忘却のメカニズム
スザクが捉えたゼロは、皇帝へと差し出された。
そこで下された処分は、記憶の書き換え――いわゆる、ギアスだった。
絶望を感じなかった訳ではない。スザクはその能力を憎んですらいた。だが、内側から変えるのだと望んだ自分には、まだ彼を否定出来るだけの場所には立てず、ただ皇帝の騎士の座を望んだ。
ルルーシュに掛けられた記憶の改竄はみっつ。
ひとつ、マリアンヌとナナリーの不在。
ひとつ、皇族であること。
ひとつ、枢木スザクとも面識がないこと。
これらを書き換えられたルルーシュは、ルルーシュ・ランペルージという名に戻り、ラウンズに抜擢された。空席のナンバー、イレブンを与えられる。皮肉な番号だった。本来ならば、自分こそがふさわしい番号だったかもしれないのだ。
だが、KMFの一般的な扱いと士官学校での卓越した戦術、戦略の能力を買われての抜擢とされたルルーシュは、ごく普通にその座を受け入れていた。
あれほど憎んでいたブリタニアの紋章を背負い、ブリタニアの為の戦術・戦略を立てる。
初めてスザクに会った時、彼は笑顔を見せた。
一般家庭で育ったことになっていた彼は、ずっと素直で無邪気とすら言って良い表情をバリエーションに持っていたのだ。
そのことに驚き、求められた握手に応えられなかった。
「枢木卿、申し訳ありませんでした。これからは同僚になるのですから、と思ったのですが……失礼しました。どうぞよろしくお願いします」
軽く会釈をした彼は、日本かぶれが残ったままだった。会釈という文化は日本にしか存在しない。ブリタニア人はしない行為なのだ。記憶にはなくとも、体に染みついているという訳だろうか――それは、スザクには分からない。ギアスと言うものが一体なになのかすら、結局スザクには分からないままなのだ。
ルルーシュは無理矢理に人の意志をねじ曲げる力を持っていた。
皇帝は記憶を改竄出来た。
他にもギアスを持っている人間はいるのかもしれない。
いずれにせよ、それは世界の裏側に属する能力には違いなかった。普通に生きていれば知る余地もないもの。
だが、スザクは知ってしまった。
ルルーシュは何故知ってしまったのだろうか。それを問う機会は多分一生失われてしまったけれども、気になった。
ルルーシュはブリタニアの為の戦略・戦術を実に良く練った。
効率的であること、そしてより有利に物事を進める段取り。どれもが完璧で現場は動きやすい。情報処理能力も高いままで、対戦相手が決まれば情報収拾に奔走し、完璧な情報を手に入れていた。
彼のもっとも望まない姿だろう。
これこそが、復讐だと思えた。
ユーフェミアの敵。
だが………時折、思うのだ。
共に作戦を行う事がある。イルバル宮で会う事もある。普通に会話を交わすことも出来るようになっていた。そろそろ、彼がラウンズになって一年が過ぎようとしており、他のラウンズとも友好的な関係を結んでいるのを知っている。
これは誰だろう、と。
時折思ってしまう。
あのルルーシュはどこへ消えてしまったのだろう。
復讐に燃えた、醜くも綺麗なルルーシュ。あの彼は消えてしまった。いなくなってしまった。
それを望んだのは自分だったはずなのに――ゼロであるルルーシュなんて、許せなかった筈なのに、それを時折悔いている事に気がつく。
自分のことが自分でも良く分からなかった。
ルルーシュの事が好きだった。その感情は覚えている。初めての友達だった。再会して、いつの間にか恋情めいたものまで抱き始めていた。それはゼロかもしれないとの懸念から目をそらすための自己防衛だったのかもしれなかったが、それでも恋情は恋情だった。
その気持ちはどこへ向かえば良いのだろう。
憎しみに駆られた気持ちは、どこへ行けばいいのだろう。
彼は、もう、ルルーシュではない。
ナイト・オブ・イレブン。帝国最強の騎士のひとりだ。
自分の両手になにもないことに気付かされる事があった。
ルルーシュを、失ってしまったのだ。
きっと欠片は持っていたはずなのに、それを失ってしまった。
それを嘆く権利などどこにもないのに、返せと訴える事など出来る訳ないのに、スザクは時折酷い苛立ちに襲われる事があった。
それも、ラウンズとして振る舞う彼を見ている時に限って、だ。
ある時に、ふたりきりで作戦を展開する事になった。
いまだ抵抗の強いEUの一地域だ。ふたりでならば問題なくこなせるだろう――皮肉だった。こんなところは、何も変わっていないのだから。
「――以上です。問題は?」
ブリーフィングを行っている時に考え事をしていた。彼の言葉の殆どは耳をすり抜け、聞いていなかった。
「すまない、少し考え事をしていた」
そう告げると、仕方ないなと言うふうに彼が笑った。
その表情に、心臓がどくりと音を立てた。
「最初から説明した方がよさそうですね」
知っている顔だった。あの、呆れた表情。学園で向けられた、仕方ないなと諦めたような、それでも笑みを伴った表情。
「ルルーシュ」
「はい?」
「ルルーシュ………」
自分は、失ってしまったものを悔いている。
方法を間違えてしまった。
本当に憎かったのなら、この手であやめればよかったのだ。そうすればいつまでもルルーシュは自分ひとりのもので有り続けた。
なのに、今の自分はルルーシュを失ったと言うのに、誰もが知り共有している。
突然名前を呼ばれ驚いた顔をしたルルーシュは、そのまま黙り込んでしまったスザクを、じっと待っていた。
そして不意に頬に手を添えられる。
「涙には、人の温度が効くそうですよ。なにか悲しい出来事でも?」
「――ああ」
ああ、あった。今の言葉を覚えているくせに、どうして自分を覚えていないのか。
どうして、自分は彼を手放してしまったのか。
「では、ブリーフィングは明日にしましょう」
優しい言葉を掛けられる。その声音も知っている。どれも知っている。なのにこれは、誰なのだろう。
失ってしまったものの大きさを今更のように思い知った。
好きだったことを、思い知らされた。
もう、遅いかもしれないけれど――
「ルルーシュ、好きだよ」
「え?」
そして、手を引き、口づける。
目をまん丸に開き驚いた顔をした彼は、本当に知らない他人だった。
だけど。
好きだったことは、忘れられなかった。
「ルルーシュ、好きだったんだ。ごめん」
何に対して謝られたのかは、きっと分からなかっただろう。
それとも、今のキスに対してだと思われるだろうか。
どちらでも良かった。
既に、スザクのルルーシュは失われてしまったのだから。