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BELONG TO ME おれのもの


 大きな壁一面を使ったモニタに映し出されるのは恋人の顔。
 それも、こういったメディア媒体では見せない、ふたりきりでいる時のような穏やかな柔らかな表情だ。
「なんだこれ……」
 おいおい、ちょっと待てよ――と虎徹の心中は複雑だ。
 これが明らかにメディア用に作られたものだと分かったからだ。
 背景はどこか異国のように見える。そこで、バーナビーは柔らかな表情をほころばせ、ふたりきりの時でしか見せない笑顔を自分に……要するに、カメラへと向けている。
 音声は後で乗せるのか無音の映像の中で、元々完璧な造形美を誇る彼の唇は甘く柔らかに言葉を紡いでいるようだ。いつもは少し冷たく感じられる彼の別の顔を映し出していた。
 気恥ずかしくなってくる。これではまるでプライベートビデオだ。
 自分しか知らない筈の顔が、映像に残っている。
 ほんの三十秒もない映像だったが、虎徹を動揺させるには十分のものだった。
 思わずリモコンに手を伸ばして、頭から再生する。
 やはり同じものが再生された。
 それはそうだろう。たったそれだけが収録されたであろう、サンプルディスクだったのだろうから。



 物の少ないバーナビーの部屋には、既に馴染みきっていた。
 この部屋に最初に足を踏み入れたのはもう随分前になってしまった。だから、テーブルの上にちょこんと置いてある真っ白でまるでブランクディスクのようなそれが異物として目に止まったのも仕方ない。
 手に取れば映像用メディアである事が分かったので、何も考えずに再生させたのだ。
 その結果、映し出されたのがそれ。
 三度目の再生中に酒の用意をしていた家主が慌ててリモコンを取り上げるまで、呆然と虎徹はそれを見ていた。
「ちょっ、勝手になに見てるんですか」
 ぶつん、と切られてしまった映像はしかし虎徹の脳裏に焼き付いて離れない。
 ゆっくり振り返り、そこにある顔と今さっきまでモニタで流れていた顔とが同じものであると再認識する。
「お前……なにやってんだ?」
「なにって……」
 バーナビー・ブルックスJr.、と言えばクールでスマートが売りの、超スーパールーキーのヒーローだ。今期のKOHだって既に手に入れるのは確実だろうと思われている。
 完全に整った顔はつんと澄まされている事が多く、尖ったような印象を受ける事が多い。
 実際に、本来のヒーロー業とは関係ないだろうメディア露出の仕事を行う時は、そのイメージが先行していた。そもそもこんな表情を浮かべるようになったのはつい最近の事で、それも同じヒーロー達ですらまだ慣れないくらいレアなものなのだ。恋人でもある自分だけが堪能出来る特権のようなものだと思っていた。
 それが、メディア用の映像として準備されている。
 虎徹に取って、微妙な気持ちになってしまうのは当然と言えば当然のことだった。
「仕事、ですよ」
「なんで」
「なんでって、そういう事はロイズさんに聞いてください。CMの仕事を受けたのは、ロイズさんなんですから」
「いや、そういう事を言ってるんじゃなくてだな」
 渋い顔が浮かんでしまうのは仕方ないだろう。
「なんでこんな顔してんの?」
 率直にぶつけてみた。
 ――気に入らない。
 言葉にしてみればくっきり感情が浮かび上がった。
 そう、気に入らない。この表情はプライベートのものだ。自分が独占していいものの筈だ。それが映像に残され、あまつさえもこの後音声が音楽が乗せられて世間に流されてしまうのだ。
「こんな顔……って言われても……」
 バーナビーの言葉は非常に歯切れが悪い。
 ひとまず手にしたままだったグラスとつまみの乗ったトレイを虎徹の座っている傍らに置き、だが座ろうとしない彼は何かを言いかけては、言葉を飲み込む事を繰り返していた。
 不自然に落ちる沈黙の中で、虎徹は先に用意してあったファンからの差し入れというロゼを開封し、先に飲み始めた。
「先方が、いろいろ……言ってきたんですよ」
「いろいろって?」
 ようやく言葉にされたそれに食いつくようにして次の質問を被せる。
 なかなか言葉にされないうちに、一度グラスは空になってしまった。
 新たに注ぎ足そうとすれば、そのトレイの向こう側に座り込んだバーナビーが自分のグラスも差し出して来る。
 黙って虎徹はそれにも注いでやった。
「虎徹さんだって悪いんですよ」
「は?」
「最近、あなたと一緒にインタビューを受ける時の顔。それが欲しいって言われて」
「俺のせい?」
 ぐいっとグラスを傾けた。
 バーナビーも同じようにグラスを一気に空ける。
 彼は決して酒に強い方ではない、そんな飲み方は日頃しない。居心地の悪いものを彼も感じているのだろう。決して鈍感な訳ではないのだ。
 虎徹が機嫌を悪くしている事くらい気付いている筈だ。
「ええ」
 言葉を切って、新たに彼は酒を注いで再び一気に呷る。
「最近、僕の雰囲気が変わってきたからそういう表情をして欲しいって言われたんです」
「なんだそれは」
「知りませんよ、変わったとすればあなたのせいじゃないですか?」
「俺のせいにするなよ」
「だってあなたくらいしか僕を変える要因なんてないじゃないですか」
 勢い良く一気に言った後で、自分の言葉の意味に気付いたのだろう。ちいさく「あっ」と、呟いたかと思えばじっと見ていた顔がわずかに赤く染まった。
 そう、この顔だ。
 ふとした瞬間に見せる、無防備な顔。それに近いものがさっきのディスクにはくっきり刻み込まれていた。
 慌てたようにバーナビーは更にボトルを傾け、酒を呷る。
「だからって応える必要なんかねぇだろ」
「仕事なんだから仕方ないでしょう」
「仕事ぉ?」
「そうですよ、仕事です」
 ふつり、と苛立ちが沸き上がった。
「はいはい、お仕事ですか。なんだってお仕事ならやるんですね、バーナビーさんは」
 むっとした顔をちらりと向けられる。
「当たり前です、会社員なんですから。求められた仕事に応えるのは当然のことです」
「ヒーローがわざわざCMなんかに出る必要なんかねぇと思うけどな」
 自分もグラスを傾ける。だが、バーナビーほどの無茶な飲み方はしない。
 嫌味な言い方を続けているが、仕事という明瞭な言い訳がみつかったからだろう、バーナビーも落ち着き始めた。
 確かに顔出ししているバーナビーには、この手の仕事は数多く舞い込む。
 選別しているのは直属の上司であるロイズだが、最終的に選択権があるのはバーナビーの筈だった。どうしても意に沿わないものは断る事が出来る筈だ。
 例の大規模テロが終わって以降、その手の仕事は激増したと言っても良い。その後バディとしての活躍も目立ち始めたせいか、虎徹も本来意に沿わない筈のいわゆるメディア系の仕事もいくつかこなしている。
 ――ああ、分かっている。
 本当の選択権など、自分達にない事くらい。
 顔出しを余りしたくない筈の自分ですら、バーナビーと共にインタビューやそれに付随する為の撮影をいくつか、ではない。既にいくつ「も」こなしているのだから。
 それでも気に入らないものは気に入らない。だって恋人なのだ、その程度の独占欲を発揮したところで許される筈ではないのか?
「だからそれに文句を言うなら、ロイズさんにしてください。仕事なんです」
 だがこの妙に反発している恋人は、自分が何に苛立ちを感じているのか分かっているのだろうか。
 仕事だからと完全に開き直り始めている。
 気まずさは分かっているのだろう、アルコール消費のペースは早い。既にボトルが一本空きかけている。殆どは彼が飲んでしまった。
「大体、虎徹さんももうちょっとそういった仕事を引き受けてくださいよ。僕にばかり回って来て……」
「違うだろ、それは。分かってて言ってんだろ、俺に回って来ないだけの話だよ」
「そんな事ありません。顔出し避けたいからってロイズさんに先に言ってある事くらいは知ってるんですからね」
「そりゃあ、お前と俺は違うだろ。本名だって顔出しだってしてねぇし、この先バラす気もねぇんだから」
 結局ボトルは空になり、新しいものをバーナビーは開封していた。
 まだ空けていないボトルは2本残されている。
 まさか全部飲む気じゃないだろうなと思いながらも、止める気にもなれなかった。
「僕にだって事情があったんです。それくらい虎徹さんは分かってると思ってたんですが」
「……知ってるけどよ」
 新しいボトルから、自分も空になったグラスへ酒を注ぐ。
 そしてふてた顔をしたバーナビーを見た。
 自分も似たような顔をしているだろうと言う事は、承知の上で。
「でも、こんな顔を他のヤツらに見せたくないって思うのはしょうがねぇだろう」
「なんでですか」
「お前……分かってねぇの?」
 途中からかたくなに逸らされていた視線が、こちらへ向き直す。
 まっすぐ視線が交わるが、やはり自分の不機嫌は滲み出ていたのだろう。気まずそうにそれはうろうろとする。
「これは、俺のもん」
「は?」
「なに俺のもん勝手に公共の電波に乗せようとしてる訳?」
「あ…なた、何言ってるんですか」
「かんっぜんにプライベートの顔だよな。それにすら気付いてねぇの?」
「それは……っ」
 驚いた表情は再び気まずそうな顔になり、視線が床へ向かう。
「あの……確かに。撮影中はあなたの事を考えてましたけど」
 は? と今度はこちらが驚いた顔をする番だった。
「だって、いろいろ要求出されて…っ。ヒーローインタビューの時の、たまに見せる表情下さいって言われてもそんなの分からないですよ、どんな顔してるかなんて! なのにそればかり言われるし、タイガーさんと一緒の時の、なんて言われたらあなたの事思い出すしかないでしょう?! そしたらそれがいいって言われたんです。だからあなたの事思い出し……ながら……撮影…………して、ました」
 顔が真っ赤だった。
 言葉も徐々に不明瞭になって行った。
 決してこちらは見ないままで、彼は更に酒を追加する。
 いい加減彼の容量を超えている筈だ。
「あのなぁ、お前」
「なんですか」
「そんな仕事断れよ」
「断れない事くらい、虎徹さんだって分かってるでしょう」
「あー……」
 かしかし、と後頭部を掻く。
「言い方悪かった。お前のいつもの押しの強さどうしたよ? そういう時はイメージじゃねぇって言っちまえば良かったんだよ」
「……あ」
 バーナビーはびっくりしたように、目を見開いた。
 そしてそのままこちらを見る。
「そうか、そうすれば良かったんですね」
「そうすれば、じゃねぇだろ! ああもうこいつ」
 ため息をひとつ。もうどうしてやろう。
 既にバーナビーは相当量の酒が入っているのは明らかだった。目のフチは赤いし、頬は紅潮している。完全に酔っぱらいの顔だ。
 まともに言葉を紡いでいたので、全く気付かなかった。やっぱり許容量は既に超えていたのだ。
「お前、俺より頭回るだろうが、なにやってんだよ」
 酔っぱらいに言ったところで仕方ない。分かってはいるけれども、酒に逃げたバーナビーをずるいとも思ってしまう。
「そんな言い方ばかりしなくてもいいでしょう! あなたと一緒にいる時のってばかり言われて、僕だって混乱してたんです!」
 だが、むっとした顔で逆に切れられた。
 しかしそんな事知った事ではない。現実にこのプライベートの顔は映像として切り抜かれ、世間に出回ってしまうのだ。それも自分を思い出しての顔だと言うのだから、完全に自分のもののはずだ。
「なんでお前の方が切れて……って、え?」
「だってあなたがずっと怒ってるから!」
 とん、とグラスが床に置かれた。
 十分に酔いの回った顔で、一切手の付けられなかったつまみの残されたトレイが奥にやられる。そしてバーナビーは自分の元へと近づいて来た。
「え、お前動揺してたの? もしかして」
「そうですよ、悪いですか!」
 そして、表情は不機嫌なまま自分の膝に手を乗せられる。体重がぐっと掛かる。
「おい?」
 距離が、近い。
「いつまで怒ってるつもりですか、仕事なんだから仕方ないでしょう。いい加減機嫌直してください」
 ぐい、と膝に乗り上がられる。
 だが虎徹は動揺させられていた。近い距離のバーナビーの顔は本気で拗ねているし、しかも自分絡みの表情を要求されて混乱のままにあんな映像を撮られてしまったと言うのだ。
「え、ちょっと待てよお前」
「待ちません」
 キスを求められる。
 それを思わず避けかければ、そのまま押し倒された。
 自分の上に乗っかって、そして頬を両手で挟み込まれる。逃げ場を封じられた。
「ちょ、お前……」
「知りません、早く僕とキスしてください」
「おーい、お前酔ってるだろう!」
「悪いですか?」
「いや……」
 ぐ、と柔らかな感触が押しつけられる。
 いやこのまま流される訳にはいかない、この仕事はなんとか撮り直しさせられないのだろうかなどとぐるぐる考えている内に、彼の口付けはより深いものを要求してきた。
「ちょっ」
 ぐい、とバーナビーを押し戻す。
「なん、ですか……!」
 至近の顔が、泣きそうに歪んでいる。
 あー……もう、いいか。と、思う。
「キスもしてくれないんですか、まだ怒ってるんですか?」
 こんな情けない顔は、まだ誰も見ていない筈だ。
 これから先、求められる事もないだろう。
 あの柔らかな笑顔がみんなの知るものになってしまうのは本当に惜しい。自分のものだと主張したい。だが――
「しょうがねえな」
 じわり、と涙がにじむ情けない場所へと手を伸ばし、指先でやんわり拭ってやった。
 ――これで、我慢するか。
「しょうがないのはあなたです」
「はいはい、しょうがねぇおじさんだよ、嫉妬して悪ぃかよ、俺のもんって思っちゃ悪ぃのかよ」
「悪い……ないです」
「なんだそりゃ」
 へにゃ、と自分の顔が崩れるのが分かった。
「悪く、ないです……ごめんなさい」
 最後は、小さな声だった。
「ん、良く出来ました」
 唇にキスを落としてやる。
 また頬を挟み込まれ、先を求められたので、苦笑のまま素直に与える。
 この年下で未分化な恋人と関係を続けて行くには、やはりこちらが耐えるしかないのだろう。
 仕方ない、とぐるりと抱きしめ、拗ねさせてしまった時間分を甘やかしてやることに決めた。
2011.9.21.
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