目が覚めたら見慣れない景色で、少しばかり動揺した。
それと、壮絶な頭痛。
ああ、飲み過ぎたと気付いたのは、そこが虎徹の部屋だと気付いた瞬間だ。
バーナビーは痛む頭を押さえながら、体を起こす。床に直接寝ていた。周囲にはビールの缶とワインや焼酎のボトルが散乱していて、その最中に虎徹もまた眠っている。
いくら明日が休日だと言っても、羽目を外しすぎた。
ヒーロー業は厳密には年中無休なのに、二日酔いで仕事をこなすなんてのはあり得ない。
「水……」
立ち上がり、勝手知ったるでキッチンの冷蔵庫を開ける。中に入っていた筈のビールは見事に姿を消していた。全部飲んでしまったのだろう。ミネラルウォーターのキャップを捻り、そのまま直接口を付けてごくごくと飲み干す。
頭痛薬でも置いていないだろうか。それか、二日酔いの薬。
幸いにもまだ時刻は深夜のようだ。明日に引きずる事はないだろうと思われる。
果たして、自分がこの状態なのに自分より早いペースで飲んでいた虎徹は大丈夫だろうか?
飲み慣れている人だから大丈夫かもしれない。
冷たい水がそのまま胃に届くのを感じて、すこしばかりすっとする。頭痛までも和らいだ気がした。
そのまま、頭を抱えながら部屋に戻る。
「おじさん、二日酔いの薬」
「ああ?」
完全に寝込んでいるとばかり思っていたのに、軽く揺さぶっただけで虎徹は起きた。
「ああ……その棚の、上」
指差したのは、家族写真の並んだ棚の端だ。
歩みよれば、確かに「二日酔い・吐き気・頭痛に」と書かれたパッケージがあった。
それを指定数取り出し、再びキッチンに戻って出したままだったミネラルウォーターで飲み下す。
劇的に効く訳ではない。
まだ眠っていた方がいいだろうと思って、勝手に虎徹のベッドを借りる事にした。
彼の香水の匂いがわずかに残っている。それが、バーナビーは好きだ。
彼に包まれて眠っているような気がするからだ。
いっそ本人を引っ張り起こして一緒に寝ようかと思ったが、まだ酷い頭痛のせいか、起き上がるのはおっくうだった。
でも、独り寝が少し寂しくもある。酒の余韻のせいだろう、人肌が恋しい。
しばらく逡巡した後、結局バーナビーは虎徹を起こしに掛かった。
「おじさん、起きて」
「ああ…?」
「ベッド行きましょう?」
「そりゃあお誘いか?」
彼の目は閉じたままだ。単なる戯れ言のようなものだろう。
「それでもいいですけど」
「え、マジで?」
途端、彼の目が開いた。
自分をまっすぐに見て来る。
「ええ……別に、構いませんが」
「へえ。珍しい事もあったもんだ。バニーちゃんからのお誘いなんて」
彼に二日酔いの症状は全くないようだった。酒の余韻はあるものの、しゃっきりと起きている。
「別に、誘ってる訳じゃ……」
「でも、それでもいいっつったじゃないか」
「まあ、そうですけど。こんなところで寝てたら腰を痛めると思って気を遣ってあげただけですよ、おじさん」
おじさん、にアクセントを置いて言ってやっても、彼は全く堪えない。
にやけた顔のまま、ぼすんとベッドに飛び込んだ。
そのまま、おいでおいでと手招きされる。
少々癪ではあったが、その手招き通りに自分もベッドへ向かった。
そして、彼にのしかかるようにする。
「何ふてた顔してんだよ。ほら、笑えよ」
ぺしぺしと頬を叩かれる。
「おじさんがちゅーしてあげるから」
「おじさんがちゅーなんて言葉使わないでください」
クレームを告げたのに、彼は笑ったまま自分の頭を引き寄せて、本当にキスを施して来た。
重ねられた唇の奥にまで、舌を潜りこまされる。
そのまま自分も彼の頭を抱き込むようにして、深いキスに吐息を落とした。
彼とこういう関係を持ちだして、もうしばらくになる。最初のきっかけなんて、ただの酒の勢いだった――筈だ。少なくとも自分に取っては。
だが、回数を重ねるごとに確実に自分の中に育っていくものがあった。
彼を独占したいという気持ちだ。
過去も現在も未来も、自分のものだけにしたい。
だがそんな訳にはいかない。彼にはかつて、妻がいた。その存在がまだ胸の奥に潜んでいるのを知っている。それに嫉妬している自分は少しおかしいのだろう。最初から分かっていたことなのだから。
この部屋に最初通された時から、彼の家族写真は堂々と飾られていたし、関係を持ったとしても指輪は外される事がない。
自分は遊ばれているのかもしれないと思う事も多々あった。
ていの良い性の吐き出し口。
同性だから、やっかいな事にもならない。
その証拠に、家族写真はそのままだし、指輪は外されない。娘の話も普通にされる。
傷ついていないと思っているのだろうか?
少なくとも自分は、そのたびに、心のどこかが擦り傷を負った気になっている。
「……んっ」
口付けを解かれ、衣服を脱ぎ捨てた。
彼も同時に、ネクタイを抜き、シャツを脱ぎ始める。
狭いシングルベッドの上だ。お互いがもぞもぞ動いていると、落ちかねない。
それを気にしながら、お互いに全裸になった。脱いだ物も布団も、きっと酒瓶の上に落ちてしまった。
口付けを肌に直接落とされる。強く吸い付かれ、そこがキスマークになる。彼は好んで同じ場所にそれを施していた。もしかして過去もそうだったのだろうか?
過ぎるそれが心を傷つけるので、極力見ないようにする。
そのまま肌の上を唇が動いて行き、動けない状態に焦れてか、体勢を逆転された。
彼がのしかかってくる。
そのまま唇が好きに肌の上を踊った。
何故か鼻の奥がつんとした。いつもと同じセックスなのに、全く感じない。
彼の唇は他の誰かのものだ。
「――おい、バニー。何泣いてんだ?」
「別に……」
「別にって顔じゃねえだろ。どうした? おじさん、下手過ぎた?」
「違いますよ」
思わず笑った。泣き笑いだ。
ぽろりぽろりと涙が落ちていくのは格好悪いのに、止める事が出来ない。
「ほらほら、もったいない。せっかくの可愛い顔がくしゃくしゃだぜ」
と、彼は伸び上がって舌で涙を掬い取った。
「どうしちまったんだ、いったい」
「なんでも、ないんです」
「だから、なんでもないって感じじゃねえだろ。素直に白状しろ」
「………」
「だんまりかよ」
「ええ」
そしてそのまま、虎徹にバーナビーは抱きついた。
高い温度が気持ちいい。
だけど、この人の全ては自分のものにならない。
「嫌いですよ、あなたの事なんて」
「酷いな」
「だって」
「だって?」
「あなたは、僕のものになってくれない」
「――なってるだろう、十分」
「なってませんよ」
そして、ぽろぽろと流れる涙をそのままに彼の肩に顔を埋めた。
背中を優しく撫でられる事が、辛かった。
この人の事をこんなに好きな自分の事が、嫌だった。