本当に、この男は酷いと思う。
バーナビーは取材の仕事を終えて、隣に座る男の事を意識から排除しようと勤めていた。運転している彼は、きっと自分が静かな事には気付いているかもしれないが、怒っている事にまでは気付いていないだろう。いや、もしかしたらいつもの事とばかりに流しているかもしれない。彼は自分の事をどこか小さな子供のように扱い、いなす事がある。それにだって正直不満はある。だが、今日はそれどころじゃなかった。
「なあ、トレーニングセンター行くだろ?」
やっぱりだ。彼はひどくいつも通りの調子で尋ねてくる。腹立たしいので窓の外へ視線を投げ、返事はしないでおいた。横顔に視線を感じる。伺うような気配を漂わせているくせに、言葉にはして来ないところを見るともしかして理由に気付いているのだろうか。それとも、やはり鈍感なこの男はようやく自分の様子がおかしな事に気が付いたのだろうか。
流れる景色を見ているうちに、視線は離れて行った。運転している以上、そうよそ見ばかりしていられる訳ではない。だが全身でこちらを意識している事くらいは分かる。素直に問いかけてこない、探るような様子が気に障る。
「あなた、書類仕事たまってるんじゃないですか」
こちらを見た彼は、しかし落胆したようだった。自分は相変わらず窓の外を眺めているからだ。声だって意識した訳ではないが、ひどく冷たい声であったように思う。
「や、それは、まぁ…」
「ロイズさんにまた嫌味言われますよ。僕にまで飛び火するんですから、たまには大人らしくまじめにやったらどうです」
「いや……えーと」
「僕は一人で向かいますから」
「なあ、バニー」
「なんです」
「なんでそんな冷てぇの?」
「自分に尋ねてください」
「えっ」
驚いた。彼は本当に理由に気付いていないようだ。
「あなた、僕にはあれだけ厳しく言うくせに自分には本当に甘いんですね」
「え、なんの事…」
「分からないのなら、構いません」
ちょうど、アポロンメディアの駐車場へと到着した。止まりきるのを待って、先にバーナビーは扉を開けると外へ出た。
「ちょ、ちょっと待てよバニ−」
今日の取材は初めての出版社が相手だった。妙齢の女性インタビュアーはひどくに虎徹を意識していて、取材中もワイルドタイガーのファンである事をしきりにアピールし、向ける笑顔も彼にばかりだったような気がする。いつもなら自分へ向けてのあれこれがが多いので最初は珍しいな、と思う程度だったのだが、彼女は明らかにやりすぎた。身を乗り出し、さすがの虎徹も気が付いたのか体を引いていたくらいなのだ。その対応には少しほっとしたものを感じたが、それでも長い黒髪が艶やかな女性インタビュアーは、どうしても彼の部屋に飾られた写真の彼女を思い出させ、バーナビーの心を沈んだ場所へ引きずり込もうとする。いつもなら細かなバーナビーの変化にすぐ気付く虎徹なのだが、今日はさっぱり気付かなかった。
そして、最後に小さなメモを握らされていたのを、しっかりと見てしまった。
いつもなら虎徹がバーナビーにしつこい程断れと言っている、個人的な連絡先だったのだろう。戸惑ったように彼は受け取り、そのままポケットへ入れてしまった。バーナビーが見ていた事には、気付いていないようだった。
別に、彼があの女性へ個人的に連絡を取るなどとは思っていない。だが、気が悪い。彼のポケットには今もあの女のおそらく手書きだろうメモが入っているのだ。自分には絶対に受け取るなとくどいくらいに言うし、実際そういう場面に遭遇しかけたらやんわりと邪魔に入るくせに。一人の仕事の際、どうしたら角が立たずに受け取らずに済むかに頭を悩ませ、うっかり押しつけられてしまったものは彼の目に触れる前に気を遣って処分していると言うのに。
それを彼は分かっていない。
彼の妻に嫉妬していないのは本当の事だけれども、似た人が傍に来れば意識してしまうのは当然で、本人に言わせてみれば全く似てないといつも笑いながら言い訳めいた事を口にするのだが、人種の違う――東洋人の見分けなどつくはずもない。そもそもが写真でしか見た事がない人なのだ、細かな差異など気付かなくて当然ではないか。
本当に、この男は酷い。
全身で拒絶している事など分かっているだろうに、追いかけて来た彼は同じエレベーターの密室の中にいる。どうしていいかも分かっていないくせに、自分から意識は反らさずにもぞもぞと落ち着きがない。少し冷静になる時間を与えてくれれば自分も落ち着いて向き合えるかもしれないが、今は意識するだけでも腹が立って来るのだ、どうしてそれが分からないのだろうか。
「な、なあバニー……?」
あやすような声。ご機嫌を取ろうとしている事が良く分かるだけに苛立ちが増す。無視をする事に決め、放置した。
「なんか怒ってる……よな?」
それくらい分かっているだろうに、何故わざわざ確認をするのだろうか。バカではないのだろうか。
「俺、なんかした?」
ようやく、ヒーロー事業部のフロアに到着してくれた。扉が開ききるのを待たずに、バーナビーはするりと密室から抜け出した。彼とふたりきりの空間なんて、げんなりする。
「なあ、バニー!」
「離してください!」
手を引っ張られ、振り向かざるを得ない。苛立ちを露わにした声で告げれば、そっちが何故怒っているのだと文句を言いたい顔を向けられた。
「黙ってちゃ分かんねぇだろ!」
「うるさいです、ここ会社ですよ、大きな声出さないでください」
「ちょっと来い」
「やめてください…っ」
ぐいぐいと、有無を言わせない強さで手を引かれる。自分の体力ならば彼に逆らう事も可能だが、振りほどいてもしつこく手をつかんで来る彼がこのままでは抱き込みかねないと観念して、三度目に捕まれた手はそのままに彼の向かう場所へと付いて行った。向かった先は、トイレだった。
「どうしてこんな場所に……」
「ここなら目立たねぇだろ」
「……そうですが」
「で、何を怒ってるんだ?」
「ご自分で分からない事を、僕に尋ねるのはやめてください」
むっとした顔が自分を見つめる。
「それに、何故あなたが怒ってるんですか。筋違いでは?」
「お前が怒ってるからだろ」
「関係ないでしょう」
冷たく言い放つ。いい加減解放してくれないだろうか、自分では言うつもりはない。ずっと分からないままの男と付き合っているのは時間の無駄でしかない。彼と違い急ぎの仕事がない身ではあるが、苛々とした時間を過ごすのは精神衛生上にも良くない。いっそ出動要請でも掛かればいいのにとまで思ってしまう。
「関係あるに決まってんだろ、お前の事なんだから!」
「だから、大きな声出さな……」
「じゃあお前とっとと白状しろよ」
「嫌ですよ」
平行線。本当に無駄な時間だ。少しでも付き合ったのだからもういいだろうと背を向けかけた。その瞬間、何が起きたのか分からなかった。
ダン、と音がしたと思った瞬間に背中に痛みが走った。視界がぶれて慌てて頭を振り、前を見据える、平衡感覚を取り戻す。壁に押しつけられたのだと知ったのは、目の前の男が恐ろしい程近い距離にいるのを把握したのと同時だった。
「……どういう、つもりですか」
「お前が悪い」
「人のせいにしないでください」
ぐ、っと肩に力が掛かり、壁に押さえ付けられる。痛みすら走る強さだった。
「……なあ、俺なにかしたか?」
「なにもせずに僕が怒るとでも?」
「なんだ、やっぱり怒ってるんじゃねぇか」
「別に否定してはいませんよ、怒ってます」
「だから、なんで」
「知りませんよ、あなたには心当たりがないんでしょう……離してください」
「やだね」
ぐ、っと顔が近づいて来てキスされると思った瞬間、顔をそらした。頬に唇が押しつけられる。
「ふぅん……」
あからさまに不穏な気配を漂わせた彼は、そのままずらして首筋へと顔を寄せて来た。当然避けようとしたが、動きは腕に阻まれる。パンチが武器である虎徹の方が、純粋に力比べした場合はきっと強いのだ。わざわざ試したことはないが。
「い……た…っ」
ガリ、と歯を立てられ首筋に噛み付かれる。容赦無い力だった。
「虎徹さんっ」
利き腕は肩ごと押さえ込まれている。逆の手も体の合間に挟まって、上手く動かす事が出来ない。それでも必死で狭い場所で腕を動かし、のし掛かって来るような体を押し返す。そろそろ血でも滲んでいてもおかしくないと思う程、噛み付かれたままだ。
「こんな場所で…こんな方法で……っ」
足が自由だと、気が付いた。ダンっと思い切り彼の足を踏みつける。
「って」
「ふざけないでください」
「ふざけてる訳ねぇだろ」
「そもそもこんな方法で聞き出そうだなんて、卑怯だ」
「うるせぇよ」
「……っ」
低い声で言い切られた言葉に、悔しいかな冷たいものが背中を走った。
「お前がそんな態度だったら、こうするしかねぇだろ」
そして、べろりと出された舌でさっきまで噛み付いていた場所を舐められる。
「やめ…っ」
執拗に同じ場所を舐められ、知っている感覚が体に走るのが悔しい。自分は間違いなく怒っているのに、好きにされている事に苛立つ。抵抗出来ない自分自身になにより腹が立つ。
「やめねぇ」
「こんな、場所…」
「嫌なら、さっさと言えよ」
「イヤです」
このフロアには他にも社員がいる。廊下ではないにしてもトイレだって公共の場だ。そもそもここは職場なのだ、こんな事をして良い場所ではない。第一自分たちの関係は誰にも知らせていない事だし、もし発覚すればスキャンダル間違いナシだろう。それは避けたい。
「バレたくない?」
「あたり、まえでしょう…」
「じゃあ、向こう行くか」
そのままずるずると手を引かれ、個室の中へと押し込まれた。先に入った虎徹が座面に座ると、その上に無理矢理引き下ろされる。逃げると言う選択肢だってあったのに、今の虎徹には有無を言わせない迫力がある。この男は、やはり酷い。
「なあ、バニーちゃん? 言いたくないんだったらおじさんの機嫌直してくれない?」
「……先に怒ってたのは、僕のはずですが?」
「まだそんな生意気言ってんの? じゃあお前の機嫌直してやるから」
「こんな…っ」
ぐい、と後頭部を押さえ込まれて、キスされる。最初から口腔内へ舌をねじ込まれ、熱い温度で掻き回される。強く舌を絡められて痛くさえあるのに、じんと知っている感覚が腰に降りて来るのだから目も当てられない。反射的に目を伏せてしまい、いつものように受け入れてしまっているのもマズい。
「ん……ふ、ぅ」
悔しくて目をうっすら開けば、強く口の中を荒らされてしまったせいか、涙が浮いてしまっていたようだ。視界が滲む。そしてじっとこちらを射竦めるかのようにして見ているアンバーの瞳とかち合ってしまった。逃げるようにまぶたが降りそうになったが、必死で耐える。こちらも睨むようにして、まっすぐ責めるように見つめてやる。彼の目が、ゆっくり弧を描いた。
「上等」
ぺろり、と唇を舐めてキスを中断した彼は低い声で告げた。するりと手がジャケットの下にもぐり込んで来る。狭いと気付いたのだろう、逆の手でジッパーを降ろされた。その手を押さえ込んだが、反射的な動きの力は簡単にいなされてしまった。広い空間を得た手は、シャツも引っ張り出して直截素肌に触れて来る。雰囲気だとかそういうものはすべてかなぐり捨て、すぐに指先は胸へと向かって行った。虎徹の動きは無駄がなく、バーナビーの抵抗はすべて後手に回ってしまい何の意味も成さない。先端を捏ねられ、その事に意識を持って行かれている間に逆の手はボトムの前立てをくつろげている。
「虎徹、さんっ!」
「声、気を付けなくていいのか?」
「……っ、あなたが」
「お前がでかい声出すなっつったんだぞ?」
「あなたがやめればいいだけの話です!」
「しっ」
唇を押しつけられ、黙らされる。
「……んんっ」
ふと、意識がそれた。誰か来た……? 外に人の気配がする。遅れて、足音。さっきの声は聞こえていなかっただろうかと急に怖くなる。体に緊張が走りこわばるのだが、まさぐる手は全く遠慮をしない。視線だけで抵抗を試みるが、さっぱり虎徹は堪えていないようで動きは止まらない。
やめて欲しい。自分の声も虎徹の声も電波に乗り多くの人に聞かれている。耳にすればその人だと分かるくらいには浸透しているだろう。それにここはふたりの所属している会社だ、社員の関心はよりふたりのコンビヒーローに向けられているだろう。
「……もう、やめて」
耳元で囁くように告げる。返事はなく、そのかわりに下着を暴かれる。
やがて水を流す音、そして足音がして入って来た人物が出て行った事が分かった。ほっと肩から力が抜けたが、その瞬間に前を強く刺激されて体が跳ねた。二カ所同時の刺激はさすがに慣れたからだには、辛い。
「やめて、ください……虎徹さん」
「だからイヤだっつってるだろ」
「だって」
「機嫌直った?」
「…………」
ごまかされた訳ではない。ただ、この場を流すためにはうなずいた方が良いのだろうかと言う気がする。逡巡の間をどう取ったのかは分からなかったが、しかし虎徹はバーナビーの返事を待たず、緩めた前から緩く反応していた性器を引っ張り出された。
「や、やめ……」
「もう、怒鳴らねぇの?」
びくりと体が揺れる。やわやわと下着越しに触られていたのとは違う、直截の刺激はもちろん強すぎる。口を開けばあられもない声が出てしまいそうだ。抵抗の言葉もなんとも頼りないもので、自分から出た声だとは認めたくなかった。
「……もう、声も出せないか」
笑った気配が悔しい。だが既に濡れ始めている自分は抵抗を口にしたところで思った通りに伝わりなどしないだろう。せめてと思い、しっかりとネクタイの締められたままの……要するに何も隠すものなどない、首筋へと噛み付く。ちょっと前の仕返しとばかりにぎりぎりと歯を立てた。
「って」
だが、彼の余裕は消えない。先端をくじるようにされて、腰が跳ねる。噛み付く強さはより強くなった。眼鏡が邪魔だ、強く閉じたまぶたの隙間からはきっと涙が溢れている。どうしてこんな事になっているのだと思い、あああの女がすべて悪い、そしてこの男が悪いのだと思えば理不尽さしか浮かんで来ないのに、どうする事も出来ない。
執拗に裏筋をたどられ、零れたしずくを先端に塗り込められ、爪を立てるようにして穿孔をくじられる。ただまっすぐに快楽に突き落とすだけの動きが、辛い。
「ん……ぐ、ぅ」
「ああ、いく?」
思わず漏れてしまった声に、のんきな声を掛けられ涙が滲んだ。悔しい。だが、ここでやめられるのが今は一番辛い。
「いき、たい…っ」
「ははっ」
必死の懇願の声だったが、彼は笑い飛ばして手を止めた。そして、
「じゃあ、それずらして」
などと言う。背後には扉。出て行く事は可能だ。だが、……バーナビーは、素直に彼の要求に従った。立ち上がると、ボトムを下着ごとずらす。彼の股間が反応している事にも、ようやく気付いた。ここで最後までしてしまう気だろうか……そうだろう、そうでなければこんな要求などしない。諦めにも似た気持ちで、どうして自分はこんな人の事を、あんな下らない嫉妬をしてしまう程に好きなのかとため息を吐きたくなった。だが、自分の息は今は上気し、熱いものだ。体中を覆うような快楽はいけなかったせいでずるずるとまとわりついている。
「ん……良く出来ました」
腿の中程までずり降ろすと手を引かれ、再び彼の上にまたがる。そして唾液で湿らせた指で後孔をくちくちと弄られた。そこで受け入れる事を知っている体には、それだけの刺激でも十分に感じる。
「……ふっ、ぅ、ぅぁ、あ」
「声気をつけろよ、また誰が来るとも限らねぇんだし」
「……っ、あなたは、ひどい」
「そんなひどいヤツに好んで好きにされてるヤツはどいつだよ」
くちり、と指が中に潜り込む。引き攣れるような痛みはあるけれども、我慢出来ない程のものではない。第一、昨日の夜だって散々に彼を飲み込んでいた場所なのだ。少しの刺激でそこは簡単にほころんでしまうだろう。彼のためにあつらえたような体になってしまっている。その事実を嬉しく思う事が多いのに、今日ばかりは悔しいばかりだった。でも、「それ」を望んでしまっているのも事実なのだ……どうしようもない程に。こんな場所で、こんな時間に、こんな心理状態にも関わらず彼を望んでいる。自分が情けないと思ってしまうけれども消し去る事など出来ない。
埋め込まれた指がまっすぐにまた遠慮なく、弱い場所ばかりを刺激する。一本の指がすぐに二本に増え、そして三本の指が飲み込まされた頃にはすっかり体の骨が溶けてしまったかのようにただ虎徹へと縋り付くしか出来なくなっていた。
「もう、大丈夫だよな」
ずるりと虎徹の体が、ずれる。そして自分の体が軽く持ち上げられると、一気に深い場所にまで衝撃が来た。
「――ァ、あっ」
両肩を掴み、体がつっぱねる。強すぎる快感が脳天まで突き抜けて行くのに、虎徹は容赦をしない。そのまますぐに動き始め、中を蹂躙して行く。こんなのはひどいと思うのに声を出すこともできず、ただひたすらに感じる事しか出来ない。すぐに限界は来た。弱い場所ばかりを狙って突く動きはそれを促してもいたのだろう。だが、当然虎徹がいくには早すぎる。いった後の体を好きにされるのは快感が強すぎて本当に辛い、だからそれを一瞬でも遠ざけようと堪えていたのだが、それは余程強く虎徹を締め付ける結果につながっていたらしい。
「こら」
甘い声が、耳元で咎める。
「もうちょっと、緩めろよ」
「むり……」
「いっちまうだろ」
「いって、くださ…」
「やーだよ」
「ぃあっ、あっ、ああぁっ」
「っと」
慌てたように虎徹の唇が、バーナビーのそれを覆う。声を飲み込まれ、そのまま突き動かされて、頭が真っ白に塗りつぶされた。吐精の瞬間はいつまでも続くのではないかと怖くなる程長く、そのまま意識を飛ばしてしまいたかった。だが、中で暴れ回るものがそれを引き留める。上書きされる快感が更に意識を曖昧にするくせに失わせてはくれない。
「んんっ、んんんんんっ」
頭を抱え込まれ、呼吸困難にもなりそうだった。間違いなく今、酸素は薄い。
本気で気を失うかと思った瞬間に、ずるりと中から熱が出て行った。そして荒い息を吐きながら、手の中に虎徹は自分の精を吐き出したのだろう。長い吐息が漏れていた。
くたり、と力が抜けてバーナビーは彼の体にしなだれかかる事しかできない。
しばらく、立ち上がる事など出来そうになかった。
「で、何怒ってたの?」
「……機嫌直ったんじゃないんですか、あれだけ好き勝手して」
「……お前、まだ怒ってんの?」
「当たり前でしょう、こんな場所で!」
個室から出て、手を洗う。自分の吐き出したもので虎徹の衣服は汚れていたが、そんなこと知った事じゃなかった。ハンカチを濡らし拭き取ろうとしているが、きっと綺麗には落ちはしないだろう。その情けない姿を見て、ほんの少しだが溜飲が下がる。
鏡に向き合っている虎徹の肩を、ぐいとつかんでこちらを向かせる。そして、あの女から受け取ったメモが入っているポケットへと手を突っ込んだ。案の定触れた紙の感触を忌々しく思いながら、抜き取って握りつぶす。
そのまま、ゴミ箱へ投げた。
「なに? それ怒ってたの?」
間抜けな声が聞こえたが、むかついたので放って先にバーナビーはトイレを出た。