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その先は誰も知らず


 良くあること良くあることと頭の中で繰り返し、自分に言い聞かせようとする。
 だって軍の中でも良く耳にするじゃないか、誰誰の男っぷりに惚れたよ、なんて。
――無理だ。
 がつん、と思わずスザクは頭を壁にぶつけた。
「どうしたの、スザクくん」
 結構な音が出た。当然の不審な行動に、室内の視線を集めてしまう。
「いや、ちょっと…」
「なんかあったのか?」
 いつも通りの涼やかな表情でありながらも、目元だけは自分に向ける心配の色に染まっているルルーシュを、今だけはスザクは長くみていられなかった。
「いや、別になにも」
「軍で嫌がらせでも?」
「本当に何もないんだ、大丈夫」
 まっすぐに向く視線から逃れ、不自然にならないよう気をつけながらスザクは最初に声をかけてくれたシャーリーへと向き直った。
「ごめんね、びっくりさせて」
「ナイトオブラウンズの肩書きでガッコ通いはやっぱ疲れるか」
 軽い調子で告げるのは、リヴァルだ。
  そう、今の自分は皇帝の七番目の騎士。こんなのどかな生徒会室は知っている場所と良く似ているけれども、少女はいなくなり、代わりに自分をじっと凝視するあの少女と似た色の髪を持つ少年がかわりにいて、ニーナもいない。
 なにより、ゆったりソファへ座り本のページをめくっていた彼を自分は信じていない。
 信じていないはずなのだ。こんな気持ちを抱くのもあり得ず、ただただ彼は疑い憎むべき対象だったはず。
 なのに、これはなんなのだろうか?
「なーんか、スザク君、ヘンだね」
「ラウンズ様ともなれば、なんかヘンになっちゃうのかもよ?」
「もう、リヴァル茶化さない!」
 目の前でリヴァルとシャーリーのじゃれあいのような口喧嘩が始まる。自分が発端であったとは言え、今はその仲裁をするどころか意識を向けることすらもできなかった。
 視界の端に今もひっかかる視線。淡い心配を滲ませた、甘い紫の色が心をかき乱す。
 記憶を失った彼は別人だった。これすらも演技かもしれないとは疑っていはいるが、しかし別人だ。
 いや、あの瞬間とは、と限定すべきだろうか。
 仮面の下に現れたあの存在。
 残念なことにスザクは生徒会や学園での彼の――ルルーシュの姿をあまりよく知らない。幾度も同じ時間を過ごしたはずなのに、少年時代のかたくなさが取れた彼へ慣れるのに時間がかかったし、気付けば疑念は心をじわじわと蝕み始めていた。だから、冷静に彼と接していたのかどうか、今となってはわからないのだ。
 ただ、こんな気持ちにだけはならなかった。
 なってはいなかった、はずだ。
 それとも気付いていなかっただけだろうか。
 本当は抱いていた気持ちへもたどり着けないくらいに彼への疑念をぬぐい去りたくて、でもできなくての繰り返しが心を疲れさせていたのかもしれない。
 彼の目の色は、仕官する皇帝の色よりもずっと甘やかな色をしていた。舐めればきっととろりと舌の上で溶け、えも言えぬ甘美を与えるだろう。
 だが、それがどうしたのだ。
「どうした、スザク。黙り込んで。やっぱりなにかあったのか?」
――ああ、あったよ。ありましたよ。
 だけど、口になど出せるものか。むしろ、それに気付いたこともなかったことにしたい。
「だから、別にないって。ルルーシュは心配性なんだよ、昔から」
 ドクン、と鳴る心臓。
 自分の敵に回る事を恐れて、ルルーシュはあれほど自分がブリタニアの軍属であることを嫌ったのだろうか?
――違う。技術部だと告げてほっとした時の表情は覚えている。うまくごまかせたとほっとした自分を覚えているからだ。
「昔から、とは失礼だな。子供の頃は……」
「はいはい、僕自体が君の心配の元だったよね」
 ことば、をうまくあやつれず気持ちも上手に把握できず、ただの暴君だった子供時代の最初はルルーシュを害する一番の存在だっただろう。
 思い出して、くすりと笑う。
「なになに? ルルの昔の話?!」
 どこから発展したのかリヴァルの会長への恋情にまで発展していたふたりのじゃれあいは、耳聡く聞きつけたシャーリーの言葉で中断した。
「ああ、そいつがひどいいじめっ子だったって話だよ」
「ひどいな、そんな誤解生むような表現はやめてよね」
「事実だろう?」
 さらり、と告げられて思わず反論するが、ふわりと浮かべられた笑みが直視できない。
 だいたい、男っぷりにって言ったって、彼のどの男っぷり部分に惚れればいい?
 男性的とはとうてい言いがたい、だからと言って女性的でもない中性的な彼に軍隊のたわごとは通用しない。
「スザク君が? まさか」
「その、まさかだよ。俺は出会い頭に殴られた」
「はぁ?」
 再び室内の視線が自分に集まる。
「――本当です。……だから、それはゴメンって何度も」
「でも兄さんをいきなり殴ったのはひどすぎですよ」
 むくれた顔で仕込みの弟は控えめながらも非難する。役割としては、大変正しい行動だ。
「で、ルルは? どうしたの?」
「殴り返した。ぼこぼこにされたけどな」
 思い出しているのか、くすくすと笑う彼の記憶はどちらのものだろうか。事実スザクが知っている子供時代の事か、皇帝に書き換えられた単純な出会いの風景か。
 なぜか、知っているあの頃だったらいいと思ってしまった。
 暗い気持ちでスザクはここへ向かったはずだった。ゼロが再び現れて、それはまさにスザクが良く知っているゼロで、だから――彼は彼へ戻ったのか、それとも偽りの記憶のままなのか。再び自分は彼を罰する機会を得れたのか、それとも永遠に失われてしまったのか。
 役職上、永遠に失われたと信じるのが当然だ。皇帝は絶対の存在であり、その男が下したギアスはユーフェミアに虐殺を行わせたほどのものと同等のもののはず。解けるはずがないのだ。なのに、スザクはそうでなければいいという暗い気持ちを持ってここへ来た。
 ラウンズの役職はは決して暇な訳じゃない。平和な学園生活を得るために犠牲にするのはスザク自身の個人的な時間だ。休暇も、睡眠時間も、全て。
 作戦行動中は当然離れなくてはならないが、幸いにも今はナナリーがこのエリア11にいる。彼女は皇族復帰している。皇帝からの下命で彼女の補佐としてもここにいる事ができる。
 でも、だからと言ってこんな気持ちを知るために戻った訳じゃないのだ。
「友達になる前の話だよ。当時、ブリタニア人は珍しかったし、戦前でピリピリしてた頃だったからな」
「なんだ、そういえばスザクってあの頃の首相の息子だったもんな。正義漢だった訳だ」
 誤った正義に基づいたものだったけれども。
「ごめん、ちょっと用事思い出しちゃった。今日は悪いけどもう帰るね」
「会長もまだ来てないのに?」
「来ても用事ができないんだ、だから来る前に帰る事にするよ。ごめん、埋め合わせは次に」
「はぁい」
 まっすぐな甘い紫色を受け止める自信がなくなって、逃げを打った。
 なにをやってるんだと思いながら、鞄に筆箱を入れ、帰るための用意をする。
「じゃあ、俺も今日は戻ろうかな」
「え?」
「ロロ、そろそろ買い出しに行かなきゃいけないんじゃなかったっけ?」
「うん、兄さん。小麦粉がもうほとんどないんだ。明日のパンが焼けない」
「と、言う訳だ。家事のためランペルージ兄弟も帰宅。後はよろしく」
 にっこりわかっているのかとびきりの表情をシャーリーへ向けて、「反則だわ…」と小声でつぶやく本当の意味を向けられた本人以外全員が知る中、結局逃げることもかなわず肩を並べて生徒会室を後にすることになってしまった。
 用事なら政庁に山積みだから嘘ではない。でも、これでは意味がない。
 せっかく学園にいても良い時間を無意味に失ってしまった。


「ロロは部屋に戻ってていいんだぞ」
 建物から出れば、朱色の光が長い影を背後に作る。
 ああ、そうだ。彼の役目は自分がここにいる以上、必要ない。ルルーシュの監視は機情の管轄とは言え、ナイトオブセブンのスザクも深く関わっているのだから二重監視は人員の無駄遣いだ。だが、敢えてスザクは視線だけでロロを引き止めた。
 顎を軽く引き、了解の意を示す彼は半歩先を歩くルルーシュの弟の表情にはふさわしくない。
 やはり、気のせいなのだろうか。ロロまでも籠絡され、ルルーシュが記憶を取り戻しているなどという事は。だが、あのゼロは模倣できるものではないとコーネリアの騎士でもあった青年とも意見は一致している。
「どうせならほかにも買い足しておきたいし、そうしたら兄さんだけじゃ持てないでしょ?」
「ロロに持たせるくらいなら、宅配にしておくよ」
「相変わらず、甘やかしてるね」
 くすくすと笑う表情を作るのは、少しばかり努力が必要だった。相手がナナリーならば当たり前すぎて突っ込むのも今更すぎるほどなのに、ロロが偽りであるがゆえに、きっと彼の記憶に残っている自分の反応はトレースしておいた方がいい。
 なんとなく、そう思った。
「甘やかしているんじゃない、愛情を注いでるんだ」
「はいはい、」
 その愛情を、僕にもちょうだいよ。
 なんて言葉を続けそうになって慌てて口をつぐんだ。
 それに欲しいのはその愛情じゃないと心の中が反乱を起こしている事にも動揺する。
「どうした?」
 半歩遅れたスザクを、ルルーシュは振り返る。ロロと並ぶ姿になり、自分になにか伝える事があるのかと緊張を見せた偽弟の姿も慌ててほどかれた。
「いや、………なんでも、ないんだよ」
「そればかりだな」
 軽やかに笑う彼は、きっと誤解し気を使っている。機密に接する機会も多いスザクの立場をおもんばかって、きっと何かあったのだろうが軽く笑いに流そうとしてくれている。
 胸の奥が詰まった。
 思わず足が止まり、きっと自分は泣きそうな顔をしていただろう。
「なんでもないんだ、君が好きなだけで」

 足下からのびる長い影。
 発作的な言葉にルルーシュがどんな顔をするのか見ている勇気がなくて、視線を落とした。ゆらりと伸びる影が動いたけれども、それすらもみれなくて目を閉じる。

「ロロ、先に行っててくれないか?」
「兄さん………………………うん、わかった」

 小さなやりとり。ああ、笑いにごまかせば良かったと気付いたけれども自分の姿はあまりにも本気すぎて我ながら痛々しく感じるほどだ。
「スザク」
 柔らかな声だった。あの目の色と同じ色の声だった。


 その先は、機情のデータからも削除されている。


2010.3.18.
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