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The future is jealous of the past 未来は過去を嫉妬する


 眠い。
 昨日、つい昔に見た映画をやっていたので無理を押して見てしまったら睡眠時間がまったく足りなくなってしまった。一時間や二時間程度の睡眠不足が響くなんて、自分も歳だなと思わざるを得ない。
 気を抜くと瞼と瞼がくっつきそうな状態で午前の仕事を終え、ようやく来た昼休みは食事より睡眠とばかりに机につっぷした。
「なにやってるんですか、おじさん」
 冷たい声が聞こえる。
 だが、眠いものは眠い。仕方がない。
「昼寝」
「会社ですよ?」
「昼休みじゃんか」
「まあ、それはそうですが……」
「放っておいてくれよ」
「昼ご飯はどうするつもりなんですか?」
「それより昼寝」
「どうせ腹減ったって言い出すに決まってるんです。取りあえず食べに行きましょう」
 と、バーナビーは虎徹の腕を取った。
「んー、寝る」
「だから、先にご飯ですって。あなたのぐずぐず言うのに付き合うのはゴメンですから」
「誰がぐずぐず言うよ」
「あなたですよ。お昼食べても夕方には腹減っただのなんだの煩いのに」
「…………」
 心当たりがありすぎるので、取りあえず黙る。
 だが今はご飯より睡眠なのだ。
「じゃあ、なんかかじれそうなもの買ってきて」
「甘えないでください」
 そして、今一度腕を引っ張られた。
 今度は、諦めざるを得なかった。能力でも発動してるんじゃないかと思うほど強い力だったからだ。
「ああもう、分かったよ」
 ふぁ、と欠伸して、のろのろと立ち上がった。
「何してたんですか、寝不足?」
「映画見てた。つい懐かしくて」
 あれは、妻とのデートで見た映画だったっけかな、と思い出す。
 スクリーンで見た事は確かだった。だが内容までは覚えていなかったので、きっと当時の自分は途中で眠ってしまったのだろう。
 今見ると、とても面白い映画だった事が分かる。
 ゆったりとした流れの映画ではあったが、飽きる事なく見る事が出来た。
 最後にはもの悲しいような気配が残り、その余韻を今も噛みしめる事が出来る。
「――ん?」
 映画を思い出していたから、自分の手を掴んだままのバーナビーの表情にまでは気付けなかった。
 どこか沈んだ顔をしている。
「それって、奥さんと見た映画ですか?」
 あ、マズい、と咄嗟に思った。
「いや、学生時代に…」
「ああ、そうですか」
 嘘を、ついた。しかしその嘘が通用していないのは明らかだ。
 彼が自分の妻の存在を気にしているのは知っていた。今のは不用意だったなと思う。
 今は彼ひとりが自分の唯一ではあるが、過去までは変えられないのだ。そんな過去に彼は時折嫉妬する。
「食事、行くか」
「おじさんは寝ててもいいんですよ」
「いや……」
 かしかし、と後頭部を掻く。
「行こう」
 席を立ち、掴まれたままだった腕を一旦解き、自分から掴みなおした。
 しかしその腕は解かれる。
「いいですよ、今日、僕は社食にしますから。おじさんはどうぞご勝手に」
「お、おい!」
 すたすたと大きなストライドで室内を後にした彼を、格好悪いとは分かっていながら、虎徹は追いかけた。
 幸いにもエレベーターホールで捕まえる事が出来た。この昼食の時間、エレベーターは各階停車だ。なかなか降りて来ない。
「――分かってるんです、僕が悪いんです。勝手に拗ねているだけなので、しばらく放っておいてくれませんか」
 殊勝な言葉だが、声が冷たい。
 放っておける筈などなかった。
 なにせ、自分は今、この年下の恋人にメロメロだ。彼に愛想を尽かされるような事があれば、自分はきっと立ち直れない。
「いや、こっちが悪かった。すまない」
「何もおじさんは悪い事なんてしてませんよ、映画を見てただけでしょう?」
「それでも俺が悪い」
「――虎徹さん」
 彼が自分の名を呼ぶ時は、ひどく柔らかな声音だ。
 今だってそうだった。
「僕が、悪いんですよ。勝手に過去に嫉妬してる。そんなの、今更どうしようもないのに」
「……そりゃ、そうだけどさ。そんなのを感じさせないのが俺の役目だろ」
「たかが映画ひとつですよ。そんなものまで、注意を払えっていうのが無理なんです」
 彼の声は沈んでいた。
 彼も、自分にメロメロになっている。そんな過去の些細な事にすら嫉妬してしまうほどに。
 ああ、自分達は本当にお似合いだなあと思った。
 まだエレベーターは到着しそうにない。人通りは少ないだろう階段ホールの方へとバーナビーの片手を取ると、引っ張って行った。
「な、なんですか?!」
「いいからこっち来いって」
「このフロアから階段で下りるなんで、この季節自殺行為ですよ。それとも能力でも発動させるつもりですか?」
 鉄扉に閉ざされた階段ホールは日ごろ使われる事がないので、人通りがないのはもちろんの事だが、空調もない。この真夏に近い気候の中、案の定中は蒸し風呂のようだった。
「ここで能力使っちまったら、万一の時困るだろ」
 なにせ、いつ呼び出しが掛かるのか分からないのかがヒーローと言うお仕事だ。
 自分達の能力は五分間の超身体能力を得る代わりに、一時間のブランクが必要となる。必要性もないのに何故かブランク時間に呼び出されでもすれば、事だ。
「あつ……」
 空調の効いた廊下から中に入ると、バーナビーはその蒸し暑さに顔をしかめる。
 大きく取られた窓も、悪い。いっそこんな普段使わない場所なんだから密閉してしまえばいいのに、避難通路にもなるここは、いざと言う時に飛び降りる事も出来るよう、窓が各階に設置されているのだ。
「あちぃな」
 と、言いながら、バーナビーを抱きしめた。
「暑いですよ」
「ああ、暑いな。だから、もっと暑いことしようぜ」
「――なに言ってるんですかっ」
「お前の体に教えてやる。お前しかないってこと」
「バカな事言わないでください。ここは会社ですよ。それに、いくら人通りはないだろうとは言っても確証なんかなっ」
 煩く喋る唇を、ふさいだ。
 そしてそのまま深いキスに移行する。
 バーナビーは最初こそ驚いたものの、途中で我に返ったか、どん、どんと胸板を叩いて来た。
「なんだよ? イヤか?」
「あ、あたりまえでしょう…っ」
 唾液に濡れた唇が扇情的だ。少しばかり弱まった声も相まって、自分を煽る。
 だが、これ以上やっては逆効果かな、とも思う。そうこうしているうちに、昼休みは十五分ほど過ぎている。実際問題として、あれこれするのは不可能だろう。
「もう十五分過ぎてるぜ? 社食は満員だと思うけど」
「――誰のせいだと思ってるんですか」
「俺」
 に、っと笑ってやれば、呆れた顔を返された。
「仕方ありませんね……」
 そして、再び廊下へ戻る。涼しさにほっと息を吐く。
 エレベーターは一時のラッシュを過ぎて、呼び出しボタンを押せばすぐに到着してくれた。
「どこで食う?」
「涼しいものを。冷製パスタでもいいですね」
「んじゃあ、それで」
 一階を選び、街に出た。
 もわっとするくらい熱気が溢れ返っている。
 じりじりと照りつける日差しが痛い程だ。帽子を被って来れば良かったと、虎徹は後悔する。
 バーナビーの金髪は日差しを乱反射して眩しい。
 彼をまともに見られない程だ。まるで、アイドルオーラでも出しているようだと考え、ぷっと噴きだした。
「なんですか?」
「いや、お前の金髪キラキラしすぎ」
「……仕方ないでしょう」
 まさかアイドルオーラとまで言う訳には行かない。これ以上彼の機嫌を損ねるのはゴメン被りたい。
 ようやく、ちょっとは元に戻って来たのだ。
 涼しい店内で今夜の誘いを掛けようと思った。
 それで、彼の機嫌が元通りになってくれればいいなと思いながら、行きつけの店のひとつに入った。



 結果として、バーナビーの機嫌は戻った。
 冷たいパスタを食べ、アイスコーヒーを飲み、そして他愛のない話をする。
 いつも通りの時間の過ごし方だ。若干巻きが入ったのはちょっとしたいたずらのせいで仕方がなかったが、帰り道、「今日はお前んちに寄るからな」と言えば、彼は少しまごついた表情を見せた後、頷いた。
 どうやら自分が初めての相手だったらしい恋人は、どうにもその点は奥手だった。もう既にかなりの回数をこなしているのに、初心さを失わない。それが可愛い。
 今すぐにでも抱きしめてキスをしたくなるのを我慢して、午後の仕事に入った。
 この後、十分に堪能出来るのだからと自分へと説得し、始末書を処理していく。
 ああ、どう堪能しようかなと邪念が混じるので、仕事のはかどらない事この上なかった。
 だけど、幸福だった。
 たまに見せる焼きもちも、可愛いものかもしれない。だけど、悲しい気持ちにはさせたくない。
 これからは気をつけないとな、と虎徹は深く反省した。
2011.7.4.
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