売り言葉に買い言葉
「おっはよう、ルッルちゃーん!」
朝、宿題にされた生徒会の書類を持ち、少し早めに向かった部屋にいたのは、やけにテンションの高い会長だった。
とっさに、なにかマズいと察し、早々に立ち去る事を思案する。
「おはようございます、会長。昨日の書類はここに置いておきますね。では」
必要最小限の言葉、そして所作。
何故か入り口間近の机の上に座り、大きく足を組んだ彼女の横に置く事にそれはなってしまうのだが、部屋の奥にまで足を踏み入れれば逃げられないと本能が警告を発するのだからしょうがない。
すっと素早く引いた手を、無事自分の元へ戻す事が出来てほっとした。
あの様子では、手首でも捕まえられるかと思ったのだ。
「なによ、素っ気ないわね。まだ授業まで時間あるでしょ?」
「予習でもしておかないと」
「なに言ってんの、この天才児。手ぇ抜いてんのなんかバレバレでミレイさんにはすっかりお見通しよ」
テンションの高さに突っ込んではいけない。
「たまには必要なんですよ、俺にも。じゃあ」
「ストーップ、ちょっと待ちなさい!」
「用があるんです。待ちません」
ひらりと手を振って、扉の前に立ち背を向ける。スライド式のドアが開くまでの時間だけが盲点だった。
「逃げられるとでも思って?」
机から飛び降りた彼女に、しっかりと背後から捕まえられてしまった。
ミレイ・アッシュフォードには感謝もしてるしある程度の尊敬も抱いている。だがしょっちゅう起こすトラブルに近いイベント事にかり出される事態や、まさにトラブルそのものからはしっかり逃げ仰せたいのが本音なのだ。
「――なんですか、一体」
振り返らずに、声音を少しだけ固くして、問いかける。
早く立ち去りたいのだという意向を存分に込めたつもりだ。
だが、彼女はぐいっと力を入れて、自分の方へ向き直らせると、にっこり満面の笑顔で告げた。
「で、スザクくんとはどうなってるの?」
爆弾投下。
しかも思ってもいない種類のものだった。
枢木スザクは、転校生だ。ただしイレブン出身でブリタニア軍に籍を置く、特殊な状態でもある。
彼とは幼なじみで、7年前の1年弱を共に過ごしていた。その後、ミレイのいるアッシュフォードに引き取られる事になったのだから詳しくは知らないはずだが、枢木の家に預けられていた事は知っていて、現在友人関係にあることも分かっていれば、それなりにその1年も想像がつくだろう。
それだけのことだ。と、言えればいい。
だが、このミレイという女性は頭の回転も良ければ気も回り、勘も良い。
「さあ、最近軍が忙しいんじゃないんですか?」
近頃、彼は学校に顔を見せていない。技術部だと言っていたので新しい人殺しの兵器開発に携わっているのか、つい最近自分がゼロとして引き起こした大規模な戦闘の後片付けに手間取っているのかもしれなかった。
「そう? じゃあ昨日も一昨日も学園で彼の姿を見かけたのは気のせいかしら」
――…………………………………困った。
「今朝も、もしかして一緒だった?」
友人関係であればいい。だが、実際のところは到底人に言える関係ではない。
七年間の間を埋めるのはそう難しい事ではなかった。ずいぶんお互い変わったように見えたけど、本質はそうそう変わりはしない。優しさが増したスザクは自分にとっては更に好意を抱くには十分だったし、少しばかり粗暴になった自分の姿は彼にとって魅力的に見えてしまったようだった。
「まさか。見間違いじゃないですか? 彼は軍に缶詰のはずですよ」
「あら、そうかしら? でも実際に確かめた訳じゃないわよね。彼、携帯電話持てないし」
イレブンはいくら軍に入ったとは言え、携帯電話の所持と旅行の自由は与えられない。バカバカしい制度だが、それを今このとき、これほど恨んだ事はなかった。おかげで断言ができないのだ。
「少なくとも俺はこの数日、見かけてませんよ」
「へーえ」
含みを持った彼女の返事に、心臓が痛む。
彼女は見間違えてなどいない。
お互いに好意を抱いた自分たちは、どこをどう間違えてしまったのか友人でいることが出来なくなってしまった。それだけでは物足りない。またいつ、七年前と同じに離れてしまうのか、出会えなくなってしまうのか分からない。
その気持ちが焦りを促した。
気がつけば、手を伸ばしていた。
ほしい、と。
スザクが欲しかった。もう皇籍は返してしまったけれども騎士のように……いや、そんな上下関係ではない。ただ、そうであるようにずっとそばにいてほしかった。
たとえ考え方が全く逆を向いていたとしても、彼だけを選んでしまったのだ。
「そういう事ですから、知りませんよ。じゃあ、教室に行きます」
「そういう事ですか。ふうん、そういう事ね。じゃあそういう事にしばらくしといてあげる」
にやにやと笑う彼女が恨めしい。
伸ばした手を取ったスザクは、同じように手を伸ばしていた。ただ単に、伸ばし合っていた事に気付けなかっただけなのだと知ったときには、二人で密かに笑い、唇を重ね合ったのだ。
それから、彼は時間の出来る限り自分の元へやってくる。
自分自身も多忙の身であるから必ずしも逢瀬は常にとは限らないのだが、口づけは抱擁になり、いつしか体を重ねるようになるのは当たり前の事で、必然だった。思わず思い出しそうになる昨夜の甘い出来事にあわてて蓋をして、毅然とした表情を保った。
「その代わり、部費の予算設定、下準備はルルーシュがしてね」
「なっ」
「いいでしょ?」
小首をかしげ、にこっと笑う彼女は非常に魅力的だ。
多分、リヴァルが見たら卒倒するか我慢ならず飛びつきかねない。
だが、自分に向けられた時点で脅しにしかならず、ここで負けてはならないと意思を強く持つ事を求められた。
「そんな理由は存在しません、自分の仕事は自分でどうぞ!」
「ちょっと、ルルーシュ!」
閉じてしまった扉を再び開き、弱みを掴ませまいとばかりにきっぱり否定し言い切り、そのまま生徒会室を出た。
「なによバカ! このずるっこ!」
次々に放たれる恨めしい言葉を背後に受けながら、無視を貫きつつも徐々に言われたい放題な状態に腹立たしくなってきた。
「なんとでも言ってください、バカバカしい」
「スザク君!元気だったの!」
「ええ!」
ののしり言葉と同じ調子で尋ねられたことに、怒鳴るように言い返してしまった。
気付いたときには、遅かった。
扉が閉じるわずか数センチの間に、悪魔の笑みを浮かべたミレイの表情を、ルルーシュは確かに見た。