酔っぱらった上に記憶が飛んでいる。
こんな飲み方をしたのは久しぶりで、朝の頭痛と悪心に軽く死にたくなった。
「う……やべぇ」
時計を見れば、とっくにシャワーを浴びて着替えをしていなければいけない時間だった。だがベッドから起き上がる気力がない。しかし社会人として、二日酔いで遅刻というのはあってはならないだろう――そう思い、一念発起し起き上がれば盛大な頭痛が襲い掛かって来た。
「ひでぇ」
自分に向けての悪態だ。昨日は、と記憶をたぐりたくなるが、その前にシャワーだ。いや、二日酔いの薬が先だろう。頭を抱えながらゆっくりとしたペースで階段を下りると、ソファに丸まっている物体に驚いて頭痛を一瞬忘れた。
「え、バニー?」
ケットにくるまって殆ど姿は見えないが、ぴょんとだけ飛び出した毛が見慣れたくすんだ金髪だったので、瞬間的に物体が誰だかを判別出来る。
「えっと……ま、先に薬」
冷蔵庫の中にある、『飲み過ぎたその朝に!』と大胆に書かれた、まさに目的通りのドリンク剤を空けてマズイそれを流し込む。マズイが、冷たい喉越しにすこしばかりすっきりした気になった。
すう、っとミントのような清涼感も残る。
だからと言ってすぐに二日酔いがマシになる訳ではないが、あの物体がバーナビーだとすれば、すぐに起こす必要があるだろう。どういういきさつで彼がここにいるのかはさっぱり不明だが、起こさなければ彼も遅刻だ。
「おい、バニー。起きろ、遅刻だ」
「う……うん……頭、いた……」
「そりゃあ二日酔いだ」
「……は? え、虎徹さん?」
ばさっとケットがめくられ、バーナビーは飛び起きた。しかし急激な動きに二日酔いの頭は付いて行けなかったようで、盛大に顔がしかめられる。今きっと、酷い頭痛に苛まれている事だろう。
思いついて、もう一本あった二日酔いのドリンク剤を取りに冷蔵庫へ向かう。
うめき声を上げて頭を抱えたバーナビーは昨日の事を覚えているだろうか? それにしても、自覚はないが相当自分達は酒臭いだろう。彼の寝ていたソファの回りにはビールの空き缶だけでなく、ワインの空き瓶が三本と焼酎のボトルが一つ転がっていた。平日の夜に一体どれだけ飲んだんだと昨夜の自分達に言いたい。社会人としての自覚がないのか、と。
冷えたミネラルウォーターと共に持って行き、まだ汗もかき始めていない冷たいそれをうめいているバーナビーの頬に押し当てれば、ひっと声を上げて、頭を上げた。だが直後にまた表情を顰める。
「これ、飲んどけよ。――昨日の俺らはなんだったんだ?」
「さあ……なんでこんなに飲んでるんです?」
ぱき、と軽い音をさせて栓を空けるとドリンク剤を一気に彼も流し込む。そのマズさに彼も辟易とした顔をし、次いで差し出したミネラルウォーターに口をつけていた。
「ありがとうございます」
「記憶、ねぇんだよな……取りあえずお前とそういや、夕食食べてたのは覚えてんだけど」
「その後、虎徹さんの家が近いから寄ってけって言って、引っ張って来たんですよ。それでまた飲み始めて……ああ、ダメだ。僕も記憶が曖昧だ」
水で潤った唇が、妙に目についた。
なんかおかしいと思いながらも、そうのんびりしていられる場合じゃない事を思い出す。
「それはそうと、もう遅刻だぞ。ヤバい」
「え?」
慌てて、バーナビーは時計を見た。そして目を見張る。
「こんな時間!」
思わずと言った風に大声を上げ、また彼は顔をしかめる。まだ頭痛が引かないのだろう。虎徹自身は悪心が若干残るものの、頭痛は軽くなってきた。
「どうする、シャワー浴びるか?」
「そんな時間ないでしょう」
「じゃあ、このまま行くか?」
「それしかないでしょう……どうせ大した仕事は今日ありません、トレーニングセンターへすぐ向かって、そこでシャワーを浴びます。ああ、でも少し洗面所をお借りします。髪このままじゃあさすがに…」
「そうだな」
いつも綺麗に整えられている髪の毛は、今はぼさぼさだ。癖毛なだけに、乱れも酷い。自分はほぼ直毛なので軽くなでつけるだけでいつものスタイルを維持出来るが、バーナビーは毎朝大変だろう。彼がこの家に泊まったのはなにも初めての事ではない。朝のセット時間も既に慣れていたが、それほどの時間が今残されているとも思えない。
「取りあえず、急げよ。十分したら出るぞ」
「分かってます!」
バーナビーが飲み残したミネラルウォーターを飲む。大分冷たさは失われ始めていたが、十分にのどごしは涼やかだ。若干残っていた悪心も拭われた気がする。
取りあえず顔くらいは洗いたい。髪は帽子で隠れるからこの際は良いかと思われた。
「おい、バニー。ちょっとだけ貸せ。顔洗わせてくれ」
「ええ、構いませんよ」
彼は必死に絡まっている髪を解きほぐしていた。後十分をとっくに切ったが、間に合うのだろうか?
顔をばしゃばしゃと洗い、少しだけ生え始めている無精髭にはこの際目をつぶる事にする。これもトレーニングセンターでどうにかしようと愛用のカミソリを手に取った。
「ああ、もうっ。これじゃあ無理です。虎徹さん、何か髪をくくるものありますか?」
「へ? ああ、楓の忘れ物ならあるけど」
「楓ちゃんの? ――……この際構いません、貸してください」
「ちょっと待ってろ」
カバンにカミソリを落とし込み、そしてロフトへ上がる。楓の忘れ物は大抵そこに片付けられている。さすがに大きな花がついたものや、ピンクのリボンなどはマズイだろう。ごそごそとしていると、ちょうど地味な紺色の太めのゴムを見つけた。小さくリボンは突いているけれども許容範囲内だろう。どうせ一時的にしか使わないのだ。
「おい、これでいいか?」
「なんでも構いません」
「なんでもって……これ持ってったら怒るだろ、お前……」
ちら、と大きな花の付いたゴムを見遣ってから、苦笑を浮かべロフトから降りる。
そして洗面所のバーナビーにゴムを手渡すと、それがどのような物か確認もせずにもつれたままの髪を束ね始めた。
「珍しいなぁ」
「しょうがないでしょう、時間がないんです」
「ま、そりゃあそうだな」
「後、時間は?」
「おっと」
腕時計を見る。タイムリミットはとっくに過ぎていた。
「おい、出るぞ」
「はい」
脱いでソファに引っかけてあったジャケットをバーナビーは手に取り、自分もまだ締めてなかったネクタイを片手にベストの前ボタンは全開のまま、外へ飛び出した。
さて。
昨日の記憶はどこへ行ってしまったのだろう。
昨日は酒を飲む事にしていたので、お互いの車は会社に置いたままだった。モノレールを用いての出勤となり、結果として若干の遅刻になってしまった。
幸いにもヒーロー事業部はそこまで時間に煩くない。本来のお仕事がお仕事だからだ。
若干の遅刻くらいは見逃してもらえる。ただ、そこにこだわりたいのが一応の社会人としてのルールだった。
既に席に就き、仕事を始めていた経理の女史に「遅刻してすんません!」と頭を下げ、同じようにバーナビーも詫びを告げてから、席に座る。
端末を立ち上げて、ざっと今日のスケジュールを確認するが、大した予定は入っていない。要するに虎徹に取っては書類整理の一日と言う訳だ。もちろんそんなものに没頭する気は毛頭もないので、三十分ほどして席を立ったバーナビーと連れ立ち、トレーニングセンターへと向かった。
バーナビーの運転で、ジャスティスタワーへと向かう。
そのわずかな道中で、「なあ、お前昨日の事覚えてるか?」と虎徹は問いかけた。
「いえ……僕もあなたの家にたどり着いて、ビールを飲み始めた所までは覚えているんですが……」
「だよな。俺は家に帰った記憶すらも曖昧だよ。俺んちにワインなんてねぇのになんかボトル転がってるし。俺ら、買い出しにでも行った訳?」
「ああ、それは帰りに買って帰ったんですよ。僕が飲みたいと言ったので」
「あ、そう」
それで三本も買うかね、と思ったがまさか一気に飲むために買った訳ではなかったのだろう。
最近、バーナビーは良く自分の家に顔を出す。
「でもこの歳になってあんな飲み方するとはね……ちょっとおじさん参ったわ」
「ですね……」
どこか、バーナビーの言葉の歯切れは悪い。
思い返してみれば、さっきからそうだったような気がする。
自分の家に来た所までの記憶はある、だがその先は不明――本当に?
物憂い表情をしているのは、まだ残る二日酔いのせいだと思っていたが、まさか昨晩とんでもないことを自分はしでかしてしまったのではないだろうかと急に焦り始める。
なぜなら――自分は、彼に対して言い訳の出来ない感情を抱いている。
完全に栓をしたものだから普段は顔を覗かせる所か気配すらも自分で意識出来ないようになっているけれども、酒の勢いと言うのは怖いものがある。急激に、昨晩の失った記憶が怖くなってきた。
いや、だが無茶はしていない筈だとも思う。
なぜなら、バーナビーはソファでいつも通りに眠っていた。自分が自覚なしにリミッターを外していたのだとすれば、きっと彼は無理にでも自分のベッドに引きずり込まれていただろう。
抑え込まれたそれは、抑え込まれているからこそ、日々成長しているのを知っている。そのリミッターが外れた時の自分を想像するのが怖いくらいだ。
「俺……なんかした?」
おそるおそる、尋ねてみる。
しかしバーナビーはなんでもない顔をして、「いいえ」と冷静に返して来た。
だが彼も侮ってはいけない。
人生経験は偏ってはいるが、人を偽る事には慣れきった人間だ。営業用スマイルなんてお手のもの、どれだけ直前まで悪態を吐いていてもインタビュアーが来た途端に笑顔で自分と握手した差程昔でもない時期の事を良く覚えている。あの頃より険が取れ、殻も剥け、素直になって嘘も下手にはなったが素地は持っているのだ。
都合の良くない事実を隠蔽しようとすれば徹底的にするだろう。
「そ」
だから、それ以上の追求が出来ない。取りあえず安堵した風に装ってみたが、自分の演技などはバレバレだったようだった。
「なんかやましい事でも?」
「なんだよ」
「なんだか、おかしいですよ。今の虎徹さん」
「……おかしくなんか」
「その間が変なんです。あなたは潔い程分かりやすいですからね。嘘とかそう言うのは苦手でしょう?」
全く持って、その通りだ。そう告げるお前とは正反対だなと言いたくなったのを、咄嗟に留めた。
「やっぱり」
返事がない事を肯定と捕らえられ、彼は笑う。
おかしいのは、バーナビーもだ。そこまで分かっているのにその先に追求はない。
やはり自分は何かをしでかしてしまったのかもしれない。
「まあ、忘れてるのならいいんじゃないですか? 酒の勢いなんて誰にでもある事ですし、僕も記憶が曖昧ですし」
嘘だ、と今度こそはっきり思った。
彼の記憶は明確に残っているに違いない。
「で、何をお前は覚えてんだ?」
「え? だから言ったでしょう、僕も記憶が……」
「お前の嘘は俺と違っていつも完璧だが、今日は切れが悪いよな」
「……なにを」
「ほら、その間」
逆を突いてやる。途端、彼は口をつぐんだ。
間もなくジャスティスタワーへ到着してしまう。その前にどうにかしてしまいたかったが、彼は黙りを通した。
「俺はなにをした?」
「何かするような不安でも抱えてるんですか?」
「残念ながら」
「へえ、それは是非知りたいですね」
「知ってるんじゃねぇの?」
「いいえ」
黙りかと思えば、早いテンポで会話を返して来る。
「何も知りませんよ、あなたの事なんて」
その言葉の後に、憂いがあった。
「なにも」
繰り返された言葉と同時に、ジャスティスタワーの駐車場に到着してしまった。
彼は先に車を降りてしまう。追う形で、自分も車を降りた。
思わず呼び止めたくなったが、ダメだと自制する。
自分の栓が随分緩んでいる。今まで完璧に見て見ない振りが出来ていたものを不安が後押しし、しっかり見てしまっている。
この感情に向き合ってはいけないのだ。こんな感情を抱いていてはいけないのだと、彼と距離を置く事を選択した。
だが、自覚してしまっている現在それは非常に難しい。
憂いと言えば綺麗な言葉だが、傷ついたような顔にも見えるのだ。
それを放置しておくのは、あまりにも心苦しい。
だが数瞬のためらいはエレベータを一基逃してしまった。先にバーナビーはトレーニングセンターフロアへ向かってしまった。
彼の態度もおかしいのだ。こんな事は決してしない。
自分はやはりなにかを告げてしまったのだろう。そして彼はそれを拒絶した。
そうに違いなかった。
だが、それにしては彼の態度が妙な気もした。
もやもやを抱えながら、到着したエレベータに乗って同じフロアへ向かう。
近寄ればきっと自分はまだ酒臭いままだろう。
慣れきってしまって分からないが、きっとバーナビーもだ。
軽い浮遊感を味わった後、目的のフロアに到着する。そしてまっすぐにロッカールームへ向かい、着替えを手に取るとシャワールームへ入った。
ちょうどそこには衣服を脱いでいるバーナビーが居た。
「……っ」
背中に残る、赤い跡。
慌てて隠されたが、それは間違う事のない情交の証だ。
「おい、お前……」
「なんでもありません、気にしないでください」
「なんでもねぇじゃないだろ、それ」
「じゃあ言い直します、僕に取ってはなんでもないものです!」
そして慌てて衣服を脱ぎ捨てると、彼はシャワーブースへと消えて行った。
直後にシャワーの音がし出す。
まさか、と思う。
自分は彼に何かを言った所でなく、手を出してしまったのだろうか。
下半身にすっきりとした感覚はない。
だが、あの跡は付けられてそう時間が経っていないのが丸わかりだ。そしてそんな時間帯に一緒にいたのは自分しかいない。
「嘘だろ……」
今頃二日酔いの頭痛がぶりかえした気がした。
そこまで自制心がなかったのかと、――いや、それでも昨日は酒が相当量入っていた。
記憶、記憶さえ戻れば問題ないのだ。だがその手が引っかかる所すらも見つけられない。
昨晩一緒に食事した事は、間違いなく覚えている。その時の他愛のない会話すらもだ。そこで少し飲み過ぎたので、虎徹の家へ向かう事にした。それも言われてみればそんな気がしないでもなかったが、あまりにもいつもの流れ過ぎて過去の記憶と混濁しているだけのような気がする。バーナビーが途中で酒を買いに寄ったと言ったが、もうその時点でさっぱりだ。
頭を抱えていてもしょうがない。
タイを抜き、そして衣服を脱ぐ。
シャワーを浴びなければ、このさっぱりしない気持ちも拭いされないままだ。それに熱めのシャワーを浴びればもしかしたらちらりとは残っている酒の気配も完全に抜け去り、記憶が戻って来るかもしれないとの期待を抱いた。
ブースに入り、キュ、とコックを捻る。
熱めの温度に設定して、頭からシャワーを浴びる。
頭を洗っていると、不意に一枚の絵面が浮かび上がった。
第三者的に俯瞰して見ている絵だ。記憶と呼んで良いのか分からない。
そこには、やけに真摯な顔をして自分を見て何かを告げているバーナビーと、それを真面目に聞いている自分がいた。問題はその距離だ。自分達はいつもL字に置いてあるソファの対角線上に座っている。なのに自分は彼の隣に座り、バーナビーに密着しているように見える。そして、彼は自分にもたれかかるようにしながら自分を見ているのだ。
「……なんだ、今のは」
くしゃり、と泡立った頭を掻き乱して、もっと他に情報はないのかと頭を洗い続ける。
だがそれ以上の情報を得る事は、シャワーの最中なかった。
とっくにバーナビーはシャワーを出ていた。
トレーニングを開始しているのだろう、自分も手っ取り早くトレーニング用のラフな服装に着替え、怪訝な気持ちを抱いたままトレーニングルームに入った。
「あら、おはよう。ハンサムはもう始めてるわよ?」
「よお、一緒に来たから知ってる」
「その割にあなた遅かったじゃない」
「シャワー浴びてたんだ、ちと寝坊して浴びそこねちまったから」
「やあねえ、不潔な男は嫌われちゃうわよ?」
休憩用のベンチに座ったネイサンは、いつものように笑う。
だが、ふと気付いたかのような顔をして、じっと自分を覗き込んで来た。
「ん? なんだ?」
「なに? なんか悩み事?」
「あー……いや。悩み事って程の事じゃねぇけど。単に昨日の記憶、おっことしちまったみたいでさ」
「なに? どういう事?」
「ちぃっと飲み過ぎちまった」
素直に言えば、呆れた顔をされた。
「いい歳してあなた何やってんの……まったく、もう。だからね、ハンサムも不機嫌そうなのは」
「え? バニーが?」
「ええ。とりつく島もないって感じだったわ。声掛けても昔みたいにつっけんどんに『おはようございます』の一言だけ」
「へぇ…」
「一緒に飲んでたの?」
「そいつぁ秘密だ」
に、と笑ってごまかした。まあ、この手の人間関係には聡すぎるネイサンの事だ。ごまかせたとは思ってはいないけれども、こうすれば彼も深追いはしてこない。
「しょうがない子たちね」
肩を竦めて彼――彼女? は笑う。
全く持ってお見通しのようだった。それを背にし、自分はいつも通りにバーナビーの使っているマシンの隣へと向かう。滅多にここでトレーニングなどしたことはないが、彼が落ち着くまでは自分も腹筋でもするつもりだった。
酒はすっぱり抜けた。二日酔いの気配もない。
自分が来たのを硬い表情で見遣った彼をちらりと意識に留め、虎徹は腹筋を始める。
カウントを二百も過ぎた頃だろうか。隣のマシンがようやく止まった。
「なにやってるんですか、珍しい……。今朝二日酔いだった人がやる事じゃありませんよ」
「だったらお前もだろ。汗だくじゃねぇか、せっかく洗ったのに台無し」
「同じ言葉をお返ししますよ」
確かに自分も、汗だくだ。たった二百回ぽっちの腹筋でこの有様とはなまってるなと反省する。
タオルで彼は汗を拭う。とっくに髪は解かれていた。そういえば、あのゴムはどこへ行ったのだろう? まあ楓も存在すら忘れていそうなものなので構わないと言えば良いなのだが、首筋を拭ったタオルが髪を引っかけ、首筋を露わにした。
朝は気付かなかった。だが、そこにも赤い跡がある。
――思わず、うつむいてしまった。
その動きに彼も気付いてしまったのだろう。はっと焦ったように、首にタオルをかけ背中を向ける。
その背中が、やけにうなだれている様に見える。たまらない気持ちになった。
きっとあの過ぎった一瞬の景色。あのとき、自分達は何を話していたのだろう。
あんな真面目な顔で、体を寄せ合い、恋人同士のように……。
思わず、立ち上がっていた。
そしてバーナビーを背後から抱きしめる。
「虎徹さ……」
「お前、覚えてるだろう? 昨日の事」
「ここ、公共の」
「誰もいねぇよ」
空気を読んだか、ネイサンの姿は途中で消えている。他のヒーローはまだ姿を現していなかった。
「覚えて……いません」
「なあ、あのとき俺らは何を話してたんだ。あんな距離で」
「……あなたこそ、嘘を」
「さっき思い出した」
「そのまま忘れてていれば良かったのに」
「お前が何か言ってた。なあ、何を言ってたんだ?」
「………………」
わずかな身長差が悔しい。彼の表情を覗き込む事が出来ない。
「二度も、言わせないでください」
絞り出すような声が、苦しげだった。
それで、理解する。
何かが腑に落ちた。
なにかしてしまったのは自分ではない――バーナビーの方だったのだ。
そしてそれは、きっと自分が期待して良いものの筈だ。
見て見ない振りをする事は出来なくなっていた。もう目を反らせない。そこにあるものを無視するなんて事事態が、そもそも自分には向いていなかったのだ。
「お前は、俺だけ見てればいいよ」
「……っ、卑怯です」
ぐっと腕を解かれる。そして正対した彼は泣き出しそうな顔をしていた。
それを改めて、自分は手を伸ばす。
「好きだ。昨日、俺はそれを言っちまったのかと思って焦ってた――お前は?」
「――……」
手は振り解かれなかった。そのまま、バーナビーは素直に抱きしめられる。
「好き、です。告げればあなたは受け入れてくれた。なのに、記憶がない、なんて……」
「悪かった。酔い過ぎてた」
「本当ですよ、本当にあなたは酷い」
だが、彼もぎゅっと抱き返して来る。
彼の声が涙に濡れているような気がしたのは、きっと気のせいではあるまい。