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「20 years of solitude 20年の孤独」


 三日前に、電話があった。
 誕生日までに、欲しいものを考えておけ――だいたいそんな内容で、通話時間は五分にも満たなかった筈だ。その日から、バーナビーは途方に暮れた。
 欲しいものと言われても、咄嗟に何も思い浮かばない。物質的には恵まれている方だ。両親の残してくれた遺産もあれば、ヒーローをしていた時の稼ぎだってある。元から物にこだわるタイプでもない。がらんとした、この部屋が自分の性格を物語っている。
 ヒーローをやめて十ヶ月。
 部屋を引き払う事も考えたが、結局引っ越すのも億劫で、そのまま同じ部屋に住んでいる。
 虎徹は実家へと戻ったが、月に一度はこの部屋へやってくる。その場所を置いておきたかったのかもしれない。何の記憶もない場所を、自分が嫌がったのもある。偽りの記憶で自分は構成されていた。だが、虎徹と過ごした――ヒーローとして生きていた時間は仕組まれたものであったとしても、確かに自分のものだったのだ。
 その欠片が、ここにある。
 未だにどうやって生きていけばいいのかは分からないままだけれども、それでも自分の人生をみつけるために、日々を過ごしている。
 携帯にメールが入った。
 まもなく、虎徹がやってくる。
「あの人は、いつも勝手ばかり言う……」
 結局、投げ出した。
 欲しいものなどない。こうやって彼が会いに来てくれる事が一番に嬉しいのだ。それだけで良いと告げよう。だがそれも気恥ずかしい。髪をくしゃりとかき乱し、ああセットが乱れてしまったと頭を過ぎるが、手直しをする間もなく到着の知らせが来た。
『よっ、バニーちゃん』
 モニタに映る彼は、大仰な花束を抱えている。
 ああ、そういう事の好きそうな人だな……と、苦笑が浮かんだ。
「開いてますよ」
『ん』
 こんなやりとりをしなくても、解錠の為のナンバーも教えてあれば、認証も登録してある。だが、彼はこうやっていつも自分を呼び出すのが好きだ。一度だって自分で入って来た事など、なかったように思う。変わらないそれが嬉しくもあり、頬が緩む。
 間もなく、扉がノックされ、「バニー!」と呼ばれた。
 入って来ればいいものを、玄関先であの花束を渡したいのだろう。それくらいの意図が分かるくらいには、付き合いは長い。
「ハッピーバースデー、バニーちゃん!」
「こんな時くらい、きちんと名前を呼べばどうですか?」
 苦笑混じりに、大きな薔薇の花束を受け取る。
「なんだよ、もうちょっと喜べよ」
「喜んでますよ……ありがとうございます」
「二十六歳だよな、なんだ……いい歳になったよな」
「あなたには永遠に追いつきませんから、安心してください」
「なんだよ、それ」
 さて、この部屋には花瓶などと言う洒落たものはないのだけれども、どうしたものだろうか?
 笑いながら部屋に入って来る人は勝手にさせておいて、バーナビーはひとまずキッチンへ向かった。近頃は自炊も始めた。と、言ってももっぱら作れるのはチャーハンを始めとした簡単なものだけだけれども、食器だって増えたし調理器具も調味料も、増えた。元はなにもなかった場所だったのだから、増えたと言っても所詮たかが知れているのだろうが。
 今日はきっと、虎徹は自分にチャーハンを作らせようとするだろう。いや、今日は彼が作るだろうか。だから、シンクに花束を置くのはやめておいた方が良い。だが、この豪勢な花束はその辺りの食器には収まりそうにない。
 迷った末に、結局花束を抱えたまま既に虎徹がくつろいでいるリビングを横切り、洗面所のボウルに水を張り、そこへ置いた。
「なんだ、そんな場所?」
「あなたがいきなり持って来るから。この部屋に花瓶なんてないですよ」
「じゃあ、買いに行こうか」
「…………いえ、いいです」
「? なんで?」
 まるで、虎徹が買い与えてくれるかのような物言いだった。そんな気はないのだろうが、誕生日のプレゼントが花瓶だとしたらそれは悲し過ぎる気がした。それは後で、自分で買っても構わない物だ。
「なんとなく、です」
「そ?」
「別に飾るのがイヤ、とかそういう訳じゃありませんから」
 はっと気付いた可能性を、早くに潰しておく。
 言えば、ははっと陽気に虎徹は笑った。そんな事は想像もしていなかった、と言った気配だったし、実際そうだったのだろう。自分が気を回しすぎただけなのだ。
「相変わらずだなぁ」
「なにがですか?」
 ひとつしかないソファから立ち上がると、歩みよって来た彼に、頭をくしゃりと撫でられる。そして、至近の距離で音を立て唇を奪うと、満足そうに虎徹は目を細め、笑った。
「お前はお前だってことだよ。なあ、欲しいもん、決まったか?」
「……いえ」
「なんだ」
 途端、至近の顔の色が褪せる。がっかりするかもしれないとは思っていたが、ここまで落胆されるとは思っていなかった。
「まあ、いいや。今日中に――いや、明日でもいいか。考えておけよ」
「特に思い浮かばないんです。だから、結構ですよ。――あなたが来てくれただけで」
「可愛い事言うなよ」
 再び、くしゃくしゃと髪をかき乱される。もう髪は鳥の巣のようになっているんじゃないかと思うけれども、自分を見る彼の目があまりにも甘やかなので、構わないかと思った。



 その日はひたすらに甘やかされた。
 何も欲しがらない自分へ、それが誕生日プレゼントだと言わんばかりに、食事から何から何までまるで幼い子供に接するかのような甘やかし方を、虎徹はした。彼の作ったチャーハンをスプーンで口まで運ばれる事には閉口したが、だが彼は逃げるのを許してくれなかった。
 これじゃあ虎徹を満足させるための一日のようだ、などと思ったけれども、結局あの人が笑っていてくれる事が嬉しくて仕方ないのだから、自分のためでもあったのかもしれない。
 指の一本一本を舐られ、ベッドの上でも自分はひたすらに甘やかされている。
 親指、人差し指、中指……差し出された舌で舐られ、じわじわと甘い痺れが体の内側に落ちて行く。シャワーでは全身をくまなく洗われ、既に体は熱くほてっている。こんな弱い刺激では物足りないのに、目を細め、愛おしいものを見るかのように自分を見る彼の視線がたまらなくて、結局抵抗出来ない。
 ちゅ、と音を立てて小指の先から彼の唇が離れた。ぞくり、と背筋をあからさまな快感が走る。
 低い場所にある虎徹の頭、視線が色を湛えて自分を見る。再び、背筋が震える。
「……ハッピーバースデー、バニー」
 手の甲に、口付けを送られる。
 そんな気障な事、この人にはちっとも似合いやしないのに、たまらない気分になってまぶたを落とした。
「虎徹さん……早く、ください」
 そして、先をねだる。
 向かい合わせに座ったままだったからだを、とん、と押される。肩に掛かった力でベッドにそのまま横たわる。途端見上げる姿勢になった自分は、ひどく頼りない目をしていたのだろう。柔らかな手で髪を撫でられ、そのまま頬も撫でられた。額を全開にさせられ、そこにも唇を落とされる。暖かな温度が、たまらなく気持ち良い。
 うっとりと目を閉じれば、まぶたの上にもキスが降り注ぐ。顔中あちこちに口付けが落とされ、ひどく幸せな気分になった。腕を伸ばし、しなやかな筋肉は衰えないままの虎徹の体を抱きしめる。軽く発熱しているかのように、彼の体は熱い。きっと、自分の温度も酷く上がっていることだろう。
 毎日のように抱き合えなくなった代わりに、気持ちがより深くなってしまった気がする。
 抱き合う時間が濃密で、息苦しくすらなりそうだ。
 だが、それが幸せだと感じていた。
 唇に落とされたキスは、そのまましばらく重なり合うだけだったが、バーナビーの方が焦れて、折れた。唇を薄く開いて虎徹の唇を、舐める。ふと笑んだ気配が漂ったが、そのままキスは受け入れられた。舌を絡ませ、濡れた音を立てながらじわりじわりと温度を上げて行く。
 背に回した手をくすぐるようにして動かせば、虎徹の手も意志を持って動き始めた。きっと存在を主張し始めていた尖りを引っ掻くようにされて、ひくりと体が跳ねる。直截の感覚は、ひどく鋭く、甘い。
 捏ねるようにその場所を弄られ、重ねた唇の合間から、自分の声が淡く漏れる。それを恥ずかしいとは、もう思わない。その声を虎徹が好んでいる事を知っているからだ。
 いつの間にかキスは逆転され、虎徹の舌が口内を蹂躙している。舌を余すところなく舐められ、口蓋を舐められ、上がる声までも飲み込まれる。てのひらは尖りをつまむように、胸全体を揉むようにしてなで回されて、ぞくぞくとした感覚が絶え間なく襲いかかって来る。
「……んっ、は……っ」
 唇が、離れていく事が少し寂しい。
 だが首筋に落とされた温度が気持ち良くて、すぐに夢中になる。
 強く吸われた場所が痛いと感じるのは瞬間だけの事で、体中に響くようにそこから痺れが広がった。甘くて、甘くて、耐えきれなくて彼の背に爪を立てる。虎徹もその感覚に弾かれたように体を震わせ、より酷く体を弄り始める。
「あ……っ、あ、」
 胸を、舐られる。手はそのまま下へずり落ち、きっと自分も衰えてはいない筈の腹筋を辿り、興奮の色を隠さない彼の全身で愛撫される。
 ――たまらない、気分だ。
 愛されている事をこれ以上もなく信じられる。
 体を重ねるだけの事と思うかもしれない。
 快感を追っているだけにしか見えないかもしれない。
 だけれども、間違いなく彼は自分の事を愛しているし、自分も彼を愛している。それを隠す事もせず、これ以上もなく見せつけ合っている。
「こてつ、さ……っ」
「ああ」
 くちゅり、と水音がする。既に勃ちあがっていたものをてのひらに包まれ、高い声が漏れた。
 もう、すぐにでもいってしまいそうだった。
 先走りがぬるぬると彼の手の動きを助けている。荒い息を吐きながら、虎徹は自分をじっと見ている。眼鏡を外し忘れたままだったので、その姿が見える。快楽に負け、そして愛おしさにも負けて薄くしか開けないまぶたの間から、そんな彼の姿を見逃さないように見ていた。
「好き……好き、です……こてつさん、すき……」
「好きだよ、バニー。俺もすげー好き。なあ、好きだよ」
 ちゅ、と音を立てて唇にキスを落とされる。それだけで胸の奥が痺れるほどに幸せなのだから、お手軽に出来ている。だが――これは、虎徹でなければ与えてもらえない感覚だ。彼でなくてはならない。彼じゃなければ、こんな気持ちにならない。今にも泣いてしまいそうな、幸せを感じる事なんて出来ない。
 強く抱きしめると、とさ、と体重をそのまま胸の上に落とされた。
 そして、重ねるだけの口付けを長く与えられる。
 その間もずっと手は動き続けて、いよいよ追い詰められる。
「……んっ、ん、ふ……う、んんっ」
 かりかりと虎徹の背を引っ掻き、快感を必死で逃がす。上り詰めるまでの感覚を少しでも引き延ばしたくて、それでもそれは叶わなくて、重ねるばかりのキスから逃げ出す。
「ああっ、あ、も……っ」
「ん」
 落ち着いた声が、背中を押す。
 強く両手で虎徹の背にしがみつくと、そのまま頭が真っ白に呆けた。
 ひとときの忘我の間に、虎徹はローションを手に後ろへ手を伸ばしている。粘度の高い音を立てながら、太い、知っている指が後ろを犯して来る。
「ん……ふ、ま、だ……僕……」
 いったばかりで、感覚が鋭いままで、少しつらい。だがこのタイミングをいつだって虎徹は逃してくれない。一番に体が緩んでいるのだと言う。
「ちょっと、我慢な?」
 甘い声が唆す。だから、結局バーナビーは折れるしかない。
 興奮の気配を隠すことなく、しかし柔らかく自分を解してくれるこの声を、バーナビーはひどく愛している。
「は、い……」
 くちゅり、と音を立てて指が深い場所にまで潜り込む。一本、二本、そして三本目が飲み込まれる頃には既に快楽が塗り替えられて、新しく深い場所にまでたたき落とされていた。
「も、早く……こてつさ、はやく…っ」
「ああ」
 低い、甘い声と同時に熱い温度が突きいれられる。肉を割る感覚と共に、頭が真っ白になる。ぐぅっと反る体が高い温度をそのままに受け取る。
 根本まで飲み込み、体を揺さぶられて頭の中までもぐしゃぐしゃになりそうな程に興奮した。
「はっ、あ…ああっ、あ、っ、ああぁっ」
「は…っ」
 虎徹の呼吸も酷く乱れ、快楽に酔っている事が分かる。その事が、更に自分の悦楽を深くする。これ以上感じる事なんて出来ないと思う程深みまではまっているのに、その次の瞬間にはもっと深い場所にまで落ちている。
「……も、もう…っ」
「ん」
 短い音でしか返事をくれない男は、更に内を抉り、快楽を深くさせる。これ以上は無理だ、逃げたいと思うのに、しがみつけるのはこの感覚を与える相手しかいないのだ。
「や、だ……もっ、や……ああっ、あ、あああ、あっ」
 強く、爪を立てた。
 きっと虎徹は痛かっただろう。だがそんな事を考える事も出来ない。
 脳裏を真っ白に染め上げられ、強い強い快楽が思考を焼く。呼吸も上手く出来ない感覚に体が痙攣し、消えてしまいそうな錯覚を起こしたが、だがやがて意識がはっきりした頃には虎徹にただしがみついているだけで、いつもと変わらない自分がそこにいた。
「……大丈夫か?」
「は……は……はぁ……あ、い」
 柔らかく、キスを落とされる。
 快楽ではなく幸福が今度は体を支配する。
 ずるり、と抜き出されたものはこれで今日は終了だと告げていた。いつの間にか中に吐き出されていたものが、どろりと漏れ、体を震わせる。
「あ、悪ぃ」
「いえ…大丈夫、です」
 それすらも幸せな気分にさせるのだから、手に負えない。
 爪を立てるのではなく、抱きしめて目を閉じた。
 この人が好きだと思う。本当に好きで好きで、たまらない。
 とさりと横に転がった虎徹は、伸ばした手で頭を柔らかく撫でる。
 まだ熱の下がらない体は続きを求めているようでいて、そうでない事も知っている。この手があれば、それでいいのだ。本当はこの甘い時間の方を求めてしまっている。
「………虎徹さん」
 ようやく落ち着いた呼吸の下で、彼の名を呼ぶ。彼の意識がこちらへ向かっている事は、痛い程に良く分かっている。
 だけど、その先の言葉は何もなかった。彼の名を呼びたかっただけなのだ、きっと。
 しばらくの沈黙の後、ぽすぽすと髪を撫でられる。
 それが、酷く心地よかった。



 目を閉じて、夜明けを待つ。
 静かな呼吸が、傍らから聞こえる。これだけで、本当は満足している。
 この人がいれば、それでいい。
「虎徹さん……」
 彼は、眠っている。
「あなたといると、僕は寂しかったんだって事に、ようやく気付けたんです」
 気持ちの良い寝息が、絶え間なく響く。
 その事に、涙が浮かんでくる。
 目尻を伝い、落ちる涙がぼかす景色は、元から眼鏡を外しぼやけているから今更で何も変わりがない。
「あなたといて、ひとりはイヤだと思うようになったんです」
 彼が眠っているからこそ、言える言葉。
「欲しいもの、見つかりました。――あなたをください」
 繰り返される寝息。彼は、眠っている。
 涙が落ちるけれども、これは悲しいから落ちる涙ではない。
 彼が、好きだから溢れる涙だ。幸せで落ちる涙。
 孤独だと知る事が出来たのは、今は孤独ではないせい。
 ひとりじゃないから、ひとりだった頃の自分を悲しいと思える。
「好きです」
「そういう事は、ちゃんと起きてる時に言え」
「……っ」
「待ってたんだからな」
 ぽすん、と頭におおきなてのひらが乗せられる。
 そんな都合の良い事があるのだろうか? 聞かせたい言葉ではなかった。だが、聞いて欲しい言葉でもあった。
 もぞりと傍らの存在は起き出し、脱ぎ捨てたシャツをまさぐっている。
 呆然と、バーナビーはその姿を見る。
 そしてひっぱりだして来た小さな……良く知っている……だが、自分にはきっと縁がないだろうと思っていた小箱から、細い綺麗なリングが取り出される。そして、すっと小指にはめられた。
「おそろい」
 暗い部屋の中で、虎徹は自分の左手の小指を見せる。同じ色のラインが見えて、呼吸を忘れた。
「なに……」
「ごめん、薬指は無理だけどさ。……赤い糸って知ってる? まあこれは銀色だけど。俺とバニーちゃんが繋がってればいいなって思ってさ」
「――どういう…」
「ごめんな、ずるいおじさんで」
「それは、いいんです」
 自分の小指。そして、虎徹の差し出された小指を、見る。
 そして、くすりと笑みが浮かんだ。
「これ……ゆるゆるですよ。サイズ、全然合ってないじゃないんですか」
「だっ、しょうがねぇだろ、バニーのサイズなんで知らないし!」
「愛が足りません」
「いや、そういう…」
「仕方ないですから、明日、付き合って下さい」
「え?」
「サイズ直しに行きます」
「………バニー?」
 ぽかん、とした顔の虎徹に、更に笑みを濃く浮かべる。だが、同時に涙が溢れてしまうのはマズかった。
「あなたがズルい事なんて、最初から知ってます。一生、大事にさせてください」
 抱きしめられた。ぎゅうぎゅうと、手加減のない力で。
 肩口が濡れているような気がしたのは、気付かないふりをした。
 この人がいるから、多分自分は幸せで、そして寂しい。
 そんな、普通の事に気付けた。



 小指のこれよりもなによりも、それが、きっと誕生日プレゼントだったのだ。
2011.10.31. HAPPY BIRTHDAY BUNNY!!!
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