窓から入り込む沈む太陽の光が部屋を朱色に染め上げていた。
床も、天井も、壁も白。いわゆるここは病院の一室だ。
その壁際に佇み、バーナビーはぴくりとも動かないベッドの主を眺めている。
ずっと、もう何時間にもなる。
片はついた。ジェイクには逃げられたが、ひとまずシュテンビルトの市民は安息を得ている。
その大役を担ったのがまさか昏睡を続ける、あれだけみっともなくやられたワイルドタイガーだったと知る者はいないだろう。自分ですら、それを認めたくない心が存在する。
握りしめていた手は、短く切りそろえてあるのに爪が食い込みすでに跡がついてしまっている。鈍い痛みがそこにはある。他のヒーローたちも彼の様子を見に来たが、自分のように彼に近付きもせず、なのに去りもしない者は誰もいなかった。
静かに時間は流れて行く。
鬱陶しい程に喋る相手が眠り続けているのは、なんとも居心地が悪い。
そして、気持ちが沈む。
どうして、と思った。
彼があそこまでやる必要はなかった。能力が切れた時点で他のヒーローと同じように吊されてしまえば良かったのだ。なのにあそこまであがいた理由を、多分自分は知っている。
詫び、のつもりだったのだろう。
自分を信じなかった虎徹なりの、蹴りの付け方だ。能力的に適わないと知っていた筈だ。だから、次の自分に繋がるようにとやれるだけの事をしたのだろう。
その暑苦しさがイヤなんだ、とバーナビーは表情を歪める。
結果、この状態だ。病院に運ばれた時は命も危うかったと言う。それはそうだろう。能力切れの状態であの攻撃の連打を受けていたのだから。
ヒーロースーツは便利だけれども、そこまでの耐ショック性はない。生身で食らったも同然だ。
良く、生きていると思う。
ゆっくりと上下する胸の動きだけが現在彼が生きている証拠だ。
あちこちに繋げられたケーブルの先にある機械が示す数値なんて当てにならない。
そんなもので彼の命を決められてはたまらない。
どうしようもない怒りのような焦りのようなものが、蓋をされた下でくすぶっているのをバーナビーは自覚していた。
表には出てこない。無表情で彼の寝姿を見ているだけだ。
だが、中身はどろどろだ。
どうしたあんな事をしたのか、どうして自分を信じなかったのか、どうして………。
いくつものどうしてが渦を巻き、それが自分でも捕らえようのないどろどろとしたものに成りはてている。だから、蓋をせざるを得ない。
蓋を外してしまえば重傷の彼に対し、何をしでかすか分からなかった。
ただ、目を離せないでいる。
ゆっくり上下する胸の動きが止まってしまわないかが気になって、その場所から離れる事も出来ない。
夕色は徐々に蒼みを帯びた色が混じり始める。淡く朱の色が弱まってくる。
そのことに、少しだけほっとした。
まるで朱色は血の色を連想させたからだ。この部屋中いっぱいを染め上げる虎徹の血。きっとそれくらいの出血はあったのだろうと思われる。直接自分は聞いていないが、ヒーローたちが訪れた時に大量の輸血が、と断片的に耳に入って来ていた。
裂傷に出血。血圧低下。大量の輸血。
いくら頑丈な彼と言えども、自分も相対した相手だ、そのダメージは想像が付く。能力発現中であってもあれだけのダメージを受けたのだから、この人は本当にバカだとしか言い様がない。
あんなやり方で、喜ぶとでも思ったのだろうか?
そんなやり方で、詫びになるとでも思ったのだろうか。
ふつふつと再び怒りに似た何かが沸き上がってくる。
それを、再び蓋をする作業が始まる。
昏睡状態の彼に何を言っても始まらない。なんの意味もない。
気持ちを静める為に、瞼を落とす。
暗闇の中には、思い出したくもない暑苦しい彼のおせっかいが思い出されて来てしまい、蓋を閉じる作業を邪魔する。
彼の事を信用しようとしていた。少なくとも、あそこまで遠慮なく自分の中に踏み入ってくる人間は今までいなかったし、それを最初こそ不快に思っていたものの、いつの間にか慣れてしまってもいたのだ。
その相手が一応の勝利を得た自分に、褒める事もしない。彼の助言があってこその勝利だったと言うのにそれを自慢する事もしない。
一時的に取り戻した意識の中で叫んでいたそれは、そのままジャスティスタワーにとどまっていた自分達に届けられ、有益な情報と成り得た。
握っていた手のひらを、解く。
ゆっくりと、ようやく彼のベッドまで近寄れる気持ちになった。
いや、気持ちが制御出来なくなったからこそ、歩み寄った。
間近で見た彼の表情はいつもの覇気など当然なく、そして血を大量に失ったせいか蒼白く見えた。
ぐ、と自分のカーゴパンツの生地を握り締める。
こんな顔が見たいんじゃない。
いつものように無責任に笑って、自分をバカにしたような口調で喋って、そして自分を信頼しろと言う彼に戻って欲しかった。
あれが――折紙を助けに入った時の彼の行動が、自分を心配してのものだとはネイサンらに告げられ、ようやく腑に落ちている。
再び信じてみようと言う気持ちになっているのだ。なのに、肝心の相手は寝たままぴくりとも動かない。
「起きてください、おじさん」
静かな声で呼びかける。
当然、こんな声で起きる筈がない。
心がぐらぐらと揺れているのは、気のせいじゃない。
この眠りは死に直結しているものではないと、既に聞かされている。だけど、怖くてたまらない。
そう。
怒りでもなんでもない。この渦巻く感情は、不安だった。
蓋をしなければ溢れ出してしまう。そんなものは見なかった事にしなければならないのに、彼が欠けたところで構わない、何も大事なものなど存在しないバーナビー・ブルックスJrであらねばならかったのに、その足場が崩れてしまう。
「起きてください、おじさん」
さっきより若干、声は大きくなった。
こんなところで崩れる訳には行かないのに、自分はもうダメなようだった。
一度見限ったと言うのに。
自分の行動が分からなくなっていた。
ぐるぐると彼が目覚めない可能性が頭を回る。目を覚ましてもヒーローとして動けない彼の事を想像してしまう。そんなことはダメだ、自分の相棒は彼しかもういないのに。あれだけ不要だと言っていたのに、思っていたのに、なんてことだろう。
ああ、もうダメだと思った。
蓋を閉じる事なんて、出来そうもない。
「起きろって言ってんだよ、おっさん!」
がん、とベッドを蹴った。
途端計器がアラームを鳴らし始める。
だが肝心の本人は目を醒まさないままだった。
バタバタと廊下から個室へ看護師が数名入って来る。
「何かありましたか?」
「……いえ、――何も」
泣けてくるほどに、何もなかった。
力が抜けて、再びバーナビーは元の位置に戻る。看護師らの動きをただ眺めていた。
「計器の誤作動かしら……困ったわね」
看護師らは再度計器の設定をしなおし、数値に異常がないことを確認すると部屋を立ち去ろうとする。その内の一人に、声を掛けた。
「この人は一体いつ起きるんですか」
「――さあ、それは先生に聞いてみないと」
分からない、と言う事だろう。
彼女らが出て行った後、ずるずると背中を壁に預けたまま、その場所にバーナビーは座り込んだ。
部屋はいつの間にか朱色などとっくに失い、窓の外には蒼が、そして室内は白々とした蛍光灯の明かりで満ちていた。
早く目を覚ませと思った。
そして精一杯自分に罵られるといい。
ベッドなどではなく、まだ重傷のその体に蹴りを入れてやる。
こんな気持ちになど気付きたくなかったのに気付かされた代償としては、まだ足りないだろう。
だけど。
ひとつだけ、最後に告げよう。
自分の相棒は、彼しか存在しないことを。