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「childhood」


 よし、と虎徹は思った。
 犯人は追い詰めた。バーナビーが距離を測っている。ここからならばワイヤーを使って捕縛する事も可能だが、周辺に既に人はいない。被害の拡大もないのならば、テレビ映りのためにバーナビーにその権利を譲った方が良いだろう。
 この半年ほどのあいだに、彼と上手く連携が取れるようになって、虎徹の考えも少しばかり変化していた。テレビのための犯人確保だなんて無意味だと思っていたのだが、バーナビーのためにならばそれも考慮に入れるべきかと思い始めているのだ。
 彼が捕縛する際は、なるべく派手にショウアップする。彼自身の手腕でだ。
 だから、少し距離を置いた高台で、虎徹は万一に備えて控えるだけにした。
 バーナビーは能力発動中の青い燐光を発しながら、犯人との距離を詰めている。
 能力者とは聞いていない。特にここまでの逃走劇の最中、能力を使った様子もない。
 彼に取っては簡単なお仕事だろうと少し気を緩めて、一瞬にして間を詰め、犯人の腕を捕らえたバーナビーの様子を見ていた。
 無事、犯人確保。事件解決。
 スマートかつ、見事なものだ。
 そのまま同じく能力発動中の虎徹は、軽くジャンプして彼の傍らへとたどり着いた。
「よ、お疲れ」
「虎徹さん……あなたが確保しても良かったんですよ?」
「俺よりお前の方がテレビ映えするだろ? それに後ちょっとでランキングトップじゃねぇか、ここでポイント稼いでおけよ」
「僕はもうポイントなんて意味ないんですけど」
「まあそう言うなよ、相棒」
 お互い、フェイスオフした状態のままだ。
 捕縛した犯人は自分達の会話を聞いているのかいないのか、茫然自失の顔をしていた。このシュテルンビルトにはヒーローがいるのだ。重犯罪の成功率は著しく低い。なのに成功するとでも思っていたのだろうか? だとすれば残念な頭の持ち主だと断定せざるを得ない。
 ようやく駆けつけた警官に犯人を引き渡し、フェイスオープンしたバーナビーはカメラへ向けて営業用のスマイルを浮かべる。
 そして、恒例のヒーローインタビューだ。
 彼は最近この時に、自分を立てるのを忘れない。横で聞いていると気恥ずかしくなるくらいだ。
 カメラへ向けて喋りながら、自分へも笑顔を向ける。
 デビューした当時からこういう笑顔は完璧な男だったが、近頃それに磨きが掛かっているように思えてならない。虎徹には眩しくすら見える。
 新しい世界が広がり、表情が少しずつ変わって来ているのだ。
 それを、虎徹は相棒としてなんとも言えない気持ちで見守っている。
 良かったな、と心から思うのだ。
 五分程度のインタビューが終わり、撤収の準備を始める。社のトランスポーターが近くまで来ていた。
「あの、虎徹さん」
「ん?」
「なんか……気のせいかもしれないんですが」
「どうした?」
「さっき、犯人を捕まえた時、ビリッとした感覚がしたんですよね。彼、能力者じゃなかったですよね」
「一応そう説明されてるが? なんか気になるようだったら後でメディカルチェック受けておけよ?」
「ええ、一応そうします」
 さっきの笑顔はどこへ行ったのか、バーナビーは眉間に皺を寄せた怪訝な顔になっていた。
 本当に能力者じゃなかったのか……? などと呟いている。
 余程ひっかかるのだろう。早くにメディカルチェックは受けさせた方が良いだろうと思えた。
「おい、早く戻ろうぜ」
「あ、はい」
 少しだけ足を速めて、トランスポーターへと向かった。
 中に入るとスーツを脱ぎ、そしてインナーウェアを脱いでシャワーブースへ入る。
「え、あ、……?!」
「どうした?」
「こてつさん!!」
 シャワーの水音が響いている。その中で響く、バーナビーの悲鳴のような声。
 思わず慌てて、まだ泡も落ちていない体で外へ飛び出した。
「開けるぞ!」
 言うが早いか、彼のシャワーブースの扉を開く。
 そして。
 そこで虎徹が目にしたのは。
 推定四歳になるかならないか――いつかに彼の部屋の写真立てで見た、小さな子供だった。



「やっぱり能力者だったんですよ」
「ああ……そうだろうな」
 そう考えるしかない。間違いなくブースに入っていったのはバーナビーだったし、叫び声もバーナビーだった。そこにいたのは、この子供だ。やけに大人ぶった喋り方をする、子供らしい甘みを帯びた高い声をしているが、外見だってバーナビーにひどく似ている。
「警察、連絡入れるか――いや、この場合はアニエスか?」
「どっちでもいいです、このままじゃ僕……」
 小さくなった体に合うものなど当然トランスポーターの中にはなく、そして合う下着などもなかった。今、子供になったバーナビーは本来彼の着ていたインナーの黒のTシャツをだぼっと一枚、まるでワンピースのようにして着ている。当然下着はナシだ。
 意識は間違いなく大人のようなので、この状態は酷く恥ずかしいだろう。
 PDAをタップし、アニエスを呼び出すと今日の犯人について問い詰めた。しかし能力者であるという情報は一切ないと言う。果たしてバーナビーの現状を説明しておくべきだろうかと思ったが、バーナビー自身がひどく嫌がったのでひとまずは保留とした。
『なに? なんか異常でもあったの?』
「いや、そういう訳じゃねぇんだけど。ネクストじゃねぇ犯人って久しぶりだからさ」
『はぁ? なによそれ。犯罪者に聞いてくれる? じゃあ私、忙しいから』
 ぷつん、と通信は途絶えた。彼女は確かに忙しい立場の人間だ。ヒーローTVの放映が終わった直後なら、尚更忙しい時間帯だっただろう。
「んじゃあ、後は警察か……ここだと分署、どこだ?」
 考える事もせずすんなりバーナビーが答えてくれたので、そこへ今度は携帯でコールする。
 ワイルドタイガーである事を告げ、犯人の状態をまずは尋ねる。そして、実際に会話する事に成功した。
『ははははは、ざまあみろ! そいつは一生そのままさ!』
 気の狂ったような笑い方をした男が万一目の前にいたとすれば、虎徹は殴っていただろう。
 しかし今は手をぐっと握りしめるしか出来ない。幸いにも通話の音量は絞ってある、バーナビーにまで相手の声は聞こえていないだろう。
「で? 本当の事を話せ。そうでなきゃてめぇを殺しに行く」
『…………』
「虎徹さん」
 苛立ちそのままに出て来た言葉はひどく物騒で、そして低く凄んだ声になってしまった。電話の向こうで息を飲む音がする。傍らのバーナビーも心配したような顔をしている。
「まさか正義の壊し屋って名前が伊達だとは思ってねぇよな。てめぇひとり壊すくらい訳ねぇんだぜ?」
『…………』
 バーナビーが上着の端を、きゅっと握った。少しやりすぎただろうか? しかし顔も見えない状態ではこれくらいしなければ脅しにならない。
『い、一日』
「一日?」
『一日過ぎれば、元に……』
「本当だな?」
『本当だ!』
「戻らなければ、本当にてめぇ壊しに行くからな」
『本当だ! 本当なんだ!!』
 恐慌を起こしたような声が響く。これで嘘をついているとすれば、大した役者だろう。
 ひとまず信頼に価するようだった。
「分かった、ひとまず信じてやる」
『本当なんだ、信じてく』
 ぷつり、と途中で通話を切った。最後まで聞く必要はないだろう。情報は得られたのだ。
「一日だってよ」
 ころりと声をかえ、そして笑顔で小さなバーナビーに語りかけた。
「一日……ですか」
 信じて良いのか、とは聞かなかった。
 電話のやりとりだけで十分に理解したのだろう。そう言えば、バーナビーにこのような姿を見せた事はなかったような気がする。確かに、自分でもあんな面がそう簡単に出て来るとは思わなかった。
 実はバーナビーをこのような姿にされてしまった事に、虎徹は酷く怒りを覚えているのかもしれなかった。



「お前、その状態で丸一日をどうする? まあ俺んちに取りあえず来いな。自分ち帰っても物も食えねぇだろうから」
「いいんですか?」
「いいも悪いもねぇだろ。この場合は仕方ない。甘えろよ、相棒」
「……はい」
 小さな声で、こくりと頷く。
 衣服はさすがに開いている店がなかったので大人物のシャツを着たままだが、下着はコンビニで売っていて助かった。それを履き、足下が心もとなさそうにしているが、丸一日間と聞きバーナビーも腹を括ったようでもあった。
 ちょうど楓が母親を亡くした時と同じ年頃だ。要するに、この幼いバーナビーも両親を失った時と同じ筈だ。
 だが内面は二十四歳のままなので、不思議な気がする。
 クールぶっているくせに内面の熱い、本人に言えば反論されるに違いないだろうが子供っぽい一面を持っていたバーナビーだが、こうなってみるとやっぱりあれでも大人だったんだなぁと思わざるを得ない。
 中身が二十四歳であろうと、仕草のひとつひとつに父性本能が刺激されてやまないのだ。
「で、まあ無理はすんな。今までそれなりに優等生で過ごして来たんだから、会社は病欠でいいだろ。俺は有給有り余ってるから一緒に取るとして……」
「え、虎徹さんまで? いいですよ、一人で留守番くらいは出来ますから。それにこんな外見ですが中身は大人です。心配しすぎです」
「あ、いや……そりゃあそうなんだけどさ」
「それに僕にはハンドレッドパワーもあります。二歳の時には能力に目覚めてたんで、今も使える筈ですよ」
「あ、そうなの?」
 実際に能力を発動する事はなかったが、彼の瞳は真摯で嘘をついているようには見えなかった。
 それでも、四歳程度の子供をひとりで放っておく事には抵抗がある。
「ま、俺もサボれるチャンスだから見逃してよ」
 仕方ないですね、と小さなバーナビーはため息をつく。その姿があまりにも普段に似通っていて――子供には似付かわしくなくて、笑った。
「なんですか?」
「いや、なんでもねぇよ」
「一通り自分の事は出来ると思いますから。そんなに虎徹さんの手を煩わす事はないと思いますが……よろしくお願いします」
「りょーかい。まあ、俺もさすがにこれ鳴ったら出てくから」
 とんとん、と腕に巻いたPDAを示せば、当たり前ですと呆れかえった声で返される。
 中身は確かにバーナビーのようだった。
 斎藤を丸め込んでバーナビーの件は内緒にし、時間もほぼ深夜にさしかかる頃だったのでロイズへ直帰の許可を取り付け、そのままモノレールで家へ向かった。
 モノレールの中で、バーナビーは酷く眠そうだった。
 さすがに中身は大人であっても、体は子供のものだ。時間的に起きているのは辛いのだろう。
 ほら、と抱き寄せてやれば酷く驚いた顔をしたが、うつらうつらと結局しているので、さりげなく自分へ引き寄せ、もたれ掛けさせた。
 最寄り駅に到着した頃にはすっかり寝入っていた。仕方ないので、背負って改札を抜け、家路へ就く。背中に掛かる体重は本当にちょっぴりだ。実際にそうバーナビーに触れる機会はないが、子供特有の高い温度が背中にぺたりと張り付いているのは気持ち良くもある。
 鍵を出す時、ほんの少しごそごそしたが背中の小さな寝息は途切れる事がなかった。
 その事にほっとして、部屋の灯りを付ける。
 この部屋は子供に取っては良い環境とは言えないなぁ、と転がる酒瓶などを見遣り、虎徹は苦笑した。
 ひとまずこの子を寝かせなければならない。
 ロフトに上がって、ベッドのシーツを剥ぐ。その合間に横たわらせると、急に冷たい場所へ置かれたせいか、もぞもぞとしていた。そしてきゅっと小さな手で自分の指先を掴む。
「こてつさん……」
 起きたのか、と思ったが目はしっかり閉じられており、眠ったままのようだった。寝言だ。
 可愛いもんだと思い、頭を撫でてやると気持ちよさそうな顔をして、再び彼の手は力を失った。完全に寝入ったようだった。
 そのままシーツを首もとまでしっかり掛けてやり、自分は階下へ降りる。
 さて、取りあえずロイズへメールか電話を掛けなければならない。あんな時間まで出動が続いていたのだから、彼はまだ起きているだろう。時計を見上げると、丁度0時を回ったところだった。ひとしきり考えた後、メールにする事にする。細かい内容は明日改めて電話すれば良いだろう。
 簡単にバーナビーが風邪をひいたようだと言う事、その看病をするために自分は有給を取ると、一応バディとしてはおかしくないだろう文面をひねり出し、メールを送信する。
 三十秒も過ぎないうちに返信が帰って来た。内容は、『了解、明日詳細は聞きます』以上。
 さすがだと思いながら、部屋を片付ける事にする。
 何度かきちんと大人であるバーナビーもこの部屋に来た事はあるが、そのたびごとに「いつ掃除したんですか」と小言を言われ、まずは片付けをさせられていたのだ。まさか明日の朝、子供であるバーナビーに同じ事をさせる訳にはいかない。
 酒瓶を片付け、そして脱いだ服を洗濯機へ放り込んでセットし、シンクに詰まれた食器をひとつずつ洗って行く。男の一人暮らしなど、大抵こんなもんだと思うのだが、バーナビーの部屋はいつ行っても嫌味な程完璧に片付けられていた。そもそも散らかるようなもののない部屋ではあるけれども。
 食事も殆どまともに作っていないようで、だからキッチンも汚れる要素がない。
 この機会にまともな食生活を叩き込んでやるかと思いながらも、自分にそうレパートリーがない事も思い出す。
 久しぶりに片付いた部屋のソファに座り、ビールの缶をあけると実家からいつかに送られて来た料理本を初めて開いてみた。
 この中で自分でも作れそうなものはあるだろうか? そして多分味覚も子供のものになっている彼の食べられるものはあるだろうか――?
 あれだけ怒り狂っていると思っていたのに、案外この状況を楽しんでいる自分を見つけて、思わず苦笑した。



「お酒くさい……」
 甲高い声が耳元で聞こえて、虎徹は目が覚めた。
「すまん」
「いえ……」
 目をしょぼしょぼとさせているバーナビーは、まだはっきりと覚醒していないようだった。
 まだ冷える季節だ、暖かい自分の方へすり寄って来、そこで落ち着いて再び寝付いてしまう。
「あー……」
 逆に一度目が覚めると二度寝の出来ないタチの虎徹は、この状況に困った。ここで起き出してしまえば小さなバーナビーの湯たんぽを奪ってしまうようなものだろう。彼も目を覚ましてしまう。時計を見れば、まだ午前六時にもなっていない。子供が起きるには早すぎる時間だ。
 ぐたり、と力を抜いてベッドのスプリングに体を預けた。
 すり寄ってくる子供を抱きかかえ、ふわふわの髪の毛に鼻の頭を埋める。子供らしくミルクの匂いがする訳ではなかったが、多分自分もそうであろう、トランスポーター備え付けのシャンプーの匂いがした。
 腕の中にすっぽり収まる体は、父性本能を刺激される。甘やかしてとろとろにしてしまいたくなる。
 ちょうどこの年頃の楓とは離れて暮らしていたせいもある。そしてこの子供も、この年頃に親を失い、こうやって抱きしめられる腕を失った。
 ほんの少し切ない気持ちになりながら、やんわりと腕の中の子供を確認する。
 そう言えば眼鏡がなくともきちんと見えているようだった。さすがに子供の頃は近視ではなかったのだろう。きっと近視の要因は――復讐の為の調べ物に明け暮れた日々のせいに違いない。
 そう思えば、尚更切なくなった。
 ほんの少し、腕の力を入れすぎてしまったのだろう。
 腕の中の存在が身じろぎする。
「――こ、こてつさ、ん?」
「お、悪ぃ起こしたか」
「なっ、なに…なにやってんですか!」
 顔を真っ赤にして、バーナビーは慌てて自分の腕から抜け出そうともがく。
「いや、お前寒そうにしてたし」
「だからって何考えてるんですか、僕、男ですよ?!」
「いや……子供だろう」
 思わず笑ってしまった。
「そ、それは、そう、ですけど……でもっ」
「どうしたんだ?」
 真っ赤な顔をしたバーナビーの額に、指を押し当ててやる。
 何を意図した訳でもなかったのだが、一瞬ぽかんとした顔をするとバーナビーは慌ててその指も振り払った。
「何考えてるんですか。確かに見た目はこうですけど、僕はれっきとした二十四歳の……」
「ああ、そうだったよな。うん。でも寝てる顔は天使みたいだったぞ。さぞかしお前の両親は溺愛してただろうなあ」
「…………」
 ああ、禁句だっただろうか。だがこの年頃の頃はまだ親も生きていた頃の筈だ。――それとも、殺害された直後か。微妙な時期だった。話題を誤った、とすぐに虎徹は気付いた。
「すまん」
「いえ、いいんです。確かに両親には愛されてましたから」
 そして、ふわりと笑う。
「うっわ」
「なんですか?」
「お前、笑うとホント天使みてぇ」
「な……っ」
 一瞬にして笑顔はかき消え、そして顔は再び真っ赤に染まった。
「ほんっと可愛い子供だったんだなー、お前。それがどうして……ああ、顔はそのままか」
「なんですか、言いたい事があるんなら言ってくだ……」
「どうした?」
「なんで、僕と虎徹さんが一緒に寝てるんですか?」
 今ようやく気が付いたと言う顔で、慌ててバーナビーはベッドから這い出ようとした。
「ベッド一個しかねぇことくらい知ってんだろ? さすがにお前をソファに寝させる訳には行かねぇし、子供のお前ならスペース的にも一緒に寝ても平気だし、この季節まだ寒ぃしな。俺もソファで寝たくなかったんだよ」
「で……」
 ぽん、とベッドから飛び降りたバーナビーは顔を真っ赤にして、叫ぶ。
「デリカシーがなさすぎます!!!」
 そして、ととと、と軽い足音を立ててロフトを降りて行った。
「へ? なんで?」
 取り残された虎徹は、しばしぽかんとするしかなかった。



 しばらくぷりぷり怒っているバーナビーは放置し、朝の七時丁度に掛かって来たロイズにバーナビーの風邪の様子(もちろんでっち上げだ)を伝え、その看病を申し出た。医者にも診せ、丸一日の休養が必要とも言い添えると、ロイズとしては一人暮らしのバーナビーの状態が気になるようで、それは好都合とばかりに虎徹の有給はあっさりと許可された。
 様子を見に来たそうなのはやんわり断り、通話を切る。
 ヒーロー業に関してもバーナビーについては手は回してくれるだろう。これで彼が子供になっている件については問題がなくなった。
 まだ怒っている彼を放って、朝食の準備をする。
 一度怒ると長いのは、中身が変わっていない以上同じ事だろう。そのうちしょうもない事で機嫌を直すのだから放っておけばいい。
 簡単に卵を割りほぐしスクランブルエッグを作り、トーストを焼く。子供の口には少し大きいかもしれないが、一人一枚だ。冷蔵庫を眺めて、しなびれかけているがレタスを発見したので氷水につけて少しはしゃっきりさせ、それをちぎってサラダにした。自分にはブラックコーヒー、彼にはお子様なのでミルクだ。
「おい、飯出来たぞ」
「……はい」
 怒っていても腹は減る。それに、いつまでも怒りという感情は持続しないものだ。
「なんで僕の、ミルクなんですか」
「ばーか、子供にコーヒーなんか飲ませられるか」
「子供扱い…」
「これに関してはする。体は子供だろ?」
「……そう、ですけど」
「素直に諦めろ」
 ぽん、と頭に手を乗せて、そのまま彼に取っては高すぎるであろう椅子に抱きかかえて座らせる。そこまでしなくていいと暴れたが、この際無視だ。今更怒る原因が一個や二個増えた所で気にならない。それより、不安定な場所によたよたよじのぼられる方が怖くて見ていられない。
「ありがとう……ございました……」
 ぼそぼそっとつぶやいて、その反動のように大きな声でヤケになったように「いただきます!」と虎徹の習慣にいつの間にか慣らされたバーナビーは言い放って、両手をぱんっと良い音をさせて合わせた。
 ぷはっと吹き出し、虎徹も同じようにしていただきますと食べ始める。
 好き嫌いはなかったようで良かった――と、考え。中身は同じだったんだと思い出して苦笑する。
 どうにも外見が可愛らしすぎると、あの最近でこそ素直になって懐き始めたが、昔の小憎たらしいバーナビー・ブルックスJr.と言う人間と同一だとは思えなくなってしまう。
 近頃の、懐き始めた彼も大変可愛らしくはあったのだが。
 もくもくと一生懸命に食べているが、バーナビーの身長からすれば、このテーブルは高すぎたようでかなり食べにくそうにしている。昼からはリビングのソファで食事にしようと考えた。
 当然のように虎徹が食べ終わっても、バーナビーはまだ食べている。
「バニー、ゆっくり食えよ」
「どうしてですか」
「子供はしっかりゆっくり食べて、栄養回さないとな」
「そんな事しなくても、夜には僕、大人に戻ってますよ」
「あ、そか」
 両肘をついて、にこにこと彼の食べる姿を見守る。
 それがどうやらバーナビーにはにやにやと見えていたようで、また機嫌を損ねた。



 それから昼まではゆっくりと過ごした。休日を共に過ごした事はあるが、大抵飲んだ後の二日酔いの頭を抱えている状態だったので、こんな風に過ごしたのは初めての事だった。
 ソファに座って、レジェンドのディスクを見せてやったら彼はまたですかと言いながらも付き合ってくれた。ちょこんと座る姿は大変に姿勢も良く、礼儀正しい。そんな姿が、まるで復讐を誓っていた頃の姿と重ねて見えて、少し切なくなる。
 ふと思いついて、小さな体をひょいと抱き上げ、膝の上にのせてみた。
「なにやってるんですか!」
「いや、ちょっと甘えてみたら、お前?」
「いやですよ、なんで僕が」
 彼は膝の上に一応座ってはいるものの、もぞもぞと非常に落ち着きがない。隙さえあれば逃げだそうと言うのが見え透いているのだが、そこは体の大きさが物を言う。がっちり抱きしめてやれば、彼も力では勝てないのだ。万一能力を発動するような事があれば、自分も発動すればいいだけの話だ。
「もう、本当に……やめてください………虎徹さん」
 必死に抵抗し、ぎゃんぎゃん吠えていたバーナビーだったが、最後は弱々しい声で、そう言った。消え入りそうな声だった。
 おや? と思いバーナビーの顔を見てみる。
 顔は真っ赤で、目に涙まで浮いている。そんなつもりではなかったのだが、嫌がらせが過ぎたのかと思って慌てて手を離した。
 だが、バーナビーはその場を動かない。じっとうつむいてしまったままだ。
 泣いてしまったのだろうか。中身は大人だとは言え、感情の制御などは子供の思考回路と同じなのかもしれない。完全に自分で押さえ切れないのかもしれないと思えば、悪い事をしたと思ってしまう。
「あなたが、悪い訳じゃないんです」
「バニー?」
 小さな消えそうな声だ。
「僕が、悪いんです」
「何が悪いんだ? どうした?」
「虎徹さん――僕、あなたの事が好きです」
 一瞬、何を言われたのかが分からなかった。
「好きです」
「バニー?」
「分からないなら、それでもいいです。すいません。あなたがあまりにも優しくしてくれるから」
「……えっと、自己完結するな。な?」
 うつむいたままのバーナビーは、泣いているかのようだ。
 だが、消えそうな声とは言え、それは揺らいではいなかった。
「お前が、俺の事、好き?」
 一音づつ区切るように確かめると、こくり、と小さな頭は頷く。
「言うつもりなんてなかったんです。こんな事がなければ……」
 悔しそうに、彼は言う。
「あなたと、こんな風に接触しないように決めてました。なのに」
「それは……俺も、悪かったのかもな」
 正直、彼の告白は告白なのだが、いまいちピンと来なかった。
 何故かと言われれば、彼が子供だからだ。これがいつものバーナビーだったとすれば、きっと真正直に受け止め、真剣に考えただろう。だが、子供独特の高い声で「好き」と、どれだけ思い詰めたように告げられたとしても、どうにも真に迫って来ない。
「すまん、子供扱いして」
「いえ。こんなだから、仕方がないんです」
 そしてゆっくりと、バーナビーはソファに手をつき、虎徹の膝の上から降りた。
「こんなんじゃあ、気持ち悪いですよね。すいません、僕帰りますから」
「――っと待て!」
「でも」
「そんなナリでどうすんだよ。第一まだ子供服もねぇんだぞ、そんなだぼだぼの服着て外に出てみろ、補導されるのがオチだ」
「それは」
「カードも使えないと思えよ。お前の年齢でブラックカードなんか出してみろ、怪しいの一言に尽きる」
「……」
「いいから、後一日もねぇんだ、俺のとこにいろ」
「それは」
「いいから」
 強く言い切って、バーナビーをソファに座らせた。
 両肩に手を乗せ、そのままそこに落ち着かせる。
「俺も悪かった。ちょっとは気を付ける。だから、お前もちょっとは気を許せ。いいな?」
「……はい」
 か細い声で返事をすると、小さく小さく、頷いた。
「で、お前が俺を好きっての、ホントなの?」
 斜め向かいのソファに座り出来るだけ刺激しないようにしながら、柔らかな声音で尋ねてみる。
「残酷ですね」
「え?」
「あなたにはそんな気、全くなさそうだ。なのに何度も僕に言わせるつもりですか……まあ、気持ち悪く思われてないだけマシかもしれませんが」
「あー……つーか」
 頭を、かしかしと掻く。
「なんか実感なくてよ。悪いが今までお前をそういう風に見た事はなかった。だから改めて考えたいけど、今のお前、そんなだろ? なんか悪い事してるみてぇじゃん」
「……でも、中身は二十四歳のバニーですよ」
 ふと、年齢に似合わない笑い方をバーナビーはする。
 つきん、と心臓が痛んだ気がした。ああ、これは確かにバーナビーなのだと思い知ったのだ。
「どうやら、そうみたいだな」
 とすん、とソファの背もたれにもたれかかった。
 体重を全てそちらへ預けてしまう。
 どうしてこれを抱きしめて眠るなんて事が出来たのだろう。
 彼は、自分の相棒なのだ。しかも彼は自分に恋情を向けていた。
 自分は、さてどうだっただろう?
 懐き始めたこの相棒の事を可愛いと思っていなかったか? 彼が子供にされてしまったとき、そしてそれが永遠かもしれないと思った時、激高しなかったか? たった一日で元に戻れると知って、安心はしなかったか? 彼の失われた子供時代へ、愛情を、与えようとしなかったか――?
「俺は……」
「無理に答えを出さないでください。なにせ、今の僕はこうです。混乱してるでしょうし、僕だって混乱してます。言うつもりのなかった事を口にしてしまうくらい」
「……うん、まあそうだな」
 猶予を与えられて、少しだけほっとしたのは事実だった。
 聡そうに明瞭に話をするこの子供がバーナビーだと分かっていても、それでも尚思考は子供の姿に邪魔をされる。
「じゃあまあ、お前の服買ってくるわ。一日だけだとしても、それじゃああんまりだろ?」
「え? 虎徹さんのシャツかなんか貸してくれればそれで十分ですよ。勿体ない」
「外に出れねぇだろうが」
「外に出てどうするんですか?」
「子供の目で、外見るってのはなかなか出来ねぇ事だと思うぜ? せっかくだし楽しもうぜバニーちゃん」
 にっと笑い掛けると、すこし戸惑った表情を浮かべた後でだが、バーナビーも笑顔になった。
 子供らしい笑顔だった。



 それから四歳児程度のラフな衣服を調達し、二人で買い物に出る。子供だから、と手を繋いだがバーナビーの顔は紅潮していた。何故と思ったが、そうだった。彼は自分の事が好きなのだ。
 子供だからこそ許される行為。
 子供だから、手を繋いでいてもおかしくない。
 そう心の中で言い訳をしていそうなので、少し笑ったが、バーナビーは自分でいっぱいいっぱいなのか、気付いていないようだった。
 きゅ、と握られる手はちいさくて、それでも必死で縋り付くようだった。
 切ない気持ちになる。
 こんな風に、バーナビーは自分の気持ちを押し殺していたのかと知れるからだ。
 心臓が掴まれた気持ちになった。
 スーパーで買い出しをしている間も、手は繋がれたまま。レジで金を支払う時と、袋に詰めている間だけ手を離していた。
 そしてそのまま、家路につく。
「なあ、小さいお前から見て、この世界はどうだ?」
「――……そうですね」
 不意に振られた言葉に、戸惑っているようだった。
「平和、そうに見えます。幸せそうに」
 それはバーナビーの心情だろうか。
 彼の表情は笑顔にも見えるし、泣きそうにも見えた。
 タイムリミットは半日を切っている。それまでに解答を出してあげる事は出来るだろうか。
 この曖昧な表情を、笑顔にしてあげる事は出来るだろうか。
 家に帰ると、そのままシャワールームへと直行した。冷えた体を温めたいからだ。
 もうすぐ冬になる季節、そこそこ出歩いていた自分達の体は冷え切っている。
「いやですよ!」
 そこでまたも、言い争いが勃発した。
 一緒に入ろうと提案した自分と、抵抗したバーナビーとの間で、だ。
「ひとりで入るような年齢じゃねぇだろうが、大人しく一緒に入れ」
 そのまま抱きかかえて、買い与えてやったばかりの服を脱がす。ラフな服を選んだのが良かった。中身がなんであれ、四歳児はまだ一人で風呂に入る年齢ではない。頭がはっきりしていようと体がついてくる筈がない。
「だから、それじゃあ今日はお風呂はいいです!」
「外出歩いたんだから汚ぇだろ、そんなんじゃベッドに入れねーぞ」
「結構です、ソファで寝ますから」
「バカか、風邪引くだろ、本当に」
「だから絶対にっ、いや、です!」
 抱き上げていた加減か、振り回された足が鳩尾に決まった。子供の本気というのは時に怖い。かなりの痛さでおもわずうずくまり、その間にバーナビーには逃げられた。
「お前な!」
 既に服は完全に脱がせている。全裸で走り回る子供を追いかけて、捕まえる。
 そしてそのまま再び抱き上げると、真っ白な尻に噛みついてやった。
「な……っ!!!」
「悪い子にはおしおき」
「そういう時は、叩くんじゃないんですか!」
「いや、やわらかそうだったからつい」
「つい、じゃないでしょう!!!」
 あー。確かに妙な行動だったかもしれない。だがまあいい。これで捕獲出来た。
 自分も殆ど脱いでしまっている。浴室内に入ってから後は脱いでも良いかと思えた。どうせ休日用のラフな服だ、そのまま洗濯機で回して洗ってしまえる。
「ほら、風呂入るぞ」
「だからっ」
「だからもへったくれもねぇ!」
 ぺしん、と今度こそ白い尻を叩くと、急に手の中の子供は大人しくなった。
「この事、一生僕忘れませんからね……」
 じとりと見上げられる。
 四歳児の視線ではない。バーナビーの、目だ。
 思わず引き気味になってしまったが、目的はどうやら達成されるらしい。
 そのまま風呂場へ連行し、一緒に風呂に入った。
 浴槽には久しぶりに湯を張ってある。そこへ放り込むと、さすがに観念したかバーナビーは大人しくなった。
「あなた、分かってるんですか。僕はあなたが好きなんですよ。そんな相手に裸見せて…」
「今更だろ? 今までだってシャワールームで全裸なんて見てるし、そもそも子供に貞操の危機感じてもしょうがねぇし、第一子供に俺は欲情しねぇ」
「――男にも、でしょう」
「さあ、それはまだわかんね」
「……妙な期待を持たせるの、やめてください」
 ちゃぷちゃぷと浴槽の縁にしがみつき、頭を洗い体を洗っている自分をバーナビーは見ている。子供の視線だが、これが二十四歳のバーナビーだとすれば欲情のものになるのだろうか。さすがに体が子供の状態では欲情もしようがないだろう。
「考えてもない事を先に結論出しちまうのがイヤなんだよ」
「いつものあなたと違うじゃないですか。考えるなんてこと、苦手なくせに」
「あー、そうだなー」
 全身泡まみれになったところで、シャワーのコックを捻る。
 そして、少し高めの温度でそれを全て洗い流した。
「てことは、もう答えなんか出てんのかもな」
「え、どういう事ですか?」
「ないしょ。ほら、次はバニーちゃん」
 浴槽から引っ張りあげ、泡まみれのスポンジにさらにボディソープを追加し、もこもこにする。
 それを幼い体に強すぎない力で沿わせて行く。
「く…すぐったい、です」
「あ、もうちょっと強い方がいい? 手加減とかわかんなくてさー。楓も洗ってやった事、ある筈なんだけどなあ」
 そしてもうすこし力を入れて背中を洗ってやると、彼は気持ちよさそうにした。
 頭も洗ってやり、そして全身を洗い流してやると、背中から抱きしめてやる。
「早く大きくなれよ、そしたら教えてやる」
「……」
 バーナビーからの返事は、なかった。



 そもそも、男から恋情をぶつけられて気持ち悪いともイヤだとも思わなかった時点で、答えは出ていたのだ。
 懐き始めていた相棒を可愛いと思っていた事。
 彼が子供にされて、そのまま永遠に失われるかもしれないと思った絶望と激高。
 それがたった一日の事だと知った時の安堵。
 小さなバーナビーへの、度の過ぎた愛情の与え方。
 どれもが、考えるより先に動く自分の出していた結論だ。



 タイムリミットまで、後二時間弱。
 白い尻に噛みついた歯形は、残るのだろうか。消えるのだろうか。
 消えたら、新しく付けてもいいのだろうか。
 風呂上がり、既に眠そうな顔をしているバーナビーを見ながら、ソファに座って彼をベッドへ促す。
 一緒のベッドに眠ろうとすれば、大人二人で眠る事になる。
 彼は目覚めるだろうか。何かを言うだろうか。逃げるだろうか。
 それとも、抱きしめられてくれるだろうか。
 子供じゃないのだからと、彼は泣いてしまうのかもしれない。
 子供の時に泣けなかった分を。


 早く、時間よ過ぎろ。
 虎徹はベッドで眠る小さなバーナビーを見ながら、時計をちらちらと見ていた。
2011.10.14.
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