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不自然な空気と果実


 部屋に入って、あれ? とシャーリーは思った。
 いつもの生徒会室だ。水泳部の活動を終えて、日も暮れかけたこんな時間では誰もいないかもしれないと思いつつ、まだどこかしめっぽい髪を気にしながら、扉を開けた。
 これでも恋する乙女だ。自分で言っちゃえば笑えてしまうけれど、でもだけど、好きな人にひとめ会えれば嬉しいし、もし会えるなら綺麗な自分でいたい。
「あれ、シャーリー」
 果たして、部屋の明かりはついていた。広い机に向かい合い、大好きなあの人と、彼の幼なじみで、愛嬌のあるみどりの目が印象的な二人が座っている。
「部活終わったのか? 残念だが待っているのは、書類整理だけだぞ?」
 ルルーシュがどこか意地悪っぽい笑みを浮かべて言ってくれるけど、自分の髪がまだしめってるかななんて事をシャーリーは忘れてしまった。
「…う、うん、そっかあ。みんないないし、明日にしちゃおっかな」
 背後で自動で閉じてしまう扉を感じながら、その場に立ちつくしてシャーリーはルルーシュへいつも通りの表情を格段意識して笑みで応えた。
 机の上に広げられているのは、教科書とノート。課目までは分からないが、常のように毎日は授業を受けれないスザクのためにルルーシュが教えているのだろう。見慣れた光景だ。
 なのに、入った瞬間のあの違和感はなんだったのだろう?
 ピリリと尖って、身をすくませるような、なにか。
「お邪魔みたいだし」
 せっかくの授業を邪魔にしては申し訳ない。そう思って告げれば、そろってこちらを見ていたスザクの方の表情が変わった。笑みの種類が変わる。驚いたような笑顔だったのに、こちらを和ませてくれる笑みだ。優しい、見知った顔。
――なのに、まるでこの場から逃げたいと思ってしまった内側など、見透かしてしまったようなつくりものの笑顔。
「いつも通り、僕の出来が悪いから教えてもらってただけだよ」
「こいつ、出来が悪い訳じゃないのにラウンズ様になったから余計学園に来れなくなってしまったからな」
 ちくり、と再び違和感を覚える。
 同時にまた空気が少し変わった。
「なんだい? 僕が出世しちゃったの、祝ってくれないの?」
「祝ったじゃないか、もう。これ以上が欲しいのなら、今夜にでもうちに来ればいい。…いや、明日の方がいいかな。今日は材料が足りない。お前の好きなものを作ってやるよ」
 ルルーシュの笑みはすごく和やかで、対するスザクもまるで自分の存在なんて見えてないかのように笑顔で彼を見ている。まるっきりいつも通りだ。ルルーシュの事が大好きで、もし叶うなら想いを返してもらえるような……こいびと、なんて。そんな言葉を想像するだけで心がぎゅっとなってしまう想いを寄せているのに、果たしてこの二人の間に自分は入る事が出来るのだろうかと悩んでしまっていた事を思い出す。
 そう、何故か過去形だ。
 今の自分なら、そうじゃない。きっと。
「なんだったら、もう一回スザクくんの歓迎会とラウンズ就任祝賀会、する?」
 扉の前に立ったまま笑顔で言えば、即座にスザクの嬉しいというには微妙な顔とルルーシュの「勘弁してくれ…会長なら賛成しかねないんだから」とのあからさまなうんざりな言葉が返って来た。
 きっと、なにかが変わってしまった。
 スザクが復学してくれて、本当に嬉しい。会長と、リヴァルと、ロロと、ルルーシュと、私と。それまではそうだったのに、それが何故か寂しかった。ほんの短い期間を、それも常にいた訳ではないのに彼の存在は穏やかに馴染んでいた。そこにいるのが当たり前のような優しさでいてくれた。
 戻って来た彼が、きっとそうじゃなくなってしまったのに関係あるのだろうか?
 ナイト・オブ・ラウンズなんて一生目にする機会なんてないと思っていたのに、知っている人がなってしまった。そして再び会えた。嬉しいのに、昔、軍属だった時にも時折感じた急に温度の下がってしまうかのような雰囲気。それが、頻繁に感じられる。
 きっと自分は聡い方ではないし、だから他の誰か――目の前のルルーシュや会長に相談してみればきっと同意してもらえるんじゃないかと思うのに、それも出来ない怖さがある。
 ああ、そうだ。
 自分が感じているのは、おそれだ。
「じゃあ、私帰るね。会長には今日来たってことは内緒にして!」
「分かったよ、そろそろ暗くなるから気をつけて」
「…大丈夫だよ、敷地内だもん。じゃあね、二人も暗くなる前に帰ってね」
 結局、一歩しか部屋に足を踏み入れられずシャーリーは背後から「バイバイ、また明日ね」とスザクの明るい声が追ってくるのと同じ明るい声で「バイバイ!」と応え、部屋の扉が閉まるまで何歩か歩いた。

 そう、こわいのだ。
 和やかな学園で、みんながそろって、みんなが笑顔で楽しそうで、なのに変わってしまったスザクくん。そして、それを気付いているだろうに普通にしているルル。
 きっと、私も会長も、リヴァルもそうだ。今も歩みを止めた途端、肩の力が抜けた。緊張してしまっていた。
 何故か綱渡りをしているかのような、危うさと緊張感が気付けば周囲に満ち満ちている。
 ルルはスザクくんに対して、きっと私たちに対するのと同じような壁を張ってしまった。
 何があったかなんて、聞けない。尋ねたところで、あのルルが素直に答えるとは到底思えない。

 遡っても記憶は久しぶりに学園へ戻って来たスザクと、それに驚いてしまった自分。彼がまっすぐ歩み寄ったルルーシュの姿が最初でしかない。あのとき、ルルーシュも驚いた顔をしていた。そして、綺麗な笑顔を浮かべていた。
 ああ、あの時点で既に違っていたのではないだろうか?
 あの笑顔はいつもダメだと思うのに嫉妬してしまうロロへ向けられた笑顔、そして昔のスザクへ向けられた物とは違ったのではないだろうか? だけど確信なんてない。記憶なんて曖昧なものだ。そう思うからそう感じられてしまうだけかもしれない。
 だけど。
「今のスザクくんとなら、私、きっと戦えるわ」
 ぐっ、と手を握った。
 それが嬉しいのかどうかなんて、分からないまま。
 こわいのならこわくなくすればいい。緊張の糸なんて切ってしまえばいい。またあの頃の生徒会に戻れるのなら、なんだってする。なにより、ロロへ向ける、スザクへ向けていた、あの笑みを自分へも向けて欲しい。スザクへも再び向けて欲しい。同じ場所へ、立ちたいのだ。
 そこまで出来なくてもいい。ただ、こんなこわいのはいやだ。立ち竦むことしかできないなんてダメだ。大好きな人が、――きっと、大事なものを失ってしまったかもしれない可能性を、見えなかったことにしてしまうなんて、きっと想いを返してもらう期待すらする立場に自分は立てない。
 昔ならきっと立ち向かう前に決着のついていた彼らの関係に、きっと自分は踏み居るチャンスを得た。
 決して良い事ではないのだろうけれど、せめて前向きに考えなきゃと、日の暮れる前、鮮やかな朱色に染まる世界を窓越しに見ながら、シャーリーはひとつ頷き、覚悟と共に笑顔を浮かべた。


2009.5.16.
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