雨の効用
雨が降っていた。
昨日から降り続いている雨は、時折弱まる事があってもやむ事はなく、空気すらも水に染めてしまうように降り続いていた。そんな中を、ひとりの少年が傘もささずに走っている。
天気予報では朝から雨だったと言うのに、傘を持たずに出歩くなどまずあり得ない。人通りの少ない道だったから誰にも会わなかったけれども、きっとすれ違う人がいたならば、憐憫や興味の視線を投げられていただろう。
仕方なかったんだ、と少年は思う。
まさかこんな時間に解放されるなんて思っていなくて、だから傘の用意なんて考えもせずに飛び出して来てしまった。これは必要だったなと気付いたのは俊敏な少年の足が既に戻るのを億劫にさせるほど距離を稼いでしまった後で、だからいいやとひとりごちる。
夜、日が暮れてもう時間はかなりすぎた。
夕餉の時間も終え、人々は一日の終わりを用意する時間に入る頃だろう。
そんな中、少年が走るのには理由があった。
「まだ、待っててくれるかな」
夕食の約束をしていた友達がいるのだ。口にしながらも、まさかなと自嘲する。さすがにこの時間では、遅すぎる。もう終えてしまっているだろう。
だが、不意に入った仕事に邪魔され、何の連絡もなく約束を反故にしてしまった罪悪感は彼の足を更に進めさせた。
セキュリティの掛かっている学園の入口で学生証と軍属のIDを見せ、警備員に入れてもらう。目指す相手はここから更に奥まったクラブハウスに住んでいる。
どうしてこの学園は無駄に広いんだと、ずぶぬれになって少しばかり息も切れ始めた頃、ようやくその灯りが見えた。リビングのあたたかな色は心をほっと落ち着かせる。
玄関ではなく、直接リビングの窓へと向かった。灯火の落ちた玄関よりあたたかな灯りに引きつけられたのだ。
コンコン、と二回のノック。引かれたカーテンが揺れて真っ白な指先がそれを大きく開いた。
「………」
ひどく驚いた顔をして、何か……多分自分の名前を呼んだのだろうが、防音防弾の硝子越しでは聞こえない。ただ、彼に向けて両手を合わせてゴメンとジェスチャーした。
慌てて開かれた窓からは、
「どうしたんだ、ずぶぬれじゃないか。まさか傘も持たずに? まあいい、早く入れ」
「駄目だよ、濡れちゃう。ちゃんと玄関に回るから」
こんなところから、ごめんね。そう付け足すと、待ってろとルルーシュはその場に自分を引きとめた。
ひさしのおかげで濡れずに済むけれども、よく考えれば初冬の今。濡れた体は体温をすっかり奪ってしまっていることに気付く。寒い。
慌ただしい室内の様子を感じる事数分、ルルーシュは大きなバスタオルを持って、濡れたスザクをくるむようにして抱きしめて来た。
「寒いだろう、無茶をして…」
「だって、約束してたのに」
「連絡が出来ないのは仕方のないことだろう、お前の場合。気にしなくてよかったのに」
そのまま全身の水気を拭き取られ、濡れたシャツのままリビングへ引っ張り込まれた。
「風呂を沸かしているから、ちょっと待て。ああ……着替えを出さないと。風邪を引く」
「大丈夫だよ、僕が頑丈な事は良く知ってるだろう?」
「そういう問題じゃないだろ」
ぴしゃり、と無茶をしたスザクを叱るように言い、再びスザクはひとり取り残されてしまった。とっくに夕餉は終えたようだった。だが、部屋の中は暖かい。
約束は破ってしまったけれども、ルルーシュは自分の心配ばかりでちっとも気にしていないようだった。分かっていた事だけれども。
今更、一度や二度夕食や買い物などの約束を破ったところで、スザクの所属がある限りルルーシュは怒らない。したことはないけど、嘘をついたり騙したり、大事な心の問題の約束を破ればきっと怒るだろうけどこれは仕方のない事だと彼もあきらめてしまったのだ。
元々軍属であることに好意的ではない彼だ。折れるまで、少しばかりの葛藤があっただろうことは想像にかたくない。でも、許してくれている。
心がほんのりと温度を上げた。
「風呂、沸いたから。それと着替えは前に置いていったのがあったから……」
「ねえ、一緒に入らない?」
「は?」
あったまった心のまま、口が滑る。
「あの、ほら。さっき。君も濡れたでしょ?」
バスタオル越し、ルルーシュの体温を感じた。それが体のおもてに残っている。
「だから」
「………まだ、ナナリーが」
「起きてる?」
「と、思う…」
「ってことは、部屋に戻ったんだよね。だったら」
「いや、でもっ」
「往生際が悪いのって、君の癖? それとも照れてるだけ?」
くすりと笑ったら、同時にくしゃみが出た。
「バカな事を言ってるからだ。ほら、早く入ってこい」
「一緒にね」
「……………………ッ、何も、しない、なら」
「ほら」
ひょい、と室内に入ってルルーシュの手を取った。自分の体温が冷えきってしまっているのを、それで知った。早くお風呂に入りたいな、と思ったけど一度思ってしまったから、ルルーシュと一緒じゃなきゃイヤだった。だから、手を取ったままバスルームへ向かう。
「す、スザッ」
「何もしないかもしれないから。ね?」
にっこり笑って。
「寒いんだ。早く入りたい」
ルルーシュからの返事はなかった。ただ、引きずるようにして動かされていた彼の動きが、自主的なものになっただけでスザクは満足だった。
握った手があまりにも冷たすぎたせいかもしれなかった。
濡れてぺったり張り付いた衣服は脱ぎづらかったけれども、そこにルルーシュがいて、あきらめたのか一緒に脱ぎだしたから不快には思わない。むしろ、この雨に感謝すらしてもいい。
彼は非常に奥手だ。きっと何も知らないまま自分に抱かれてしまったから、その手の事にいつも動揺を隠し切れていないままで初々しい。そこが好きなんだけど、それを言えばきっと脱いだ服をまた着て出て行ってしまうから、口には出さない。
だって、こんなチャンスは滅多にないのだ。
子供の頃だって一緒にお風呂に入った事なんてなかった。
初めてだ。
冷えきった体はちょっと辛いけど、湯船からあがる蒸気が体をなでるのと、ドキドキとしてしまう鼓動で帳消しに出来そうだった。
「ほら」
ようやく脱ぎ終えると、とっくに脱ぎ終わっていたルルーシュに手を伸ばした。
やっぱり、自分の体はまだ冷たいらしい。おずおずと伸ばされた手はやっぱりあたたかい。
「寒いね」
「あんな格好で、ずぶぬれになっているからだ」
「だって、せっかくの約束だったのに…」
そしてそのまま、湯船にざばんとつかる。冷えすぎたからだには、熱い湯がじんじんとしびれるようだった。
「夕食は食べれたのか?」
「うん、レーションだけど」
「そうか。一応、明日のお弁当にと思っておいてある。後で食べるか?」
ほんの少し首を傾げただけだった。だけど、まだ熱さにしびれる体が別のものでしびれてしまった。
「うん。後でね」
狭くはない浴槽で、すいとスザクはルルーシュへ近づく。そして、ちょんと唇にキスをした。
「ま、て。何もしない…っ」
「とは、言い切ってないよ?」
その通りだった。思い出したのかルルーシュは自分の勝手な期待を思い出して顔を真っ赤にする。
「先に君が食べたい。いいよね?」
「だけど、だから、ナナリーが」
「君の声が聞こえなければ大丈夫だよ」
「そういう問題じゃ!」
「なくないよ。だってほら、君だって期待してる」
熱い、ではなくようやくあたたかいと感じれるようになった湯の中で、震えているそれ。指先で軽くつまめば、びくんとルルーシュの体が揺れた。
「………ッ、こんな」
「こんな?」
「こんな、状況で、期待……とかしない方が」
「期待したんだ」
「っ!」
耳まで真っ赤にして、顔が湯につかってしまいそうなほどに彼はうつむいた。
そんな姿がかわいそうになってしまって、くしゃりと濡れた手で彼の髪をかき乱した。
「ごめん。遅くなっちゃって」
「そんなのは、どうでもいい」
「ううん、それもなんだけど、そうじゃなくて」
「……」
「気付くのが」
がばっと顔を上げたルルーシュの顔は見物だった。可愛くて、閉じ込めてしまいたかった。
抱きしめて、そこへわざと当たるように腿をもってゆく。ゆるやかな動きでなでる動作は至極じれったいだろう。そうしてるスザク自身も辛いくらいだ。感じている彼の表情が見れないのはもったいないけど、きっと恥ずかしがって見せてくれないだろうから抱きしめたままにしておく。背中に回された手が時折きゅっと強くなったり、耳元に聞こえる呼吸がどんどん浅く早くなることに煽られる。
「……………スザク」
小さくて、聞こえないくらいの声だった。
だけど求めている意味を知って、首少しひねり、目の前にあった耳朶をねぶる。と、同時に抱きしめていた腕を片方だけゆるめた。
「ん……っ」
「辛い、よね?」
耳朶をねぶっていた舌で首筋まで舐め、そして強く吸う。押し殺した声が響いた事に満足し、ゆるめた手をゆっくり体のラインに沿わせておろして行った。それだけで十分に感じるようで、浅い呼吸は色を含んだほんのわずかの声が混じる。
十分にはちきれそうになっている自分の局部を、ルルーシュのものに沿わせた。突き上げるかのような動きで、ぬるりとぬめるそこを刺激する。
「スザク、スザクッ」
小さな声で、足りないとばかりに求められる。もう寒いなんて感覚はどこかへ消し飛んでしまった。体の中心にともった熱でのぼせてしまいそうだ。
「スザク、イヤだ、それ……たりな…ッ」
きゅ、と。
きっと同じようにのぼせてしまったのだろう彼のあられもない言葉に、手が伸びた。二人分掴んで、軽く握りしめる。
「ッ!」
「声、出そうだったら肩噛んで」
「………っ」
じりと肩口に傷みが走った。
湯とは違う濃度の液体がスザクの手に絡み付く。
ゆっくりと扱き上げる動作をしながら、腰を使いルルーシュを犯しているかのように突き上げる。
「っ、っ、………っ」
そして腰の動きを早めると同時に、手に力を込めた。強く扱き、吐精を促す。
「んっ、あ、ああっ」
「ルルーシュ、声」
ひどくかすれた自分の声もコントロールが効かない。
再び噛まれた肩の傷みに安堵しながら、最後まで追い上げた。
寒いどころかのぼせて、最初から寒くなどなかったルルーシュはすっかりのぼせ上がってしまって、二人して冷たいシャワーを浴びて浴室を出た。
「ご飯、明日もらうね。君の方が先だから」
「………ぅん」
肩を抱いて、もう一度脱がす事になる服を着せながら、素直な彼の返事にスザクはひどく幸せな気持ちになった。