近頃長くなり始めた日中の時間。ほんの一ヶ月前ならばもう辺りは真っ暗になっていたと言うのに、今では日は傾いているものの、まだ十分に明るかった。
生徒会室から出て、家へ帰る道。だ、なんて言えれば良かったけれど、残念ながらルルーシュの自宅は今出て来た場所と同じ建物の中にあるし、傍らを歩く存在は、家と呼べる場所を持たない。今は隣の大学に仮住まいしているらしいが、それだってつい最近の事だし、また何かあればすぐに別の場所へ住処は変えるのだろう。
軍をやめてほしい、とは繰り返し訴えている事だ。
だけど穏やかな外面に対して頑迷な所のあるスザクは、一度だって頷いてくれた事はなかった。考えてみる、と言った素振りも見せない。仮にも恋人の懇願なのだから、そんな振りくらいはすればいいのに、全く思い通りにならない。
だが、内容はともあれそんな彼の姿に、自分の良く知っているあの子供の頃の姿が垣間見られて心のどこかが弾むのだから、本当に自分ばかりが不利だと思い知るばかりだ。
並んで歩く歩調は、ほぼ同じ。抜群の運動神経を持つスザクと言えども、さすがに歩く分には自分とさして変わりは無い。身長だって似ている二人は歩幅だって近しい。
「それで……どこへ向かえばいいんだろう」
呟く彼の手元には、一枚のメモ。デジタル化が進んでいるとは言え、学生同士の買い出し内容くらいは手書きされている。シャーリーとミレイ、女子がふたりで騒ぎながら並び立てたリストは、ずらりと長い。全く整理されていない思いついたままに書かれたそれは、必須な訳ではないがより快適に生徒会室でメンバーが過ごすためのおやつや飲み物、下手すればそれらの材料たちだった。
差し入れと称して机に置かれるおかしは、主に女子がお気に入りの生菓子である事が多い。それでも買い出しに行けなかった時のためにと焼き菓子や、何故かある冷蔵庫で保冷され続けるものも常にストックされているのだ。それがどうやら、昨日のお茶に出て来たクッキーで尽きてしまったらしい。どうせなら新しい紅茶の缶も欲しいし、ならばまだ試してなかったあのお店の新作や、ついでだしあるに越したことはないからと小麦粉、などと次々足されて行ったのだ。「ルルちゃんのセンスなら任せられるから」とにこやかに新しいティーセットまで言いつかりそうになったのは、丁重に退けた。さすがにそこまでは付き合いきれない。
「先にこれとこれ、それから……」
リストを指さして行く。スーパーの袋を持って気取ったパティスリーへ入るのは、さすがに勘弁願いたい。指定された店を効率良く回る段取りをしていると、ふとリストに載せられたままだった指先を取られた。
じわりと暖かな温度が小さな場所から滲み、体に染み渡る。
「どうした、スザク」
少しの動揺を見破られないよう、意識していつも通りの声を出すけれど、かわいらしく首を傾げてこちらを見る彼には全てお見通しのようだ。くすり、と笑われた。
「なんだ、どうした?」
「ねえ、このお店全部回ったら、どれくらい掛かる?」
「そうだな……」
甘い誘いのような言葉を期待してなかった、と言えば嘘になる。だけどまだ学園の敷地内で、そして周囲に学生がいる中では、どうにも切り返せる筈もなかったから、これはこれできっと良かったのだろう。
「この店とこの店は、近いかな? ああ、だがここは……」
「で、どれくらい?」
「今考えてるんだ、ちょっとくらい待て」
「日が暮れてしまうまで、掛かっちゃう?」
「さすがに……」
それは、ない。最後まで告げる事は、出来なかった。見つめて来る視線がひどく甘やかだったからだ。まだ手のひらに包まれたままだった指先が、意識の端をちりちりと灼いた。今すぐ離さなければならない、逃げなければ。何故かそう思った。ぞくりと背中を粟立たせる感覚が走るのなんて、きっと間違っている、それなのに。
「さすがに?」
「それまでには……戻って、来れる」
「そう」
にっこり笑うスザクには邪気がない。なのに指先から痺れるような甘やかな感覚が広がって行く。きっと、今の自分は酷く情けない顔をしてしまっているだろう。
「じゃあ、ちょっと寄り道しよう。みんなが帰っちゃうまで」
「スザク」
尋ねれば、やっぱり彼はにっこりと笑った。買い物をして、帰って。そしてそこがふたりきりだとすれば。今だってそう、ふたりだとは言えるけれど、それでも自分達を見る誰かはいる。そんな誰かもいない場所で、ふたりきりだとすれば――?
「面倒な買い出しだもの、ご褒美くらいあってもいいよね?」
邪気のない、誰もが騙される陽性の笑顔。だけど、自分は騙されない。我が儘で頑是無い、これはあの子供と同じ人間なのだ。
「ま、待てスザク」
「いいよ、まだまだ時間はいっぱいあるし。ゆっくりしよう?」
その言葉の意味なんて、なにを望んでいるのかなんて、ルルーシュはきちんと理解する。それと同時に、理解したくなかったとようやく捕らえられたままの指先を自分の元へ取り返し、顔を覆った。
きっと合間から覗く自分の頬は、みっともないほどに、赤い。