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Mother Goose こもりうた


 久しぶりの休日を虎徹は謳歌していた。
 ここ最近の休日はと言えば狙いすましたかのように事件が立て続けに起き、平日よりも忙しかったくらいなのだ。正社員なのだから代休くらいくれても良さそうなものなのに、うちの会社は人使いが荒い。
 しばらく放置されていて荒れていた部屋を片付け、空いたビールの缶を袋に詰め込み、洗濯をしてほっと息をついた時だった。
 そうだ、楓に会いに行こう、と思った。
 娘にもしばらく会っていない。あの年頃の女の子はどんどん成長していってしまうから、見違えるような美人になっているかもしれないとうきうきし始めた。
 そうなると、早速外出準備だ。パパはいつでも格好良くありたい。
 朝、起きたままだった顔を洗ってヒゲを整え、髪を整える。
 どうせ帽子でくしゃくしゃになってしまうのだが、それはまた別の話だ。
 ちょうど、準備が整った。そんな時だ、玄関のベルが鳴ったのは。
「おいおい……今日は休日だぜ? 勧誘じゃねえだろうな」
 さて、出かけるかとベストを羽織ったところだ。
 出鼻をくじかれた気分でいっぱいになりながら、玄関へ向かった。
「はい、どちらさん?」
「すいません……」
 扉を開けば、そこに立っていたのは憔悴した様子のバーナビーだった。



「おい、どうしたんだよそんなに疲れた顔して」
 取りあえず家の中に招き入れた虎徹は、コーヒーを入れる。
 ソファに座った彼の前に、マグカップを置いてやる。
 うなだれたように座っていたバーナビーはようやく顔を上げて、カップに手を伸ばした。
「ありがとうございます」
 きちんと告げ、彼は口を付ける。
「眠れてないんです」
「え?」
 それだけ? と思って虎徹は驚いた。彼がここに来た事があるのは一度だけだ。それも送り届けてもらった短い時間のみ。なのに、どうしたことだろう。
 彼はそう簡単に弱味を見せない性格だ。それくらいは知っている。
「ここ、数日」
 バーナビーは、記憶を取り戻した事を告げていない。
「酒を飲んでも、何をしても眠れない。じっとしていられないんだ」
「何があった」
「………」
「何もない、は通用しないぜ。お前さんが俺を頼るなんてよっぽどなんだから」
「………何も、」
「だからそれは通用しないって」
「それじゃあ、黙秘します」
 そう言い切り、彼はマグの中のコーヒーで喉を鳴らした。
 もう冷め始めているそれは、ちょうど飲みやすい。
 嘆息し、斜め向かいになるソファに座った虎徹はバーナビーを見ながら自分もマグを取った。
 今日の外出は中止だ。
 楓よりも手の掛かる子供が、ここにいる。
「それじゃあ、聞かねえよ」
「追い出しますか?」
「いや。適当にいてろ。俺も好きにする。せっかくの休みなんだ」
「そうでしたね」
 彼にはそれも分かっていないようだった。今日が出社の日だったとしたら、もしかしたら以前のように顔を出していなかったかもしれなかった。
 迂闊に口を開くのは危険だ。だが、きっとウロボロス――彼の過去が関係しているのではないかと思わされた。彼が感情的になったり、自暴自棄になる理由はそれだけだ。
「ありがとうございます」
 再び、彼は告げた。
 彼のマグはからっぽになっていた。
 そして、ソファの背もたれに体重を掛けて天井を見上げる。
「すいません、出かけるところじゃなかったんですか?」
「いや、別に……」
「休みの日にそこまできっちりしてるとは、意外ですね」
 と笑われる。確かにいつもとは違う服を着て、きちんと顔も衣服も整えてある。
「俺の事、どう思ってんだよ」
「どうせパジャマかジャージで一日過ごすものだとばかり」
 正解だ。だがそれに頷くのは癪だった。
「そんな事あるか」
「そうですか? でもそれ、どう見ても余所行きですよ。ああ……娘さんの所へ行くつもりでしたか?」
「いや、そういう……訳じゃ……」
「正解、ですか。それじゃあ僕は帰ります。すいません」
「いやっ、お前はここにいろ。俺はもう今日の予定を変更した。それに楓の所へ行ってもあいつは今日、スケートの練習日だからな」
 それは不明だ。でもうっかりしていたのも確かだ。
 娘はスケートに随分力を入れているようだった。休日など、良い練習日に違いない。
 第一、この大きな子供を放っておく気になどもうなれなかった。
「ほら、コーヒーがいいか? それともビールにするか?」
「それじゃあ、ビールで」
「まだ午前中だぞ? 自堕落でいいな」
 ははっと笑い、キッチンへ向かう。自分も飲む事にして二本持ち出した。
 どうせすぐに空になってしまうだろう。
「ほい」
 と、投げて寄こすと嫌な顔をされる。
「なんだよ」
「泡立つでしょう?」
「なんだ、そんなのが気になるのか? そんじゃあこっちと変えてやるよ」
「いえ、いいです」
 と、バーナビーはプルトップを引っ張る。心配しなくとも泡は溢れてこなかった。
「ほら、大丈夫じゃねえか」
「たまたまですよ、たまたま」
「可愛くねえなー、お前」
「可愛くなくて結構です」
「そういう所は可愛いよな」
「なっ」
 プシュ、と音を立てて自分の缶も開ける。コーヒーは残っていたけれど、当然こちらの方が魅力的に違いなかった。
 そのまま口を付け、口の中で弾ける泡を味わいながら飲み下す。
 しゅわしゅわと口の中が至福の状態だった。
 彼は自分を見たまま、まだ飲もうとはしていない。
「な、なんだよ……」
「おじさんが妙な事を言うからです」
「なにが?」
「僕に、可愛げなんか」
「まあたまにはあるんじゃねえの? まだ二十四のガキんちょなんだから」
「ガキとか……ああ、おじさんにとってはそうなりますよね」
 ちょこっとだけ、やはり可愛くはなかった。
 しかしそのままビールに口を付けることもせず、再びうなだれた彼の姿を見ているとどうにも父性が刺激される。かわいげのない後輩で相棒だ。それは分かっている。
 だが、四歳の時に両親を失って今まで気を張り詰めてきた、可愛そうな子供だった。
 そう思えば、なにもかもを許す気になってしまう。
 手を伸ばして、頭をぽんぽんと軽く叩いてやった。
「あんまり背負い込むな」
 彼はうなだれたまま、びくりとしていた。
「おじさんは、若いやつがそうやって無理してる姿見てるのは、結構辛いんだよ」
 そのまま肩を抱き寄せた。何か言うかと思ったが、そんな事はなかった。ただ、缶をテーブルの上に置いてそのまま素直に体重を預けて来た。
 それには少しだけ、驚いた。
 余程弱っているのだろう。
 眠れないとしたらいつからだ? あの騒ぎの日からだろうか、もしかして。
 元々尖った空気を持つ人間だったが、あの日以降、更に鋭い気配を発していたのだ。
 端末から情報を探る手の動きも速くなっていた。帰ってからもそれを繰り返していたのだろうか。
 そう言えば半休を取った日もあった。あれは何をしていたのだろう。
 彼は、何に気がついたのだろう? ――まさか、と思う。
「お前……犯人の顔、思い出したか?」
 びくり、と再び彼の体が震えた。
「そうか」
 ぐっと肩を抱く力を強めてやる。
 そのまま抱きしめてやりたかった。
「ひとりで抱えるな。そりゃ俺は頼りないかもしれないが、これでも相棒だ。頼れ」
「………個人的な事情です」
「いや。俺の仕事だ」
「仕事?」
「市民を助けるのが、俺の仕事。今のお前は一般市民だよ、ヒーローじゃない」
「……仕事、ですか」
「ああ」
「なんだ、そうか」
 そう言って、彼はゆっくりと預けていた体重を元に戻してビールの缶を手に取った。
 そしてそのまま、一気に飲み干そうとする。無茶な飲み方に、思わず手を差し伸べた。
「いいんです、構いませんから。どうせこの程度で酔えはしないんです」
「何がお前を失望させた?」
 離れていった体温が妙に寂しい。彼は、気を取り直した。いや、またバリアを張り巡らせた。
 人に立ち入られないようにする、大人の仮面だ。
 それが気にくわなくて、ビールの缶を奪い取った。
「なんですか」
「お前を失望させたくはない」
「どうして? お仕事なんでしょう?」
 ああ、そうか――と分かりやすく提示されて、息が詰まった。
 彼はそんなのが欲しかった訳ではないのだ。自分だって与えたかったのはそんなものじゃなかった。言葉のセレクトを、誤ってしまった。
 取り返しはつくだろうか?
「お仕事だよ。ただし、今日は休日だ。わざわざ呼び出されもしないのに、仕事なんかしねえよ」
「――どういう意味ですか」
「要するに、今のお前は放っておけないって事だ」
 そして再び肩を抱き寄せた。いや、頭を抱きかかえる。
「ちょっ、なんですか、おじさん」
「素直に甘えてみろ。そして辛いって言え」
「なんのために!」
「お前の顔見たら、一目でわかんだよ、仕方ねえだろ。ぎりっぎりのとこで立ちやがって。そんなんじゃあお前、いつか崖っぷちから落ちちまう」
「そんなのあなたには関係ないでしょう」
「関係あるよ!」
「相棒だからですか?」
「違う」
 言い切って、思わず奥歯を噛んだ。
「お前を見捨てるなんて事、もう出来ないんだよ」
 そして衝動のまま、バーナビーへと口付けた。
 そうしてようやく自分の気持ちに気が付く。
 驚いているのだろう、彼は抵抗らしき抵抗をしなかった。そのまま唇は合わさったままだ。
 まるで子供のキスだ。勢いよくぶつかっただけ。
 それ以上先に進みたくもあるのに、今は進めない。
「………見捨てられない。お前が大事だよ、バニー」
「………口説いているんですか、それとも嫌がらせですか」
「口説いてんだよ」
「分かりにくいですね」
「はぁ? これ以上分かりやすい方法なんてねえだろ」
「――あなたが」
 奪われたビールの缶を取り戻し、バーナビーは一気に飲み干す。
「あなたが、僕に関心なんて持つはずないじゃないですか。こんな生意気な後輩を」
「それが持っちまったんだからしょうがねえだろ」
 そして虎徹も自分の缶を空っぽにした。
 こんなんじゃあ全然足りない。もっと酔わなければいけない。
 でも――酔えば、きっと彼は逃げる。
「取りあえず、寝ろ。俺が添い寝してやるから」
「いやですよ」
「いやでもしてやる」
「なんのために」
「おれがしたいからだ!」
 そして、手を引いて自分のベッドの上に投げ出した。
 靴を脱がせ、上着を脱がせる。
「ちょ……おじさん……っ」
「心配すんな、何もしねえよ、まだ」
「……まだ?」
「ああ。今日は取りあえず寝ろ。それまで俺が傍にいてやる」
 人の体温が傍にあるだけで、全く違うだろう。
 緊張に満ちた心が少しでも安らげばいい。
 そう思い、毛布を掛けてやったバーナビーの隣に潜り込み、虎徹は彼を思い切り抱きしめてやった。
2011.6.1.
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