虎徹が楽しそうな顔をして、電話を掛けて来たのはまだ昼を過ぎたばかりの時間だった。小さなモニタの中で、彼は満面に笑みを浮かべている。
年末年始、こんな時期だって自分達の仕事は基本待機だ。出社する必要はなくとも、呼び出しがあればすぐに駆けつけなくてはいけない。世間が浮き足立っている時期ほど自分達の出番は多くなる。実際、昨日だって二件の出動があった。
「呼び出しがなければ、だけどな」
一年の最後の日。今日ばかりは平穏に過ぎるといいなと虎徹は言いながら、今夜の約束をして通話を切る。様々な事が一気に起き、ヒーローを引退して一年。それから復帰して、更に一年。自分達は傍で寄り添うことが当たり前になっていた。その前から自分はきっとそういう意味で、虎徹の事を意識していた。自分の気持ちがなんであるかを理解した時には戸惑った。彼は、優しい。だけどこの気持ちまでも受け入れられるとは思えなかった。いや、もしかしてとの期待はあったかもしれない。だけど、望みすぎてはいけないと自分を黙らせたのだ。
一年の空白は、気持ちをじっくりと寝かせるには最適の時間だった。ひとりきりの時間は過ごして来た日々を振り返るには十分だったし、傍にあの温度がないから、冷静にもなれた。じっくりと考えた。そして得た結論は、諦めだった。
自分には、あの人が必要だ。
優しい彼へ、負担を掛ける事になるのかもしれなかった。だけど、きっと誰かに操作された訳じゃなく手に入れた自分だけのものを大事にしたかったのだ。
彼は、再会を喜び、コンビの再結成を喜び、バーナビーの言葉を喜んで受け入れてくれた。抱きしめられた腕の強さは、胸を痛くさえさせた。再び流れ始めた時間は忙しなく過酷だと言うのに、心を安らかにさせてくれた。
抱きとめてくれた腕は、今だって自分のもとにある。いつだって望めば抱きしめてくれるし、望まなくとも与えられる。見返りのない無条件に与えられるものは多過ぎて、バーナビーは時折怖くすらなった。だけどその恐怖すらも、虎徹がなだめて溶かしてくれる。
忙しいが、幸せに穏やかに、日々は過ぎる。
その日はやっぱり、静かに過ぎてなどくれなかった。虎徹と約束した時間、自分たちは共に過ごしていたけれども残念ながらヒーロースーツで街を駆け回っていたし、ふと気付いた時間は既に午後十一時を過ぎていた。
「なあ、俺んち来るだろ?」
トランスポーターでアンダーウェアを脱ぎながら、虎徹が告げる。後一時間で今年が終わる。その瞬間だって呼び出しが掛かるかもしれない。
「ええ」
一緒にいられれば、結局なんだって構わない。だけど、そうやって虎徹が言ってくれる事が嬉しい。年の変わるその瞬間一緒に居たいと思うのはなにも自分だけではないのだ。昼の時間から約束を取り付けてくれていたのは、そういう事だろう。もっとも、少しばかり遅いのではないか、とは思うけれども。そんな迂闊なところはどこまでも虎徹らしい。
トランスポーターが近くまで送ってくれた
良いお年を、なんて言葉を告げてスタッフと別れる。既に今年の残りはわずか数分だ。
降りたブロンズの街は、驚くほどの人で賑わっていた。寒い季節だ、息を白く凍らせ、それでも街路へと人々が新しい年を待ちわびるように階層都市の空へと視線を向ける。
人ごみの中ではぐれないようにと繋いだ手のぬくもり。ひしめき合う人々に押され、ぴったりくっついた体はジャケット越しにほのかな温度を与えてくれる。
「年越しって、いつもこんな風なんですか?」
「ああ、みんなでこうやって新年を迎えるんだ」
それは、とてもあったかい事のように思えた。大好きな人と一緒に、たくさんの人と一緒に、新しい日を出迎える。幸せな事がたくさんあるといい。今も素晴らしく幸せだけれども、だけどもっと、もっと、これ以上もなく幸せに!
「花火、上がるぞ」
音くらいは聞いた事があった。こうやって見る余裕なんて今までなかった事が、残念だった。
「あっ、もうすぐ……」
時計の針は、午前0時を指そうとしている。街中がとびきりのいい事を目の前にしたように、沸き立つ。
「じゅーう!」
どこからともなく上がったカウントダウンの声に、巻き込まれた。誰とも知れない人たちと、一緒に声を張り上げる。
カウントが、ゼロになる。大きな音が響き渡る。
「……!!」
だけど、その瞬間、バーナビーは花火を見る事はかなわなかった。傍らの人がもたらす体温。いたずらめいた顔。寄せられた、唇。
触れたのは、ほんのわずかな時間だった。
「――こてつ、さん?」
「今年もよろしくな、バニー」
にっと浮かべられる笑顔。とても好きな、顔だった。
ああ、本当にかなわない。こんな場所で、こんなタイミングで。本当に。
「今年も……一緒にいてくださいね、虎徹さん」
咎める事なんて、出来なかった。きゅっと握る手の力をこめる。やんわりと握り返された温度が、心までもじんわり幸せに、あたたかにしてくれた。