自分が彼に取っている行動というのは、考えてみれば大概ひどいものだと思う。
だが、彼はめげない。それともなにも感じ取っていないのだろうか?
会話は大概流し聞きだし、行動は共にしようとするのだが、断ろうと毎回している。結果的に引きずられてこちらのペースが乱されているのは忸怩たる思いだが、それでもこちらは毎回拒否の反応を一応は示しているのだ。
だが、めげない。
天然と言うのはやはり思った通りだったようで、同じ生徒会役員をしているリヴァルが彼のことを知っていた。「あの天然だろ?」と言ったので間違いがないようだ。
しかし会長の言っていた通りに人気はあるらしい。
寮内でも声を掛けられる事は頻繁にあったし、学内で見掛ける時も人の輪に入っている事の方が多かった。
自分とは正反対の人種だった。それは思った通りだった。
残りは一週間。そう思えばなんとか今まで我慢してきたのだ。大丈夫に違いないと思う事で堪え忍んできた。
別に嫌いな訳ではないのだ。単に苦手なだけで。
頻繁になされるボディタッチにも、掛けられる他愛な会話も、どう返せばいいのか分からない。
困ってしまうのだ。
そのたびにフリーズしてしまいそうになる自分にも嫌気がさす。
これほど自分の交流スキルは低かったのかと思い知らされているようで、情けない気持ちにもなっていた。
そんな我が道を行くスザクだったのだが、週の半ばを目前に、急に態度が変わった。
声を掛けられる事が少なくなったな、と思ったのが最初で、そう言えばボディタッチもされなくなっていたと気付いたのだ。
さすがにこちらの意図が通じたのだろうかと思ったが、そうなると逆に不安になってしまうのが人間の不思議なところだった。
こちらが悪い事をしたような気持ちになってしまう。
丁度水曜日の出来事だった。
「もうすぐ夕食の時間だね」
と彼はすいとひとりで部屋を出て行ってしまったのだ。
あ、と思い手を伸ばしかけたその事に自分が動揺する。この手をどうするつもりだったのだろうか?
まさか自分が彼の手を掴むなどとはあり得ない。だが、あそこまであっさりした態度を急に取られると、またどうしていいのか分からなくなる。
「ああ、もうっ」
自分で自分が良く分からなくなっていた。こんな事は初めてだ。
彼の行動は自分の望む通りになったと言うのに、ペースが乱されたままになっていた。
苛立ちが生まれて、ベッドをぼすんと殴る。そんな事をしても何の意味もないのに、無駄な行動を取っている。
明らかに自分はおかしくなっていた。
この半月弱で、自分の長く保っていたペースが崩されまくっているのだ。
そう簡単に崩れるようなものではないと思っていた。なのに、たった半月弱他人と生活しただけでこの有様だ。
自分が情けない。
ゆっくりとベッドから立ち上がり、自分も食事を取るために食堂へ向かった。
彼は既に人の輪の中にいる。今日はひとりで食べる事になるらしい。――と、思ったら、リヴァルが目敏く自分を見つけ、前の席をキープしてくれた。
「珍しいじゃん、お前がひとりなんて」
「そうか?」
「そうだよ。いっつも枢木と一緒だったし。なんか喧嘩した?」
喧嘩? やはりそうなのだろうか。自分は彼を不快にするような事をしてしまったのだろうか。
「いや、喧嘩はしてない」
「喧嘩は、ってことは他に何かあったんだ」
「いや、別になにもないが」
リヴァルは好奇心旺盛な顔で自分を見つめてくる。
困った。
だが、彼は長い付き合いの友達だ。相談くらいはしていいだろう。
「急に態度が変わったんだ。俺が気に障る何かしたのかもしれない」
「おやおや、痴話喧嘩ですね。そりゃあ犬も…」
「痴話じゃない!」
「冗談だよー、ルルーシュ」
けらけら笑って、自分の真面目な突っ込みを流してくれた。
そして彼は定食のパスタを口に運びながら、「気紛れなんじゃね?」とだけ言ってくれた。
そうだろうか。それなら構わないのだが――。
しかし、この変化は今日起きたばかりのものではないのだ。自分の確かな記憶によれば、今週が始まった頃から肩や腕、頭などに触れる行為はなくなっていた。それに、言葉数も少なくなっていた気がする。
「――……」
黙ってリヴァルと同じものを口に運びながら、思い返す。段々眉根に皺が寄っていくのを感じた。
「ルルーシュ。顔」
「ああ、分かってる」
「なに? 放っておかれて拗ねてる訳?」
パスタをフォークに巻き付けながら、リヴァルは問うて来る。
「拗ねるとか……」
そんなのではなく。
だが、なんと言っていいのだろう。
不安定なのだ。
急に態度を変えられると、困る。
あれはあれで不快に思いつつも慣れはじめていたんだなと始めて思った。
枢木スザクと言う人間を、受け入れ始めていたのだ。
「そういうんじゃ、ないんだ」
つるり、と最後の一本まで食べて、冷たい水を流し込んだ。
ひんやりとした感覚が気持ちいい。スザクの手はいつも熱かったけれども――と思い出し、何故なんだと首を左右に振った。
「どうかした?」
「いや、ごちそうさま」
「どういたしまして。――っていうかさ、なんか今日のルルーシュ変じゃね?」
「そうか?」
「ああ。なんか落ち着かない感じ」
「――そうか」
実際落ち着いていない。
そんな心情が表に出るなんてことはしないよう心がけているというのに、なんて失態だろうか。
「じゃあ、リヴァル。先に戻るな」
「あ、おう。また明日」
「おやすみ」
食堂からはひとりで戻った。ちらりと振り返ると、枢木スザクはまだ友達達との輪の中で楽しそうに食事を取っているようだった。
ひとりきりの部屋に戻って、再びベッドにぼすんと座り込む。そのまま背後に倒れて、天井を見上げる格好になった。
しんとした室内は慣れているものの筈なのに、考えてみればここに来てからは始めての事だった。
それが妙に心をざわめかせる。
ひとつため息を吐き出して、自分の頭の中を整理した。
これは望ましい環境の筈だ。静かで放っておいてもらえる、自分だけの空間。長年持ち合わせていたのはそういうものだったし、それを急に変えられてしまったから混乱してしまっただけ。
そうだ、そういう事に違いない。
妙に気落ちした気分になるのは、バランスが崩れてしまったせいだ。
慣れない事に慣れさせられてしまっただけで、一時的なものにすぎないだろう。
そう思えば気楽になれた。
ベッドサイドに置いてあった本を開く。初日に開いたっきり、何ページも進んでいない本だ。
スザクに邪魔をされて、読むに読めなかったのだ。
静寂はいい。ひとりはいい。
そう思ったけれども、何故かそれは自分に言い聞かせているような気がして、ちっとも本に集中が出来なかった。
その日、スザクが戻ってきたのは消灯時間目前の午後八時四十五分だった。
「ただいま、友達の部屋にいたんだ」
「そうか」
ごめん、と不意に部屋を出た時、以前は言っていた気がする。気のせいだろうか。
しかし思考をストップさせて、本に意識を向けた。
スザクはそのままパジャマに着替え、ベッドに横たわる。
「おやすみ」
声を掛けたのは、自分の方だった。
「うん」
とだけ、あっさり返された。
落ち着かなくて、その日はなかなか寝付けなかった。
翌朝、目が覚めたらとっくに授業の始まっている時間だった。いつものようにスザクが起こしてくれなかったらしい。元々授業はサボリがちの生活をしていたので、別に構わない。
しかし、何故急に――と、再びの思いがわき上がる。
ちゃんと学校には行かなきゃダメだよと言って、無理にでも制服を引っ張り出してきていたのに。
「ああ……っ、良く分からないヤツだ」
面倒臭くなって、もう一度シーツを頭の上まで引き上げた。
二度寝してやると心に決めた。
だが、そうすると目が冴えて来るのが人と言うものだ。眠りなど簡単に訪れてくれない。
振り回されてばかりだった。ここ最近、考えているのはスザクの事ばかりだ。
迷惑な存在だった筈だ。
なのに放って置かれて嫌な気分になってしまうのはどういう事だ?
もぞもぞとベッドの上で寝返りを幾度も打ち、悶々と考える。
放って置かれたくないのだろうか。まさかと反射的に打ち消す。あんだけうっとうしかったのだから、この状態は良い筈だ――と考え、それは昨日も考えていた事で思考がループに陥っている事にようやく気がついた。
「こういうのは、イヤなんだ」
大きく舌打ちをして、制服に着替える。
授業に出るつもりはなかった。生徒会室へそのまま向かったのだ。
そこで、一日でも早く自分の部屋に戻れないかどうか様子を見るつもりだった。ミレイがいれば尚良い。工期を今更だが一日でも早めてもらうように頼もう。
大股で生徒会室へ向かい、開いた扉の向こうにいたのは、しかし何故かスザクだった。
「お前、なんでこんなところに」
「いや、会長さんに呼ばれたからだけど?」
彼も不思議そうな顔をしていた。一般生徒には縁のない場所なのだ、ここは。
生徒会役員など片手が少し足りない程度の人数しかいない。
「授業は?」
「それも、構わないって。出席扱いにするからここに顔を出して欲しいって頼まれたんだよ」
何を考えているのだろうか、あの女史は。
しれっとした顔をしているスザクに、ふつふつと怒りのようなものが沸いてきた。
「お前、どうして今日は先に行ったんだ?」
「え?」
「どうして俺を起こさなかった」
「えーと…」
「毎朝、鬱陶しいとまで言ってもやめなかったくせに」
スザクは返答に困っているようだ。
それがさらに苛立ちを加速させる。
「なんで最近、お前は俺に触らないんだ! それに声も掛けなくなったし!」
「え!?」
きょとんとした顔を、スザクはした。
その顔を見て、今自分の言ったセリフを頭の中で反芻した。
何を言ってるんだと自分を殴りたくなったが、その前に頬が熱くなるのを感じた。
「………な、なんでもない」
「いや、そんな感じじゃないけど」
「なんでもないんだ!」
ああ、きっと今の自分はみっともない顔をしている。
スザクを前に、なんて失態を犯しているのだろう。
紅潮していく頬に、スザクも狼狽え始めた。
言葉の意味が分かってしまったのだろう。
「えーと、それは……なんか、君が困ってるみたいだったからなんだけど……その方が、逆に、困った?」
「――……」
返せる言葉が見当たらない。今更態度を変えられたから困ってるなどと、口が裂けても言えない。
いつの間にか自分の中にスザクの居場所が確立されていた事など、今自分が気付いたくらいだ。
「ごめん、謝るよ。明日は起こすから」
「そういう訳じゃなく!」
ああ、どうして伝わらないのだろうともどかしく思っていた時だった。
扉が開く。
「ごっめーん、お待たせしちゃった? あれ? ルルちゃんも一緒?」
ミレイの元気な声がやってきた。
彼女はスザクとルルーシュ、ふたりの顔を見て、再びルルーシュの顔で視線を止める。
「なんですか、会長」
「ルルちゃん、顔赤いわよ?」
「……!」
分かってても指摘しないのが礼儀と言うものじゃないだろうか。
いや、いきさつを知らないのだからそれも仕方ないのだろうか。
「あら、もしかして私、お邪魔だったのかな」
「お邪魔だなんて………。………!」
そこで、ふとスザクがびくっとしたように顔を上げて自分の顔を見た。紅潮している顔を見られるのは耐え難い。視線をそらしたが、彼は食い入るように覗き込んでくる。そして、彼の頬も紅潮していくのが分かった。
「あら――冗談だったのに本当にお邪魔だったみたいね」
「会長!」
「だってー」
「だってじゃありません。スザクを呼び出したのは何の用だったんですか? 理事長の孫特権まで持ち出して」
「いや、ちょーっとルルちゃんの弱味でも教えてもらっちゃおうかなー、なんて。思ってたんだけど」
と、言ってから、ふふーんとふたりの顔をミレイはいかにも楽しそうに見遣った。
「なんか、それより面白いものを見た気がしちゃう!」
「面白くなんか!」
「そうです、ありませんよ!」
「あら、息もぴったり。――そうだ、ルルーシュ。工期しばらく伸びるから、よろしくね。スザク君もよろしくー。ナナリーはうちで預かるから」
「え、ちょっと、待ってくださ…」
「じゃあね〜」
と、軽やかに彼女はスキップでもしそうな足取りで出て行ってしまった。
残されたのは、スザクとルルーシュ、ふたりきりだ。
「……………」
「……………」
互いに、告げれる言葉を持っていなかった。
男ふたりで顔を赤くして部屋にいると言うのはどういう状況だろう。
まさか。
まさか、だ。
自分はスザクに触れられたかったのだろうか。
朝起こしてもらいたかったのだろうか。
喋り掛けてもらいたかったのだろうか。
彼と同室で居続けたいのだろうか。
よく、分からない。
ただただ、今の空気がいたたまれないのはきっとスザクも同じだろうと思われた。
しかし彼は頬を赤くしたまま、笑顔をルルーシュに向けてくる。
「まだしばらく同じ部屋なんだね、良かった。嬉しいよ。また、よろしくね」
差し伸べられた右手に、自分はおずおずと同じ右手を差し出す事しか出来なかった。
一体自分が今抱いている感情は、なんなのだろう?
終わり