども、7年もの長い間努力しても忘れられなかったそれを自分の手元に返してくれた。
すきだよ、と告げたくなる。
7年前、彼は綺麗だった。
小さな、何も持たない無力な子供だったのにナナリーを大事に大事に守っている彼は、酷く綺麗で愛おしい存在だった。愚かとしか思えない子供の力を身につけていた自分は、彼らを守る為に全ての力を使っていいと思っていた。
結果、彼らと共にいるためにとふるった暴力は父を害し日本と言う国をエリア11へ変えた。
再会したルルーシュは変わらず綺麗だった。
粗暴になったけれど、本当よく皇子だってばれなかったねとつい笑顔がもれるくらいに変わっていない。
今度こそ守りたいんだと言えば、子供じゃなくなったんだからと、彼はきっとつっぱねる。
そんな事も分かった上で、君たちを――君を、守りたい、と思ってしまう心。
いや。
白いゆびさき、漆黒のつややかな髪。皮肉気な言葉が紡ぎ出される憎らしい薄い唇。
優しさの色で覆い隠して、だけどずっと心のそこからの深い場所で何かを見据えてる覚悟のある紫の瞳。
その全部が欲しい。
手を伸ばしたい。
自分の、ものにしたい。
正しいとか正しくないとか関係なくて、見てるだけならすごく可愛いなあと思うシャーリーと同じように、ただ自分が男で、相手も男子であるからこそみっともない恋を自分はしている。
端っこがへこんだままの天井はやはり無機質で、何もスザクには与えてくれない。
目を閉じる。
伸ばした手は疲れて腹の上にぼとりと落ちたまま。
穏やかに学園で過ごしながらもナナリーを大事に守り、だけどまだ安心していない彼を、やっぱり守りたい。
学園に馴染んで過ごしている彼を、抱きしめて動揺させたい。
好きだ、と告げて驚かせて、だけど笑顔を向けてもらいたい。
結局あの7年前から変わらず、ずっとずっと環境は甘く優しくなっている筈なのに、心から和んでいるとは思えない彼を、抱きしめて甘やかして、もう大丈夫だよと告げて身も心も自分のものにしてしまいたい。
神様はいるのだろう。
だけど、神頼みはしない。
こんな私的な願いを神に叶えてもらおうなんて、思い上がった事はしない。
ただ、今のこの時間への感謝だけを伝えたかった。
ごろり、とスザクは横向きに寝返った。
ここから先は神様のいない世界のお話。
なんど困っても悩んでも、きっと迷うことも悩む事も困る事も慣れていない頭は、それでも動けない。主観を他者に預ける事が出来ないこの思いは、どう決断していいのかすらも手がかりがつかめない。
ルルーシュは裏切られたと思うだろうか。
同性の、しかも幼なじみが劣情すらも抱いている事実は考えてみれば相当酷い。
でも、彼に対して一歩引いたままでいることは、あの頃のように再び失われる事のような気がしてしまうのだ。それすらも、言い訳なのだろうか?