「そんな弱々しい顔すんなよ、似合ってねぇぞ」
犯人を取り逃がしてしまった後だった。
バーナビーが珍しく気落ちした顔をしている。自分達の能力には制限時間がある。たった五分。しかし、されど五分だ。
ふたりでコンビを組んでいるのだから、時間差を用いたり、色々と出来る事はある。
だが、今日ばかりはしくじった。他のヒーローに任せるしかないだろう。
爆弾を投げつけてきた相手に対し、取れる方策が身を挺するしかなかったのだから仕方ない。
皮肉めいた言葉を掛けている自分は、さんざんな有様だった。
ヒーロースーツは耐熱、耐火に優れている。衝撃にも強い。
それでも、スーツを通過して肉体にまで達したダメージで自分は地面に横たわっていた。
多分骨がやられただろうなぁとの感覚がする。
見下ろしてくるバーナビーの表情は、いつもの皮肉めいた表情は欠片もなかった。無駄に突っ込むからですよ、とでも言うかと思ったのに、だ。
「ほら、帰るぞ。――ブルーローズが仕留めた」
ヒーローTVの賑やかな中継が通信機を伝って現状を伝えて来た。
爆弾犯は無事、捕まったようだ。ほっとして力が抜けた。
「――しょうがないですね」
言葉だけはいつも通りなのに、表情を固くして、バーナビーは虎徹をそのまま抱き上げた。
「お、おい。立てるって」
言葉を無視して、彼は歩き続けた。そしていつものサイドカーに乗せる。
「ちょっと揺れますよ。我慢してください」
「……はいよ」
ぐたりと体の力を抜けば、ずきずきとした痛みが思考を支配し始めた。
とんだ失態だ――……と、思いながら、意識が遠のいて行くのを感じた。
目が覚めると病室だった。
「全治二ヶ月。胸骨と肋骨が三本折れています。しばらくヒーローも休業ですね」
個室が取られていた。自分の収入ではまず無理な部屋だ。きっと会社側が手配したのだろう。何の拍子でヒーローとバレるか分かったものじゃない。顔をさらしているバーナビーとは違って、他の面子はそうとバレてはいけないとの暗黙の了解があるのだ。
「あー、そうなんか」
あーあ、とバーナビーの言葉に、がっくりと来た。
自分はヒーローだ。市民を守ってこそ、存在意義がある。なのにそれを休業させられるのは、ひどいストレスになる。事件が起こってもこのままベッドに横たわって、他のヒーロー達が頑張っている姿をきっと自分はヒーローTVで見る事になるのだろう。
それは、ついふてくされた声になってしまうのも仕方のない事だった。
「無茶過ぎますよ、あなたは。物を壊すなと厳命されたからと言って、なにも自分を壊す必要はないでしょう」
「ばーか、俺だって好きでこんな目に合った訳じゃねーよ」
点滴が腕に刺さっている。麻酔成分も含まれているのだろう、痛みは欠片も存在しなかった。
この状態なら、なんだって出来そうな気がするのに、きっと犯罪が起きても自分に出動命令は出ないだろう。
「あん時、そのまんま爆弾爆発してたら、一般市民が巻き添えくらってたろ? 俺が抱え込むのが一番安全だったんだって」
「まあ、そうですが」
ヒーロースーツなら大丈夫との自負もあった。まあ、万一あそこで死んだとしても、この職業をしている以上、本望ではあるのだ。
自分の信条は一般市民を守る事。それに尽きる。
それに殉じて死ねるのであれば、問題もあるまい。
「ですが、無茶苦茶です」
「無茶苦茶でもこの程度で済んだじゃねーの。まあ、結果オーライだって」
「たまたまかもしれません! やっぱりあなたの考え方には賛同出来ない」
どこが彼の琴線に触れたのか、良く分からなかったが、急にバーナビーは怒り始めた。
「なんだよウサギちゃん。なんで怒ってんの?」
「怒ってなんかいません!」
「その言い方が怒ってんじゃねぇか」
「結果的に無事だっただけで、へらへら笑ってないでください。あなたは僕の相棒でもあるんですからね」
「ああ、そこ?」
「そこ?」
「いや、結果オーライが気にくわない? でも俺バカだからさあ、他に方法なんてわかんねぇのよ。体が動く通りに、考えてるから」
「それは考えてるとは言いませんよ」
むすっとした顔をしていた。
だが、自分を心配していたのかとようやく気付く事が出来て、虎鉄もなんだこいつも可愛いところがあるじゃないかと言う気分になった。
「素直に心配でした、って言えよ」
「だ、誰が心配なんか…っ」
「してたくせにー」
うりっ、と手を伸ばして届いた彼の膝をぐりぐりと人差し指でつついてやった。
「やめてください!」
「いててて」
ぱしっと手を払われる。それが存外強いちからで、手がぶらりとベッドの下へと落ちて行った。
そのせいか、胸が痛む。
はっとした顔のバーナビーは、慌てて落ちた手を再びベッドの上にと戻した。
痛みは残っているが、ほっとする。案外重症らしいとようやく自覚した。
「でも二ヶ月も休んでらんねぇぞ」
「あくまで全治ですよ。それより早くに復帰は出来るでしょう」
そっか、とほっとする。
ヒーローでない自分など、存在異議を否定されたようなものだ。
「でもそのためには、しばらくおとなしくしておいてくださいよ」
「へいへい」
「じゃあ、僕は職場に戻りますから」
「はいよ。じゃあな」
ひらひらと手を振った。それもちょっとだけ、胸に響いた。
彼はそのまま振り返りもせずに病室を出て行った。
その閉じられた扉を見て、あれ? と思う。
「もしかしてあいつ、ずっと俺が起きるの待ってたの?」
なんだ、かわいいところがあるじゃないかと虎鉄はひとりにやにやした。
「どうだった、ワイルドタイガーの様子は」
「いつも通りでしたよ。相変わらずのバカです」
「かー、痛烈よねぇ」
職場には結局戻らず、ジムへ向かったバーナビーは他のヒーロー達に、虎徹の様子を尋ねられる。相方だからだろう。
「あら、病院に行ってたのね。意外」
ネイサンが額に手を当てて、その痛烈なところもステキなんて言っているが、カリーナの言葉に失言だったと気付かされた。
「さすがだ! 相棒を思いやる気持ちは美しい。惜しむらくは素直でない言葉づかいだな」
などとキース――スカイハイが大仰な身振りを交えて微笑む。
誤解もいいところだ。だが――確かに病院に出向いたのは自発的な行為だった。多分職場にいれば、見て来いと言われたかもしれないが、目が覚めるまで待っていたのは自分の理由だった。それが何なのかは分からなかったけれども。
「相変わらずバカって、どういう事?」
「反省してないって事ですよ」
「ふぅん」
いかにもね、とカリーナが笑う。負荷を上げたトレーニングマシンに向かいながら、
「じゃあ次に行く時は教えてよ。そんなバカの顔、私も見ておきたいから」
「あら、素直にお見舞いに行きたいって言えばいいじゃない」
ネイサンの突っ込みにカリーナは顔を真っ赤にした。
「そ、そんな訳ないでしょ!」
ぷんっと向こうを向いて行ってしまう。
その時だった。手首に巻いてあるバンドが異常事態を報告する。
『中央センター前で、銀行強盗発生よ。至急向かってちょうだい』
アニエスがいつも通りの調子で告げてきた。事件発生だ。
街はいつでも騒がしい。
ヒーローTVが騒々しく始まった。
ベッドに横たわっていた虎徹は特にすることもなく、だからと言って眠くもなくて退屈な時間を過ごしていたのだが、この番組をこうやって外側から見るのは初めてでひどく落ち着かない気分になった。
中央センター前での銀行強盗。向かったヒーローは自分を除く、全員。
犯人は現場に立ち会わせた客と行員を人質にして、籠城しているらしい。
まっすぐ突破出来ればいいのだが、人質の様子が分からないために、足踏みをしているようだ。
「かーっ、壁付きやぶっちぎっちまって、そのまま犯人に直撃だろ!」
バニーちゃんめ、何企んでやがる、と地団駄を踏みたい気分になる。
手勢は揃っているのだ。突破さえ出来れば問題はないだろう。
なのに、ヒーロー達は周囲を警戒し、下手な威嚇を行わないように注意深い行動を取っている。
本来ならば、これは警察の範疇の事件だろう。
力任せのヒーロー向きの事件ではない。だが招集されたとなると、なんらかの事情はあるはずで……
「犯人がまた爆弾犯だったりして」
まさかね、なんて笑った瞬間、爆音がテレビから響いてきた。
「おいおい……嘘だろ」
虎徹は身を起こす。胸の中心付近に痛みが走ったが、我慢出来ない程度のものではない。麻酔が効いてくれているお陰だ。
「じっとしてられますか、ってーの」
点滴の針を引き抜いた。中央センターなら、目と鼻の先だ。
パジャマのままでは見咎められるので、簡単に着替えるとそのままこっそり病室を抜け出した。
幸いにも誰にも見つかる事はなかった。
銀行から外へ向けて投げられた爆弾のせいで、センター前広場はパニックに陥っていた。
人混みをすり抜ける度に、胸が痛んでしょうがない。だが、人波には逆らって虎徹は進んでいた。やがて、銀行の建物が見える。ヒーローたちが立ち往生している姿もだ。
「ったく、なにやってやがんだ、あいつら」
ここまで人気がなくなれば、派手に動いても大丈夫だろう。
意識を集中させる。能力の使える時間はたった五分。されど五分。五分もあるのだ。
やれる事など山のようにある。
「おらおらおら!」
走り込んで行けば、驚いたようなヒーロー達が振り返った。
「スカイハイ! 俺持って飛べ!」
「お前、大丈夫なのか?!」
『おおっと、一般市民の参入です――あれは、ネクストでしょうか。能力を持っているようです』
「おい、プロデューサーが怒鳴り散らしてるぞ」
言う通りに動いたスカイハイは、虎徹を持って、上空へ飛翔する。耳元で小さな声でささやかれるが、「気にすんな」としか返さない。
そして、
「よっし、ここで落とせ!」
「おい、お前怪我してたんじゃ…」
「怪我ごときでヒーローは休めませんってね」
まだ一分経過していない。時間は余裕だ。
「突破口を作る、すぐに突入してくれ」
「おい、また無茶苦茶な事を……」
「じゃあな〜」
とん、とスカイハイの胸を叩くと彼の腕はほどけ、淡い青の光に包まれた虎徹の体は真っ逆さまに落ちた。
くるんと宙返りして体勢を整える。この様子、放映してないだろうな……? と、不意打ちを狙った作戦に、懸念が過ぎる。でもまあその場合でも誰かがどうにかするだろうと仲間を信じる事にした。
すたん、と銀行の屋上へ飛び降りる。そして、全力の力を持って、天井を破った。
「後は任せたぜ、バニーちゃん」
後で盛大に叱られるんだろうなぁと、破壊の跡を目にしながら、天井で虎徹は身を潜めた。TVに映らないためにだ。
「いててててててっ、いてぇえええっ」
破った天井から、スカイハイが飛び込んだ。そしてその隙を突いてバーナビーが正面突破を計り、物事は解決した。
一件落着と言う訳だ。
だがその代償はかなり大きかった。虎徹の怪我の悪化だ。
当然だった。全治二ヶ月を言い渡された直後にあの無茶だ。悪化しない筈がない。
骨折場所はそのままに、新たに着地時の足からの負荷で肋骨がもう一本折れた。そして胸骨の骨折は更にひどくなっている。
「まったく、なにやってるんですかあなたは! 病院で安静にしてなさいって言ったでしょう!」
「ひゃあい」
バーナビーのサイドカーに乗せられて病院へ逆送された虎徹は、案の定バーナビーから叱られていた。
「それに、ヒーロースーツもなしで何やってるんですか。顔がばれたらどうするんです! あなたの信条に悖るんじゃないですか?」
「お前等が頼りないからよぉ…」
「頼りない? 何が? 作戦を練ってる最中に飛び出して来て、無茶苦茶にしたのはあなたですよ!」
「だぁって、作戦練ってるようには見えなかったんだもーん」
ぷぃ、とふてくされてバーナビーを視界から消した。
その方向へ回り込んでまで、彼は自分を見る。
「………もう、あんまり心配掛けないでください」
殊勝な声に、驚いた。
「へ?」
視線を上げれば、彼は自分を見ていない。床をじっと見ている。
「無茶をするのは勝手ですが、それを見てる人の気にもなってくださいって事です」
小さくため息を落とし、彼は視線を上げる。自分の視線と絡まって、妙な気配になった。
「心配、ありがとさん」
思わずなにかを言った方が良い気がして、棒読みに近い状態でそう告げた。
「そう思うなら、無茶しないでください。全治は三ヶ月に延びました。全治分、絶対安静で部屋にこもってもらいますからね!」
そう強く言うと、バーナビーは立ち上がる。
「お、おい。そりゃ殺生だぜバニーちゃん」
「自業自得です。それじゃあ」
くるっと踵を返して、扉へ向かっていく。
そして一度も振り向く事なく、彼は出て行ってしまった。
「あれ、俺って心配されてたの?」
もう勝手にしろ、自分は自分で勝手にするから、相棒だなんて思わないから、などとキツイ台詞を何度も告げられていたのに、あれはなんだったんだろう?
「バニーちゃん、照れ屋さんなんだなあ……」
ふふん、と笑ってベッドに体重を預けた。
その瞬間、胸に痛みが走る。
「いてぇ!」
全治三ヶ月は伊達ではなさそうだった。