朝一番、アラートの音で目が覚めるのは大変心臓に悪い。
しかも、人に言えない関係の者と共にベッドに共にしているなら、尚更だ。
「おじさん、あっち行ってください」
「おお」
同じ部屋でまさか出る訳には行かない。
まだ体の自由の効く自分の方があわててロフトを降り、バンドのコールをストップさせた。
『遅いわよ、タイガー。強盗事件発生、犯人は逃走中。至急バーナビーと合流して現地へ直行して』
「おいおい、こんな時間にかよ」
『それは犯人に言ってちょうだい。じゃあ』
と、アニエスの冷静な声が終わると、通話は切れた。
ベッドルームを伺うと、話し声らしきものはない。
「おい、聞いたか?」
「ええ……まったく、こんな早朝に」
時計を見れば、まだ午前六時にもなっていない。舌打ちをしたい気持ちでいっぱいだった。
急ぎ向かえと言われても自分はともかく抱き合ったまま眠ってしまったバーナビーは支度に時間がかかる。それに昨晩はそれなりに無理をした自負もあった。
「おい、バニー。大丈夫か? もし無理そうなら……」
「だれにものを言ってるんですか、おじさん」
ゆっくりと、彼がロフトから降りてくる。身ひとつの姿でだ。手には昨日着ていた衣服が抱えられていた。
「先、いいですか?」
「ああ、どうぞ」
そう言って、バーナビーはシャワールームへ消えて行った。少し歩き方がぎこちない。ほんの二時間程前までやってたのだからしょうがない。タイミングが悪い、と虎徹はため息をついて、頭を掻いた。
自分も出る準備を始めた方が良いだろう。全裸に包帯だけの姿なんてみっともないだけだ。しかしそれにも、シャワーを浴びる必要がある。
せめて包帯を外しておこうと、しゅるしゅるとそれをほどき始める。
傷は、ほぼ治りかけていた。痛みも少ない。だが、傷跡だけは盛大にある。これを見るとバーナビーは酷く気落ちした顔をするので、だから包帯はまだほどけずにいるのだ。傷跡が完治なんて事はあり得ないのだから、どこかで踏ん切りを付けてきちんと向き合わないといけないのは分かっているのだけれども、まだ虎徹にはその自信がない。
包帯をほどき終わると、やっぱりべこりと肉がえぐれたような火傷の跡が残っていた。ちょうどそこへ、バーナビーがシャワーを浴び終えて、出てくる。
眼鏡をかけていないのが幸いした。こちらを見ても肌色の塊としか映らないだろう。
「次、入らせてもらうぜ」
「ええ……」
だのに、彼の声は少し沈んだ。昨日の甘い声とも、平常の少し冷たさを含んだ声とも違う、揺らいだ声だ。それには気付かない振りをした方が良いと分かっている。自分がとやかく告げても、もう彼には届かないのだ。彼の中で処理すべき問題にすり替わってしまっている。
だから何も言わず、そのまま肩をぽん、と叩いて傍らを通り抜けると自分もシャワールームへと向かった。
「おじさん」
その瞬間に、名を呼ばれる。
「ひとりで、大丈夫ですか……?」
「あ? 何言ってんだ、昨日だってひとりで入ってただろ」
「ああ……そうでしたね」
苦笑。そして、少しの安堵の色。
ああ、こんな顔をさせるくらいならあのとき、あんな助け方をしなければよかった。とっさに飛び出す事しか考えられなかったのだが、もし余裕があればバーナビーを連れ去るという方法もあったのだ。そうすれば互いにこんな想いをせずにすんだ。
そのかわり、この関係もなかったかもしれないけれど。
「いや、でもな………」
彼の痛々しい表情を見るとそう思うのだけれども、この関係も手放したくなかった。二番目なんて作るつもりはなかった。失った妻と、残された子供。それだけで虎徹は十分に生きて行けると思ったし、そうしていくつもりでもあった。
なのに、彼がするりと心の隙間に入り込んで来てしまったのだ。
抱き合うようになって、既に一ヶ月近く経とうとしている。最初は、酒の勢いに似たものだったように思える。だがそのとき既にバーナビーは本気だったと、今では思う。
シャワーを浴びながら、火傷の場所に安易に湯を掛けないよう気を付けながらソープを泡立てる。
最初から、バーナビーは覚悟を決めていた。
彼を庇った数日後だった。突然にキスされた。そして、イヤならはねのけてくださいと酒を散々に飲んだ後でそう告げたのだ。
それを覚えているくらいだから、自分だってそう酔っていなかったのかもしれない。
そして自分は彼をはねのけなかった。
施される口づけを甘く受け止め、衣服を脱がされる事も、虎徹自身に指を絡められる事も抵抗しなかった。どころか、途中から自分から動き始めたくらいだ。じれったいバーナビーの愛撫に焦れ、自分から手を出してしまった。彼の衣服をはぎ、あちこちを甘噛みし、舐め、そして甘い声を上げさせながら後背へと指を伸ばした。
男同士のセックスなんて経験はなかったけれども、知識くらいは持ち合わせていた。とうていすんなり、とは言えないだろがそれでも彼と繋がる事は出来、お互いに気持ちよくなれたのだ。
そこから、この関係はスタートした。多い時には週五日程度、少なくとも三日、どちらかの家にどちらかが訪れている。
そして、熱を交換する。
この行為は正しかったのかどうかは分からない。二番目なんて作るつもりがなかったのに、出来てしまったことに時折戸惑いも生まれる。
だが、彼の事は大切だった。
そう、例えば背中を預けても大丈夫なくらいに信頼しているし、失われるのが怖いくらいには愛しているのだ。
ざっとシャワーを流し終えると、そのまま水気を拭ってリビングに出る。こればかりは仕方ない、バーナビーに包帯を巻き直してもらわなくてはならないからだ。
もうしなくても良い気はするのだが、彼はまだダメだと言う。
彼が言うのなら、と虎徹も素直に受け入れていた。彼の気が済むまでこれはさせてあげようともう決めたからだ。
「だいぶ……治ってきましたね」
「ああ、もう痛みもほとんどねぇよ」
「そうですか」
声に、ほっとしたニュアンスを感じて、自分までほっとする。
傷口に薬を塗布し、ガーゼを乗せると軽くテープで止め、後は長い包帯でぐるぐると巻かれた。
「急がないとヤバくないか?」
「まあ、確かに」
アニエスからのコールが入って、約三十分。あんな時間だから直行出来るとは思っていないだろうけれども、それにしてもそろそろ催促のコールが入りそうだ??と、思った瞬間に互いの手首がコール音を響かせた。
「はい」
反射的にバンドを押し、応対する。
「ちょ、おじさん……っ!」
「あ」
『何をしてるの、あなた達。もう合流してるなら早く来て。こちらはまだ人手不足なの。早く、ね!』
ぷつん、と通話が切れた。
背景が虎徹の部屋だった事、そして虎徹が半裸だったことにはお咎めなしだった。彼女も急いでいて、そこまで気が回らなかったのかもしれない。
「うっかりすぎますよ、僕がもし服を着てなかったらどうするつもりだったんですか」
「いや、ついついいつもの癖で……な?」
「な? じゃあありません!」
きゅっ、と包帯の最後をきつめに巻かれる。そこをテーピングで止めると、バーナビーは盛大にため息を吐いた。
「今日の事、何か聞かれても僕は何も答えませんからね」
「おい、そりゃあ余計にややこしくならねぇか?」
「さあ、それを上手くごまかすのがおじさんの手腕だと思いますが」
「そんなの、得意じゃないって知ってるくせに」
シャツに手を通しながら、彼のつんとした声に答える。
それは少しばかり楽しい事でもあった。
「知りませんよ」
「ちょっとくらい助けてくれてもいいじゃねぇか、バニー」
「だから、イヤです」
「さっきまであんあん俺の下で鳴いてたせいですって素直に告白してもいいか?」
「おじさん!」
がばっと振り返ったバーナビーの顔は、見てる間に赤く染まって行った。
「言ったら、コンビ解消ですからね」
「そうなの? あれ?」
「なに……」
「『イヤになったら、離れてくれてもいいです』って言って抱かれたの、バニーちゃんの方だよな」
「………………っ!」
頬の紅潮が更に増して行く。
あ、と思った。やはり彼もあのとき、然程酔ってはいなかったのだ。
「知りません、そんなこと!」
そして、先に出て行こうとする。虎徹はタイを締め終わった所だった。おいかけ、帽子を手にして彼のとなりにならぶ。
「まあ、そう言うなよ。どうせアニエスには『迎えに来てもらったとこです』とでも言や不審がらねぇよ」
「……………」
「あれ? まだ怒ってる?」
「怒ってなんかいません」
「じゃあ、どうした」
だんまりで手を握りしめているバーナビーは、唇をきゅっと引き締めたようにして立ちすくんでいる。
「僕と、おじさんじゃあ??そんなこと、想像する人もいませんよね」
「あ?」
「いいえ、いいです。行きましょう」
「おい、バニー」
拗ねたような物言いが気になった。
だが、伸ばした手が彼の手を掴んだ瞬間に、三度目のコール音が鳴る。
『何やってるの、タイガー! 遅いわよ!』
「うるせぇ、こっちも今大事なんだよ!」
そう言って、切ってやった。
そして掴んだ手を引き寄せてバーナビーを抱きしめる。
「ヒーロー、失格ですよ」
「いいや、失格なんかじゃねぇよ。この程度」
そして、彼の唇を舐める。
「おはよう、愛してるよ、バーナビー」
途端、ぽっと火がついたように彼の顔が赤くなった。
「ほら、行くぜ」
「……………………………………はい」
彼の声は、とてもとても小さかったけれども、こちらの胸があったかくなるような声だった。
もっと早くにそう告げてあげればよかった。こだわり続けた自分が馬鹿だったと、虎徹は思った。