近頃、目が回る程に忙しい。
一日に複数回の出動は当たり前だし、それも事件の規模が小さいと来ている。
振り回されている感がいっぱいの虎徹だが、まあこの暑さじゃな、と思わないでもない。
外気、摂氏四十度近くにまで上がっている。当然この気温でヒーロースーツを着用して立ち回りを演じなければならない自分達もたまったもんじゃないが、一般市民達も多分頭が茹だってしまっているのだろう。
今日三度目の出動を終えて、会社へ戻る。
汗で蒸れまくったヒーロースーツを脱ぎ、アンダーも今すぐここで脱ぎたいところだがぐっと我慢してシャワールームへと向かう。その途端になり出す、PDA。
「おいおいおい、勘弁してくれよ」
『ボンジュー、ヒーロー。……もうこれもいい飽きたわ』
「こっちも聞き飽きた」
「同感ですね」
珍しくバーナビーと意見が一致する。
『だけど残念ながら、事件よ』
「まだ汗も流してねぇんですけど」
『事件は待ってくれないの』
「はー」
背後で同じように深いため息が聞こえた。
「で? どのような事件でございましょうか?」
はあ、ともう一回ため息を吐いて、問いかける。
『ウエストゴールドのホテルジャックよ』
「ホテルジャックぅ?」
「今度こそは大きな事件ですね」
『まあ、そうね。来週にサミットを控えた会場だから、狙われたのかも』
「おいおい、そういうのは普通当日を狙うだろ」
『今日ジャックされたんだから仕方ないじゃない。文句は犯人に言って』
はぁい、と告げるしかなかった。
今日は休前日だ。既に宿泊している客も若干はいるだろうし、この後もチェックイン予定の客は多い筈だ。
仕方がない、と思って開発室へと逆戻りした。
『聞いてるよ! ホテルジャックだってね!』
斉藤の声はマイクを通すと、非常に耳障りだ。
「分かってるんなら、準備を頼む」
『分かってるよ! はやく定位置に行けよ!』
げんなりした気分を抱えながら定位置に付くと、さっきと同じままの汗臭いヒーロースーツを被せられた。もっとも自分自身も汗臭いままなので、なんとも言えないのだが。
「なあ、斉藤さん。これって換えないのかよ」
『ないね!』
ないね、じゃない。換えを付くっておけと思う。こんな日や、万一破損した場合はどうするつもりなのだろうか。
まあいいや、今はどうでもいいと暑さ疲れのまま、バーナビーと共に出立した。
サイドカーに乗れば、熱風がもろに来る。風は嬉しいのだが、外気が外気な上に、より地面に近いので輻射熱もひどいのだ。
「はー、帰りたい」
「人の台詞、取らないでください。僕だって帰りたいですよ」
「だよな。あー。せめてブルーローズの氷で全身覆ってくれないかなー」
「馬鹿な事を言ってないで……ああ、あそこです」
MAP情報を確かめ、確かにサミットを開催するには相応しい老舗の風格と近代性という相反する二つを持ち合わせた巨大なホテルが見えて来た。
直接乗り付ければ、犯人を刺激する。
少し離れた場所にバイクを置けば、そもそもヒーロースーツを着用してなかった方がよかったのではないのかとの結論にも達した。
この外観はあきらかにヒーローですと主張しているようなものだ。
しかし、今更戻る訳にもいかないし、自分は素性を明かしたくない。
一応の隠密作戦と言う事になるので、今回はリアルタイムでヒーローTVは流れていなかった。録画はきちんとされているので、事件解決後に放映するつもりなのだろう。カメラマンはさっきからうろちょろしている。
「さて、どうする?」
「正面突破はやめてくださいよ」
実は、ちょっとだけ考えていた。釘を刺されて、取りあえずお伺いを立てておいて良かったとほっとする。
「裏口に回りましょう、もちろん人は配置されているとは思いますが、正面よりマシな筈です」
「了解っと」
犯人は多人数なのだろうか? 少なくとも単独犯でないことは、正面出口に二人配していることからも分かる。そして裏口にもひとり。
「主犯はどこにいるんだろうなあ」
「はあ? 今更何を言ってるんですか?」
心底呆れられた顔をされた。
「こういう時、狙われるのは中央制御室です。そこさえ押さえておけば侵入者にも気付けるし、防災シャッターも下ろせる」
「え、じゃあ俺たちの動きなんてバレバレじゃねぇか」
「そうですね」
「道ふさがれたらどうしようもねぇぞ? ここは民間だろ? また壊したら怒られるし」
「まあ――今回ばかりは仕方がないんですか? 主犯を確保しない事には話が始まらない訳ですし――と、他のヒーローたちも集まり始めたようですね」
PDAから通信が入る。
「僕たちは裏口からの侵入を計ります。正面出口で騒ぎを起こしてくれると、少しばかり嬉しいのですが」
『了解よ、バーナビー」
そして、しばらくすると人の怒号のような声とマシンガンの音がした。
上手くアニエスが伝えてくれたのだろう。
そっちに意識が集中してくれればいいなと思いながらも汗がだらだら流れるヒーロースーツ内で虎徹は思う。
「行きましょう」
「おう」
ハンドレットパワーをオンにする。俊足で裏口へ到着すると、まずは見張りの男を通信を入れるいとまもなく叩きのめし、意識を失わせる。
扉は施錠されていたが、この際仕方ないと外から破る。
ああ、ここでサミットが開催されることはなくなるだろうなーと思った。
もしかしたら、ライバル系列のホテル会社の仕業かもしれないなあと虎徹は思う。
だとしたら、狙いは思った通りだ。
こんな介入をされた場所をサミットに使おうとするような政治家は、二流以下と相場が決まっているし、少なくともシュテンビルトの政治家は二流以下とは思いたくない。
飛び込んだ場所は従業員入り口のようだった。窓口があったが、中に座って従業員の確認をしているだろう警備員は縄で縛られ、窓口から遠く離れた場所に放置されている。
「おい、中央制御室ってどこだ」
さすがにホテルの内部構造に関しては公表していない場合の方が多い。バーナビーとて飛び込んだは良いものの、上階から地階までを力頼りに探そうとしていたのだ。それを感じ取って、虎徹は警備員へと声を掛けた。
「た、たすけてくれ……」
「今助けるから、先に中央制御室ってのを教えてくれ!」
自分達には時間制限がある。たった五分。その間に蹴りをつけなければならない。
「地下二階……」
「わかりました、ありがとうございます」
バーナビーが告げ、「行きますよ」と声を掛ける。
おう、と答え普通の人では目にとまらない速さで廊下を駆け抜けた。既にこの状況は主犯に見つかっているだろうか? 人の目はごまかせてもカメラはごまかせないかもしれない。だとすれば――
思った通りだった。
目の前の防災シャッターが降りて来る。
「うおっと」
間一髪で滑り込み、その先に進むが等間隔に降りてくるそれには到底間に合いそうもない。
「おじさん、しょうがないですよ」
「だな」
マスク越しで分からなかったが、多分お互い顔を見合わせた瞬間、にっと笑った。
そして鋼鉄製の扉を次々二人がかりで破って行く。
やがて階段フロアに出ると、そのまま能力を利用して、ほぼ全段を一度で飛び降り、地下二階を目指した。
空調が効いていて、ここは涼しい。
天国のようだ。
ああ、シャワーが早く浴びたい。
あー、ヒーロースーツなんて脱げればいいのにと思いながら、中央制御室へと到着する。
扉には当然鍵が掛かっていたので、ぶち破った。
「今回の損害賠償額は……」
翌日の事だった。何故か虎徹だけがロイズに呼ばれて説教を受けている。
昨日の件なら、完全にバーナビーも共犯だ。腑に落ちない。
目が飛び出るような額を告げられたが、しかし、とロイズは付け加えた。
「今回は、不問になさるそうです」
「は?」
「先方にも脆弱さがあった事を認めたようですね。なので今回の損害賠償はナシと言うことになりました――良かったですね」
「はあ……」
なら、何故呼ぶのか。
そしてなぜひとりなのか。
言いたい事は山とあったが、まあ問題がないのならそれでいいかと思い、虎徹は部屋を出た。
「どうだったんですか?」
「お前も同罪」
「え?」
「だってお前もだろ、扉破ったり蹴ったり! なんでお前呼ばれないんだよ」
部屋に戻るなり、尋ねて来たバーナビーが問いかけてきたのでそう言ってやる。
「だってあの時は仕方なかったじゃありませんか」
「俺の時だっていっつもしょうがない」
「いえ、それはありません」
冷徹に眼鏡を直しながら、バーナビーは告げる。カチンと来るが、この程度で喧嘩になっていれば彼と相棒を組む事は出来ない。なので、椅子にどっかりすわってハンチングを直すと、
「賠償金ナシだとよ、おとがめナシ」
と告げた。
「は?」
「問題ナシってことだってよ――つくづくお前ってついてるよな」
はーあ、と虎徹はため息を落とした。
なんだ、とバーナビーもまた軽く吐息を落として、こちらを見る。
「まあ、良かったんじゃありませんか? 今回はふたりともにポイントがついた訳ですし、市民も無事。まあ――あのホテルには気の毒でしたが」
案の定、サミット会場は別の場所に移された。
それはそうだろう。
捕まえた犯人は一切口を割らなかったが、多分新しくサミット会場に決まったホテルになんらかの関わりがあるのは確かだった。その辺りは警察が上手く割り出して行くだろう。
「はー。暑いわだるいわ………今日は出動ねぇといいんだけどなあ」
空調は効いているのに、書類をうちわがわりに煽っていたら、そのきっかり五分後にPDAが鳴った。
今日も外気は四十度近くある。市民の頭も茹だったままなのだろう。