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「I missed u 会いたかったよ」


 ああ、もうこいつ大丈夫なんだな、と思ったら気持ちがすっきりと、晴れた。
 唯一の懸念は彼の存在だった。自分に依存させて、いつの間にか自分も依存していた。自分の能力では、ヒーローを続けて行く事は出来ない。いつ切れるか分からない能力を気にしながら、切れてもスーツさえ着用していればごまかせると言う状況を利用して、身体能力だけでなんとかしてきた。
 いつバレてしまうのかと、神経をすり減らして来た。
 バーナビーに自分の能力減退を知られる事は、少しばかり怖かった。
 もう並び立てないのだと自分では知っているけれども、それを彼が知れば、間違いのない事実として確立されてしまうからだ。
 彼の隣で並び、走る事は気持ちの良い事だった。娘の為にとヒーロー引退を決めたのは、決して逃げではなかった。自分の限界を知っていた。だからこそ選んだ選択肢だったのだ。
 それでも彼に事実を告げられなかったのは、つまらない未練だったのだろう。
 まだ、彼と並び走れると言う可能性を自分の中にも残しておきたかったのだ。
 それも、全て告げた。ごまかすという事などもう出来なかった。
 そんな甘えは彼を傷つけるだけだと、虎徹にも気付けた。
 いつも庇護しているような気持ちでいたけれども、自分は十分過ぎる程にいつの間にか気の許せる、誰よりも近い場所に居るようになった相棒に甘えていたのだ。
 だから、自分の人生を歩きたいと言ったバーナビーに、虎徹は安堵していた。
 引退を決めた自分達ふたりだったが、もちろんそう簡単に話は進む筈もなかった。
 なにより、虎徹自身も、バーナビーも重傷を負っていた。
 アポロンメディアCEO、マーベリックの逮捕。そして中継された悪事の総決算。そんな騒ぎの中隔離されるように放り込まれた病院はふたりきりの部屋で、しばらくの静かな時間を持つ事が出来た。
 いろいろな話をした。
 これまでのこと、これからのこと、お互いの事、ふたりの関係の事。
 自分達は相棒でありながら、ステディな関係でもあった。自分は娘のいるオリエンタルタウンへ帰ると決めていたから、彼との関係はしばらく据え置きと言う事になる。別れる、という言葉は一度も出なかった。思ってもいなかった。
 もしかしたら距離が結果的にお互いを引き離してしまうかもしれない。
 それでも、今は互いの存在を恋しく思っていた。
 ひとりで歩き出す事を決めたバーナビーの事を、今まで以上に愛おしいと虎徹は感じていたし、だがその結果、見つけた新しい世界に彼が奪われる事になってしまっても、それはそれで仕方がないと思っていた。
 彼は、まだ若い。
 彼は、まだ世界を知らない。
 なにも知らないよう世界を操作されて生きて来たのだ。
 狭い狭い場所で用意された選択肢は異様に少なく、その中で自分が選ばれただけなのだとすれば、身を引くしかないだろう……と、思えた。
 それは年長者としての勤めでもあるし、彼を愛しているからこそそうすべきなのだと思えた。
 あくまでも、理性の部分であるので、実際にその時が来たら素直に彼を手放せるのか、と言えばそれは甚だ疑問ではあったが、それでもそうすべきなのだろうとふたりきりの時間の中で、じわじわと感じていた。
 引退の手続きは、その中で粛々と進められて行った。
 華々しい引退セレモニーなどは行わない事にしていた。実際、自分達の上司であるマーベリックのおそろしいまでに手広い悪事が公になっているのだ。その所属である自分達が鉄槌を下したとは言え、ヒーローとして世間に顔向けをしずらい状況ではあった。
 それでもロイズを始めとしたアポロンメディアはこの騒動での主人公でもあった、まだ会社的にプラスになる要因である自分達を留意しようと必死ではあったし、仲間のヒーローたちも納得はしていたものの未練は隠そうともしなかった。
 それを、退院までの一ヶ月弱。
 すべてを振り切り、静かに自分達は二人揃って退院した。本来ならバーナビーの方が軽傷で退院時期も早かったのだが、騒ぎになる事を考えてタイミングを揃えたのだ。
 それに、おそらくだが……そこには、バーナビーの我が儘も存在していたのだろう。
 残されたわずかなふたりきりの時間。
 甘い睦言がある訳でもなく、抱き合う事も出来ない環境ではあったが、ふたりきりの空間に未練を感じていたのだろう。それは虎徹も同じ事だったので、彼のささやかだろう我が儘には気付かないふりをした。
 そして、自分達は別々の道を、歩き始めた。



 一年の間、自分達は連絡を取り合わなかった。



 携帯は変えなかった。メールアドレスも変えなかった。
 いつか連絡をしようと思った時に、不通である事は避けたかったからだ。虎徹は別れたつもりはなかった。ただ、次の約束をしなかっただけだ。
 だが、自分から連絡を取る事もしなかった。
 幾度か、番号を呼び出し発信ボタンをタップしそうになった事はある。
 アドレスを呼び出し、「元気か?」の一言を書いて送信しそうになった事もある。
 だがその直前に手の動きは止まり、電話画面はクローズに。メール画面は削除ボタンを押していた。
 酔うとその頻度は上がった。あの自分より低い体温が恋しくなり、「会いたい」とメールを打った。だがそれも削除ボタンを押された。
 彼に会う事を、躊躇していた。
 彼が何をしているのかは、知らない。
 時折アントニオからは連絡があり、他のヒーロー達がどうしているのかは知っていた。もちろんオリエンタルタウンでもHERO TVは放映されている。彼等が元気にやっている事は見て分かっていた。
 なのに、一番に近しかった存在については何も知らない。
 アントニオも知らないようだった。
 彼はシュテルンビルトに居るのだろうか。それさえも分からない。
 最初は、ただ単に連絡をしなかっただけだった。直近までのふたりきりの時間の記憶がある。
 連絡などする必要を感じなかった。
 だが、日が過ぎるにつれて、何故か連絡をし辛くなった。
 彼からの連絡が一向に来ないというのも、ひとつの理由だ。
 バーナビーは新しい道を模索しているのかもしれなかった。その邪魔をしたくはなかった。初めて自分の意志で選ぶ人生を見つけるのは大変な事だろうと思えた。そこに、虎徹の意志は反映させたくなかった。
 可愛い可愛いバニーは、それでも自分のものではなく一個の男性であり、自分の道は自分で切り開いて欲しかったからだ。
 それに虎徹も実家とは言え勝手の違う新しい環境に馴染むために、それなりに忙しく過ごしていた。
 楓の父である事、兄の酒屋の手伝い。
 そして、ヒーローでない自分。
 全てにおいて、いちからやり直していかなくてはならない事で、そのために当初連絡を取る余裕がなかった……とは、言い訳だろうか。
 だが、バーナビーから連絡がないのも、きっと同じような理由だと思っていたのだ。
 あれだけ自分に依存していた彼が、新しい自分の生き方を見つけるにあたり、自分に連絡を取って来ないと言う事は、自立しようと彼なりに躍起になっているからだと思っていた。
 それが一ヶ月になり、二ヶ月になり、虎徹も新しい生活に馴染み余裕が出た頃には――、いつまでたっても連絡の来ないバーナビーへ、連絡をするのが怖くなった。
 もう彼は新しい世界を手に入れているのかもしれない。
 もう、自分は必要のない世界なのかもしれない。
 昼間、兄の店を手伝い、夜は実家で娘と一緒に食事をとり、可愛い話に耳を傾け、そして深夜。
 携帯を片手に縁側でビールを傾ける。
 そろそろ季節は変わりつつある。寒さは遠に過ぎ、そろそろ初夏の気候に入る。シュテルンビルトではそろそろ拭っても拭っても汗が噴き出す季節だろう、あの都市の夏は暑い。
 携帯を弄り、バーナビーの番号を呼び出す。登録名は「バニー」。
 この愛称も長らく口にしていない。
 じっと眺めたまま、うっすら酔いかけた意識のままに番号をタップしそうになる。
 それを直前で止め、そのままクローズボタンへと移動させ、今度はきちんとそのボタンを押した。
 何故、この簡単な動きひとつがままならないのだろう。
 ため息を落として、ビールを呷る。
「バカみたいだよな……俺」
 年下の恋人に捨てられるかもしれない予感に、胸が痛くなっている。理性の部分では理解していた筈の事だった。こうなるのは予定通りだった。
 その時には笑顔で祝ってやらなければならないとも思っていた。
 だが、現実はこうだ。
 彼のいない世界はこんなに味気ない。
 あれほど傍に居たかった娘と一緒に生活し、ヒーローでなくとも日々をそれなりに生きていける事に気付いたと言うのに、彼がいなければこんなに寂しい。
 大きなため息を、気が付けば再び落としていた。
「おじさん寂しいわ、バニーちゃん」
 彼の前途を祝したいのに、自分は足を引っ張りたい。
 年長として、彼の先輩として、そうありたくはなかった自分が間違いなくここにいた。



 ヒーローでなく生きて行く事にはそれなりに慣れたつもりでいた。
 だが、娘にある日、「格好悪い」と一刀両断にされた。
 茫洋と生きているだけでは、どうやらダメだったらしい。確かに、ヒーローであった時の自分と帰って来てからの自分では生き方がまるで違っていた。張りと言うものを感じてはいなかった。
 バーナビーに連絡を取れなかったのも、その理由のひとつかもしれない。
 彼の人生を邪魔したくはなかった。彼の人生に不要であると気付くのが怖かった。
 そしてなにより、今の自分は彼に対して、胸を張って向かう事の出来る存在ではなかった。
 共に並び、走ったあの頃のような激情はない。強さもない。
 ただ来る日々を凡庸に流して過ごすだけで、それは兄のように地に足を着けた生活とも違っていた。どこか中途半端な座りの悪さをずっと感じ、それを酒でごまかして過ごして来たようなものだった。
「今のお父さん、格好悪いよ」
「……そうか」
「分かってるんでしょう? もう……私のために我慢なんかしなくてもいいんだよ」
「お前のためじゃない」
「なんで? 約束……気にしてるんじゃないの?」
「うん……まあ、それもあるかな。だけど今のパパは、多分臆病なんだ」
 そう。もう一分程度しか能力は持たない。今でも未練がましく能力のチェックを怠っていない自分は、本当に情けなくてみっともない。
「お父さんに臆病なんて言葉、一番似合わない!」
「かもな」
「……もうっ、ちょっとは本気になってよ!」
 楓は、きっと自分を怒らせたかったのかもしれない。
 だが、自分は結局力なく笑って応える事しか出来なかった。
 しかし娘の言葉は、ぐっさりと胸に突き刺さった。格好悪い――分かっている。確かに今の自分はみっともない。
 何をしたいのかも分からず、ただ茫洋と生きているのはらしくない事くらい分かっている。
「けどな、俺にはもう出来る事がねぇんだよ……」
 娘が立ち去り、たったひとりになった後で呟いた言葉はあまりにも情けなく響いて、自分を責め立てた。



 あの翌日から、虎徹は体を鍛え始めた。
 あまりにも自分が情けなかったからだ。自分を自分たらしめる要素はヒーローである、それだったはずだ。楓のヒーローであることで許してもらえるだろうか、と今は亡き妻に語りかけた筈だったのに、それすらも今の自分は出来ていない。急にその事に気が付いた。
 たった一分。
 それでも、一分もある。
 常人の百倍の力は、娘を助けるためにあの時あれほどに役に立った。
 この小さな街でも災害や犯罪は起きる。それに役立てる事は可能な筈だった。
 ただひとりで拗ねたように過ごしていても意味はないのだ。
 すこしばかり緩んだ体のラインも、引き締まってきた。季節は暑い盛りを越え、近頃は寒さで目を覚ます。
 携帯の画面を見る。
 みっともなかった時期には、怖くてなかなか呼び出す事すらも出来なかった。うっかりその番号をタップしてしまいそうだったからだ。情けない泣き言を言ってしまいそうだった。
 彼へ向けて、「お前は何してる?」「会いたい」「会いたい」それだけを言ってしまいそうで、だから呼び出す事すらも自分に禁じた。きっと以前よりハードルは低く、番号をタップしてしまいそうな自分がいそうだったからだ。
 こうやって、もう数字の羅列すら覚えた番号を呼び出す事が出来るようになったのは、それなりに自分も落ち着いたのだろう。
「なあ、お前はなにしてる? どうやって生きてるんだ?」
 出来る事ならば、優しい世界にくるまれて新しい生活を手に入れていれば良い。
 心に痛みは伴うけれども、そこに自分の居場所がなくともいい。
 だけど、彼が幸せならばそれでいいとも思える。
 自然、穏やかな笑みが浮かぶ。
「なあ、俺はさ……やっぱヒーローでいたいと思うんだ」
 ここ数日考えていた事だった。
 ここで過ごす日々は穏やかで優しい。だが、娘には相変わらず格好悪いと言われる。それは言外に、自分が満たされていない事を知っていると告げているのだろう。
 少しずつ出来て行く体は、現役時代のものとそう遜色ないものになっている。まだアクションはこなせる。体はまだ覚えている。動けるようになれば、むずむずとした感覚を常に覚えていた。
 能力の発動時間は徐々に減っているとは言っても、まだ一分を切っていない。
 使う機会が減ったからか、横ばいになっているような気もする。
 ここでストップは掛かるだろうか? ――などと、甘い考えも抱き始めてすらいる。
 テレビを見ると、かつての仲間達が毎日のように走り回っている。強く生きている。
 自分は、ヒーローでありたかった。
「お前と並んで走った事が、忘れられないんだ」
 目を、閉じる。
 胸の奥から、風を切る爽快感と、短い言葉のやりとりで連携を決めた時の何とも言えない高揚感が駆け上がってくる。
「もう一度、とは言わない。でも俺は、取りあえず走るよ」
 まぶたを上げる。携帯の画面は輝度を失い、やがて黒い画面へと転じた。
「また、俺の夢はうちのチビにカッコイイと言われる事になるな」
 ふ、と笑って携帯を傍らに置く。そして。
 縁側から立ち上がる。
 まだみんな眠ってはいない時間だ。
 心に決めた事を伝えるには、十分な時間。
 無茶をすると母は嘆くだろうか。いや、自分の無茶などあの母親はいつだって平気な顔をして飲み込んできた。
 娘はどんな顔をするだろうか。それでこそ自分の父だと胸を張ってくれるだろうか。
 いつか――。
 どこにいるか分からない、相棒も。
 復帰した自分の事を、知るだろうか。
 それを見て、何かを感じてくれるだろうか。共に並べる事はあるだろうか。
 この一年近く連絡を取ることをしなかった。別れた、と世間一般では言われてしまうのだろう関係は、しかし虎徹の中では今も続いている。彼の事が変わらず好きだ。どのように生きていても幸せを願わずにはいられないほど、愛している。
 ヒーローに復帰するのはそれなりに難しいことだろう。
 だが、そのくらい乗り越えてみせなければ、たった一分という能力の限界があるその後のヒーローとしての生き方を、上手くこなして行けるはずもないだろう。
 あくまでも自分の為だけに、ヒーローとして生きる。
 だが、そこにはたくさんの夢が詰まっている。
 娘にとってかっこいい父親でいること。
 そして、過ぎたふたりで駆け抜けた季節を追体験する事。
 そんな甘い気持ちではいけないだろうか。
 だが、心は温かく、なだらかだ。
 再び、彼と並び走る事が出来ればと夢を見る。
 それまで、彼にお別れは告げない。いや、永遠に告げない。


 彼に恋をしている。
 彼のことが好きだ。
 こんな穏やかでいて、優しい恋をこの歳のおじさんが抱いているなんて誰かに知られれば、恥ずかしくてきっとたまらない。だけど、胸を張って生きて行く。
 再びロックされた携帯の画面を、タップしてロックを外す。
 呼び出されたままの番号へと、指を伸ばしかけて……だが、やはりやめた。
 この思いは一人で抱いていても構わない。
 いつか……いつかに、再び出会えたら。
 その時は一年分の会いたかったと、なにしてた、を告げよう。
 その時は必ず来ると、何故か思った。


 なあ、お前なにしてた?
 俺はみっともなく生きてたけど、ちゃんと自分を取り戻したよ。
 俺の事、思い出してた?
 俺はいつも思い出してたよ。
 好きだよ。
 会いたかったよ。
 
 会いたかったよ。
2011.11.18.
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