氷の梨
「今日は寒いのね」
セシルさんが外に出て、誰に言うでもなく、つぶやいた。
今日は、ではなくてここは、なのだろうが確かにひんやり氷の粒を核とした、優しさなど欠片もない空気で満ちている。風のないことだけが幸いだった。
最も自分はすぐに空調も整えられたランスロットに乗るのだから、あまり関係のないことなのだけれど。
自分はパイロットスーツだからいいようなものだが、制服姿では、応える寒さだろう。いっそ雪が降らないのが不思議なくらいだ。曇天は今にも白の欠片を落としてきそうなのに、じっと居座っている。
「ロイドさんは?」
「あの人、寒いのはイヤだって言って出てこないの。勝手よね」
くすりと、今更のようにして彼女は言う。
中には当然周囲の環境設定が見られるようになっているから、気温だけを見て遠慮してしまったのだろう。
岩と、崖の区域。
この緯度の高い区域にEUの一組織が施設を構えている事はシュナイゼルよりもたらされたデータだった。本来、EU戦線へはスザク一人がかり出されているのだが、この狭い渓谷地では大規模な部隊戦は向かない。なので今回は単独行動となっている。
とは言え補給は必要なので、本国よりキャメロットのメンバーを呼び寄せたのだった。久しぶりに会う彼らは相変わらずで、緩んでしまいそうになる心を少しだけ引き締める。
EUは黒の騎士団ではない。
EU軍は自国を守ろうとしているだけで、ルール違反を犯しているのは自分たちのほうなのだ、と。
絶対に考えてはいけないことを頭の中で塗りつぶす。
支配者たる国の尊厳を奪う事、文化を、歴史を、プライドを奪う事は……嫌悪していたはずなのに。
どうしてこんな事をしているのだろうなどとは考えてはいけないのだ。
内側から変えていくためには力が必要で、ラウンズのひとりでいるだけではまだ遠い。
ラウンズとして平和的交渉を持ちかける事は出来ないのかと悩み続けたときもあったが、国の侵略を受け入れる国家などないのだ。
「どうしたの? 難しい顔して」
「…いえ、別に」
自分のしていることは正しい事なのだろうか。
そうじゃない、と答える声は無視するしか出来ない。
このルートを選んだのは自分自身で、そうじゃないルートを選んだルルーシュを断罪したのもまた、自分自身なのだから。
同じ事をしている、などとは考えてはいけないのだ。
蝶が舞う庭園を思う。
現在、ナナリーが住まう……軟禁されている、離宮の事だ。
空調は完全に整えられ、穏やかな春の気候と、彼女には見えないのに色とりどりの花が植えられ、蝶が何匹も放たれ優雅に舞っている。
そんな場所にいながら、彼女は決して幸せではない。最愛の兄の居所が分からないからだ。生死すらも知らない。
彼女は敏感だ。学園にいた頃とは違ってしまったスザクの事は気付いているくせに、答えがない事を知りながら兄の事を尋ねる。その機会も、最近はずいぶん減ってしまったけれど。
まさかあれだけ守ると彼にも彼女にも誓っていた自分自身が皇帝に売り渡し利用し、鳥かごと化した学園へ突き返されているとは思ってもいないだろう。
彼の命も風前の灯火であることも。
「寒いですね」
ふと、そんなはずがないのに指先が冷たく感じられた。寂しく凍える。
完全防護のパイロットスーツは体温調節機能も付けられているのに妙な話だ。
ああ。
そうか、この冬の空気は知っている。
再会したルルーシュと、初めて手をつないだ、あの冬の日と同じだ。