近頃、帰り道に虎徹の家へ寄るのが習慣になった。寄るとは言え、家は職場から正反対の場所にある――要するに、ストレートに言えば帰る家が虎徹の家になっているのだ。
たまにはバーナビーも家に帰るが、その時は虎徹が寄り道をする。
つまり、毎日一緒に過ごしている。それどころか同じベッドに眠り、到底人に言えない行為耽っている。蜜月の恋人以上の日々を過ごしているのだが、そのことに違和感を感じない自分が時折恐ろしかった。
そして今日もまた、別々の車に乗り同じ帰路に就くのだ。
これが女性だったら問題になっていただろう。だが相手は相棒の同性だ。本名も顔も公開している著名人であるバーナビーの行動も、スキャンダラスな内容とは取られなかった。
室内に盗聴器でも仕掛けられれば大変な事になるだろうが、そんな心配をする方がおかしな話だ。世間的には仲の良いバディ同士。時には泊まり合いもするだろう――その程度にしか思うまい。
それが毎日、ここ一ヶ月近く続いていたとしても。
既にバーナビーは合い鍵を持っていた。途中デリに寄ると言った虎徹よりも先に到着した自分は、勝手知ったるで、鍵を開け、中に入る。
途端、昨晩の気配が室内に充満している事に気付いて顔をしかめた。
今朝は寝坊をして、いろんな事に気を配るのを忘れていたのだ。
急いで窓を開き、空気を入れ換える。シーツだって無茶苦茶なままだ。それを剥がし洗濯機に放り込むと洗剤を入れてスイッチを押す。この家は虎徹の趣味でアンティークな品物が多いので、シーツを放り込めばそれでオシマイと言う訳にはいかない。この後乾燥機に放り込む作業が待っている。
その間に新しいシーツを出して、取り替えておいた。
この家のシーツは毎日洗われている。
その事実に赤面し、どうせこのシーツもくしゃくしゃになり洗濯機へ放り込まれる運命にあるのかと思えば更に頬の紅潮は増した。
ベッドの端に座り、綺麗にメイキングされた表面を撫でる。
冷たいリネンの感触が気持ち良い。しかし、そろそろ生地がくたくたになりかけていた。そりゃあ、二枚しかないシーツを交互に使っていればそうもなるだろう。
明日には自分が寄り道をして、この部屋に似合いそうなシーツを買って来ようかと思う。
こういうのを世間ではなんと言うのか、知っている。
だが、二人の間でそのような言葉を交わされた事はなかった。
酒の勢いで何となく寝て、良かったから続いている――それも、世間ではなんと言うのかは知っている。しかしそうではない理由がバーナビーの中にはあった。
先の関係性であると望み、そしてそうであろうとの期待もある。
そうでなければあの面倒くさがり屋のおじさんがいつまでもこんな若造を相手にしている筈がない。
ああ見えて、それなりに彼はもてる。
冴えない、うだつの上がらない所はあるけれども、そんなのが母性を刺激されるらしい。
会社の給湯室でワイルドタイガーがそう不人気ではない事実を耳にしてしまった事もあるし、同じヒーローであるブルーローズやドラゴンキッドも彼を慕っているように見える。
だから、彼は選ぼうと思えばいくらでも女性を選べるのだ。妻を亡くして五年と言っていた。なにも操を立てていた訳でもあるまい、男ならば男なりに事情は理解出来る。
だけど、そんな彼が選んで毎晩のように抱くのが今の自分だった。
正直簡単に挿入も出来ないし、かわいげはないし大変だろうとは思う。
だけど、だからこそ期待してしまうのだ。
馬鹿な事を考えている間に、玄関ドアの開く音がした。虎徹が帰ってきたのだ。
デリで購入してきたものを食べ、ビールをひとり頭三本は空けた頃だろうか。
バーナビーは丁度良い具合に酔いが回って来ていたし、虎徹はまだ物足りなさそうに台所へ向かっていた。新しいビールを取りに行くのだろう。
同じアルコールなら発泡しない方が好きなたちの自分とは違い、虎徹はこよなくビールを愛しているようだ。この家の冷蔵庫はビールしか入っていない。
時々余ったデリの食事を入れておくこともあるけれども、それもあてになるものが殆どで、今度は自分の家に彼を招こうと思った。そろそろ期限切れになりそうな食材がいくつかある筈だ。それにいい加減ワインが恋しい。
ふらりと戻ってきた虎徹は二本のボトルを持ってきており、それはやはり自分のものなのだろうなと思った。冷たくひえたそれはそれで、まあおいしくもある。
遠慮なく手を伸ばそうとしたら、その手を虎徹に掴まれてしまった。
「どうしたんですか?」
酒のあてはデリの総菜と他愛もない雑談だ。
別に手を引かれるような内容の話はしていなかったし、ビールを飲むなとも言われていない。
彼がこうやって持ってきた時は必ず二人分なので躊躇いもしなかったが、もしかしてこれは彼が飲むものなのだろうか――? などと思っていたら、虎徹はへにゃりと笑い、ぽんぽんと自分の膝を叩いた。
「――?」
何を意味しているのかが分からず、小首を傾げる。
すると同じ動作を再び彼は繰り返した。
「飲みたいなら、こっちおいでバニーちゃん」
「……何ふざけた事言ってるんですか」
要するに、彼の膝の上に座れ、と言いたかったらしい。子供に対するような表現だとようやく知れた。呆れかえった声で言えば、それでもしつこく虎徹は膝をぽんぽんと軽く叩く。手は掴まれたままだ。
「――なに、甘えているんですか?」
「いや、最近楓にも会ってねぇなーと思ってさ」
「だからって僕で代用しないでください」
「代用にはなんねぇよ、こんなでかい息子を育てた覚えはない」
「娘さんだって育ててないも同然でしょう? 長い事放ったらかしにして」
「ぐさ」
「ぐさ?」
大げさに、掴んでいない方の手で自分の胸を押さえると、虎徹はバーナビーを掴んでいる腕の方向へ軽く倒れかけてみせる。
「ぐっさり来た。お前手加減ねぇな」
「事実でしょう」
冷たく言えば、ぐさぐさとまた煩い。彼は自分より酒に強い方だが、今日は早々に酔ってしまったのだろうか。元から奇妙な言動の多い人だが、今日は輪を掛けて酷い。
「なー、だから寂しいの。慰めて?」
「最初から素直にそう言ってください」
「………恥ずかしいだろ」
言って、ぷいとそっぽを向いた。
今更何を言っているのだろうと、バーナビーは笑えてきた。彼の時折見せるこういう部分が好きだ。
「仕方ないでしょう、あなたは父親と言う仕事よりヒーローと言う仕事を選んだんです」
「うっわ、特大のぐっさっ………やっぱそう?」
「そうでしょうね」
はあ、とうなだれた彼の姿が気の毒になった。
少し言い過ぎたかなと言う気分にもなった。
しかし客観的に見ればそうなる。父親である事を選びヒーローをやめてしまえば、今頃彼の娘は膝の上に座っていただろう。だけど、そうでないからこそ、今彼はここにいる。
仕方ないな、と思って彼の膝にまたがって座る。
そして、うなだれた頭の上に自分の頭を乗っけて、
「でもそんなあなたの事は、嫌いじゃないですよ」
とだけ告げた。
彼の暑苦しい正義感に辟易としていた頃もあった。だが我が身を省みない、と言うポイントに気付いた瞬間からそれは好意的なものとなった。
かれの正義は客観で語られているものなのだ。決して本人は気付いていないだろうけれども。
自分の正義に酔っていない。
「そっか」
ちょっとだけまだ沈んだ声だったけれども、虎徹はそう答えて自分の胸に顔をすり寄せて来た。
それは性的なものではなく、甘えるようなそれだ。
仕方ないな、と思って髪を撫で、口付けを落とす。
一回り以上も違うおじさんへ対し、自分が甘えを与えられるなど想像した事もなかった。
それだけ虎徹が自分を委ねてくれているのだと思えば、気持ちが良かった。
「今度の休み、付き合いましょうか?」
「え、お前が?」
「僕のファンなんでしょう?」
くすくすと笑いながらそう告げれば、彼は若干憮然とした顔になる。
「そう。お前のファン」
だが、そう言い切る。
「だから、休日に遊びに行きましょう。お嬢さんも喜んでくれるだろうし、一応僕はみんなの憧れのヒーローですから。そんな人と知り合いだなんて、お父さんの株も上がるんじゃないですか?」
「自分で言うなよ、憧れのヒーローとか」
「自分で思ってる訳じゃないですよ、この間の雑誌の煽りです」
「覚えてんじゃねぇよ」
「生憎、一度見たものはそうそう忘れない頭なんです」
「ちぇ、憎たらしいやつ」
と言い、彼はカプリと胸へかじりついた。
「…っ、痛いですよおじさん」
「痛くしてんの」
だけど次はもうなかった。そのまま再び顔を寄せ、甘えて来る。
しょうがない人だなと思いながらも、バーナビーは彼の髪を梳く。
少し固い手触りは、好むものだ――いや、好むものになってしまった。
「そんじゃ、お願いしようかな」
「それくらいなら、喜んで」
ふう、と彼が自分に胸元でため息を吐く。
「あーあ。いいお父さんでいるには、色々大変だねぇ」
「そうですか? まあ父親なんてものは僕は殆ど覚えてませんから」
「――ああ、そうか。すまなかった」
「いいえ、いいんです。あなたなら」
そして、少し距離を離して甘えてくる頭を手で支える。ゆっくりと顔を近づけて、口付けを交わした。
「こんなコトする相手だから?」
「違います」
「じゃあ、なんで?」
「――さあ。自分の胸に手を当てて考えてください。あなたの思う事が正解ですよ」
自分から口にしないくせに、自分から言ってやるものかとくすくすと笑いながら言ってやった。
本当に彼は自分の胸に手を当てている。
そして、まっすぐに自分を見ている。
視線に耐えられなくなったのは、バーナビーの方だった。瞼を伏せて、口付けを再び施す。
やさしい口付けだ。性的なもののなにもない、ただふれあうだけのものだった。
じんわり、そんな甘さに耐えきれなくなっていく。
ああ、好きだなあ、と思う。
こんな状態で、娘の事で頭をいっぱいにしているバカだけれども、それでも好きだ。
自分の事なんかもしかしたら今は忘れてるかもしれないけど、でも構わない。
ここでこうやって腕で閉じこめて、自分の物だと錯覚させてくれれば、それで良かった。
「バニー」
「はい」
「答えが出ない」
真面目に告げられて、噴きだした。
彼は気付いていないのか、それとも本当にそうじゃないのか。
分からないけれども自分達はまだコンビを組みだして間もない。時間はいっぱいある。
本当にそうでないのだとすれば、そのうちに体に言い聞かせてやろうと思い、再度口付けた。