久しぶりの人物を見掛けた。
C.C.だ。彼女は街中にとけこむようにして、ごく自然に歩いていた。ゼロとして過ごした日はまだ浅い、まだ勉強の日々と言っても過言ではない程、自分はまだ世界に貢献出来ていないと思ってしまう。
ただ、ゼロという象徴が必要であるために、群衆の前に用意された原稿を読んでいた。きっとこの姿を彼が見たら怒るだろう。彼はいつも自分の言葉で演説を行っていた。自分もそうでありたいのに、短い原稿がまだ用意されている。自分の言葉はまだ弱いのだ。認めてもらえない。
焦燥感に駆られていた時でもあった。だから、人混みに紛れるようにして歩いていた彼女を見掛けた時、ふとした郷愁と安堵の気持ちを抱いてしまったのは確かだ。
きっと、彼女は不甲斐ない自分へ会いに来たのだろうと思った。
そして、それは事実だった。
「気が向いたのさ」
と、彼女は笑って決して他人は入れないゼロの自室、ベッドの上に転がっていた。
綺麗なライトグリーンの髪がシーツに広がり、スカート姿だと言うのに高々と足を組んで不遜な事極まりない。でも、彼女らしくて笑えて来た。
「お前、まだあんな調子なのか? あいつが見たらきっと怒るぞ」
「だろうね、自覚しているよ」
彼女の前でも仮面は取らなかった。その意味を知っている彼女も深く追求はしてこない。ただ、言葉が戻ってしまうのだけは止まらなかった。
「あれだけルルーシュに教えてもらったっていうのに、僕はまだ勉強中の身で、自分の言葉では話せない。なんて無様なんだろうね」
「自虐的すぎる」
ぼそっと言い捨てた彼女は、おもむろに立ち上がって自分の方へ向かって歩いて来た。
居室はワンルーム。広いが、距離もそうある訳ではない。
「立ち方は、こうだ。背筋を伸ばして、胸を張る!」
「え、え?」
「こう! 腰に力を入れる!」
彼女の言う通り、彼女のする通りに訳も分からず体を動かした。
「指先にまで意識を。あいつはいつもそうしていたぞ。体中に意識を張り巡らせていた……そう、出来るじゃないか」
「え、そ、そう?」
残念ながら鏡の見える位置ではない。自分が今どんなポーズを取っているのか理解出来なかった。
「私もゼロの代役をやった事はある。自信いっぱいでいる事がなにより必要なのだよ、ゼロは。分かったか? 原稿? 言葉? そんなものはどうでもいい。ゼロがそこに立っている。それだけが重要なのさ」
「そう……?」
「そう!」
言って、彼女は笑った。
「お前は、全てをあいつから託されたんだ。羨ましい存在だ。だから、自信をなくすな。胸を張れ、胸を」
「羨ましい…?」
「ああ。私には笑って死ねと言っていたくせにそれを与えてくれなかった。だから、何かを託されたお前が羨ましくてしょうがない」
「でもC.C.が死ぬ時は、きっと笑っているよ。そんな気がする」
「……言うようになったな。確かに」
ふ、と片頬に笑みを浮かべ――しかし、緩く首を振った。
「私はもう、死なないと思う。新しくギアスを与える事はない。永遠に歴史の傍観者として、あいつの世界を見守って行くだろう」
「それは」
「もう、決めた」
彼女はその意味の深さを感じさせず、軽やかに柔らかく笑っただけだった。
「さあ、気紛れはおしまいだ。もう私は行くぞ。お前が戻って来るまで随分時間を無駄遣いした」
「永遠に時間があるなら、そう時間を惜しまないでよ」
「私は私なりに忙しい。また、ヒマがあったら来てやるよ」
そう言い残して、彼女は去ってしまった。
あっさりとしたものだ。まるでまた明日会えるかのように、あっけなく彼女は出て行ってしまった。
「またね」
もう、届かない閉じた扉へと言葉を投げかける。またの機会はあるのだろうか?
きっともう、死の間際にしか訪れないのではないか、そんな気がしてしまう。
自分にだけ全てを託したと彼女は言ったが、それは嘘だ。彼女にも傍観者でいること、世界を見守る事を残して行ってしまった。
それは、きっと彼女に取って幸せな事でもあるのだろう。だからあんなに柔らかな表情でいられるのだ。
鏡の前で、今一度彼女に言われた通りに立ってみる。背筋を伸ばす、胸を張る、指先にまで意識を張る。簡単な事だ。だが、それだけでずいぶんと『ゼロ』らしく見えるのだから不思議だった。
どうせまだまだお飾りの身だ、これでふさわしいのだろうとせめてそれだけは忘れないでいようと思った。
彼の残した世界はまだ完全ではない。優しい世界ではない。各地で紛争が起こり、黒の騎士団の出動要請は引きも切らない。
だが、確実に良い方向へ向かっている事だけは分かる。
自分が壇上に立ち、みっともない姿をさらしている時。それはひとつの紛争が終わった時だ。
不甲斐ないと感じるのはまだ経験が足りないせいだ。
こんな経験は少ないに越した事はないのだけれども、それでもゼロがいる、それだけで希望は生まれ出ずる。
彼から残された大事なものだ。
大事に、大事にしなければならない。
そう、思った。
まずはマスターすべきは彼の教えてくれなかった、今、C.C.が言い置いた立ち方だなと苦笑を浮かべ、鏡の前に立った。
ゼロの映像は無数に残っている。今夜、それをずっと見ていても構わないだろう。
きっと自分はまた涙してしまうだろうけれども、逃げていてはいけない。彼のいない世界はこんなに美しくも尊いものなのだから。