「もういいわよ、スザクくんは上がって」
そう言われたのは、深夜にさしかかる時間だった。
ランスロットの微調整に時間が掛かりすぎていたのだ。ああでもないこうでもないを繰り返し、そのたびに操縦者であるスザクは起動、再起動を繰り返し動きの確認をしていた。
実戦より疲れなかったものの、小刻みに下される指示に従うのは、それなりに疲れた。
だからセシルにそう言われた時、ほっとしたのは事実だった。
「ありがとうございます」
開きっぱなしのコクピットから降りる。じんわりと汗がにじんでいた。パイロットスーツは操縦者の利便性を考えられ作られているが、ここまで長時間の着用は想定にないのかもしれない。限界を超えているようだった、今すぐシャワーを浴びたい。
「シャワールーム、使っても構わないですか?」
「ええ」
彼女達は今得たデータを元に、本調整に入るようである。それが本来の仕事とは言え、頭が下がる。
だが自分には手伝える作業ではない。なので素直にセシルの言葉に甘え、シャワールームへ向かうとやはり汗まみれになっていたパイロットスーツを脱ぎ捨て、シャワーのコックを捻った。
「………?」
キュ、と音をさせて捻ったのに水が出ない。
おかしいなと思ってもう一度元の場所に戻してコックを捻るが、やはり水は出てこなかった。
どうやら壊れてしまったか、水タンクが空のようだ。
「……はぁ」
壊れていたとすれば、ここは技術者の集団だ。簡単にこれくらいは直してしまうだろう。だが今までの長時間実験に付き合った上、この後本調整が待ちかまえている彼等にそれを頼むのはなんとも心苦しい。
残念な事に、シャワールームは一カ所限りで他にはない。
諦めて、自分の部屋で浴びるしかないようだった。
乾いたタオルで取りあえず全身を拭き、気持ち悪いが制服に着替える。
自分がとても汗臭いのが分かって、イヤな気持ちになったけれども時刻は深夜だ、誰に会う事もないだろうと思い自分さえ我慢すればいいのだと、そのまま他のメンバーに挨拶して特派を出た。
現在、特派はアッシュフォードの大学に間借りしている。その関係で宿舎も寮を使わせてもらっていたので施設は立派だ。こんな部屋を一人で使っていいのかなとスザクなどは気後れするくらいだった。
部屋に戻って、今度こそシャワーを心おきなく浴びる。
ざあざあと降り注ぐ水は気持ち良くて、頭までを一気に洗って外に出れば汗臭さともお別れ出来、すっきりとした。
時計を見上げると、とっくに深夜は過ぎている。精神的にぐったり疲れている筈なのに、疲れ過ぎたせいか眠気がやってこない。
困ったな、と思いながらベッドに腰掛け、ぼんやりした。
頭を過ぎったのは、ルルーシュの事だ。
こんな時間に訪れてはきっと怒るだろう。だが、近頃とみに特派が忙しくて学園には行けていない。前よりずっと学園に近い場所にいると言うのに皮肉な事だった。
こんな時間に訪れれば、きっと怒る。
だけど、と思いスザクは立ち上がった。
特派の制服はランドリーに突っ込んである。汗を吸い込み、とてもじゃないが着用出来たものではないからだ。当然軍服なので替えはある。洗濯してしまっても問題ない。
アッシュフォードの制服をこんな時間に着るのもなんだったので、ラフな白のシャツにジーンズというスタイルにスザクは着替えた。そして、何も考えずに部屋を出る。
まあ、怒られたら怒られた時。それにきっとルルーシュは本気で怒らない。
そんな事を思いながら、足取りは弾んだ。
ルルーシュの事が好きだった。そしてルルーシュからも好意を寄せてもらっている。
いわゆるそれは、世間的に言えば恋人同士という事になるのだろう。
同性である上、自分は名誉ブリタニア人なのでおおっぴらにすることはなかったけれども、こっそりとその関係は続いていた。
彼が怒ったとしても、きっとそれは本気の怒りでないだろうと思える根拠はそこにあった。
長らく会ってない恋人に会えるのは、心が弾む出来事であったし、それはルルーシュも同じであって欲しかった。
幸いにも、敷地は近い。彼の住まうクラブハウスはアッシュフォード学園の奥に位置するが、それくらいの距離は今の自分には苦でもなんでもない距離だった。
外の空気がいつの間にか夏の気配をはらんだもったりとしたものになっている事にようやく気付いた。この間まで長雨が続いていたのだが、梅雨は明けたのだろうか? そんな事も分からないくらい、随分長い間研究所に縛り付けになっていた。
暑さにひどく弱いルルーシュには辛い季節がやってきたな、と思う。
彼のぐったりとした姿を思い浮かべ、うっすらと笑みが浮かぶ。
彼の事が好きだ。彼の事を考えるだけで心が浮き立つ。
こんな時間だが学生証と軍票を見せれば、敷地のセキュリティは簡単にスザクを学内へ入れてくれた。まっすぐに彼の元まで走りたい気持ちになるけど、それを無理に押さえ込むのも楽しい作業だ。
しばらく軍に係りっきりになっていた事に、きっとルルーシュは不機嫌になっているだろう。
彼は自分の事を好きだけれども、軍属であることだけは不快な顔をする。
それは、出自を考えれば当然のことだった。だが、彼の為にも内側からあの国を価値のある国に変えたいと思っていた。ただのいち軍人がどこまで出来るか分からなかったけれども、特派に引き抜かれたのは大きな功績だ。
バックには第二皇子シュナイゼルがいる。そしてロイドはそのシュナイゼルと親しい。
足場としては、もってこいの場所だった。
だが、それでも自分はまだただのデバイサーだ。
価値をもっと上げなければならない――そんな事を考えている内に、ルルーシュらの住まうクラブハウスへと到着した。
当然のように明かりは全て落とされ、静寂につつまれている。
さて、どうやって入ろうかと迷った末に彼の部屋へと小粒の石を投げてみた。ガラスが割れない程度にやんわりと、それでもカツンと耳障りな音が擦る程度にと。
一度で眠りが破れるとは思わない。
何度か繰り返す。
しかし、彼は起き出してくる様子はなかった。
「おかしいな……」
自分の身体能力ならば、壁伝いに彼の部屋へ向かう事は可能だ。
そうしてみようかな、と思った時だった。
「――スザク」
背後から声を掛けられた。
え、と思って振り返る。
「ルルーシュ……どうしたの?」
「それはこっちの台詞だ。お前こそこんな時間にどうした」
何故か彼の声には心持ち緊張が含まれているように感じられる。
「いや、仕事がさっき終わったから君に会いたくなって……」
「こんな時間だぞ、寝てたらどうするつもりだったんだ」
「寝てなかったじゃない。っていうか、ルルーシュこそどうしたの? こんな時間まで――あ」
びく、と彼は身構えたようだった。
「また、悪い遊びをしていたね」
声を沈めて言えば、ルルーシュは何故か安堵したかの様な気配を漂わせる。
「退屈なんだ、たまには夜遊びくらい許してくれよ」
あれ、と思った。
悪い遊びはしていたらしい。なら、今感じた気配はなんだったのだろう。
「ダメだよ、ナナリーをひとりぼっちになんかしちゃって」
「大丈夫だよ、今日は咲世子さんも泊まり込んでる」
「そういう問題じゃなくて。こんな時間に学生が遊んでて、補導でもされたらどうするつもりなんだい?」
「――まあ、それはその時だ」
妙な間があいた。
どうも落ち着かない気分がする。
「それより、俺を訪ねてくれたんだろう? 丁度タイミングが良かった。入れよ」
「あ、うん……」
手を引かれ、そのまま扉へと向かう。
この感覚は忘れない方がいいと思った。
だけど、忘れるべきだとも思った。
鍵をがちゃりと開き、中へ招かれる。
そして、館内に入るや否や、ルルーシュは自分を抱きしめ、キスを求めて来た。
「――随分、会ってなかった」
「うん……ごめんね」
唇を重ねて、そのまま深いキスへ移行する。
舌を絡め合い、彼の甘い口内を堪能しながらも、意識の端には違和感が引っかかったままだった。
忘れろ、と思った。
彼は今、自分の腕の中にいる。
それだけで十分じゃないかと――それ以外の何が欲しいのだと、自分へ言い聞かせ、再びキスへと没頭した。