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It's a wonderful world それは美しい世界


 病院へ逆送されるのは、むしろ当然の話だった。
 あんな事を言ったもののハンドレッドパワーがもたらす回復はやっぱり五分という限界がもたらすものと同じ結果でしか過ぎず、表面的に「なんとか動ける」と言うレベルだったからだ。
 だが、意識を失っていたので知らなかったが自分と同じ程度、能力を発動させないままでダウンを食らったというバーナビーも同じように搬送されたのには、参った。同じ能力である自分を見ていたからに違いないだろう、全く歯が立たない事を知っていたのだから、能力を発動させるのに躊躇いがあって当然だったろうと思う。
 そして、その結果として同じ部屋に突っ込まれていることにも、参った。
 しかし彼も身体能力はハンパではない。それに自分程集中的にやられた訳でもないらしい。
 あくまで防御姿勢を取った上でのダウンだったと言うのだから、なかなかに彼らしい。
 そして、そうやって能力を温存しておいてくれたからこそ、あの結果が生めたのだ。
 最高で傑作の終焉だった。彼の二十年という長い復讐へのピリオドには、あのくらい派手な演出が望ましかった。
 他の病人への配慮、と言う点もあってか自分達ヒーロー全員は同じ病室に閉じこめられている。
 正直男密度が高すぎて、辟易することもあるが、あの騒ぎの後だ。
 万一自分達がヒーローだと分かれば何が起きるか分からない。病院側としては保護、治療が出来る名誉もあるとは思うが、物理的なトラブルを心配して早く退院して欲しいと願う気持ちもあるだろう。
 その願いが通じたか、ひとり、また一人と軽傷だった者から先に退院していく。
 当たり前のように最後まで残されたのは、虎徹ただひとりだった。
 バーナビーが退院したのが、一週間前。自分も来週には退院の目処がついている。
 いい加減体も回復し、ヒマを持て余している自分に、毎日必ず訪れる見舞客がいた。
 それは、退院したばかりのバーナビーだった。



「おじさん、そろそろ片付け始めないとヤバイですよ。あなたの場合、全く整理が出来ないんですから――物だってこんなに増やして」
 タオルに着替え、日用用品。そしておいしくない病院食には欠かせないと買い込んだ大量のマヨネーズ。
 その殆どを持ってきたのは彼だと言うのに、ベッドサイドを見遣ってバーナビーはため息を吐く。
「お前が持って来てくれたんじゃん、大丈夫だろ?」
「まさか僕に片付けろって言うわけじゃないですよね」
「え、片付けてくれねぇの?」
「虎徹さん。それくらいはしてください」
 お、と虎徹は思う。
 あれから時折バーナビーは自分の事を名前で呼ぶ。どういう使い分けをしているのかは知らないが、気付けば呼んでいる。
 自分を正しく認めた呼び方に、気持ちが浮き立つのは仕方のないことだった。
「まあそう言うなよ、手伝ってくれよバニー」
「イヤですよ。だってあなた、僕の退院の時にはなにも手伝ってくれなかったじゃないですか」
 差し入れとして持ってきた缶コーヒーの内一本を、自分で消費しながら冷たい目でバーナビーは自分を見る。
「手を出すなっつったのはお前の方だろ」
「当たり前です。ぐちゃぐちゃにされては困りますから!」
「ええー、人のせっかくの親切断っておいて、それ?」
「親切じゃないから断ったんです」
 可愛くないのな、と思う。だがしかし、確実に彼は変わった。
 憑きものが取れたと言うのだろうか。着実に人間的な丸みを帯びているのが分かるのだ。
 それは日々進化をしているようで、毎日わずかな時間しか会わないからこそ、虎徹には良くわかる。
 自分の名を呼ぶのだってそうだ。
 まだ「おじさん」呼びと「虎徹さん」呼びがふらふらと行き来しているように、少しずつ時間を掛けて進化している。
 すごい事だと思った。あの出会った頃の彼を思い出せば嘘のようだ。
「なに、笑ってるんですか?」
「いや。バニーもすげえ良かったな、と思って」
「……どういう、意味で?」
「復讐遂げられたじゃん。それも最良の形でお前が片を付けた。おかげで最近のお前は少し、眩しいよ」
「………」
 だんまりになった。そして、缶コーヒーを一気に飲み干す。ああ、ちょっと照れているのかもしれない。そう思えば自分の表情が緩く崩れてしまう。
「取りあえず、準備開始しておいてください」
 だがそんな虎徹に気付いたのか気付いていないのか、彼の言葉はやわらかい。
 なんだかんだ言っても片付けてくれるんだろうなあと思えば、虎徹の表情からは笑みが消える事がなかった。
「僕はそれじゃあ、診察してもらって帰ります」
「おう、気をつけろよ」
 退院したとは言え、完治した訳ではない。
 彼が毎日顔を出すのは、半ば以上自分の診察のついでだった。
 だが、ついでとは言え、短い時間とは言え、こんな時間を彼自らが選択して持とうとしている事実が虎徹を嬉しくさせる。
 ああ、彼はようやく時間を再開させたのだ。四歳の時に止めた時計を、動かし始めたのだと思った。



 そして退院の日、まだ面会時間ではない早朝に現れたバーナビーは案の定大きなボストンバッグを手にしており、笑いもだけれども、心の奥にじんわり滲む暖かさを虎徹は浮かび上がってくるのを止められなかった。
 なんで何もしてないんだとか、散々に罵られたけれども、その言葉も厳しさが緩い。
 彼は、確実に自分に手を焼くのを楽しみ始めている。
 リハビリもほぼ終了しているので、この後は週に一度程度の通院でどうにかなりそうだとの事を初めて告げれば、バーナビーは「何故僕より軽傷なんです?」と怪訝そうな顔をしていたけれども、まあ基本的にほっとしたような顔をしている。
 表情のバリエーションが本当に増えたなあと思う。
 手早くタオルや着替えをバッグに詰め始めたバーナビーを見ていると、笑みを止める事が出来ない。最近ずっとこんなだ。彼を前にすると自然に笑みが浮かび上がる。
 それはひどく幸福なのだから、だろう。
 彼がきっと幸せを感じていることが、自分にまであけすけに伝わってくる。
「ほら、行きますよ虎徹さん」
 とっくにパジャマを脱がされ、洗濯ものと一緒にまとめて突っ込まれている。
「会計、すませに行きます。虎徹さんはこれ全部まとめて持ち出せるようにしておいてください」
「ああ……」
 会社の支払いだからかなー、などとぼんやり思う。
 それにしても、彼は今日朝からずっと自分の事を「虎徹」と呼ぶ。そしてまめまめしく動いてくれている。
 期待はしていたけど、正直言って期待以上だ。
「えーと」
 深く意識するな、と自分にストップを掛けた。
 そうしなければ、赤面してしまう自信がある。まさかそんな顔を、戻ってくるバーナビーに見せる訳にはいかない。彼もきっと今日はてんぱってて色んな「余裕」に欠けてるのだ。
 欠けた状態で、なぜああなる? と思えば更に赤面出来てしまいそうだったので、慌ててそれも気付かなかった事にした。
「あー」
 すっかり俺、お父さんなのかね。などと意識を切り替える。
 逃げの鉄則だ。自分の心に優しそうな方を選択する。取りあえずベッドの上に積まれたバッグ三つとキャリーバッグを持とうとすると、やっぱり傷にはまだ響いた。
「うん、どうしたもんかな」
 持って行けるように、と言っていただけだから、持つ必要はきっとないのだろう。まあ、彼が帰ってくるのを待とうと思った。
 何故こんなスムーズに待とうと思えるのかは不思議だが、だがしかし、何故かそうしないといけないような気がしたのだ。



 バーナビーは世話になったナースルームへ営業用スマイルを浮かべ、菓子折まで渡していた。
 なんというか立つ瀬がない。これでは完全に彼が妻か母かそんな存在だ。
 気恥ずかしい思いをしたが、その笑顔は営業用に見えて何故かそうでもないように見えるのだから、不思議だ。憑きものが落ちるとあそこまで変われるものなのだろうか?
 廊下に立っていた自分をみつけると、彼は頬に笑みを浮かべる。
「持ちますよ、多すぎるでしょう」
「あ、おう。サンキュな」
 自然に重いボストンを取り上げ、自分にはキャリーバッグと、その上に乗る小さなサイズの物しか残してなかった。
「おい、バニー。それは持ちすぎだろ。お前も傷治ってる訳じゃないんだから」
「虎徹さんよりはマシな筈です。それに駐車場までくらい、平気ですよ」
 からりと笑う笑顔のバリエーションは今までになかったものだ。
 あっけにとられ、――そして、ああ、またこいつ「虎徹」って呼んだと遅れて気付いた。
 そのまま彼の車に送られ、しばらく空気の入れ換えもしていなかった自分の家まで送られる。
 荷物をまとめたのは自分だから、と荷解きまで手伝ってくれた彼の好意を有り難く受け取り、自分は洗濯機へ向かう。
 ふと振り返り、ソファの上に荷物を広げているバーナビーを見れば、何故か赤面していた。
「どうした?」
 洗濯なんて簡単なものだ。洗剤を入れて、ボタンを押すだけ。
「い、いえ……おじさん、これ、どこに片付けるんですか?」
「それは自分でやるから、さすがにいいよ」
 あ、こいつ気付きやがった、と思った。それで赤面しているのだろう。朝からずっと自分の事を虎徹と呼んでいた事に、ようやく気付いたのだろう。今更のように「おじさん」と呼ばれて、逆にこちらも驚いた。
 こいつ、これからどう呼ぶつもりなんだろう――と、思う。
 少なくとも自分は、あのときのようにそう簡単にバーナビーと呼びかける事ができないでいる。
 それはいざと言う時の手段だ。安売り出来ない。
「じゃあ、もう僕は……」
「まあ、待てよ。コーヒーくらい飲んでけ」
「は、はい」
 荷物を広げたソファの端に座ったかれは、非常にちんまりとしていた。
 妙に笑いを誘う。
「そう言えば、仕事復帰はまだ一ヶ月後くらいでいいと、ロイズさんが言ってました」
「一ヶ月ぅ? バカ言え、そんなに休んでられるかよ。大丈夫大丈夫、なんとかなるしもうちょっと早めに復帰しようぜ。お前も大丈夫だよな?」
「ええ、大丈夫ですが?」
 すぐに返事が来た。
 まるで自分が何を言い出すかなど、お見通しと言った風なレスポンスの速さだ。
 まあ、自分の事を今までみていれば、分からない筈がないだろう。
――と、考え。
 ああそうか、自分も彼の変化にいち早く気付いたのは、今までずっと自分も彼を見ていたからだと思った。同じように、バーナビーもずっと虎徹を見ていたのだろう。ただ、その見方が多分切り替わった。
 スイッチが入った。それも、非常に人間味のあるものに。
 コーヒーを持って行き、テーブルの上に置く。
「今日はありがとうな、バーナビー」
 ぱん、と音がしそうな程の反射で、顔を見られた。
 じわじわと彼の頬が紅潮していくのが分かる。
――ああ、やっぱりこいつ変わったな。
 微笑みが浮かぶのを止められない。
「虎徹さん、それでも無茶はダメですからね」
 今度は意識的にだろう、彼は呼んだ。
 くすぐったい気持ちになるのは何故だろう。自分が彼の内側にようやく足を踏み入れられた気がしてならない。
 ずっと頑張って踏み込もうとしていたし、それなりの手応えも感じていたけれども、こんな深い場所にまですとんとはまって行く感覚は初めての事だった。
「ま、それなりに。無茶はお前もすんなよ。取りあえず、よろしく。相棒」
「――……こちらこそ、よろしくお願いします。虎徹さん」
 差し出した右手は、きゅっと優しい力で握り返された。
 彼の世界は急速に開いて行くだろう。
 その傍で彼を見続けられるだろう事は最上の幸せのような気がした。
 そして、その上で自分がしなければいけないのは、この信頼を維持していくこと。そして世界を見ていく時の手助けだな、と思った。
 彼が幸せになってくれるのは、虎徹にはとても嬉しい事だった。
「取りあえず、明日は会社に顔を出すかな」
「じゃあ迎えに来ますよ」
「いやそれくらい大丈夫だよ」
 苦笑を浮かべ、断ろうとしたがまっすぐな目に心がぐらりとよろめいた。
「うん……大丈夫、だと思うけど。もしダメだったらよろしく頼む」
「はい」
 彼の顔はぱっと笑顔になる。
 ああ、明日の朝はきっと電話しないといけないだろうなと虎徹は思った。
 その事に、顔が緩むのは何故かなど深く今は追求してはいけない。
2011.7.6.
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