深い森の奥で
ナナリーがお昼寝をしている時に限って、ルルーシュは一緒に遠出してくれるようになったのは最近のことだ。このブリタニアの子供が生意気ならない国と同じようなもんじゃなくて、もしかしたら友達になったのかもしれないなんて思っていたから、とても嬉しかった。
彼がナナリー第一だったのは変わらなかったけど、きっと二番目くらいには自分の事を好きでいてくれたんじゃないかなぁ、なんて思いながら、神社の奥、深い森の中を進んでいって、蔽い茂る大きな木々の陰の中走り回って遊んだり、木登りをしていた。
誰も来ないような場所だったから、「くるるぎ」の息子である必要もなかったし、ルルーシュだって「ブリタニアの皇子」である必要もなかったのだ。ひどく楽しく、不謹慎かもしれないけどナナリーのお昼寝を待ち遠しく感じてしまっていた。
彼女が起きているときは、彼はこうやって自分と同じになってはしゃいで遊んでくれないからだ。彼はいつもの顔をして、お兄さんになって、彼女の保護者になってしまう。もちろんそんなルルーシュだって大好きだったけれど、自分たちはまだ子供なのだ。
だから、どこにも声も届かないような深い森の奥が大好きだった。
ナナリーがお昼寝している間、彼女を一人にしておいてくれるくらいここを信用してくれたんだという喜びもあったのかもしれない。
だって彼は最初ハリネズミのようになにもかもを警戒していたから。
その日も、ルルーシュのところでご飯を食べてしばらくしたらナナリーが眠たそうにしていた。まるで小さな子供みたいだけれども、彼女は心にキズを負ったままだから静養が必要なんだとひどく真面目な顔でルルーシュが言ったから、そうなんだと思っている。何が起きたかは知らないが、柔らかな空気を持った彼女の目は見えず足は動かない。それが、その理由なんだろう。
ゆっくり抱きかかえて布団の上に横たえると、数分も経たないうちに彼女は寝息を立て始めた。
食事の後片付けをして、「どうする?」とルルーシュが聞いてきてくれるのを待ち望んで、もちろん「行く!」と答えて、きっちりそれでも土蔵には鍵をかけ、外へ駆け出すのだ。
彼は自分に比べずいぶん足が遅いけど、
「スザクが馬鹿みたいに元気すぎるんだ!」といつも言うから最近はからかうこともやめにした。彼のペースに合わせてきっと20分も走らないうちに、深い深い森の中に入ってしまえる。
何年も何千年も続いたという神社の森だから、木々が育ちすぎてしまっているのだ。
何をしようかと考えるよりも先に体が動いて、目の前の良い枝ぶりに腕を伸ばしていた。まるで登ってくれと言わんばかりだったのだ。
「スザク! 急になにやってるんだよ、何して遊ぼうかってまだ決めてないのに」
「いいじゃん、別に! 今日は木登り!」
いい感じに張っていた枝は気持ちよくスザクの体をするする高い場所へ持ち上げてくれる。
「もう……君は本当に勝手なんだから。仕方ないな…」
だけど木登りが苦手なルルーシュは、下からスザクのまるでサルのような器用な動きを見上げるばかりだ。
「お前も来いよ、この木なら大丈夫だって!」
「いいよ、また馬鹿にされるのはかなわない」
一度、チャレンジしたことはあったのだ。木登りには。だがいくつも登らないうちにどこにも手も足も出していいのか分からなくなって、結局スザクに助けてもらった。そのときにからかわれたことをまだ根に持っているらしい。
「大丈夫だって。今度はお前だってちゃんと一人で登れ……」
「スザク!」
するっと、それはあっという間のことだった。
下を見ながらルルーシュと話していたスザクの腕が、つかもうとした枝をするりとつかみ損ねたのは。
「うぁわあ」
「スザク!!」
結構な高さにきていた。慌てて手を伸ばしたけれども、触れるのは細い枝先ばかりで運よく掴めてもパキリと簡単な音を立てて折れていく。
こういうときはやけにゆっくり感じるもんだなぁ、と半ば感心しながらもスザクはみるみる地面へと落ちて行った。
痛い!
と、うまく受身を取れなかった背中が感じた痛みが最後の感覚だった。
「て、ててて……」
目が覚めたのは、きっとすぐのことだった。
落ちたのと同じところで、仰向けであちこち枝を折られた木が見える。
「……すざく」
「やっちまった、調子にのっちまったかな」
へへ、と気まずさを笑いでごまかした。打ったのは背中だけだけど、これなら藤堂先生との稽古で受身を失敗したのと同じくらいの痛さだし、擦り傷切り傷は些細なものだ。
「調子にのった、じゃないよ!」
「どうしたんだよ」
ひどく大きな声で怒鳴りつけられて、思わず痛みも忘れて起き上がった。目の前に顔を真っ赤にしたルルーシュがいる。
「あんなところから落ちて……何かあったら…」
「平気だよ、慣れっこだって」
「でも目の前で…」
「なんだ、お前。泣いてんのか?」
「泣いてて悪いか。怖かったんだ」
驚いた。
泣いてても泣いてないと言い張るような意地っぱりのルルーシュが素直に言った。
「お前が落ちて、な、なにかあったら……」
透明なしずくが、指摘されたせいか遠慮なくぽろぽろと頬を伝っていく。
「何もないって、ほら、大丈夫だろ?」
「そんなのあの時は分からなかった!」
両手を握りしめて、頬を真っ赤にして、泣き声でルルーシュが叫ぶ。急にスザクも落ちていく感覚を思い出した。木登りは大好きだけど、落ちたことがないわけじゃない。それにしても今日は高い場所から落ちすぎたとは思ったのだ。
「今、大丈夫だから……」
だから、と、なだめようとしたのに、スザクの声は何故か弱弱しいものになってしまった。急に鼻の奥がツンとして、視界がゆがんだ。
「大丈夫だから」
「大丈夫でも、でもだめだ!」
落ちて、あのまま自分が死んでしまったら?
彼はひとりぼっちになってしまう。
こんな彼の姿を見ることもなかった。
思った瞬間に、目元が熱くなってぽろりと雫が落ちた。
「大丈夫だから、な、ほら。もうしない」
言いながら、何故か涙が止まらなかった。
「嘘ばっかり。きっと君はまた平気って言って落ちちゃうんだ」
ルルーシュもまったく泣き止む気配はない。
次第に言い争うことも出来なくなり、二人でわんわんと泣いていた。
互いしかない、という事に初めて気付いたのかもしれない。
失くす怖さを初めて知ったのかもしれない。
ずっと、ずっと。
彼らと出会うまでひとりぼっちだったことに、スザクは今気付いてしまった。
様々な感情がぐちゃぐちゃに混じりあって、手に負えなくなった。きっとルルーシュもそうなのだろう。彼はずっとずっと張っていた気がぷつりと切れたのかもしれない。ずっと怖かったことに我慢出来なくなったのかもしれない。
深い、深い森の奥で。
もしかしたら、遊びながら走りながら木登りしながら。
楽しんでいたのかもしれないけれども、こうやって泣いていたのかもしれなかった。
こんな場所しかない、自分たちに。