メビウスの平原
すぐ目の前に、ルルーシュの姿が見えた。
気付いてあわてて、その手をつかむべくスザクは走り出す。
はやく、はやく。
早くしなければ、………………………裏側へ行って見えなくなってしまうから。
きれいな笑顔を浮かべる彼の姿は、とても知っている姿だった。要するに周囲全てを認識していない笑顔だ。十把ひとからげにして、特別がないからこそ見せる姿。
ああ、歪んでいるなぁと嘆息したものの、スザクも人の事を言える立場でもないから、それを素直に眺めていた。
学園中の人気を集め、片手で到底足りない彼に恋する人間がいるにも関わらず、きっと彼の根本は孤独のままなのだと知っていた。記憶を失い、なぜそうなったかを知る由もないというのに、彼はきっと疑問も抱かず自分が孤独であることを受け入れている――たったひとりの、本来は女性であったはずの血縁だけを別にして。
もしかしたら自分も、幸せにも彼の孤独の内側にいる人間なのかもしれないけれど、やはり彼は孤独だった。
「ねえ、ルルーシュ。疲れない?」
早朝の時間の寸前、半裸のまま眠っている彼へスザクは問いかける。もちろん気を失うように落ちた彼の眠りは深い。強いた自分の強欲さはどこへ落ち着くのかわからないままに、空虚で全ての人が虜になる笑みに対して問いかけた。意識を失っているにも関わらず、ルルーシュの表情は淡い笑顔に見て取れる。
「僕には、理解できないよ」
ゼロが復活した。彼が記憶を取り戻したのではないかと半ば期待していた事は否定できない。もう伸ばせないと思っていた手を伸ばせれる機会が再び訪れたかもしれないからだ。
「君はいつも、僕の裏側を走っているんだもの」
つややかな黒髪は指に触れると意外に柔らかい。その手触りをスザクは好んでいた。
常時録画の使命を帯びている機密情報局の設置した、この部屋のカメラは昨晩にラウンズ権限で全てをオフにしてしまった。だから、疑念のもとである彼へ伸ばす自分の愛おしさが漏れ出した手は自分にしか記録されない。
歪んでいる。
昨晩、さんざん彼を弄び哀願を強いた手が優しく髪をすいている。
愛してる、なんて中身のない言葉を求めた唇が、理解できないと彼を責めている。
「おれも………理解、とか。わからない」
ひどく驚いた。
眠りではなく落ちてしまった意識は当分戻るまいと思っていたのに、返答があったからだ。
「起きてたの?」
「無茶しやがって……今すぐ寝たい」
「じゃあ、寝ればいいじゃない」
「……お前が、」
ゆるりと世界を映すレンズが見開かれると、スザクは再び欲情を覚えている事に気がついた。だが、今の彼に手を出しても昨晩の奔放な姿は見る事ができないだろう。間もなく夜が明ける。あの彼は夜にしか生きていないのだ。だから、もうすぐ姿を消してしまう。
「ぶつぶつしゃべってるから、寝れない」
不満そうに、吐息のような声でルルーシュは告げ、瞳がスザクをねめつけた。
――ああ、まずいなあ。そんな顔されたら。
そう思いながら、手を伸ばす前に顔を寄せた。不機嫌な表情が視界いっぱいにひろがって、こんな彼の顔をこんな間近でみれるのなんて僕ぐらいだろうなと妙な至福感に占拠されたまま、反射的に落ちた左側のまぶたの上に唇をあてた。
「君はもっと、自分の事を知った方がいいと思うよ」
唇は薄いまぶたの皮膚に落としたまま、ささやくように告げる。すくんだ体を抱きしめて、熱を帯びた場所を彼の足へと押しつけ、自覚を促した。
「スザ、ク……無理だ。もう、朝になる……」
「あんだけさぼってるのに、学校の心配?」
「違う」
「じゃあ、なに?」
するりと伸ばした手で彼の欲望を確かめると、淡くではあるが反応していた。
それが自分に対してのものではなく、男としての反射であってもかまわない。要するに、彼もまたそれを予想し、期待しているのかもしれないとスザクに誤解させる要因を与えたなら十分だ。
「俺の、心配だ。これ以上やったら、俺が死ぬ」
「大げさだなぁ」
笑いながら、手で確かめたものに自分のものを押し当てた。あつい温度にぴくりとそこが反応するのがわかる。
「死んだら、丁寧に葬ってあげる。日本式になっちゃったら申し訳ないけど」
「それでもいっ………あ、っ」
すっかり兆したものは、あつく強く彼を追いつめるだろう。依然、半ば眠りに捕われたいつもとは違うかすれた声が甘い喘ぎのようなものを唇から紡いだ。
「ごめん、ちょっと無理」
「え?」
「もうやめようと思ったけど。そんな素直に答えられたら、無理」
「スザク、お前……っ、俺のっ、っ、ん」
うん、君のせいにするよ。と言葉に出さずにまぶたの上を舐め、そのままこじ開けた眼球の上へ舌を伸ばした。だって死んだら自分が葬ってよいと彼は答えたのだ。これ以上の煽り言葉があるだろうか? しかも殺すとすれば、自分だと言うのに。殺されて、葬られて、それでいいなんて惚れた相手に言われてじっとしてられる男がいたら、ぜひその顔をじっとみたい。臆病者とののしってみたい。
「やめ、それ…」
「だって君の目は、すごくおいしそうに見えるんだもの」
実際はややしょっぱい涙の味がほんの少しするだけだけど、ナイトオブラウンズという立場上かなりの皇族の姿を見てきたスザクは、彼の目に宿る高貴さの色だけが甘くとろけるような色に見えてしまうのだ。赤みの強い紫をほかに持つ人間はいない。未だ見えない、彼と全く同じ血を宿した妹も、もしかして同じ色を持っているのだろうか。
「いや、だ、スザク。怖い、から」
「――じゃあ、他ならいい?」
「他?」
「もうすぐ朝だけど、好きにしてもいい? 君のこと」
「………っ、卑怯者」
「だって、もうこんなだし。君だってつらいだろう?」
疲れなくていい、繕わない表情をもっともっと見せればいい。
伸ばした手でつかんだ場所をあからさまな動きに変え、眼球からようやく離した唇と舌をもったいなく思う。異物の侵入でうるんだ瞳すら、スザクにとっては都合の良い表情に見えるから自分も相当だ。
「楽になってしまえばいいよ」
嘘も、なにもかも。取っ払って。
彼はどれほど乱れても演技を忘れない。昨晩は取り戻しているはずだと信じている記憶の片鱗すら見せないので、頭が体のコントロールができなくなるまで乱してやったはずなのに。彼は相変わらずきれいなままだ。
本当にまだ記憶を失ったまま、もしかしたら何故スザクがこういった行為へなだれ込むのかすら理解していないまま応えてしまっている。
「……っ、ん、んんっ」
快楽に頬へ朱色を乗せ、手の動きと同じタイミングで漏れるくぐもった喘ぎで身を震わせながらも、彼はまた裏側の道を走っているのかもしれない。前だってそうだったのだ。そうじゃない可能性なんて縋って期待して裏切られるだけの価値しかない。
メビウスの輪。同じ場所を歩いているつもりでも、いつの間にか裏側へ回ってしまう彼の生き方そのものだ。
「声、出して」
元から下着はつけていない。昨晩の乱れた姿のままの彼は、手首にシャツが引っかかっただけの姿だ。だから先ほどから与えるスザクの快楽はそのままダイレクトに彼の真ん中を貫いているはず。
「もうすぐ……ロロ、も。さよこさ、ん、も……起きる、から」
「まだそんな事が考えられるんだ」
すこしむっとした。表に出さず、笑みを浮かべてあらゆる液体でどろどろのままの後ろ側へとスザクは逆の手を伸ばした。
「あっ、や、やめッ、スザ……やッ」
「まだ大丈夫そうだね」
「大丈夫、じゃ、な……………っあああ」
昨晩さんざいじめた場所は、日頃固く閉ざしていて準備だけでも大変なのに、たった数時間前まで思う存分苛んでいたせいか、液体は潤滑として残り、簡単に成長したスザクのものを飲み込んだ。背を反らし、指でいじめていた場所はしなり白濁を飛ばす。
「まだ、入れただけだよ?」
「だ、黙れっ。まさか、こんな時間に…」
窓の外はまだ暗いが若干青みを帯び始めている。もうすぐ、夜明けだ。彼にとって乱されるには困惑をもたらす時間。
「僕もそのつもりじゃなかったんだけど。でも、ごめんね。途中でなんてそれこそ無理だよ」
柔らかく締め付ける中をゆるく前後させ堪能すると、快楽に歪むルルーシュの表情がぐっと来た。
もしかしたら、裏側を走ってるのは自分かもしれないなあと思った。
「今日はルルーシュを休ませるよ」
「また、無茶をしましたね。枢木卿」
あきれたようなロロの声は、ベッドに沈み込むルルーシュへまで届かない。記憶が戻っていようがいまいが、そんな姿を見られるのは彼にとって許されない事だろう。戻ってなければなおさらだ。最愛の弟に同性相手にふしだらな行為をしたと一瞬で分かる――しかも彼が受け身だと分かる姿は見せれるはずもない。
夜が明けてしまっても、さんざん好きにしたおかげで彼はぐったり元通りだ。意識も体力もからっぽにしてベッドに倒れ込んでいる。
無理だ、と言う唇へ指を当てれば、すわぶるように舌を絡め口腔へ見事に導かれた。うしろは貪欲にスザクを貪り、緩く動かせばねだるように腰が揺れ、強く突けばきれいな声で鳴いた。きゅうきゅうと締め上げられることを耐え、彼の快楽の凝りを幾度も突けば何度でも悲鳴のような声を上げて彼は達した。既に無茶をしたと自覚していたのに、その後の交わりはもっとひどい。単に彼をイかせ続ける事が目的のように、色もない液体をとろりとろりと出させる事ばかりに夢中になった。
鳴いて泣きながら懇願させる事がスザクをゾクゾクさせた。
「またとはひどいな。たまにだからおおめに見てくれ。朝からうるさくてすまなかった、君も寝不足なら眠っていてもかまわないよ」
はぁ、とロロはため息をスザクへ与えた。
「あんなのを聞いて、素直に眠れと言われても。しかし授業を受ける気にもなれませんので、機情へ向かう事にします」
「データの差し替えは頼む」
「分かっています」
空白の夜から今現在までの時間を、なにもなかった日のデータを書き込む事でごまかすのだ。もう何度にもなることだから、いちいち告げずとも彼は分かっていただろう。
ただ、面白い発見があった。
「欲情したのかい?」
「え?」
「兄のあの声を聞いて、君は欲情した?」
感情らしきものを見せない彼が、嘆息し告げた言葉。どうやら眠る気にもなれない、とはなかなかだ。
「懐柔は……」
「されませんよ、当たり前でしょう。僕だって年頃だったと言うわけです。自分でも驚きました。ーーでは」
「ああ」
淡々と告げるロロはまたいつも通りに戻ってしまった。
彼の部屋は隣に位置する。夜通し、そしてほんのわずかな間を置いた早朝のルルーシュの奔放で切実な喘ぎも懇願も、いくら防音がしっかりしているとは言え漏れ聞こえないとは限らない。そもそもスザクがここへ泊まると分かった時点でロロには役割上与えられた兄が何をされているのか知っているのだ。そこへ、かすかとは言え防音壁を超えてまで聞こえる声に刺激されても仕方がないだろう。
彼だって男で、自分たちとそう年は変わらないのだから。
「懐柔はされずとも、これを好きに扱う事は可能だろう。だが、それは――」
「ラウンズを敵に回すつもりはありません。……これで安心ですか?」
無表情を返されては、もう何も言う言葉はなかった。
「朝食はダイニングに用意されています。枢木卿は暖かいうちにどうぞ。兄が目をさましたら、サヨコさんが冷蔵庫にパストラミサンドを入れてくれています。出してあげてください。では」
深々と頭を下げ、きっちり襟を整えた制服姿でロロは部屋を後にする。
ベッドでしどけなく眠る兄とは大きな違いだ。
「風呂に、入れてあげないとダメかな……」
シーツだって変えないと眠るにはひどく適していない状態だ。
自分がなにをしたいのか、たまに分からなくなる。
ルルーシュを苛みたいのか憎みたいのか愛したいのか甘やかしたいのか。
だが、所詮メビウスの表と裏を走る自分たちでは理解し合えない。時がくればきっと簡単に手を下せるし、それまでは愛してると告げていればいいのだ。
ぐっと握った手のひら。
詰めた息。
「――大丈夫だよ。僕は決して君を、許したりなんかしないよ」
まるで言葉に出しておかなければ、同じねじれた平面を走ってしまいそうな自分が無様だった。