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suspended sentence 執行猶予


 昼間はからりと晴れていたのに、夕方になって急に曇りだしたかと思うと大粒の雨が降り注いできた。丁度逮捕劇の最中だ。
 視界がけぶる程の強い雨に、一瞬犯人を見失いそうになってバーナビーは慌てる。
 ハンドレッドパワーはまだ三分以上を残していた。同時に発動させた虎徹もきっとそうだろう。
「行きますよ」
 声を掛けると、おうと返事があった。
 一気に俊足で駆け抜けると、この雨の中、ドラゴンキッドが放電を試みている。
 うかつに近寄れば感電すると踏んで、一歩手前で立ち止まり、華やかな眩しい火花が消え去るのを待った。そして車から出て来た犯人を捕縛する。
 構えられた銃は蹴り上げ、逆側へ向かった虎徹は迂闊にも銃弾を発射されたようで、音がする。
 しかし当然、当たりはしないだろうと、自分は眼前の犯人を捕縛する事に成功した。
「手こずってますか、おじさん」
 ざあざあと激しい音が、自分の声までも消してしまいそうだ。
「バカ言え、この程度……」
 ん? とバーナビーはマスクの下で眉根を寄せた。声が若干苦しそうに聞こえたからだ。
「ほらよっ」
 だが杞憂だったようで、ワイヤーでぐるぐる巻きにされた犯人はバーナビーの元へ放り投げられる。
「なにやってんですか、もう」
 急なそれをしっかりキャッチし、二人揃えてさらにワイヤーで固定した。後は警察へ渡せばそれで終了だ。
「バーナビー、タイガーの所へ行ってあげて。ここは見てるから」
「どうして?」
「なんか、大丈夫じゃない予感がする」
 車のボンネットに乗っていた彼女はすとんとバーナビーの隣に降り立つと、逆側へ向かうよう、促した。
 あんな調子でも先輩ヒーローだ。迂闊な真似はすまい。そう思い、ドラゴンキッドの気のせいだろうと思いながらぐるりをゆっくり回って彼の方へ行く。
 そこには太ももを打ち抜かれたワイルドタイガー……虎徹がいた。



「このスーツを着ていれば防弾チョッキにもなる筈なんだがね」
「え?」
「このスーツを着ていれば防弾チョッキにもなる筈なんだがね」
「ええ?」
「このスーツを……」
「ああ、もういいよ!」
 斉藤の声は上手く聞こえない。取りあえず止血された状態の虎徹は軽く手を振って、斉藤の言葉を遮った。
 その様子をバーナビーは見ている事しかできない。病院へ直行出来れば良かったのだが、ヒーロースーツを着用していればそれもはばかられる。幸いにもこの街は爆発的に治安の良い街ではない。銃での発砲事件も日々起きている。
 それに巻き込まれた事にすれば、乗り切れるだろうと虎徹は言い、スーツを脱いで私服へ着替えていた。
「おじさん……」
「へーきへーき、これくらい」
 彼は陽気な顔をして、笑う。それがやせ我慢だと言う事くらいは滲み出た汗で分かっていた。弾は貫通していない、一刻も早く病院へ連れて行くべきだった。
「早く乗ってください、病院へ行きますよ」
「あ、バニーちゃんが送ってくれんの? らっき」
「他の誰が送るんですか――あなたは自分では運転出来ないでしょう」
 びしっと言えば、彼は黙った。
 あの足でアクセルやブレーキを踏める訳がない。
 若干の苛立ちが生まれた。彼は自分を粗末に扱い過ぎる。
「早くしてください。その手の怪我は時間が経つに連れ、悪化するんですから」
「はいはい」
 と、ぎこちない動きで彼はいつものサイドカーに乗り込んだ。
 スピードを出せば、より地面に近いサイドカーはもろに振動を受ける。その事を思えば、焦りはあるのに、アクセルを握り切れない。ジレンマに陥り、何でもいいから物に当たりたいような気持ちになった。
 彼が特別になったのは、明確に覚えている。
 虎徹がルナティックからの攻撃からかばってくれた時からだ。あの時、自分達は生身だった。だが能力発動中だったので生半可な攻撃では傷を負う事はない。しかしあの炎を見た瞬間にバーナビーは動けなくなってしまったのだ。
 ファイアーエンブレムをもしのぐ炎。真正面から直撃していれば、あの炭のようになった囚人達と同じに自分もこの世から姿を消していただろう。
 単なる彼の暑苦しい正義感から来るものだとは知っている。だけど、あの瞬間に助けられた事が、後々の心をさまざまに掻き乱した。
 一度は見限った。
 自分を信用しなかった彼を、自分は許せなかった。
 だが、最高のやり方でもって、彼はその信頼を回復させたのだ。
 元に居た場所よりもずっと深くへと彼は入り込んできた。
 ああ、と思う。
 彼に対して抱いている思いは、きっと恋情に近い。
 失われればどう生きていけばいいのか分からない。身も世もなく泣いて縋るだろうことが分かっている。両親が失われた時、出ることがなかった涙が堰を切ったように溢れ出すだろう。
 あのとき凍り付いてしまった心は、今はもう溶けてしまっている。
 だから、なのだと思う。
 そのきっかけが彼なのだから、尚更だ。
 彼はようやく装う事をやめ、サイドカーの振動に苦痛の表情を浮かべていた。二人きりになったからかもしれないし、痛みが我慢出来ないレベルにまでなってしまったのかもしれない。
 簡単な応急処置なら、アカデミーで習っていた。銃弾を取り出す方法も知っている。だが、虎徹はそんな事をお前がする必要がないと言って断ったのだ。
 幸いにも病院は近い。
 急患として扱ってもらえるだろう。
「おじさん、もう少し我慢してください」
「我慢? そんなもんしなくても……大丈夫」
 少しの間に、苦しそうなうめきが入る。どこまで強がるつもりなのだろうこの人は、と苛立ちが増した。



 幸いにも弾は神経を傷つけておらず、また大きな血管にも傷をつけていなかった。
 入院に一週間、全治三週間。それが虎徹に下された診断だった。
「え、俺一週間も外に出れねぇの? 事件は?」
「それはこっちがなんとかします」
「ええー」
 会社側の配慮として、個室が取られていた。バーナビーは頻繁に見舞いに来る。それがきっかけで虎徹がヒーローだとバレる事があってはならないとの判断からだ。
 ひどくふてた声を出したこの人が、自分より一回り以上も年上だとは思えない。
 苦笑して、
「なんの為のバディだと思ってるんですか。あなたのいない分も、しっかりやりますから」
「そうやってポイント稼ぐ気だろう、お前」
「どうせおじさんはポイントなんて眼中にないでしょう」
 言い当ててやれば、彼はむすっとした顔をして唇をぐっと引き締めた。
「つまんねー」
 唇の先だけで、そう言う。
「いい歳したおじさんが拗ねないでください。――出来るだけ顔は出します、他のメンバーも来ると思いますから、あまりみっともない真似しないでくださいよ」
「へいへい」
「じゃあ」
「え、もう帰んのかよ」
「だって僕がいても、おじさんの機嫌を損ねるだけのようですし」
「そんな事ねぇ」
「なんですか。それとも怪我して心細くなりましたか」
「ちげーよ、どっちとも。お前が居るのがいいの」
 びくん、と心臓が跳ねた。
 どういう意味として受け取れば良いのだろう?
 自分の邪心にも近い心は見透かされているのだろうかと急に心配になった。だが、だとすれば彼は余計に自分を遠ざける筈だと自分を説き伏せる。
 同性からの恋情など、既婚者でもあった彼に取っては不快でしかないものだろう。
 自分の感情は、自分のものだからこそ上手く分析出来ない。
 せめてあの凍らせていた頃の客観性があれば上手く行ったのかもしれないが、この感情の行く先に求めるのは何なのかが分からないのだ。
 彼の傍にいたい、彼の一番のバディでいたい、彼の信頼を得たい、彼と共に居たい。
 恋情とそうでないものを線引きするものが一体何なのかを、バーナビーは知らない。
 劣情を抱くか抱かないか、だろうか?
 だとすればこれは恋情とは違うのかもしれない。
 しかし、ふと彼がキスを求めて来たとすれば、素直に応えるであろう自分も同時に想像出来た。
「僕が居たところで、なにも出来ませんよ」
 混乱してきた。この場は去った方がいいだろうと判断する。
 ベッドサイドに置かれたパイプ椅子から立ち上がり、帰ろうとすると、その片側の手を取られた。
「なあ、帰るなよ」
「――どうして、ですか」
 虎徹の声のトーンが違う。自分の聞いた事のない声だ。
 急に喉がからからに渇くのを感じた。
 何かが今、切り替わった。
「病人一人置いて、帰っちまうの?」
「もう麻酔も効いてるし、痛くはないでしょう?」
 会話がひどく上滑りしている。本当に告げなければならない言葉をお互いに告げていない。
「ここに、いろよ」
「どうして」
「俺が安心するから」
「どうして」
「お前が居れば、眠れる」
「どうして」
「どうしてばっかだな、お前は。少しは考えろ」
 そして、くしゃりと彼は笑った。
 張り詰めた空気がその瞬間に霧散したのを知った。
 知らない間にこもっていた力が、抜ける。だが解答は分からないままだ。


「まあ、じっくり待っててやるよ。取りあえず一週間。その後退院してから二週間。猶予としては十分だろう?」
 虎徹が告げた言葉が胸に沈み込んで、じわりと熱を生み出すのを感じた。 
2011.6.27.
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