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In the mind of man cannot know 人の気もしらないで


――ああ、もうどうしてこいつはこうなんだろう。

 虎徹は、くたりと眠ってしまったバーナビーを眺めて思う。彼が自分に急速になつき始めた事には気付いていた。こうやって家にも来るようになったし、プライベートの時間を共にする事も増えた。
 だが、だからと言ってこれはあんまりだろう……と、思うのだ。
 彼がこうやって自分の家で飲むときは、ほぼつぶれてしまう。トレードマークにもなっているライダースジャケットなどとっくに脱ぎ捨てられ、ソファに転がる彼はシャツすらも鬱陶しそうに脱ぎ出そうとするのだ。
「おいおいおい、やめとけ」
 彼はぐっすり眠っている。当然聞こえる筈がないのだが、毎度虎徹は声をかけざるを得ない。
 大概において虎徹の言葉は意味を為さないのだけれど。
 結局バーナビーはシャツを脱ぎ捨て、ベルトまで緩めてソファで眠り込んでしまうのだ。せめてと思ってタオルケットをかけてやっているのだが、そろそろ虎徹も限界だ。
 彼がなついて来た事によって、自分にも変化は起こった。
 つまり――あの生意気でいけすかないとしか思っていなかったこのルーキーの事が可愛くなりだしたのだ。しかも、多分マズい意味で。
 同性だとか相棒だとかはこの際気にならなかった。いや、むしろだからこそ、なのだろう。
 背中合わせで戦える感覚と信頼。そして、それを乗り越えて向けられる笑顔。
 誰に対しても壁を張り巡らせていた彼の自分にだけその壁を取り払ってしまう事実。それは、心を揺さぶられるのに十分のものだった。
 どうせ、良く眠っている。だから気付く訳ないだろうと思って手を出しかけた事は一度や二度ではなかった。
 しかし、虎徹の良心がそれにストップを掛ける。
 自分が声を掛けようが、タオルケットを掛けようが、気付かないレベルの睡眠だ。かと言って、そう飲んでいる訳でもないのだ。ビールを数本と、虎徹が好みの焼酎を二、三杯程度。外ではこんな事にはならない。セーブして飲んでいるせいかもしれないが、それでも彼は主にワインを嗜むので、彼の家に行けば二本くらいひとりで空けてもけろりとしている時がある。
 酒が合わないのだろうか? まあ、チャンポン状態なのでそれも仕方ないかもしれない。
 だが、虎徹は自分に都合の良い解釈をする事にしていた。
 すなわち、自分の家だからこそ、気が緩むのだと。
 虎徹の傍だからバーナビーは緩む。そしてこんな醜態をさらす。
 彼の家に招かれたときは、バーナビー自身がホストだから気が張っているのだろうと思う。まあ、相手が自分でそんな事もないだろうけれども、ちょこちょこと新しいボトルを出して来たり、つまみを追加したりだのをしている。
 だがうちに来たときは別だ。
 完全に何もしないし、虎徹に任せっきりだ。
 それは、甘えられているようにも感じられて、虎徹は嫌いじゃなかった。
 だが、これはやりすぎだ。
 ため息を吐いて、明確になる前の自分の感情を押し殺す。
 そして、いつも通りにタオルケットを持ち出すと、彼のからだに掛けてやるのだ。
 そのつもりだった。
「……こてつさん?」
 ばさ、とケットを掛けた瞬間に呼ばれた名前。まだゆめうつつの声だった。
「起きてんのか?」
「……………こてつさん?」
「ああ。起きてるんなら、ちゃんと服を着ろ」
「こてつさん?」
 話を聞いているのだろうか? 疑問系で幾度も自分の名前を呼ばれる。
 ただ、それだけだ。
 ああ、寝ぼけているだけだなと判断する。しかしこの寝ぼけ方も最悪だ。
 どうして、自分を刺激するのだろう。
 この歳になって、一回り以上も違う、しかも同性の青年に振り回される日が来るなどと思っていなかった。
 掛けてやったケットの端を握って、自分の中の衝動と戦う。
 いっそこれをまくり上げて――と、考えるがその先が怖い。
 彼は酔っぱらって寝ぼけているだけなのだ。単に年上で甘やかしてくれる自分になついているだけにすぎない。自分の抱いているかもしれない感情とは、全く違う。バカな真似をしてせっかくの信頼を失うのは、怖い。
 一度失いかけた信頼だ。あのときは、心が痛んだ。
 ここまでなついていなかったと言うのに、それでも辛かった。
 それを今取り上げられてしまったら、一体自分はどうなってしまうのだろう……?
「バカになってやがる」
 ケットから手を離す。そしてその手で、自分の髪をかき乱した。
 その足で冷蔵庫まで向かい、冷えたビールを取り出す。プルトップを引き上げると、ケットにくるまったバーナビーが見える位置で立ったまま半ば程までを一気に煽った。
 少しは頭が冷えればいい。
 いや、そうならばアルコールを入れたのは失敗だっただろうか。
 冷たいペリエを選ぶべきだったのかもしれない。しかし、今の状況でたった一本のビールで酔えるとも思えなかった。
 深いため息を落とし、今度はバーナビーを極力見ないようにしながら、ロフトへ上がる。眠った方が良い、そう思ったのだ。
 そうでなければ、いつか自分の箍は外れる。



「おはようございます」
「うぉあ」
 わずかに宿酔いの気配を残しながら目を開けば、間近にバーナビーの顔があって酷く驚いた。
 昨日の事など当然に記憶にない彼は、すっきりとした顔で笑顔で挨拶をする。
「驚き過ぎですよ、虎徹さん――それにしても、こんな所でまで飲んでたんですか?」
 若干咎めるようなニュアンスを含ませ、ベッドサイドに置かれているビールの空き缶を眺め、再び自分を見る。
 人の気も知らないで、と思いながら彼の視線を受け止め、少しだけ不機嫌な表情になってしまった。
「どうしたんですか? もしかして二日酔いとか?」
「お前、平気なのかよ?」
「ええ」
 そう。彼は毎度あんな風につぶれてしまうくせに、眠った所で記憶はぶつんと途絶え、そして翌朝にはしっかりしている。酒を引きずる事は無い。
「あ……、また、タオルケット。ありがとうございました」
 目元を緩ませて、彼は言う。
 いいよ、と軽く告げて、虎徹もベッドから身を起こした。
「なんだ、服のまま寝てしまったんですか?」
 しわくちゃになった濃緑のシャツを見て、呆れたようにバーナビーは言う。
 彼はちゃっかりきちんと服を着込んでいる。まさか脱ぎ捨てている事を虎徹が知っているとも思っていない風だ。
「お前こそ…」
「え?」
「脱ぐのは、いい加減やめろ」
「え」
 彼の呆れたような声音と、近すぎる距離。そして、まだわずかに残る酒がついにその言葉を口にさせてしまった。
「な、んで……」
「お前が毎回寝ては脱ぎ出すからに決まってんだろ!」
「え、え? なんで虎徹さんが知ってるんですか」
「起きてるからに決まってんだろ……いっつもいっつも脱ぎやがって。いい加減こっちの身にもなれ」
「すいません……見苦しかったですよね。大体自宅で寝るときは、シャツ着ないんで……それに、お酒も入って熱いですし」
「分かってるけどよ。お前、外でもそんなんじゃねぇだろうな?」
「外? 虎徹さん以外の家で飲んだりなんかしませんよ。お店に入るときは、あくまでもヒーローのバーナビーでいなければいなければなりませんし」
 その言葉の破壊力に気付いているのだろうか。
 もうどうでもいい気がしてきてしまう。
 このまま抱きしめてはいけないのだろうか? 眠っているバーナビーに手を出すのは反則だ。だが、彼は今これ以上もなく目が覚めている。
 ならば構わないのではないだろうか。
 たとえ、自分が寝ぼけていたのだとしても。
「おい、こっち来い」
「……なんです?」
「いいから」
 ベッドから半歩離れた場所にいたバーナビーを招き寄せる。
 ベッドの際まで近寄った彼の手を掴むと、そのまま勢い良くまだ横になっている自分の元へとたぐり寄せた。
「……っわ、なに、ですか!」
「お前が悪い」
「なに?」
「お前がな、無防備すぎんだよ! 俺の前で!」
「え、それが?!」
「お前……、この純粋培養が! こっちがたまんねぇよ!」
 そして言うだけ言って、そのまま抱きしめた。
 鼓動がうるさい。寝惚けた勢いのままの行動だったが、体は覚醒しているのだ。自分のしている事を、自分は理解している。
「こ、てつ…さん?」
 突然の事に驚いたバーナビーは、虎徹の名前を呼ぶことさえもたどたどしかった。抱きしめられた体は硬直したかのようにされるがまま、ぴくりとも動かない。
「毎回毎回、こっちがどんな気でいるのか分かってねぇだろ!」
「なに……」
「分かってねぇよな、分かっててそんな無防備な訳ねぇよな。分かってるよ……俺のひとりよがりだよ、どうせ」
「何を、言ってるんですか?」
「この状況でまだ言うか」
「ええっと……」
 困惑した声に、もうどうしてやろうかと思った。
 確かに二十年、外を見なかった男だ。当然のように女性との付き合いはなかっただろう。ジェイクを倒すまでの、自分に徐々に打ち解けて来る前のにべのなさを思い出さされる。そうやって来たから、この状況も理解出来ないのだ、きっと。
 だったらもっと直截的にすればいい。何も考えずに思った。
 頭を抱き込み、そのまま唇を合わせる。
 親愛の情でないと分かるように、どっぷりと深いキスだ。
「……っ、んっ」
 慣れない接触に、バーナビーは上手く呼吸が出来ないでいる。
 目は見開かれたまま、同じく見開いたままの自分の瞳と重なっている。
 薄く、虎徹は欲をにじませて薄く細めると、バーナビーは途端に焦ったように、腕から逃れようとした。
 だが、そんな事は簡単に許さない。
 がっちりと抱きかかえ、キスもほどいてやらない。むしろより深いキスへと進展させる。
「ん………っ、ん、ぁ」
 きっと初めて与えられるだろう感覚に、彼のまぶたはゆっくりと降りて行った。
 目の端に涙らしきものまで浮かぶ。
 ああ、泣かせちまったと思うものの、虎徹ももう止める事が出来ない。
 唾液の音をさせ、一度口づけを解けばくたりとバーナビーの体は自分の上へ落ちて来た。
「分かったか、バニーちゃん」
「……どういう、これは…」
「そのまんまだ」
「だって、そんな……!」
「分からない、ってんならもっと続けてもいいぜ?」
 途端、彼のからだがびくんと震えた。
 それは待っているかのようにも見える。
「俺が悪者でも構わない――なあ、バニー。お前、俺のものになっちまえよ」
 ああ、言ってしまった。
 だが後悔はひとかけらもなかった。
 押し殺していた感情を解放しただけに過ぎない。
 そして、それを封していた箍がついに役に立たなくなっただけなのだ。
 良く持ったな、と思いはすれ、悔いる気持ちはなかった。
 くしゃり、と彼の柔らかなくせ毛を撫でる。
「虎徹さんの、ものに?」
「ああ。俺をお前のものにしちまってもいいから」
「あなたが――僕の?」
 ぱちり、とまぶたが一度、二度と降りては見開かれた。
 そして、三度目にまぶたを開いた後は、じっと自分の目を彼は見つめた。
「あなたが、僕のものになってくれるんですか?」
「ああ。むしろそうしてくれ、話が早い」
「なんですかそれ。色気ないですね」
「お前の方がよっぽど色気ねぇよ、腹出してシャツ脱いでソファで落ちそうに寝てやがったくせに」
 彼が自分をみつめる視線が、緩く弧を描く。
「でも、だからこそ、僕をほしがってくれたんですよね」
「――まあ、そうとも言う」
「ならば、そうさせてください。あなたが好きなのかどうか、分かりません。でもあなたとならキスをしても構わない」
 真面目な声で告げられて、つい虎徹は破顔する。
「そか」
 とだけ告げて、笑みが深まる。


 そして、自然に今度は唇が引かれ合い、重なった。
2011.7.16.
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