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With much ずっと一緒に


 ヒーローを引退して、もう十年になる。
 その間にも新人はそこそこ出て来て頑張っているようだが、やはりバーナビーは群を抜いた場所に立ち続けていた。
 彼の相棒でなくなって、十年過ぎてしまった。
 傍らで一緒に走れなくなったのは寂しい事だが、それでもまだ自分たちには繋がりがあった。そう簡単に切れるような関係ではないのだ。
 いがみ合ってた最初の頃なんて、今思い出すと懐かしい上に恥ずかしくて笑えてくる。アカデミーには時折顔を出す。ヒーローも二軍制になったためか、アカデミーはそれなりに敷居の高い場所になっていた。昔のように使えない能力のネクストはほとんどいない。
 能力のコントロールや、ヒーローとしての立ち居振る舞い。虎徹はそんなものをアカデミー側からごくまれに依頼されて、引き受けていた。だが、もう十年も前に引退した、それも最後まで素性を明かさなかった自分が「元ヒーロー」と言うだけの名称では、ワイルドタイガーと結びつける人間はまずいない。
 それが気楽でもあったし、若干の寂しさもあった。
 久しぶりに、学長から連絡が来る。
 そろそろ使えるようになってきた能力者達がいるから、教授してやって欲しいとの依頼だった。年に二度くらいはある出来事だ。
 まあ、アポロンメディアに在籍はしているものの、日々かなり暇を持て余している虎徹に取っては、良いお誘いだ。二日に渡る日程は毎回楽しみなものだった。



「おい、なんで来てんだよ」
「呼び出されたんですよ」
「忙しいだろう、お前。今期の詰めの時期じゃねぇか」
 果たして。
 アカデミーに到着し、学生達の前に立てばそこに遅れてバーナビーがヒーロースーツをまとったまま、姿を現した。驚いたのは虎徹の方だ。
 彼とは一緒に住んでいる。楓を嫁に出して以来、身軽になってしまった自分へと彼が同居を提案してきたのだ。自分たちはそういう関係にある。――つまり、出来上がってしまってもう長い。既に妻と過ごした時間より、長く一緒にいて傍にいるのが当たり前の存在になっているのだ。
 だが、そんな彼も昨日は、今日の予定を何も言っていなかった。自分は久しぶりのアカデミーだと浮かれて話していたと言うのに、まさかこの期に及んでサプライズを仕掛けてくるのかと呆れを通り越して笑えてしまう。
 飽きない存在だった。本当に。
「呼び出しが掛からない限り、問題ないですよ」
 生徒達の前で思わず言い合いをしてしまっていた。こほん、と学長がわざとらしく咳をして、そんなやり取りを中断させられてしまう。
「申し訳ありません」
「あ、いやすんません、聞いてなかったんで」
 相変わらず、相方はこういう時は完璧な営業スマイルだ。いい加減その仮面は捨てろと言うのに、この方が受けいいんですと言うのだから、ダメだ。こいつはやっぱり分かってない。素の笑顔の方がどれだけ魅力的か分かっていないのだ。
 だが、それを万人に向けられても困ってもしまう。
 それは自分が独り占めするものだ。
 だから……やはり、これでいいのだろうか。
 うーん、と難しい顔をしていると、再び学長の咳で我に戻された。
「と、言うことで彼ら先輩に学ぶように」
 しん、とした真摯な瞳が自分たちを見る。だが視線はもっぱらバーナビーへと向けられていた。それはそうだろう。この数年ダントツMVPを外さない、既に青年の時期を抜けベテランとなったのに輝きを失わない憧れのスーパーヒーローなのだから。
 ちくしょう、と思う。
 いいところ持って行きやがって、と虎徹は少し拗ねた気持ちになった。そんな自分を見ているバーナビーの視線が微笑ましいのが、また癪に触る。
「すいません、虎徹さん。そんなつもりじゃなかったんですけど」
「はいはい、分かってるよ。さ、お前が先にやれよ。俺は取りこぼしたヤツ拾って行くから」
「拗ねないで下さいよ」
「あー、お前むかつく!」
 取りあえず教壇から降りてもまだ二人で言い合っていたら、生徒達がひそひそと言葉を交わしていた。耳に入ってくるのは、「何故あんな人とバーナビーさんが?」とか「あの人一体何者?」と言う言葉ばかりだ。そりゃあそうだろう。五十を越えたしっかりとおじさんと言うに相応しい男と、まだ三十代半ばのスーパーヒーローとの関係性など、見えなくて当然だ。
「ばっか、知らねぇのかよ!」
 ひとりの声が、とんと突き抜けた。
 周囲の視線が集まって、その青年は急にあたふたとした顔になる。
「あ、あの。ワイルドタイガーさん、ですよね」
「は? え?」
 真摯な顔をした青年は、じっと自分を見つめていた。
「尊敬していました、コンビを組んでらした時も、その前も。お会い出来て光栄に思っています」
 途端、周囲のざわめきが半端じゃなくなった。
「ほら、虎徹さんだって人気者だ」
 笑いながら、とんとバーナビーが背中を叩く。
 気恥ずかしくなり、かしかしと頭を掻く。
「ありがとう……えーと、そしたら。まあ俺がなんでもいいんだけどヒーローになるヤツには知っといてもらいたい事をいくつか教えておくな。後で現役でもあるバニー………じゃなくて、バーナビーからも為になる事を言ってもらえると思う。しっかり心に刻んでおけよ」
 声を張れば、まだ自分も若いものだ。東洋系なだけあって、外見もそう老けては見られないのも得だった。うっかり相方をいつも通りに呼んでしまって焦ったが、生徒たちはしんと聴き入り始めた。
 まだまだ若造達をしっかり押さえる事が出来る。
 ざわめいていた彼らは、しゃんとしてこちらへ耳を傾けていた。



「お前な、来るなら来るって言っとけよ。昨日の俺バカみたいじゃねぇか」
 控え室に戻るなり、がしがしとバーナビーの足を蹴ってやる。
「やめてくださいよ、子供みたいな」
「うっせ」
 笑いながら言うのが腹立たしい。だが、こっちも昨日子供のようにはしゃいだ気恥ずかしさから来ているのだ。
 全く、やってられない。こっちも結局笑いが漏れ出して来て、取りあえずの今日のお仕事終了にほっとした。
「取りあえず、PDA鳴らなくて良かったな、スーパーヒーロー」
「虎徹さんがそれ言うと嫌味にしかならないんですけど」
「嫌味だよ、分かってたのか」
「当たり前でしょう」
 スーツを脱ぎながら、バーナビーは嘆息する。
「今日もちょっと驚かそうと思っただけなのに、あなた本気で怒ってるし」
「い、いや……本気って訳じゃないよ、バニーちゃん」
 彼の声に不機嫌が混じり始めたので、急に虎徹は慌てた。
 バーナビーとの付き合いは長い。本当に長い。
 怒らせたりそれをこじらせたりすると、後が面倒な事はイヤと言う程知っていた。
「どうでしょう?」
 はぁ、と息をつき、ようやくスーツを脱ぎ終えたバーナビーはアンダー一枚の姿になる。相変わらず体型は変わらない。それは、自分とて同じ事なのだが。
 ヒーローじゃなくなったからと言って、ネクストでなくなった訳ではない。能力もまだ発動出来る。いざと言う時に自分も動ければいいと思っていた。ヒーローでなくてもいい。それでも出来る事はある。
 簡単な人助けだって、自分には幸せな行為なのだ。この能力を持っている限り、自分は人の為に生きようと思っていた。
 この、傍らの存在だけは特別として。
「で、どうすんの? お前帰れるの?」
「まさか。スーツ置きに戻らなきゃいけませんよ」
「あ、そっか」
「虎徹さんも来ます?」
「あー……、いいわ」
「なんで? 久しぶりじゃないですか?」
「だってあっこにはもう、俺の居場所ねぇし」
「拗ねてるんですか?」
「いいや、そう言う訳じゃねぇよ」
 ヒーローを引退したのには、訳がある。彼の隣を走り続ける事が出来なくなったからだ。ひとりでならば、もしかすると可能だったのかもしれない。だが、バーナビーと共にいない自分など既に想像出来なかったのだ。
 だから、潔く自分は判断を下した。
 バーナビーはあの時泣きながら止めたけれども、だが一緒に走れないと一番分かっているのもまた、バーナビーだった。
 今の生活も捨てたもんじゃない。
 それなりに、納得しながら幸せに過ごしている。
 仕事上は無理になってしまったが、相変わらずバーナビーは自分のパートナーだし虎徹の一番近い場所にいる。
「じゃあ、先帰ってるから。待っててやるよ」
「分かりましたよ、先輩」
「お前……」
「あれ、気に障りましたか」
 笑いながら言うのだからタチが悪い。こういう所は変わらない。小生意気な若造だ。
「障ってねーよ、早く帰ってこい。じゃあ先に出るぞ」
「あ、はい。それじゃあ後で」
 軽く手を挙げると、自分はそのまま控え室を出た。
 学長には既に挨拶を済ませている、このまま車へ向かえばいいかと思った。
 バーナビーが帰ってくるのはいつ頃だろうなぁと思う。このまま今日は事件がないといいけどな、と思ってしまうのは、待つ側の性のようなものだ。
 まあ、元ヒーローとして街が平和であることは望ましい。



 バーナビーと同居するにあたり、ブロンズステージから家は引っ越した。バーナビーも無駄に広いだけのゴールドステージのマンションを引き払い、まあ適当だろうとシルバーステージの一戸建てに住んでいる。それだって二人きりの生活には広すぎるくらいだ。ただ、自然を模した庭がついていたのが気にいったのだ。日本家屋に慣れて育った虎徹に取っては、住んでいた家に近しい作りをしていたのも好ましかった。
 取りあえず、料理はさほど得意ではないが、それでもバーナビーよりはマシなレベルなので、時折虎徹は夕食を作る。
 だが、今日はまあいいかなと思い、バーナビーの携帯へ何か買って帰れとのメールを入れておく。
 ビールだけは、相変わらず冷蔵庫に満杯だ。
 ひとまず今日の疲れを癒そうと、一本開けた。
 バーナビーは今日限りなようだったが、自分は明日もある。深酒はよした方がいいなと、取りあえず一本でやめておく事にした。
 静かだった。
 ひとりなのは慣れている。だが、今日は久しぶりに賑やかな場所に出てしまったから、静寂がうるさく感じる。
 すると、携帯がぴるると音を立てた。バーナビーからの返信だ。
 もう帰る、とあった。時間的にはまだ早い。だが、アカデミーのイレギュラーな仕事のおかげで、自由が効いたのだろう。だったら待ってやれば良かったかなと思わないでもない。
 小さく息を吐き、窓の外を見る。
 緑が鮮やかな季節だ、気持ち良い。
 縁側に座っていると、そのうち車の乗り付ける音が聞こえる。
 そしてぱたぱたと足音がしたかと思うと、玄関が開かれた。
「おー、おかえり」
「こんなに早くに帰れるなら、虎徹さんと帰れば良かった」
 そう言って、縁側に座る自分の横に座る。
 うん、と心の中で何故か頷く。
 この距離感が気持ち良い。彼が隣に居る事が、酷く心地良い。
「明日もあるんでしょう? 今度は邪魔しませんよ」
「まーだ根に持ってるのかよ」
「根に持ってるのはおじさんの方でしょう」
「おじさんとか言うな」
「懐かしくていいって言ったのは誰でしたっけ」
「うるさいな」
 昨日の夜の話だ。うっかり彼が喘ぎの中でおじさん、と口走った事にたまらない気持ちになった。思わずストップが掛からなくなる程に、バーナビーを抱き潰してしまうところだった。
「お前、今夜も潰されてぇの?」
「おじさんにその元気があるなら構いませんよ」
 しれっとした顔で言う。昨日は泣きながらいきっぱなしで、途中で許しを請うていたと言うのに。
「じゃあ、そういう誘いがあったってことは覚えとくわ」
「卑怯ですよ」
 言うと、ひょいと彼は立ち上がる。そして冷蔵庫から冷えたビールを二本取り出し、持って来た。
 その一本を自分に渡し、また同じ場所に座ると彼も美味しそうに飲み始めた。
 彼は本来、炭酸のアルコールは好まない質だった。こうやって虎徹がビールばかり飲むから、彼も馴らされてしまったのだろう。近頃ではめっきりビール党だ。
「さすがに、人の前に立つと疲れるな」
 一口飲むと、傍らにおいてそのまま横になる。
 開け放った窓からの風が気持ち良い。
 ちょうど良い場所にあったバーナビーの太ももを枕にすると、額をぺちりと叩かれ、「甘えないでください」と笑いながら言われた。
 だがそんな顔で言われては、もっと甘えろと言われているようなものだ。
 だから遠慮なくその場所でくつろいだ。
 下から見上げるバーナビーは、とても穏やかな顔をしている。
 あの事件以降、彼はすっかり人が変わった。余裕というものを身につけ、今では昔のスカイハイのようにキング・オブ・ヒーローとして扱われ、しかしそれに慢心することなく努力を怠らず、しかしやはり、余裕がある。
 あー、惚れるよなーと虎徹は思ってしまう。
 抱いてても構わないのかなーと、たまに思ってしまう。昔は自分が彼を包み込む立場にいたのだけれども、今では逆転したかのような錯覚にも陥る。
 だが、多分お互いに補いながら過ごして行けているのだろう、客観的に見れば、きっと。
 だから自分たちは些細な喧嘩はするけど持ち越さないし、相変わらずお互いの事を好きすぎるくらいだ。
 今となっては、ロイズに感謝だ。あのとき、自分を拾ってくれなければ職も彼も失っていただろう。いや、そもそもバーナビーを手に入れる事すら無理だろう。
「なあ」
「はい?」
「お前、後悔してね?」
「何をですか?」
「――いや、してねぇ顔してるからいいや」
「何ですか、全く」
 穏やかな顔をしている。この空間が満ち足りている。
 緑を通り抜ける風は涼やかだし、ビールの酔いは少しだけ回っている。今日の慣れないお仕事の疲労で、少しばかり眠い。
 目を閉じてみれば、とろりと眠気がやってくるのが分かる。
「虎徹さん?」
「んー?」
「寝るつもりですか」
「ちょっとだけ」
「……仕方ないな」
 そして、彼は寝やすい用に腿の高さを変えてくれる。
 彼は自分に対して、甘すぎる。
 目を閉じたままどうしても浮かんでくる笑いをそのまま浮かばせれば、またぺちんと額を叩かれた。
「おやすみなさい」
 そして同じ場所に、あたたかな呼気と柔らかな唇の感触が降りて来た。
 ああ、こういうのは幸せでいいなあととろりとした眠気に絡めとられながら、虎徹は思った。



「お父さーん」
 がらり、と玄関の扉が開くなり、彼の可愛い娘の声がした。
 だが、虎徹はすっかり夢の中だ。少し、と言っていたのに既にもう日が暮れている。このまま寝続けるのだろうかと思いながら、時々髪をすいたり、鼻をつまんでみたりとバーナビーは遊んでいたのだが、その声にびくりとしてしまった。
 彼女は嫁に出る前に、自分の父がヒーローであることを知った。それと同時に、相棒であるバーナビーとの関係もおそらく気付いた。
 今こうやって二人で住んでいる事も、なんとなく気付いているけど口にはしませんよ、と言う態度のままで時折顔を出す。
 孫を抱いてやって来た彼女は、そのまま入り込んで来て、縁側で眠りこける父を発見した。
 目を見開いた彼女へ向けて、バーナビーは口元に人差し指を立てる。
 こくこく、と頷いた彼女は、父がバーナビーの膝枕で眠っていると言う現実を見ても、やはり驚かなかった。
「いつからなの、これ?」
「んー、三時間くらいになりますね」
「バーナビーさん、足痛くない?」
「まあ、この程度なら」
「さすがキング・オブ・ヒーロー」
 くすり、と彼女は笑った。
「まあ、起きてからでもいいや。ふたりともその様子だと、ご飯食べてないよね?」
「いいよ、楓ちゃんがする必要もないし」
「たまにはお父さんに私も手料理出来るってとこ見せておかなきゃ。全く、まだ四歳の頃のように扱う時があるんだもんね」
「父親ってのは、そういうものなんだと思うよ」
 言うと、まあそうねと彼女は笑った。
 そして父親を見下ろすと、そのだらしない寝顔に呆れ返った顔をした。
「これでいいの? バーナビーさん」
「ええ。これがいいんですよ」
 そんなやり取りには全く気付かず、虎徹はもぞりと寝相を変える。
 バーナビーはひどく柔らかく微笑み、その寝姿を見ていた。
2011.7.7.
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