近頃、めっきり冷え込んできた。
二軍復帰を果たした虎徹だが、まさかバーナビーまでもがヒーローに復帰するとは思っていなかったので、それは嬉しい誤算だった。だが、彼にとってもまたヒーローは天職であったように思う。それに彼と共に再びあれる事、それは嬉しい事だった。
あの一年少しの短い期間は、虎徹に取っても輝いていた季節だったからだ。
コンビを解散してからの一年近くは、お互いに連絡も取り合っていなかった。
なので、再びシュテルンビルトに居を構えた自分達は、その合間を埋めるようにして、一緒に過ごしている。恋人と言う名前の付いた関係ではあったが、一年も連絡を取らないと言う事は、その関係性は失われてしまったのではないかと思っていた。
変わらず虎徹は想っていたが、離れた場所で新しい人生を掴むであろうバーナビーの心が変わってしまったとしても、それは仕方のない事だとは思っていた。なにせ、バーナビーは若い。それに今まで極限に視野を狭められた世界で生きていたのだ。
新しく拓けた世界で、新しく傍にいたいと思う人が出来たとすれば、それは辛い事ではあるけれども、虎徹には何も言う事が出来なかっただろう。
いつまでも自分に縛られていてはいけない、と思ってもいたからだ。
離れる前までのお互いは、お互いしか見ていなかった。特にバーナビーの傾倒ぶりは顕著で、きっとジェイクを倒した後、拓けた世界を共に過ごしてしまったせいか虎徹の世界観を彼はそのまま受け取ったようにも思えていたからだ。
自分の色のついた世界を、彼は見ていた。
恋人の世界が自分で彩られている事は、それはそれで幸せな事だった。しかしそれが普通の事ではないとも、感じていた。
全てにおいて自分のイエスマンである存在を恋人に持ちたかった訳ではない。
だから。
こうやって一年のブランクを置いて、再び横に並び立つ事を彼が選択したのを、虎徹は今度こそ心の底から喜んだ。
本来ならば一軍で活躍出来るだけの実力を持つバーナビーが、現在二軍に甘んじているのは自分の存在に他ならない。それは、必死で止めもした。だが、自分達はバディなのだからと言って彼は譲らなかった。
「僕が二軍なのが気にくわないのならば、早くあなたも実力を付けてください」
とは、バーナビーの告げた言葉だ。
たった一分の能力でどこまで出来るだろう。それを模索している。
身体能力や犯罪者に対する勘は、十年以上の現役だった財産として持ち合わせている。さすがに、後出の後輩達に遅れを取っている訳ではない。
それに犯人に対する食いつきと、市民の保護については一家言を持っている程だ。
二軍は実況中継される事が少ない。しかし、クリスマスの日にちらりと自分が映った事での反響が凄まじかったとアニエスは少しほくそ笑んでいた。その上、バーナビーの復帰だ。
「早々に一軍に引っ張り上げるから」
と、彼女は言っている。だが実力の伴わない状況で一軍へ復帰するのはイヤだと駄々をこねているのは虎徹の方だった。
なので、今は。
以前よりずっとずっとこまめに出動し、小さな事件であろうが片付けて行っている。
一軍のメンバーが減った事により取りこぼされた事件は、二軍へと振り分けられている。軽犯罪のみを扱うだけではなくなり、二軍の必要性も高まっていた。
以前よりずっと忙しい日々を、虎徹もバーナビーも送っていた。
その、休日。
まだ寒い。復帰して一ヶ月、季節はまだ冬のただなかだ。
昨晩帰投してから直帰した自分達は、そのまま虎徹の家へとなだれこんでいた。近頃、平日であろうと自分達は一緒にいる。虎徹は以前住んでいたアパートメントがまだ空いていたので、昔通りに住んでいた。バーナビーはと言えば、あのゴールドのマンションを引き払い、シルバーステージへと引っ越しをしている。昔ほどに離れた場所ではない自分達の家は、行き来をするのに面倒は差程ないのだが、結局仕事先からどちらかの家へ直行するので、距離は全く関係のない事となっていた。
夜の間中、熱を与え合い、お互いの輪郭が溶けてなくなりそうなほど重なり合い抱き合った後、目覚めた朝は寒い。
ぴったりとくっついて眠るバーナビーは相変わらず朝が弱いようで、しかも昨晩無理をしてしまったせいかくったりとしている。
「良く寝てんなぁ」
くすりと笑みが浮かび、柔らかな頬をふにふにと弄るが、彼は身じろぎもしなかった。
腕の中にある存在が奇跡のように思える瞬間が、たまにある。
彼は自立した。以前のように自分に依存している訳ではない。盲信しているような気配もない。彼はバーナビー・ブルックスJr.という一個の人間として、自分を改めて選んだのだ。その事になんとも言えない、泣き出してしまいそうな気持ちになる時がある。
今が、そうだった。
ふわりと抱きしめ、柔らかな癖毛に顔を埋める。
「っとに、お前は……」
胸の奥が暖かくなる感覚。愛おしさが、指先からあちこちから漏れ出してしまっているかのようだ。
優しく優しく、とても大事なものとして扱いたくなる。
だけど、この腕の中の青年は自分よりもずっと強靱な肉体を持っているし、アンバランスなメンタルも今は安定し、逆に自分を包み込んですらくれる。
守りたいだけの存在じゃない。対等な人間として、愛している。
妻に感じていた愛情とは違うものが心のなかに居座っていて、なんとも不思議な感覚だった。
人を愛すると言うことに、こんなに様々な情感があったのだと、虎徹は初めて知った。
「好きだよ」
ささやかな声で告げれば、腕の中の体がもぞりと身じろぎした。
「……僕もですよ」
起きていたのか、と少しばかり気恥ずかしい気になる。
だが、髪に顔を埋めるのをやめ、少し距離を取ると眼鏡を掛けていない綺麗な翠の目がまっすぐに自分を見て、微笑みの形に弧を描いた。
「好きです、虎徹さん」
「ああ、好きだよ、バニー」
唇が触れあうだけのキスを交わし、強い力で抱きしめる。
再び、胸にじわりと暖かいものが落ちて来た。
「起きちゃうんですか?」
「ああ。もうお前も目覚めただろ?」
「ええ……でも、寒いじゃないですか」
もぞもぞとバーナビーは、虎徹の体にぎゅっとしがみつく。昨日の夜シャワーも浴びずに眠ってしまったので、お互い裸のままだ。
「何もしねーぞ」
「もう若くないですね」
くすくすと彼が笑う。せっかくの休日なのだ、怠惰にセックス三昧で過ごすのも良いかもしれないが、それよりももっと建設的な一日を虎徹は過ごしたかった。
丸一日の休日は、お互いが再会して初めてのことになる。以前と同じアポロンメディア所属のヒーローである事には変わりないのだが、軽犯罪が主な担当になる二軍には、きっちりと週末毎の週休二日が確約されている訳ではない。シフト制の休暇が主となる。二軍であろうとコンビを組んでいる自分達は、セットで扱われる事が多いが、それでも休みの日は重ならない事が多かった。
完全に一日重なったのが、ようやく今日なのだ。
「起きるぞ」
宣言して、もそりと体を起こした。くっつくようにしていたバーナビーも、一緒に引っ張られるようにして起き上がる。
「今日はあなたから離れたくありません」
「好きにしろよ、バニーちゃん」
「はい、好きにします……って言うか、寒い」
もぞり、と再び布団を被ろうとする彼の手を押さえて、服を手渡す。
「寒いです」
「服着ろよ」
「イヤですよ、シャワーも浴びてないのに」
「じゃあ、取りあえずシャワー行こうか」
「お湯張ってください」
「はいはい」
どうやら今日は我が儘王子様のようだ。浮かぶ笑みをそのままに、彼をくっつけたまま、ロフトから降りる。寒い寒いと煩いので、途中でぎゅっと抱きしめてやるとそのまま出来るだけ自分の体表が自分にくっつくようにしがみつかれた。かなり歩きづらいが、まあ可愛いものだと甘受する。
シャワールームに入って、浴槽の栓をし、お湯を張る。溜まるまでは時間が掛かるので、バスローブをバーナビーに被せてやると、もぞもぞとしながら腕を通し、だが前の部分は開いたまま虎徹ごとくるまった。
「動き辛いだろう」
「寒いんです」
しょうがない、とそのままキッチンへ移動する。コーヒーを入れるくらいの時間がある。とは言え、バーナビーの家とは違ってここではインスタントだが。ケトルにお湯を入れ、沸かす。
「バニー、マグカップ取って」
「イヤです」
「なんで」
「離れたくないからです」
「お前な……」
思わず苦笑する。
「ホント、可愛い兎ちゃんですねー」
ずるずると結局彼をひっつかせたまま、マグカップを取りに体を動かす。ぐったり体重を預けている彼は、成人男性としてもかなり体格の良い方なので相当身動きが取りづらい上に重い。だが、はねのける気にはなれなかった。
彼の低い体温が気持ち良くもあるからだ。一年間恋い焦がれてきた存在が身近にあって、幸せになれない筈がない。
二つの色違いのマグ――それは、引退前から使っていたものだ――に、粉のインスタントコーヒーを入れ、バーナビーの方にだけ少しだけ砂糖を足す。ちょうど沸いたケトルの湯を注ぎ入れ、またずるずるとバーナビーをくっつけたまま冷蔵庫へ向かい、牛乳の瓶を引っ張り出すと、彼の方にだけなみなみと注ぎ入れた。
彼の好みは温いくらいのカフェオレだ。自分はインスタントだろうが、ブラックを飲む。
「はい、甘えん坊のバニーちゃん」
「どうも」
この状態では座れそうにないので、キッチンで立ったまま、ふたりで飲む。
「……あったかい」
「だな」
ほう、と思わず息を吐く。空調をそう言えば入れていない。マグを持ったままリビングへ向かおうとすると、ちょっと待って下さいとバーナビーから声が掛かった。
「どうした?」
「これ持ってたら、虎徹さんにくっつけません。だから動くの待ってください」
「お前ね」
ぷはっと笑った。
「ちょっとくらいいいだろうが」
「イヤです、寒いです」
「カフェオレ、温かいだろ?」
「でも虎徹さんの方が暖かいです」
「……しょうがねぇな」
嘆息し、結局諦めた。バーナビーは背中にはバスローブが、前面には自分の体温があるからいいだろうが、自分の半身は冷気にさらされたままだ。寒かったが、この傍らの存在があまりにも暖かい気持ちを自分の中に降り積もらせるものだから、それくらい我慢出来る。
ゆっくりと立ったままコーヒーを飲み、そして浴室へ向かった。
中は立ち上った湯気で白く曇っている。
ここまで来ればもう寒いとは言わないだろう、と思い、バーナビーをまずは浴槽へと沈めた。
しっかり風呂で暖まった筈なのに、バーナビーはやっぱり虎徹から離れなかった。
お互い、既に普段の服装だ。買い物にでも行って、今日の夕食は上手く作れるようになったバーナビーのチャーハンでもまた披露してもらおうかと思っているのに、彼は自分から離れない。
ソファに座ってHERO TVの特番をぼんやり見ながら、一軍で今も頑張るかつての仲間達を見ていた。
「早く復帰したいですね」
「俺はまだ足を引っ張るよ」
「そんな事、ないですよ。二軍の中でも群を抜いてます。――やっぱりあなたは、ああ言った派手な場所の方が似合ってます」
それを言うならば、バーナビーこそが二軍では浮いている。彼の実力は全く衰えていないし、一年の間きっとそれなりに体も作ってはいたのだろう、相変わらず引き締まり、綺麗に筋肉の付いた記憶と変わらない体をしている。
ソファに座る虎徹に横向きになって抱きしめるようにしてくっついているバーナビーは、くすぐったいくらいに甘えたモードだ。
「なあ、ホントお前どうしちゃったの?」
「寒いじゃないですか」
「暖房、もう付いてるだろ。風呂にも入ったし」
「僕、体温低いんで虎徹さんの体温が気持ちいいんです」
「……あ、そう」
「そうです」
とは言え、しっかりと服を着込んでいる。どこまでが本気か計れないまま、まあこの状態も可愛いのでいいかと思う。だが困った事に、さっきから虎徹はトイレに行きたいのだ。
この状態のバーナビーを引き離す事は可能だろうか?
ギリギリまで我慢をしていたのだが、HERO TVがCMに入った瞬間にソファから立ち上がった。不意の動きに戸惑ったようだが、バーナビーもきっちりついてくる。
「おい、バニーちゃん、俺トイレ」
「離れたくないんですが……」
「おいおい、トイレくらい行かせてくれよ」
「………」
しぶしぶ、と言ったようにバーナビーがソファに戻る。さすがにそこまで聞き分けがない訳じゃなかったかとほっとしながら、トイレに向かおうとすればツン、と何かが引っかかった。
「バーニィー?」
振り返れば、ベストの端を引っ張られている。
「だって……」
「俺にお漏らしして欲しいの?」
「そういう訳じゃ……」
と、言いながらも手は離れない。
「じゃあ、どういう訳?」
「離れたくないんです」
「トイレの間くらい、我慢しなさい」
「……」
「そうじゃなきゃ、バニーがトイレ行くとき、おじさんじっと見るよ?」
それでも手が離れない。そろそろ虎徹も限界だ。
「ちょ、本当に。もう離して!」
「見ててもいいです」
「はぁ? 何言っちゃってんの、バニーちゃん! おじさんは見せないよ!」
そこで、ようやく手が離れた。
ほっとして、トイレに駆け込んだ。
全く、どうしたんだと思いながらようやく用を足す。
トイレから出れば当たり前のような顔でバニーがそこに立っていて、酷く驚いた。
結局、この休日は丸一日外に出る事が出来なかった。
バーナビーがくっついて離れなかったからだ。
昼食はデリバリー、夕食はありあわせで結局虎徹がチャーハンを作ったのだが、その間も後ろにぺったり張り付いて肩に顎を乗せ、彼はずっと作る過程を見ていた。
「ふぅん、そうやって作るんですね」
「何度も見てるだろ?」
「でも僕はマヨネーズ入れませんからね」
「入れろよ、そこは」
「イヤです」
「なんで。すっげー旨くなるんだぞ?」
「カロリーが高すぎますよ」
「ちょこっとじゃねぇか」
その間も、ぺったりくっついたまま。当然のようにいつもは出してくれる皿も、彼は出してくれなかった。ダイニングテーブルでは離れ過ぎるからと言って、リビングで食べる事にもなった。食べてる間は、何故かバーナビーは床にぺたんと座って虎徹の足の間におさまる。
「なあ、なんで今日そんななの?」
「寒いからです」
「……あ、そう?」
空調もかなり効いているので、既に虎徹は朝のような寒さは感じていない。
バーナビーがトイレに行く時は、扉の前まで引っ張られて行った。中にまで入れようとするので、それはやめろ、お前のイメージじゃなさすぎるだろうと無理矢理に押し込んで扉を閉めたのだ。
ちょっと本格的におかしい、とは思うものの、なかなかどうしようもない。
「皿、バニーが洗ってくれる?」
「しょうがないですね……じゃあ、虎徹さんは背中にくっついててくださいね」
「へ?」
「だって寒いでしょう?」
「…………おう」
なんだか逆らってはいけない気がしたので、結局バーナビーが皿を洗ってる間は、彼の背中に張り付いていた。
当然のように、夜のシャワーも一緒。そこであれこれ悪戯をしたものの、バーナビーはくすくすと笑いっぱなしでひどく上機嫌だった。お互いに体の拭きっこをして、そのままベッドへ。
だが、今日は体を重ねる事はしなかった。裸だがお互いにぺったりくっついたままで、それだけで満足してしまったのだ。
「なあ、今日のお前、なんだったの?」
今日、二人が離れていた時はと言えば、トイレに行っている間だけだったように思う。それ以外は体のどこかが――しかも、かなりの広い面積で密着し続けていた。
「寒かったでしょう?」
「いやいやいや、それだけじゃないだろ」
「――心が、寒かったんです」
「へ?」
「あなたと一緒に居られるようになって、すごく幸せで。だけど、昔みたいにべったりって感じじゃなくてなんだか変わってしまったような気がして」
それは、関係性が変わったせいだ。
自分達は共依存のような関係から、お互いに自立した個人としての付き合いを開始したのだ。
「だから、もっとくっついてみたかったんです。でも――やっぱり、違いました」
「そりゃあ、そうだろ」
彼は以前の関係性のおかしさについて、きっと理解していない。
今の昔の何が違うのかについて、知らない。
それは悲しい事かもしれないが、同時に良い事だろう。歪められた世界の事はもう思い出さなくてもいいのだ。
「だけど、あなたとぴったりくっついてるのはとても気持ちのいいことでした」
「じゃあ、またする?」
「面倒じゃないですか?」
「だと思ったら、一日も付き合ってねぇよ」
「そうですね」
くすくすと彼が笑い出すので、自分もつられて笑う。
「良くこんな大きな体ひっつけて、平気な顔してましたね」
「お前が言うか?」
「だって、鬱陶しくなかったです?」
「大好きなバニーちゃんがくっついてて、そう思うバカがどこにいると思ってんの」
「……本当に、あなたは」
「なに? それ俺の台詞だと思うけど」
ぎゅ、と彼は自分を抱きしめる。
抱き返して、額にキスを落とした。
「本当にあなたは、僕に甘い」
「ああ。でろでろに甘やかして、骨抜きにする作戦」
「そんな事しなくたって、とっくに骨抜きですよ。あなたがいないと、僕は生きていけません」
今度は彼から、額にキスを送られる。
だけど、今の彼はきっと違う。
昔の彼ならば自分がいなくなれば、本当に生きていく事が出来なかったかもしれない。
だが今の彼は自分がいなくなっても、ヒーローとして生きて行く事が出来るだろう。
その変化は寂しいものではない。嬉しくて、たまらない。
「お前は、生きていけるよ」
「……ええ、そうですね。すいません嘘です」
「嘘って言われると、おじさん傷付くなぁ」
笑いながら告げてやる。
「でもさ、お前は本当に良い男になったよ」
「……あなたにそう言ってもらえると、なんだかくすぐったいですね」
「甘えん坊の兎ちゃんだけどな」
「その方が、しっくり来ますよ」
お互いに、額を合わせて至近距離で視線を交わす。
眼鏡を外したバーナビーででも、見える距離だ。
そこで笑みの形に弧を描く瞳を合わせ、そして口付けを交わした。
「好きです」
「ああ、俺も好きだよ、バニーちゃん」
ぎゅ、と抱き合いそしてそのまま、ふたりで目を閉じた。
この日、離れて過ごした時間はきっと二十四時間中、一時間にも満たない。