アーサーに噛まれたあとを気にしながら、スザクは生徒会室を後にした。
すでに散会した後だ。自分が最後のひとりだった。ルルーシュが来ないかと思って待っていたのに、やはり今日も彼は顔を出さなかった。
また、賭けチェスだろうか? それとも――
心配になるが心の中では可能性を一つひねり潰した。
賭けチェスだろう。彼の悪癖は止まらない。
リヴァルを時々恨みたくなる。きっと彼のサボり癖を付けたのは、彼に違いない。
おかげでこうやって学校に来なくなっても、そんな理由しか思いつけないのだ。ああ、それともナナリーの体調が優れないのかもしれない。彼女も今日は生徒会室に顔を出さなかった。
それならば、と思い歩みを止め、逆方向へ向かう。今来た道を戻るのだ。
ならばクラブハウスにいるだろう。
彼らが住居としている方のクラブハウスのチャイムを鳴らした。中から出てきたのは既に顔見知りになった、お手伝いさんだ。咲世子さんと言った。日本人だ。
「すいません、今日、ルルーシュは?」
「ナナリー様のお部屋に」
控えめな口調で告げられ、ほっとした。
「体調、崩してるんですか?」
「久しぶりに熱をお出しになって、ルルーシュ様も心配になって見てらっしゃいます。見て行かれますか?」
「いや……ナナリーが可哀想だから、いいよ。あ、でも。ルルーシュがもし出て来れるのなら」
「分かりました。ダイニングでお待ち下さい」
そしてそのまま中へ通される。案内されずとも知っている室内。そのうちの一つの椅子を勧められ、座れば間もなくお茶が出された。
「それでは呼んで参りますので」
「ルルーシュ、怒らないかな?」
「貴方が来られるのは、お待ちしてたようですよ?」
それを聞いて安心した。ほっと息をつき、紅茶へ手を伸ばす。
熱いそれを少し冷ましながら、一口目、二口目と飲んだ所で、扉は開いた。
「スザクか、来てくれて良かった」
彼はほっとした笑みを浮かべている。
何故だろう? と思った。
「ナナリーが久しぶりに熱を出したんだ。もう下がりつつあるけど、少し甘えたかったみたいだ」
苦笑を浮かべながら、向かいの席に彼も座る。
如才なく会話に加わらないよう、咲世子さんはルルーシュの前にも紅茶を出した。
そしてそのまま消えてしまう。良く出来たお手伝いさんだなと思った。
「そう、下がりそうなんだったらよかった」
スザクもほっとした笑みを浮かべた。しかし、それは何にだろう? もちろんナナリーの事に決まっている。でも、それだけではない何かを含んでいる事に自分では気付かない振りをした。
「まだ、会っていけとは言えないけどな。寝間着で汗にまみれてる。ナナリーだってスザクにそんな姿は見られたくないだろう」
「そうだね。ナナリーに悪いよ」
「そう言ってくれると助かる。伝えてはおくよ」
「ありがとう」
ルルーシュは微笑みながら告げる。それは、とても綺麗な笑みだった。綺麗すぎて壊したくなるくらいだ。
思わず、手を差し伸べた。
茶器を持つ彼の手に触れる。
「どうした?」
「いや……」
自分でも自分の行動が分からない。
だが席を立ち、彼の手に触れたまま、ルルーシュの元へと歩み寄った。
怪訝な顔をして自分を見ている彼の背後までたどり着くと、背後から椅子ごと抱きしめる。
「どうしたんだ、おい?」
既に顔を見れない場所に来てしまったスザクの事を、必死で振り返ろうとルルーシュはしている。でも、自分でも自分の行動が把握出来なかった。
抱きしめた彼からは良い匂いがする。彼の体臭と、きっとナナリーの匂いだろう。汗っぽい匂いがする。なのに、心が落ち着いた。
ああ、この腕の中にずっと閉じ込めておきたいんだな、とようやく自分の行動の意味が分かった。
「ルルーシュ、ずっとこうしてたい」
「何を言ってるんだ」
彼は笑っている。戯れ言として受け止められたのだろう。
過剰なスキンシップだったが、それすらも友人のそれとして受け止められている。
その事に少しだけイライラとした気持ちがわいてでた。
そういうつもりでは、きっとない。
自分の気持ちながらあやふやで掴み方が良く分からないでいるが、ルルーシュが笑って受け入れてはいけない感情だろうというのだけは分かった。
抱きしめる腕を強くする。そしてそのまま、彼の首筋へ自分の頭を埋めた。
「ほっとする」
「どうしたんだ、スザク。疲れてるのか?」
「違うよ――君がいてくれて、ほっとしてるんだ」
「どういう事だ」
怪訝な響きが含まれていた。
「ねえ、立って。正面から抱き合いたい」
ルルーシュは言葉に従って、立ち上がる。だが表情は怪訝なままだ。
それでも抱きしめた。首筋に顔をうずめ、至近の首筋に唇を落としたくなる衝動に耐えた。
「ルルーシュ。ずっと、ここにいてね」
触れる吐息がくすぐったいのだろう。腕の中で身じろぎした彼は、ようやく自分に応えてくれる。回された腕。抱き合うと言ってよい格好。
それに、心が満足しそうになった。
「ああ、ずっといるよ。ここに」
なのに彼の言葉を素直に聞けないのは、なぜだったのだろうか。
帰ってから、あれはなんだったんだろうとスザクは自問自答した。
心は充足している。あんな事をしてしまった事に、動揺はしていた。何故抱きしめてしまったのだろう。そして、あの首筋を思い出す。とても甘そうに感じて頭の芯がしびれそうだった。
唇を落とせば良かったと後悔する。あんな事はもう二度とないだろう。
惜しいチャンスを逃してしまったと悔しく思う。
ランスロットのコクピットで、そんな事を考えていたら「集中してね」とセシルさんから注意されてしまった。きっと数字に如実に出てしまったのだろう。
まさか心の中まで見透かされている訳でもないのに気恥ずかしくなって、返事は小さ声になってしまった。
それからは、頭の中から必死にルルーシュを追い出した。
気を抜けば滑り込んでくる彼の体の薄さとか、匂いとかを頑張って。
だがそんな接触は一度では済まなかった。
人気のない生徒会室で、学園の屋上で、クラブハウスで、たびたび自分達は抱き合った。既にルルーシュも諦めたようで、「幼児返りか?」と笑っている。
その首筋を舐めたい、なんて考えているとは思っていないだろう。
そしてそのうちに、口づけまで交わしたいと考え始めていたのも、知らないだろう。
ここまで来てしまえば、スザクにも抱えている感情が分かった。自分が彼に抱いているのは、友情ではない。愛情だ。
まるでシャーリーのように恋心を抱いている。
それを友人という立場を利用して、ほんの少しかすめとっている。
ずるいやり方だと思った。
でもやめることなど出来なかった。
時折預けられる体重の軽さを知ってしまった。ナナリーの匂いじゃない、彼自身の汗の匂いを知ってしまった。鼓動の音も知っている。
自分の早くなる鼓動の音も知られてしまっているだろう。それでも拒絶されないことで、やめる事などできなくなっていた。
「好きだよ、ルルーシュ」
邪気なく抱き合っている時に呟けば、彼の鼓動がほんの少し跳ねた気がした。
だが語調はいつも通りで、苦笑を浮かべながら「好きでもないやつがこんな真似するか」と言っただけでまったくまともには取り合ってくれなかった。
失敗したのかもしれないなぁ、とも思う。
自分の恋心はきっと昇華されないままだろう。
きっと彼は、まともに受け入れない。友情の延長線上だと思うだけだろう。
もっとも、男同士での恋愛なんて聞くだけで寒くなる。シャーリーのような可愛さがそこにはない。
なのに、根付いてしまったものを今さらなかったものになんて出来ない。
だから、ある日スザクは行動に出た。
長く我慢していた目の前の首筋に、唇を落とした。そして欲望のままにそこを舐める。
明らかにルルーシュは動揺していた。
重なり合う胸の鼓動の音がいつもと違って踊り狂っている。
「ルルーシュ、好きだよ」
そう言って、唇に触れるだけの口づけを落とした。
とても甘く感じられた。
ルルーシュは返答に困り、泣きそうな顔をして、スザクを見ただけだった。
裏切られたと思われたのかもしれない。
でも、我慢も限界だった。好きだったのだ。それなのにこんなにいろんなものを与えられてしまっては、耐える事も出来なくなる。
だけど、こうやってもルルーシュを自分の腕の中に閉じ込めておける訳ではないのだけれど。
時折よぎる考えは、その瞬間にひねり潰す。
そんな作業はここ最近増えていた。
だから、彼を自分のものにしたかったのだとは、気付ける筈もなかった。
「スザク………」
「なに?」
「これに、意味はあったのか?」
「うん、僕にはね」
抱き合ったまま、ささやくような声で交わされる会話。
彼の声には困惑の色が混じっている。
だけど、再び唇を重ね合わした。
軽くで済ませず、心を伝えるように唇を割り、舌をねじこんだ。
驚いた彼は凍り付いたように動きが止まり、そのまま口腔を好きに蹂躙させてもらえた。
ずるい、やり方だと思った。
キスが終われば、ほぅ、と息をつき彼は自分へ体重を預けてくる。
「好きなのか?」
「好きじゃない子に、こんな事は出来ないよ」
「それも、そうだな」
ほんの少し言葉に笑いが混じっていた。
抱きしめられる腕の力が、ほんの少し強くなった気がした。いや、気のせいではなかった。
ルルーシュの唇が近づいてくる。
そして、自分のそれに重ね合わされた。
喜んでも良かったのだろうか?
これは無理強いだったのだろうか?
それとも、友情からくる、同情だろうか?
分からなかった。でも、それをスザクは甘受した。そのまま唇を割り、舌を絡め合う。抱きしめていた手に作為を加え、背を撫でさする。服越しになめらかな感触を感じる。じわりと感じられる体温に煽られる。
好きだよ、と唇を重ねてるから言葉にはできなかった。
だから、ずっと傍にいて。
――ゼロになんか、ならないで。
封じ込めていた想いが、吹き出す。
何故か悲しい気持ちになって、再びスザクは、ルルーシュを強く抱きしめた。
自分のこれは恋情だったのだろうか。
それとも、友情だったのだろうか。
それも、良くわからなくなっていた。