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「It's two-color 二色のそれ


「お前さー、最近良く泊まるよな」
 虎徹の住む、ブロンズステージのスーパーだ。
 確かに近頃、バーナビーは虎徹の家に泊まる事が多い。それと言うのも、プライベートなお付き合い、というのを始めたからだ。復讐で頭がいっぱいだった頃は、個人として誰かと関わりあうなどと言う事は想像も出来なかった。そんな余裕などなかったからだ。
 だが、長年の宿敵を結果的に葬る事が出来、急に世界は広くなった。
 たったひとつしかなかった視点が、実は複数存在していた事に気付いたのだ。
 例えばこの、いつも傍らにいたお節介なおじさんが想像以上に自分を浸食していた事だとか、ライバルだとしか思っていなかった同じヒーローたちも密かに自分の事を心配してくれていた事だとか、他にも、色々。
 見えていなかったものが一気に見えて、しばらくはその世界の広さに目眩がしたくらいだった。
 それを支えてくれていたのも、結局は虎徹だ。
 それなりに優秀な頭脳を持っていると自負していたバーナビーだったが、いきなり広がった世界に動揺している間、静かにじっと虎徹は傍らでおもしろおかしく茶化しながらも優しくそんな世界への接し方を教えてくれたのだ。
 彼に惹かれている、と気付いたのはすぐの事だった。
 それ以前から支えられていた事にも気が付いた。
 少しばかり彼の色がついた世界は途方もなく広く、そして新鮮で、光り輝いていた。
 好きだと告げたのは、テロ事件が終わり入院を余儀なくされた自分達が退院し、一ヶ月も過ぎない時間だった。
 その頃には既にお互いの家を行き来するのが当たり前になっていて、近すぎる距離感にふたりとも気付きながらも牽制しあっていた時だ。時間の問題だったのだろうと思う。きっとあの頃自分達は既に好き合っていて、どちらが先にその言葉を告げるかの駆け引きの時間だったのだ。
 そんな経験もなければ知識もなかったバーナビーが、結局負けた。
 好きです――と、告げればようやく言ったかなどと虎徹は破顔した。
 そして、キスを交わしたのだ。
 それから体を重ねるようになるまで、約一ヶ月弱。
 一応はそれでも自分の家に帰っていたのに、最近はもう面倒で情を交わした後はそのまま眠ってしまう事も多い。
「そうですね」
 今日は夕食を付くってやる、と言う虎徹の言葉に従って、終業後彼の家へ向かった。
 その途中に材料を買うため、スーパーに立ち寄ったのだ。
「もう、買っちまわね?」
 にやりと笑って、虎徹は生活用品のコーナーへ向かう。
 なにを、と思う間もなく、虎徹は嬉しそうな顔をして歯ブラシを手に取っていた。色はヒーロースーツのイメージカラーでもある、ピンク。
「僕は電動歯ブラシ派です」
「いいじゃん、別に家じゃねぇんだから」
「でも」
「俺も買うからさ」
「え、なんで?」
 少し、動揺してしまっているのは彼に気付かれていないだろう。
「おそろい」
 にっと笑って、虎徹は同じ歯ブラシの、これもまた彼のヒーロースーツのイメージカラーである黄緑を選んだ。
「ちょっ」
 心臓がバクバク音を立てる。
 なんだこれ、と思う間もなく、そのふたつの歯ブラシはカートの中に入れられてしまった。
「こ、こんなの……一緒に買ったら僕たち誤解されますよ」
「誤解? 事実だからいいじゃん」
「そういう訳に……」
「まーた面倒な事考えてんな?」
 虎徹はにやにやとさっきからの笑い顔を崩そうとしない。
「バレる筈がないだろ。まあ、万一ヘンに思われたとしても、俺たちはバディなんだから。一緒のもん使っててもおかしかねぇだろ」
「無茶苦茶ですよ、あなた」
 面倒な事。そう、彼の特別に自分はなったと思っている。それは分かっている。
 だけど、彼の一番になった訳ではないとも理解している。
 薬指に光る指輪。そして、大事な彼の愛娘。
 それらと並ぶものではない。
 家族写真の飾られた彼の部屋に自分のものが増えて行く事に、時折恐れめいたものを感じてしまう。誤解してしまいそうになる。
 着替え、パジャマ、そしておそろいの歯ブラシ。
 心臓がバクバク音を立てる。
 誤解してもいいと、彼は言っているのだろうか。
 彼は簡単に心を許してしまうから、勘違いしそうになってしまう。
「やっぱり、やめましょうよ」
 カートに手を突っ込み、ピンクの歯ブラシを取り出す。それを虎徹は慌てたようにひったくって、大事に握った。
「なんでだよ。ないと不便だろ? 毎朝会社で歯磨きしてんの知ってんだからな」
「それは……」
「会社に置いてていいものを、なんで俺んちだとダメな訳?」
 胸が痛い。本当にこの人は、ひどいと思う。
「誤解、しますよ」
「は、誰が?」
「僕が」
「なんの?」
 小首を傾げ、純粋に彼は疑問を浮かべる。手にはピンクの歯ブラシが握られたままだ。
「――分からなければいいです。勝手に誤解しますから」
 そして、彼の手から歯ブラシを奪うと、カートの中へ放り込んだ。
 偶然に黄緑の歯ブラシと並んでしまい、目に入ったそれに動揺する。
「おい、なんだよ?」
「なんでもないですよ」
「なんで怒ってんの?」
「怒ってる訳じゃありません」
「じゃあ、なんで不機嫌なの?」
「不機嫌な訳でもありません」
「じゃあなんなの?」
「分かりません」
「取りあえずこれは買っていい訳ね?」
「はい」
 なんなんだとぶつぶつ言いながらも、彼はそれ以上追求して来なかった。
 自分でも良く分からない。
 彼の一番にしてくれないのに、そうと誤解させるような行動に苛立つなんて間違っている。
 今の関係だけでも十分に幸せなのに、人間というのは貪欲に出来ているようだ。今までなかった関係性だから自分でも線の引き方が分かっていないのかもしれない。
「あなたが、好きなだけですよ……」
 小さな呟きは虎徹にまで届かなかったようで、空気に溶けて消えた。



 夕食の材料と歯ブラシを買い込んで、虎徹の家に到着する。
 いつものチャーハンではないものを今日は作ってくれるらしい。他にレパートリーがあったのかと驚きもしたが、自分も料理を覚えたいなと少しだけ思ってしまった。一緒にキッチンに立ってみたい。そして、また新しい世界を見つけるのだ。
 いつだって新しい世界の扉を開く時は、虎徹の隣がいいと思ってしまう。
 それほどまでに自分は虎徹が全てだ。
 何も出来ないかもしれないけれども、と思いながらキッチンに立つ虎徹の傍へ向かう。
「僕にも出来る事、ありますか?」
「え、バニー料理出来たっけ?」
「いえ、全然」
「だよな。包丁を持ってる姿も想像出来ねー」
 と、笑われる。
「だから、覚えたいんです」
「俺を先生にしたらおおざっぱなもんしか覚えられねぇぞ?」
「それでいいんですよ、どうせ男の料理なんですから」
「ま、そっか」
 笑いながら、そんじゃあ今日の所は見とけよ、とスツールを持って来て、手元の見える場所にバーナビーを座らせた。
「今日は、酢豚」
「酢豚? 作れるんですか?」
「作れるから作るんだろうが」
 笑いながら、頭をくしゃりと撫でられる。
「それと、チャーハン」
「チャーハンはやっぱりセットなんですね……」
「中華だからおかしかないだろ」
 げんなりした声音に唇を尖らせて、虎徹が告げる。
 この人は仕草のひとつひとつが、時折驚く程子供っぽい。
「いえ、それでも構いませんが」
 くすりと笑い、彼が野菜を切って行く姿を見た。
 さくり、さくりと形を変えていく野菜や肉。
 合間になんだかんだと喋りながらも、手は止まらない。
 料理は皿に盛られて出て来るものとしか分かっていない自分に取っては、とても目新しいものでとても楽しかった。
 やがて揚げられた豚肉が野菜と共に甘酢に絡められ、本当に酢豚が出来上がった。食欲をそそる良い匂いもしている。
「冷めないうちに」
 と、今度は中華鍋に油を敷いて、卵を割り入れるとレンジで温めたご飯をまだ生の状態の卵の中に入れ、お玉でかき混ぜる。先に刻んで置いたのだろう具材を混ぜ入れると、多分塩と胡椒、そしてソイソースを混ぜ入れて香ばしい匂いをさせると、いつも通りの見目の虎徹のチャーハンが出来上がった。
「皿、出して?」
 それくらいなら出来る。
 食器棚から、いつもチャーハンを食べる時に使っている皿を見つけるとそれを取り出し、それより一回り大きな真っ白な皿も取り出した。
 酢豚は大皿に盛られ、チャーハンはいつもどおり。
 それを食卓に持って行くと、虎徹は冷蔵庫からビールを二本持ち出して来た。
「ほい、完成」
「次は手伝わせてくださいね」
「そうだなー、包丁の持ち方からだな。バニーちゃんの場合、手ぇ切りかねないから」
「失礼ですね、それくらいは出来ますよ……多分」
「多分だろ?」
 からからと笑われ、ビールのプルトップを引く。
 乾杯、と缶同士を合わせて、まずはビールを味わった。そして初めての虎徹の酢豚にフォークを伸ばす。
「あ、おいしい」
「だろ」
 ふと、過ぎる。
 これは誰の味だろうか。彼の妻の作っていた味だろうか。
 だがそんな事考えるだけバカバカしいと思い、すぐに心の隅につくねた。
「他にも作れるもの、あるんですか?」
「んー、そうだなあ。中華系は好きだから割と」
「意外ですね、日系だから和食だと思ってたのに」
「和食難しいんだよ……出汁とるとか言われても分かんねぇから」
 顔をしかめながら、甘酢のたっぷり掛かった玉葱を虎徹は口に入れる。
 誰に言われたのだろう。
 ああ、ダメだなとバーナビーは思う。
 そんな事ばかりが気に掛かる。料理の話題なんかしなければ良かったかもしれない。だってそこには必然的に彼に料理を食べさせていた人の姿があり、その影は隠れる事がないのだから。
 チャーハンをスプーンに掬い、口に入れると急に眉間を指先で触れられた。
「皺、寄ってる」
「あ……」
「バカな事考えてんだろ」
「バカ……か、どうかは。自分が決めます」
「そういうトコがバカで可愛いんだけどさ……まあ嫁がいたのはしょうがないけど。今はお前だけだよ」
「食事中に口説かないでください」
「え、ダメ?」
「…………ダメ、じゃないですけど」
「過去は変えられねぇんだわ、ごめんな。お前が気にしてる事も分かってるけど」
「分かってます。こだわってる僕がバカなんですよ」
「いや、そういうもんじゃねぇだろ」
 写真とか、片付けれたらいいんだけどな――などと言う虎徹に、思わずバーナビーは顔を上げた。
「やめてください」
「え?」
「そういうのは、やめてください。あなたが僕の為に無理をするのは、話が違います」
「いや、無理って訳じゃ」
「僕は……あなたがいれば、いいんです。本当は」
 そう。
 贅沢になってしまっている。分かっている。
 だけど、本当は分かっている。
 過去がどうあれ、今の虎徹は自分だけを見てくれている。
 そして、過去があるからこそ、今の虎徹がある。
 それをなかった事にしてしまえば、きっと自分は彼の事を好きになっていない。
「今のあなたが好きなんです」
「ちょ……バニーちゃんそれ反則な」
「え?」
「口説くなっつっといて、そんな直球投げられたらおじさん困っちゃう」
「……たまには困ればいいんじゃないですか?」
「くそ、口減らねぇな」
 頭を抱えた虎徹は、それでも笑っている。
「今夜覚悟しとけよ」
「……そちらこそ」
 売り言葉に買い言葉。当然バーナビーが負けてしまうのは分かっているけれども、ここで引く訳には行かなかった。
 ああ、大丈夫だとバーナビーは心に落ちる感情を認める。
 彼が好きで好きでたまらない。
 新しい世界は彼と共にある。
 そして。

 翌朝、一つのプラスチックのカップに刺された二色の歯ブラシを見て、心にじわりと広がる幸福を思う。
 過去は変えられない。だが現実はこれからいくらだって変わって行く。
 こうやって彼の生活をどんどん浸食していけばいい。
 躊躇った自分がバカだった。既に自分はすっかり浸食されてしまっている。自分の部屋には既に彼の着替えも歯ブラシもある。さすがにおそろいではないけれども、彼の生活の痕跡は至る所に残されている。
 同じように、虎徹も自分に染まってしまえばいいのだ。
 




 少しばかり寝坊をしてしまった。
 洗面所で、歯ブラシを手に取る。色違いのそれには、少し慣れた。
「ちょっと、早くしてください」
 プラスチックのカップは一つしかない。同じタイミングで歯磨きを始めてしまったので、終わるタイミングもほぼ同じだ。
「ちょっと待ってよバニーちゃん」
「気持ち悪いんです、カップ早く下さい」
 ぐるぐると口の中をゆすいでいる彼をせっつきながら、こんな幸せな朝も知らなかった事だったなと、もう慣れてしまったそれを久しぶりに新鮮に、バーナビーは感じた。
2011.10.5.
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