がくん、がくん、と世界がずれていくような錯覚がする。
もちろん、気のせいだ。自分はもうすっかり慣れ親しんだランスロットのコクピットに乗り、シミレーションとして現れるKMFを撃ち、払い、握りつぶす。本来ならシミレーターがあり、そこで映像としての機体を撃破・戦術を考察するための訓練なのだろうが、独自進化させすぎたランスロットではシミレーターを作成する事自体が面倒なのだと、いつかにロイドが言っていた。戦闘ごとに重ねられるデータと彼らの頭脳で生み出される膨大なそれは、実機の作成だけで精一杯なのだそうだ。
だから、枢木スザクはいつもと同じランスロットのコクピットに乗り、握り慣れたグリップを握り、カチリカチリと本当に軽い音を立て、機体を撃破してゆく。振動こそほぼないものの、それは実戦に近い。むしろ、振動が少ないからこそ、こんなに薄っぺらい音を立てるだけで全てをなぎ払うヴァリスを放ち、MVSを振るい、ただの模造品だとブリタニアでは嘲笑されているが、頑丈な装甲の、確かに人の乗るKMFを破壊しているのだと思えた。
ひどく、簡単な事だった。
日本で独自の手を加えたKMF、無頼は旧世代グラスゴーを模しているとは言え第七世代を除き機体性能に差程の差はない。
シミレーターで
視認出来るだけで2機。破壊されたかつて経済大国の象徴であったかのような高層ビルの影に、更に1機。今まで何機撃破したのかは不確定だったが、それで残存数は全てだった。
剥がれ落ちたコンクリートごとMVSで両断し、振り下ろした腕の勢いのまま、ヴァリスを庇うように肘を壁を打ち込み反動をつけると飛び上がって1機を蹴潰す。そして、自分の反射速度についてこれなかった映像は棒立ちのままランスロットの――自分が引き金を引くヴァリスで打ち抜かれ画面上に敵機のIFFは消えた。意識ではなく反射で行ったものも含め、全ての『敵』をフィクトスフィアが、これも事実だとスザクに伝える世界で、なにもかもを消した。
静かな呼吸。息ひとつ乱さず汗もかかない戦闘は、これがシミレーションだからだ。
同じ動きをしている筈なのに、いつだって実戦の終了後は息も乱れ、パイロットの利便性・快適性を最優先させたパイロットスーツは汗にまみれるのが常だった。本当はこんなにも簡単だ。人が、そこに、いないのならば。
「スザクくん、お疲れ様」
「うーん、この数値か…。やっぱり関節部の駆動系はもうちょっとやっちゃってもいいかなあ。君ならその方が動きやすそうだから」
「そうですか? 前よりも動きやすかった気がするんですが」
ハッチを開けば、白衣姿の面々があちこちを動き回っていた。
笑顔でスポーツドリンクを差し出してくれるセシルと、うなっているロイド。現在の解析に掛かっている他の特派面々はモニタと数値の割り出しに余念がない。
「ありがとうございます」
ランスロットから降りて、セシルの笑顔とともにドリンクを受け取った。彼女らしくない何の手も加わっていない冷えた清涼飲料水は、平常心と変わらないと思っていた自分が、冷たさを喉に滑らせることでやはり神経が張り詰めていた事に気付かせてくれた。
がくん、がくん、と世界がずれていく感覚がする。
もちろん、それも気のせいだ。目の前の世界はとても見慣れた、正常な特派の姿でしかありえない。
それは突然に訪れて、当たり前の顔をして、しばらくそこへ居座った挙げ句に、ふいに姿を薄れさせる。しかし決して消えてくれはしれない。直視をこばむ自分を責めるかのように、内側のどこかへ引っかかったまま消えてはしまわない。
「うん、だからね。こないだよりちょっとピーキーにしたっていうか、分かりやすく言えば君の反応速度に合わせていろいろしでかしちゃったんだよねぇ。今回動きやすかったのは、だからだよ。結構相性良かったみたいだからさ、だったらもうちょーっと、無茶してもいいかなあって」
「もう、あんまり無茶はさせすぎないでください」
きっと理論的には無茶な事をしているのだろう。もしかしたら自分が分かっていないだけで、肉体的にも負担の掛かることをしていたのかもしれないし、するつもりなのかもしれない。セシルがロイドを咎める姿で、ようやっとそうかもしれないと気付けた。
「でも、動きやすかったですよ?」
「そうやってスザクくんも、ロイドさんを甘やかすんだから……本当だったらパイロットが振り回されちゃって、自壊してもおかしくないスペックなのよ? だから、スザクくんもちゃんとどう感じているのかのチェックを怠らないこと」
ぴしゃり、と言い切った彼女の言葉はまるで別の意味にも取れた。
ランスロットの事だけじゃない。スザク自身へのなにもかもへ対する自制を促すように感じてしまったのは、気のせいだろうか。
「……すいません」
動きやすかったのは本当だけど、彼女の心配気な表情を見たら、謝らなくてはいけない気がした。本当は含まれていたのかどうか分からない、自分自身への心配も含めて。
「もうちょっとスザクくんは自分の体をいたわるべきなの。KMFの操縦って、かなりの重労働なんだから」
「より無茶な労働を強いてるのは僕らだけどねー」
にやにやと笑いながら、ロイドは差し出された解析結果の一部を受け取って場を離れた。
その後ろ姿を不穏な顔をして見送ったセシルは、再び表情をやや柔和にしてスザクを向く。
「本当に、無理はしないでね。人間は兵器じゃないんだから」
虚をつかれたような気がした。
「……ありがとう、ございます」
簡単な言葉しか返せなかった。
そうか、自分は兵器だったのだと、逆に気付かされたからだ。
「この後は私たちのお仕事。スザクくんはシャワー浴びて、ゆっくり休んでね。あの調子だと明日もロイドさん、早い時間から動き出しちゃいそうだから」
スザクの表情に変化はなかったのだろう。彼女はにっこりと、年長の人へ対するには失礼かもしれないけれど、ちゃめっけのある笑顔を向け、スザクもゆるやかな笑顔を返した。
熱いシャワーを浴びよう。雑多な人が今も行き来するこの場所はきっと慣れだとは思うのに、居心地良く感じてしまう。戦地にまで駆り出される特派の人々の雑踏は気持ちよい。イレブンであるにもかかわらず、主任の奔放さがそうさせるのかスザクを特別扱いするような人々も存在しない。
ここでは、自分はデバイサーだ。
向けてくれるセシルの好意とパーツ云々言っているロイドだって、時折ひどくらしくなく、本当にごくまれだけど自分への気遣いもしてくれるけれど、自分はただのパーツだ。無機質な兵器だったと当たり前のような事実が目の前に転がっていたことに、今更のように気がついた。
ここを心地よく感じるのは、きっと研究対象である無機質な白い騎士、ランスロットと同一化した存在として同じ無機質なものと認識されているからだろう。
ギシギシ、がくんがくん、あるいは脳みその真ん中がずれて目で見えている世界とまったく同じものを視角は感じ、脳も認識しているのに、そんな小さすぎる感覚が世界から自分をずらしていこうとしているように考えれてならない。
自分の行う事は、エリア11…日本の解放だった筈だ。
今もそれは変わっていない。きっとあのころの世界を取り戻したいと、心の底から感じている。
なのに、このずれていく感覚は見知らぬもので自分の体が何を自分へ訴えかけているのかが分からなかった。それがきっと、――ルルーシュの。
彼の愛する世界、彼の望む世界、そしてそれが、自分の足場を崩すかもしれないかもしれない、との感覚がいつの間にか忍び込み、居座ろうとしているからだとしても。
彼が、自分の思い描いている姿ともしかしたら違うのかもしれないとの懸念がよぎり始めた事がきっかけだったのかもしれない、と、スザクはまだ気付いているのに気付かないことにしている。
世界はギスギスと歪み始めている。