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Hash a bye おやすみ、よい夢を


 また、うなされている。
 抱き合って眠った後、バーナビーのうなされる声で目が覚めるのはこれでもう何度目になるのか分からない。それでも自分と抱き合った後は夢を見る回数も減ったと言うのだが、それじゃあ毎日悪夢を見ていたのだろうかと心配になる。
 抱き寄せて、頬にキスする。彼が見ている夢は、けっして夢ではないと虎徹ももう知っていた。実際に起こった過去のリプレイなのだ。
 本当は起こした方が良いのだろうが、こう頻繁だと起こすのもためらわれてしまう。それに虎徹はそんな彼のなだめ方をいつの間にか習得していた。
 彼を抱き寄せる。キスをする。そして髪を撫でて精一杯に甘やかすのだ。
 そうしている内に、顰められていた顔はゆるんでいき、やがて安定した寝息に変わって行く。
 かわいそうにな、と思う。
 自分だって妻を亡くした身だ。楓という娘も彼と同じ歳に親を失っている。
 だが、自分は既に大人だったし、楓には自分も母もいた。バーナビーのように孤独に過ごして来た訳でもないし、しかも死因だって全く違う。
 抱きしめる力が、強くなる。起こさないようにと気をつけながらも、頬を寄せる。
 こうやって娘には愛情を注いで来た。バーナビーはそういう愛情を向ける相手ではないが、この夢の中の彼は孤独な四歳の子供でしかない。
 その彼に愛情を注ぎたかった。愛欲ではなく、もっと純粋な愛情を伝えたい。
 やがてうなされていた声は小さくなり、呼吸が安定してくる。ちらりと顔を見れば、安らいだ顔をしていた。
 毎晩、こうやって傍にいれればいいのにと虎徹は思う。
 だが住まいが別の自分達は、そう毎日抱き合っている訳にもいかない。
 一緒に住むにもここじゃあ不便だし、バーナビーの家は自分には不似合いだろう。
 それに娘の事だってある。滅多な事では来ないが、有名なヒーローであるバーナビーと同居などしていたら、どう説明していいのやら、だ。
 やがてすっかり落ち着いた様子のバーナビーを、それでも抱きしめる手を離すのが惜しくてそのままにしながら、額にキスを落とした。
 ああ、好きだなあと思う。
 もっともっと甘やかせて、自分に寄りかからせたい。それはいわゆる独占欲と言うものだろうが、こんな関係なのだ。抱いていても仕方ないだろう。
 まさか同性とこんな関係になるなんてな、と時々自嘲も浮かぶが、それでもバーナビーの存在は大切だった。
 彼とずっとこうやっていたいと思う気持ちも同じく大切だ。
 もっと早くに出会えてたら、果たして自分は彼に恋していただろうか、なんて恥ずかしい事を考える。
 ああ、こんな歳になって恋愛なんてするもんじゃないなと自分のみっともなさに自嘲した。
 すっかり自分はこの金髪の青年にメロメロなのだ。



 翌日は、休日だった。もっとも左手に巻かれたバンドが鳴れば一気に吹き飛んでしまうような休みではあったが、出社しなくても良い日。
 朝、抱き合ったまま遅い時間まで眠っていた。先に起きたのは虎徹の方だった。
 昨晩無理をさせた覚えはある。疲れているのだろうと、彼を起こさないように気を付けてベッドを出ようとするが、しっかり抱きかかえていたせいで、それは無理だった。
 整った顔がくしゃりと一瞬歪んで、うっすら目を見開く。
 ぼんやりとした視線で周囲を見回し、そして自分を見つけたようで表情が緩んだ。
 そんな些細な表情の変化に心が温かくなるのを感じる。幸せな気持ちがわき出してくる。
「もうちょっと寝ててもいいぞ」
「……おじさんは?」
 もぞり、とシーツをかき寄せてまだ眠そうなバーナビーはぼそぼそとした声で尋ねて来る。
「目ぇ醒めちまった。起きるわ」
「それじゃあ、僕も……」
「無理すんなよ、お前、しんどいだろ? 無茶したもんな、昨日」
「昨日……?」
 オウム返しに答えてから、記憶を辿ったのだろう。じんわりと顔が赤くなっていく。
「疲れ、ました」
「だろ?」
 彼が意識を飛ばすまで抱いた。もう無理だと言うのに、それでも抱いた。泣いてしょうがなかったのに、今日の彼の目は腫れていないのが残念だった。そんな不細工になったバーナビーも見てみたかったのに。
「だから寝てろって」
「はい……」
 再びもぞもぞとシーツをかき集め、その中に潜ってゆく。
 金色の髪の毛だけが見えて、ひどく可愛い。
 そこをくしゃりと撫でると、自分は浴室へと向かった。
 体中がべたべただ。あのシーツだって決して寝心地の良い状態ではないだろう。せめて替えのシーツを持って行ってやれば良かったと思ったが、体温の移ったそれを奪われるのも余り良い気持ちではないだろう。
 そう思い、諦めてシャワーを浴びる。
 頭のてっぺんから足の先までを洗って、すっきりとした気持ちになった。
 ドライヤーの音はうるさいだろう。だからタオルで軽く水気を取っただけにして、脱衣所にある洗面台でヒゲを整える。
 最後に香水を耳元へ少しだけ吹き付けると、完了だ。
 下着だけを身につけて、バーナビーの様子を見に行く。
 彼はさっきと同じ姿勢のままで、再び眠っているようだった。
 ああ、可愛いなあと思う。
 正直可愛いとは対極にいるような男だ。筋肉はしっかり自分以上に付いているし、生意気で口喧しい。でも、こうやって素直になり始め、懐き始め、そして抱き合うようになれば彼は可愛らしい子供のような存在にもなった。
 当然性的な行為を行っている時は壮絶な色香を出すが、今はすっかり成りを潜めている。
「……おじさん?」
「お、悪ぃ、起こしたか?」
「匂いが……濃くなった」
「匂い?」
「香水」
 たどたどしい喋り方だ。
「ああ…」
「ねえ、もう少しおじさんも寝ましょう」
 誘いの言葉はとても甘い。
 まだ下着しか身に付けてないので、一緒に横になるくらい構わないかと思った。何よりも彼を抱きしめてても構わないのならば、どれだけ時間が過ぎても大丈夫な気がする。飽きるという気がしない。
「ああ」
 返事をし、もぞもぞと再びベッドへ戻る。色んな体液が染みたシーツは確かに寝心地が悪い。しかしバーナビーの体温が気持ち良かった。
「いい匂いがする……このシーツにも、匂いは残ってたけど、やっぱり本物の方がいい」
 寝ぼけているのだろう。甘い言葉ばかりを彼は言う。
 こちらが思わず赤面しそうになるほど、衒いもなく素直だ。
 ぎゅ、と抱きついてきた腕をそのまま受け入れ、その上から自分も彼を抱きしめた。
「お前こそ、いい匂いがする」
「おじさんの匂いが移ったんですよ」
「いーや、バニーの匂いだ」
「僕、何も付けてませんよ?」
「じゃあお前自身の匂いだな」
「………なんですか、それ」
 くすくすと笑う気配がくすぐったい。
「お前の匂いが俺は好きだって言ったの」
「そんなの、僕の真似じゃないですか。ダメですよ」
「真似でもいいじゃねぇか。好きなもんは好きなんだから」
 実際、彼から漂ってくるのは昨晩の甘い気配を漂わせた匂いと、彼自身の体臭だけだ。甘いとは言えない。だが、好ましい。
 すう、と胸いっぱいに吸い込み、堪能する。
「おじさんのにおいのほうが………」
 とろとろと喋っていたが、その言葉が不意に途絶えた。
 ああ、再び眠ってしまった。
 自分の体温に安心したのだろうか。ならば、ひどく嬉しい事だ。
 それとも匂いのおかげだろうか? 匂いと記憶は直結している。未だに妻の付けていた香水の匂いを虎徹は覚えている。何と言う名前の香水かは知らない。ただ、街中で通りすがりにふいっと香ると無意識にそちらを向いてしまうのだ。
 彼を抱きしめたままでそんな事を思い出したのに、少しばかりの罪悪感を覚えた。
 彼女の事は既に過去の存在になっている。だけど、いい気持ちはしないだろう。
 左手の指輪を抜こうとしたこともあった。だが、バーナビー自身がそれを押しとどめた。それがあってこそのおじさんですから――と、確かそう言った。過去も込みで自分を好きでいてくれるとの事だったのだ。
 それを思えば自分の好きは、まだまだ甘いのかもしれないなと思わないではない。
 こんな事で罪悪感を覚えてしまうのだから。
 甘やかして甘やかして、とろとろにしてしまいたい事ばかりを考えてしまう。
 そう――自分が傍らにいるのに、悪夢なんて見ないように。それほどまでに彼を蝕んでいる過去をなだめてやれる程になりたい。
 髪に頬を埋め、小さな規則的な寝息を聞いた。
 穏やかで、静かな寝息だ。
 今は、夢を見ていない。
 ウロボロスなんて悪夢は、追い払えている。
 だがいつ何時、彼を苛むか分からないそれを虎徹は追い払いたかった。
 姿を見せろ、と思い、願う。バーナビーときっと同じ強さで願っている。そして彼に仇を討たせてやりたい。許されるなら、彼を守るために自分が戦っても良い。
 良い夢だけを見られるように、彼を安息の場所に連れて行ってあげたかった。
「おやすみ、良い夢を」
 自分も目を伏せる。
 とろり、とした眠気が静かに訪れようとしていた。
 眠ったまま過ごすなんて自堕落な休日も、たまにはいいかと思った。
2011.6.19.
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