届かない
とっくに深夜を過ぎた時間、ルルーシュは重いカバンを肩から提げて道を急ぐ。
誰にも見つからないルートを使っているとは言え、あきらかにブリタニア人の自分がゲットーで誰かに見咎められるのは痛い腹を抱えている以上、必ず避けなければならないことだった。カバンの中を改めでもされれば事だ。
その時はギアスを使いさえすれば良い事ではあるのだが、いつもルルーシュはその必然性を考えないように岐路を急ぐ。
ゲットーと租界の境目は広すぎて、完全にブリタニアの監視の目が行き届いている訳ではない。だがここだけは安全を買って、一カ所の検問を必ずくぐり抜ける事にしていた。もちろん担当の監視員は全てギアス済み。ルルーシュが通り抜けた後、監視映像を何もなかった時間で上書きさせることまでを組み込んでいる。
近々、大規模な攻勢を考えている。
ルルーシュの頭脳では100%は言い過ぎかもしれないが、95%の成功率を数えている。
後は騎士団メンバーの働き如何になるのだが、これがなかなか上手く行かず、このようにこそこそと租界とゲットーを移動する日数は一週間を超えた。
当然深夜を過ぎた時間にゲットーを後にする以上、租界内縁部に位置する自身の居室、アッシュフォード学園に到着するのは朝方に近い時間になる。静かにクラブハウス内へ入り込み、当然ナナリーを起こすことなく全ての装備を解いてそれらを所定の場所へ隠し、私服を脱ぎシャワーを浴びればそろそろ日の昇る時間だ。
欠席がどうしても増えてしまっている最近の事を思えば、必要以上の不審を同級生やより近い生徒会メンバーに抱かれないように、3日に2日は出席するようにしていた。攻勢が上手く転べばまず数日は出席が望めそうにないからだ。
誰かがいつか、自分の欠席とゼロの動きのリンクに気付くものがいるだろう。
明晰な頭脳はその可能性をも視野に入れ、出来るだけそれが遠くなるよう計算する。毎日出席するのもマズイ。体力的にもだが、その日を境にぱたりと欠席が続けば、より疑念は強くなる。
熱目の温度に設定したシャワーを浴びれば疲れがじわじわとしみ出して来た。
最初から付き合ってきた騎士団メンバーは、いちいち茶々を入れる玉城ですらもゼロに対し信仰に近い感覚を抱いている。だから、ある程度の信頼は置ける。
問題は現在も増え続けている支援者達にあった。
あんな小規模なメンバーでは出来る事も限られているしコーネリアの軍隊には決して勝てない。
だからこそ、必要な目的のためには規模を拡大するしかなかった。実際、奇跡のような勝利をもたらすゼロを崇拝している人間は多く、ほとんどだと言っていい。だが人が増えればさまざまな考えも生まれ出てしまうのが常で、仮面で顔を隠すという不可解さを持って疑いを覚えているものもいる。
ただ、ゼロの抱える勢力、黒の騎士団が自分の目的――日本奪還への一番の近道だから参加しているという面々が一番頭の痛い連中だった。
彼らは自分では出来ないという事を理解している。その可能性に近いのがゼロだから、従っているに過ぎない。
中には反勢力を集めるだけ集めてブリタニアへ売り渡すのではないかと考えている者もいるくらいだ。そういう人間は迂闊であるし、自分の手駒としても使いにくい。なのに、彼らは自分で種をまいているくせに重用されなければ悪感情を募らせて行くのだ。
コックを捻り、頭から浴びた湯を止める。
漏れ出たため息は現状の対応へのものと、湯の心地よさを合わせたものだ。
自分が始め、自分が選んだ道だ。この面倒臭さも自分が招いたものなのだから、ため息をついているばかりではなく、上手く打開しなければならないのだと、濡れた髪をタオルでぬぐい、それでももう一度ため息をついた。
――騎士が欲しいな。
一瞬過ぎった考えに、苦笑が漏れる。
騎士らしきものはいる。カレンの働きもゼロに対する信望も騎士としては十分のものだ。
だが、自分の正体を明かし目的を話し、道を共にする事は出来ない。彼女の働きは全てが日本奪還のためのものだからだ。
偽らず自分をさらし、安心して何もかもを告げれる相手が欲しい。手伝って欲しい訳ではない。愚痴を聞かせたい訳ではない。自分の目的を100%知って、些細な言葉をくれる相手が欲しかった。
完全に安心して戦いに望める相手が欲しかった。
「情けないな、俺は…」
ナナリーの、と思っていたが、多分スザクを騎士にしたかったのは自分だ。
友達でありたかったから、主従の関係にはなりたくなかったけど、きっと一番に安心して自分の全てを委ねても構わなかったのは、彼だけだった。
ユーフェミアの騎士となった彼が、もはや自分を選ぶはずもない。
そもそもゼロを否定している彼が、自分を守る筈もない。
「バカだな、俺は…」
ぽたり、ぽたり、とぬぐったにもかかわらず髪から落ちる温い雫が、まるで自分の涙みたいだと思った。もう二度と彼と解り合える事はない。
最初に。ゼロとしてスザクを救い出したあの瞬間に自分がルルーシュであると告げていれば何かが変わったのだろうか。
何度も思う未練がましい気持ち。
もう、決して取り戻せないのに、自分はやはりスザクを欲していた。