誰かを愛するというのは、どんな感じがするのだろう?
長年のスザクの謎だった。年齢の割にそれなりの女性経験はある。好きだと告げられ、好きだよと言い返した事もあったし、その時はその人の事が好きなんだと思っていた。
だが、別れると突然にそれは単なる気の迷いだったんだなあなどと思ってしまうのだ。
寂しいから、寄り添っていただけに過ぎない。
そんな事を幾度か繰り返した後に気がついて、気がついてからはその空しさからか誰かと付き合うなんて事自体をやめてしまった。
そうこうしている内に自分は軍隊に入ったし、軍隊内では規律が厳しい割に名誉への差別が激しかった。毎日生きていくのが精一杯だったのだ。
愛するだの恋するだの、誰かと抱き合うような事に費やす時間も気力も失ってしまった。
だから、こうやって特派に引き抜かれひとまずの安全を得て、学生なんてあり得ない気の抜ける空間に来るようになってから、思い出してしまったのだ。
それはシャーリーの存在も大きかったかもしれない。
彼女は、ルルーシュへと可愛い恋心を抱いていたのだ。
それは傍目から見ていてもそれと分かる可愛い物だったし、それに気付かないルルーシュってどれだけ鈍感なんだろうと頭は良いくせに鈍い親友に対して呆れすらした。
彼が人を愛する時は、どんな風になるのだろう。
彼は愛情深い。妹を溺愛している姿からも分かる。
肉親でない、本当に運命の人――それがシャーリーかどうかは分からないけれども――に出会った時、どんな愛情を注ぐのだろうと興味があった。
そして自分はどんな愛を注げるのだろう?
そもそも誰かを愛すると言うのは、どんな事なのだろう?
そうやって振り出しに戻るのだ。
ここ数日、学園に来れる日の度に思う事だった。
「ねえ、ルルーシュに好きな子っていないの?」
放課後の生徒会室だ。珍しく、まだ誰も来ていない。シャーリーは水泳部に顔を出すと言っていたし、リヴァルは午後は早退だ。何か悪い遊びをしているのだろう。そうなると残るは会長とニーナくらいになってしまうが、彼女たちはクラスも学年も違う。ナナリーはそもそも中等部なので、毎日来る事は少ない。
だから、こんな空間が出来上がってしまった。
ルルーシュとふたりきりなんて、考えてみれば随分久しぶりの事だった。
学校では必ず誰かクラスメイトや生徒会メンバーが傍にいるし、彼の家へ遊びに行く時はナナリーがいる。
「なんだ、いきなり」
「いや、気になっただけなんだけど」
雑誌に目を落としていたルルーシュは、スザクを振り返り首を傾げていた。
不思議そうな顔をしている。
「そんなものはいないが?」
「あ、そう」
なんだか気が抜ける。と同時に彼らしいなとも思った。
相変わらず彼の世界はナナリーが一番で唯一なのだろう。
シャーリーお気の毒、と心の中で手を合わせていると、逆に質問が飛んできた。
「お前こそいないのか?」
「僕?」
残念ながら、学園内では生徒会や一部生徒達が仲良くしてくれているけれども名誉ブリタニア人と言う事もあって、差別的な目で見られる事も多い。そんな人間と付き合ってくれる生徒などいるだろうか?
「そうだね……君かな?」
ちょっとした洒落心で言ってみた。
彼ならば、どんな差別的な目から見られてもひるまないだろうし、きっと愛されたら幸せになれそうな気がしたからだ。もちろん、それは同性間なのだからあり得ない話なのだけれども。
「俺?」
「あ、冗談。冗談だよ」
からからと笑って言えば、ルルーシュは眉根を寄せ不機嫌そうな顔になり、また元の姿勢に戻って雑誌に視線を落とした。
「そういう冗談は嫌いだ」
「ごめん。そういうつもりじゃなかったんだ」
少しだけ焦りが顔を出す。
本気で怒った声を彼が出していたからだ。硬質で取りつく島もない声。
「君にだったら、愛されたら幸せになれるだろうなって思ったんだよ」
「それで?」
「それで……えーと」
「冗談なら、下手な言い訳なんかするな」
「言い訳じゃないよ! それは本当」
ちらり、と彼がこちらを見る。
愛するというのは、どんな感覚なのだろう?
「この目を自分だけに向けられたら、どんな感覚がするんだろう?」
思わずぽろりと口から言葉がこぼれていた。
「どうした?」
「君が、僕だけを見てくれたらどんな気分になれるんだろう。愛するってどういう事なんだろう。それが分かるような気がする」
「――どういう意味だ?」
問われたが、まるで何かが乗り移って口だけ借りて告げたような言葉だ。
答える事が出来なかった。
「君が好きだってことだよ」
「そういう冗談は…」
「冗談じゃないよ。君に愛されてみたいし、愛してみたいよ」
何を言っているのだろう。
「甘えたいし、甘えられたい。ああ、君に甘えてもらうってのはいいな。君は誰にも甘えないから」
自分で自分が良く分からない。口だけがつらつらと言葉を紡ぎ続ける。
「だから、僕が精一杯甘やかしてあげたい」
「本気なのか?」
訝しげにルルーシュは問う。
「本気だよ」
言った瞬間、すとんと今まで告げた言葉が心に落ちて来た。
なんて事を言ってしまったのだろうと思う。これは、本音だ。
自分でも気付いていなかった本当の心。
「君に愛されたいし、愛したい」
「どうして俺なんだ?」
「――良く、分からないな。君だからだと思う」
「どういう……」
「君が君って存在だから、僕は好きだし、愛したいんだよ。分からないかな?」
「それは、俺がナナリーだから無条件に愛するのと同じ事か」
「似てるけど違う。君たちには血縁がある。でも僕たちにはそんな大事なものは存在しない。だから、新しく作りたいんだ」
本音が勝手に口を借りて次々言葉を作る。
ああ、もうどうしたらいいのだろうとスザクはパニックに陥っていた。
頬に血が昇り、赤くなっていることも分かる。熱い。
「よく、分からない」
と言いながら、ルルーシュの頬はじわじわと赤くなり始めた。
「あ、嘘ついたね」
「なっ」
「分かってるくせに」
「分かってない!」
「分かってる!」
「何が分かってるっていうんだ!」
「僕の言いたい事、僕の気持ちだよ。もしかして、ずっと知ってた?」
「………そんなこと」
「知ってたんだ。僕は今、知ったのに」
「え?」
「今気付いた。君が好きな事」
そこでようやく本音と自分が一致した。乖離したかのような現象から解放されたのだ。
「知ったんだ、ようやく……」
じんわりと喜びが沸いて来る。これが愛すると言う事なのだろうか?
こんなに幸せな気持ちが? 甘くてとろけそうな、これじゃあ砂糖菓子よりも甘い。
「どういう意味なんだ?」
「だから、僕が君を好きだって話」
「それは分かったから、だからどうしてそうなったんだ?」
「僕にも良く分からないよ。気付いたら好きだったんだから。君が甘えてくれないせいかもしれない」
「……お前に、甘えろと?」
彼は少しばかり怯えたような表情を浮かべた。
この場に似つかわしくない顔だった。
「どうしてそんな顔をするの?」
「だって、甘える、なんて……」
しばらく待ってみる。彼の視線はあちこちに飛んで、非常に落ち着きがなかった。
「そんなこと、俺は知らない」
きっぱり言い切った後、自分の目をまっすぐ見た。
「じゃあ、今から覚えていこうよ。僕に甘えてみて。僕は逃げないから」
「嘘つけ、お前は軍へ帰って行くんだろう?」
視線は逸らされた。そして、言い捨てるように告げられる。
「――………うん」
その瞬間のルルーシュの表情は、なんとも表現しがたかった。
複雑すぎて、感情が読み取れない。頬の赤みもすっかり消えてしまっていた。
「ごめん。僕じゃあダメなんだね」
「違う」
すぐに、声が返って来る。
「軍を、――軍を、やめてくれさえすれば」
「それは無理だよ」
自分は勝手にやめるわけにはいかない場所に来てしまった。単なる一兵卒ならば良かったのに、機密に触れすぎた。
「そうか」
落胆のニュアンスは感じられた。それだけでない物も含まれていたけれども、それが何かは分からなかった。
じわりと広がっていた幸せな気持ちは既にしぼんで消えてしまっている。
自分が軍属なのがそこまで彼に取って障害なのだろうか?
確かに、憎いブリタニアに仕えてる事は許し難いだろう。
その上、自分は嘘をついている。
ああ、愛してもらえる権利なんてないんだと気がついた。
全てをさらけ出せない自分は、彼に愛される資格などない。幸せな気持ちは今は苦く沈み込んでいた。
「ごめん、馬鹿な事を言ったよね。今日の事は忘れて」
「スザク」
「ごめん、本当にごめん」
そして、その場を逃げ出した。
酷くみっともなかった。
そして、自分をこれほどまでに呪った事はなかった。
――何故自分は、愛すると言う意味を知る事が出来ないのだろう?
その答えなんて知っている。自分が……だからだ。