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Palm of your hand あなたの手のひらの上


 気がつけば日がもう暮れていた。
 こんな時間まで職場にいることは、ほぼない。蛍光灯の明かりに照らされただけの職場は妙に白々としていて、視力の良くない自分としては少し疲れる。
 報告書を一通書き上げるのに、ここまで時間が過ぎてしまったのは、偏に事件の起きた時間が微妙だったからに過ぎない。帰投したのは定時ほぼ三十分前。そのまま帰る訳にはいかなくて、かと言って急ぎする仕事もなかったバーナビーは、取りあえずいつでも構わない報告書に手を付けてしまったのだ。
 詳細に書いてしまうのは、もはや癖のようなものだ。
 だから一通の報告書は、それなりの時間が掛かる。
 日ごろ仕事を溜めない主義のおかげで、お隣の席に座る誰かさんとは違って書類仕事に追われる事はないけれども、それにしても残業なんてものをするのは初めてに近かった。
 いつもは定時退社を当たり前にしている虎徹も、何故か今日は席に座り同じようにPCに向いている。自分が残っているからだといいなと思ってしまったのは、急ぎ心の中でなかった事にした。
 彼とは、いわゆるお付き合い、と言うものをしている関係だ。
 自分が迫った。いつの間にか心の一部を独占してしまっていた彼に対し、甘えが出てしまったのだ。その事自体が自分に取ってはあり得ない事だった。
 甘えるなどと言う事は、四歳の時に終わった。
 そんな方法忘れていたのに、彼は巧みに自分を引き込み、そしてその方法を思い出させてしまったのだ。
 だからこそ彼は自分の中に居座ってしまったのだろう。欠ければ崩れる。そんなもの欲しくなかったのに、心の一部を巣食ってしまっていた。今更取り返しが付かなくて、一言好きだと溢れ出してしまった。
 大いに彼は、困惑したようだった。
 それは当たり前の事だろう。今まで生意気な口しかきいて来なかった自負はある。それに、同性の後輩から告白されても躊躇うのが当然だ。彼の薬指には明らかな婚姻の印がある。その相手がもう失われてしまっている事は知っているけれども、外そうとしないと言う事実が、彼の中にまだその存在が失われていないと言う事に他ならない。
 それでも欲してしまった。
 慌ててなかった事にしてくださいと告げ、その場は立ち去ったものの、それから一週間もしないうちに虎徹はひどく真面目な顔をして、自分を呼び止めたのだ。
 彼からあんな真摯な顔を向けられたのは、先にも後にもあの時だけだったと思う。
 そして、口付けを交わした。それがスタートだった。



 その相手は、どうやら始末書の束に追われて頭をペンの先で掻いている。
 その様子はいつも通りの姿であり、少しばかりの笑いを誘う。
 報告書ならともかく、始末書の手伝いはしてあげる事が出来ない。尤も、最初から彼の仕事に手出しをしようとは思っていなかったけれども。
「珍しいですね、残業はしない主義じゃないんですか?」
 一段落ついて、息をつく。
 そして揶揄ったように彼へと告げた。
 どれだけ始末書が残っていようと定時に帰る彼は、常にそう言い張っていたからだ。
「――……たまにはしておかないと、後で困んだろ?」
「その気持ちをいつも持ってれば、そんな有様にはなってないと思いますが」
「煩ぇなあ」
 と言いつつも、語調は柔らかい。
 もしかして、と期待してしまうのも仕方がない。
 彼はもしかしたら、自分が残っているから居るのではないかと邪推してしまう。
 向かいの席に座る女史はとっくに帰っていた。この部屋にいるのは自分と虎徹、二人だけだ。
「何かお手伝いしましょうか?」
 少し笑いの気配を滲ませて告げれば、胡散臭そうな顔で見上げられた。
「なに? お前もう終わったの?」
「ええ」
「――ちぇっ、そんなもんかー。もう少し片付くと思ったのになあ」
 その物言いに、自分の邪推が邪推ではなかった事を知る。
 素直に喜びが胸に浮き上がって来た。
 虎徹は早くもPCに開いた書類画面を閉じ、シャットダウンを始めている。
 自分のPCはまだ煌々と付いたままだ。プリントアウトした報告書はまだネットワーク接続されたプリンタの吐き出し口に残されたままだろう。
「まだ早いですよ、僕の仕事は完全には終わってません」
「あれ? そうなの?」
「まだ書類をファイリングして、提出しないと」
「そんなもん明日でもいいじゃねぇか」
「いいえ、ここまでやったものを後回しにしたら、気持ち悪いです」
「潔癖症だなあ、お前」
 呆れたように言われるが、呆れるのはむしろこちらだ。そんなペースで行っているのだから、彼の仕事はいつまでも片付かないのだろう。
「潔癖症じゃないですよ。こういう仕方でもしないと終わらないだけです、誰かさんみたいにね」
「あ、それ俺の事だろ、お前ね!」
「さあ、別に誰か、とまでは言っていませんよ」
 あーこいつむかつく、などとぶつぶつ言っているのは聞き流した。そのままプリンタの元へ行き、印刷されたペーパーを持ちデスクに戻る。一部は自分のファイルに綴じ、後二部を女史のデスクの上に置いた。これで仕事は完了だ。幸いにもバンドが鳴る気配もない。
「終わりました」
「そ。んじゃあ帰ろうぜ」
 やはり、待っていてくれたのだと心が躍る。
 少しだけ、笑みが浮かんだ。
 そして彼へ歩み寄ると、そのまま唇を合わせた。
「――おい、煽ってくれるな」
 低い声で彼が告げる。
 にやり、と悪い顔で笑う。
「煽ってなんかいませんよ、勝手に煽られないでください」
 多分自分も似たような顔で笑っていただろう。
「ここで犯すぞ、こら」
「やれるもんならやっ――っんっ」
 ぐい、と襟元を掴まれて、深く唇を合わせられた。さっきの口付けなど児戯に近いような本格的なキスだ。
 唇を割られ、舌が侵入してくる。好きに暴れ回るそれに、自分は息もおぼつかない。されてばかりな事に気付き舌を絡め返したり、舐めたりしていると、今度は逆に彼の口腔へと招かれた。招待されるがままに、バーナビーの舌は彼の口腔へと潜り込む。手厚い歓迎を受ける。甘噛みされ、舌を絡められ、そしてまた甘噛みされる。
 息苦しくて、思わず彼の胸元を叩く。
 すると、ようやく、解放された。
 透明な唾液が糸を引く。そのままにしておいて良い筈がないのに、拭うことも出来ず息をただ繰り返すのでバーナビーは精一杯だった。
「これで根を上げるつもり?」
「――まさか」
 挑発的な言葉に、つい乗ってしまう。
 まさかここで事に及ぶ訳にはいかないのに、そのまさかになってしまいそうだった。彼の手は意図を持って自分に触れて来たからだ。
「ここで……ですか?」
「もう誰もいねぇよ」
「でも……」
「あ、そうやって逃げんだ」
「逃げてるんじゃありませんよ、ただ常識として…」
「常識? そんなもんクソ食らえだ」
 そして首筋へかぷりと噛みつかれた。
 甘いしびれとなって、快感の粒が全身を駆け巡る。
 明日からの仕事がひどくし辛くなるだろう。そう分かっていたけれども、到底ストップを掛けれるような気持ちになれなかった。どちらかの家へ向かう時間も惜しい。今のこのテンションでなければいけないとの焦るような気持ちがあった。もちろん、際どいところまででの事だ。本格的に事に及ぶには、場所がやっぱり悪すぎる。だが彼の勢いはそんなもんじゃなさそうで、ぞわりと快楽に似た寒気が背筋を走った。
 彼はそのまま首筋から耳朶へ向けて舐め、手はジャケットのジッパーを下げると薄いアンダーの上から手のひらを滑らせ始めた。
「……っん」
 耳へ直接響く、唾液の音。
 ひどく扇情的で、いやらしい。
「いらやしい、おじさんですね」
「知ってるだろ?」
 見上げるようにして、彼が目を覗き込みにっと笑う。
 そんな時だけ邪気がないのだから、困った人だと思う。素で自分を振り回しているのだ。本人には自覚もなく。
 手のひらはアンダーの上からでも分かるほどぷつりと尖った場所に触れ、そこを執拗に愛撫する。
「さすがに、最後までは無理かな……」
 耳に舌を差し込みながら、そんな事を彼は呟く。
「ん……っああ」
「なに? 感じる?」
「あたり、まえ、でしょ……っ」
 こんな場所で、好きな人に、好きにされている。
 それも抱かれるのに慣れてしまった体だ。
 彼からの愛撫は全て快楽として拾ってしまうように作り替えられてしまっていた。それを丹念に施されているのだから、感じない訳がない。
 焦れたのだろうか、アンダーを引っ張り出すと、虎徹はそのまま素肌に触れてきた。
 アンダー越しでも分かっていたけれども、熱い温度が自分の熱までもを高める。
 立ったままのそれに、そろそろ限界が来そうだった。足がおぼつかない。
 思わず、背後の机に手をつくと書類の束を崩しそしてそのまま自分まで倒れそうになってしまった。
「おっと」
 慌てて、彼が自分を支えてくれる。
 書類は見捨てられたままだ。
 そこで一度愛撫は中断された。そして、綺麗に物のないバーナビーの机の上へと座るよう、指示されてしまう。
「大丈夫大丈夫」
 なにが大丈夫なのかは知らないが、まあ、机は自分の自重を支えてくれた。そこへ立ったままの虎徹が胸に顔を埋めて、わざと音を立ててぴちゃぴちゃと肌を舐める。
 頭を抱え込み、背を丸めて、彼に抱きついた。
 そうしていなければ、座っていても尚、また倒れてしまいそうだったからだ。
「……んっ、んんっ、は」
「声、出せよ」
「ダメ、ですよ……こんな場所で」
「だから大丈夫だって」
「おじさんの勝手な判断に、任せ……んあっ」
 言葉の途中で、股間を握られた。
 当然のようにそこはとっくに勃起していた。スリムなパンツではそうと分かる程度には、だ。
「こんなにしといて、意地張りすぎ」
 彼は笑って、やわやわとそこを揉む。
「だ、め……です、ちょっと、おじさ……っ」
「逃げない、っつったのはお前だぜ?」
「……っ」
 言った。確かにそのような事は言った。
 だがここまでとは思っていなかった。
 最後まではしないと言っていたのも彼なんだし、キスと軽い愛撫で済むかもしれないと思っていたのだ。その先は、どちらかへ。
 そうじゃなければ、ここで仕事がし辛いどころではなくなってしまう。
 だが、彼はやはりそうではなかったようだった。
 バーナビーのパンツのウエストを緩め、そしてジッパーを下げ始める。
「お、おじさん!」
「どうした?」
「そこまでは……っ」
「こんなにしたまま、帰るつもりか?」
「………っ」
 唇の端を噛む。そりゃあこのままで移動するのは辛いだろう。でもだからと言って、抵抗が消える訳ではない。
「一度、いっとけよ」
 にっと笑うと、下着の合わせから熱を持ったそれを取り出し、そのまま彼はぱくりと口でくわえた。
「や……っああっ」
 声の我慢など、一瞬吹き飛んだ。
 ぬるりとした熱い口腔内で、じゅぷじゅぷと音をさせ、彼は先端を愛撫する。
 そのまま頭を上下させ、しごく動きに切り替えるとバーナビーはもう理性を吹き飛ばした。
「ああっ、あ……っ、あ」
 ちろちろと先端を舐められ、尿道口へと尖らせた舌を割り込ませられる。
「ひあっ、あ…んっ」
 びくびくと体が震え、前傾の姿勢のまま下へ転がり落ちそうになった。
 それを必死で腹筋で堪え、彼の頭へと手を伸ばす。
「あ……ああっ、あっ」
 腰がうずうずと動きたがりたがるのを、押しとどめる。彼の頭に手を乗せれば、それだけで大分姿勢のコントロールが出来るようになった。
 虎徹は夢中になったように、ひたすらに口撫をする。
 精液がせり上がって来る感覚がする。もう、いってしまいたい。
 先端をまた刺激されて、今度こそもうダメだと思い、虎徹の頭をなんとか引きはがそうともがいた。だが虎徹はそのまま深く再び自分のものを咥えなおす。
 分かっていてやっている。飲むつもりだと思い、羞恥が全身を襲ったが、それすらも快楽の材料に成りえるのだから、やってられない。結果自分で自分を更に追い詰められた結果になり、きゅっ、と虎徹の髪を掴んだ。
 ちらり、と見上げた視線が絡み合う。
 ぞくぞくと背筋から脳髄まで、快楽が走り上がった。
「や、あ……――っ」
 ひくん、ひくんと体が震えた。声に合わせて、精液が彼の口内へと吐き出されていく。
 ひどい羞恥心と共に、耐えられない程の快楽が全身を駆けめぐる。
 最後の一滴までを吸い付くすようにされて、尚更快楽の度合いは深まった。
「あ……はぁ…あ……」
「なんだ、結構薄いな」
 こくん、と飲み干した彼はけろりとそんな事を言う。
「当たり、前でしょう。毎日のようにあなたと……」
 寝てるんだから、とは口に出来なかった。する前にまたさらなる羞恥が襲って来たからだ。
 ああ、この人の事が好きだ。
 そんな人と毎夜のように寝てる。セックスをしている。
 こんな場所でみだらな行為をしてしまうほどに、溺れてしまっている。
「もう、最悪だ」
 思わずぼそりと声に出てしまった。虎徹はきょとんとした顔をして、「あれ、良くなかった?」などと言っている。
「違いますよ、もう――あなたに振り回されすぎの、自分がイヤなんです」
 一拍間が空いた。
 そして、ひどく嬉しそうな声で、
「へぇ」
 と、虎徹が答えた。
2011.6.15.
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