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かっこいいからダメ。



 いつも通り、遅刻ギリギリの時間に飛び込んで来た相棒へ半分の呆れと半分の諦めを持ってこれもまたいつも通りに「おはようございます」と告げようとしたバーナビーは、口を半ば開いたまま動きを止めた。
「よ、おはよ」
 トレードマークのようなハンチングは彼の左手に。右手で自分の席の椅子を引く彼の姿を、ただ凝視してしまう。きっとひどく間抜けな顔をしているだろう――と、気付いたのは虎徹がきっちり席に座り、凍り付いたままのバーナビーへいかにも楽しそうな笑みを向けて来てからだった。
「いい反応してくれんなー、バニーちゃん」
「あなた……いったいどうしたんですか?」
 きっと彼が望む最上の反応を返してしまったに違いない。とんでもなくご機嫌な顔をした虎徹は、にやにやと笑みを浮かべたままだ。
「へっ、似合う?」
 僅かに顎を引き上げ、得意気に角度を付け見せつけてくる。
 四十歳を間近に控えながら、虎徹は全くそうと見えない。東洋系である事、そしておせっかいかつ人なつっこい性格がもたらす愛嬌ある動きがその最大の理由なのであろうが、ついでに一助を担っているであろう社会人らしくない伸びた髪、くるくる入れ替わる表情が一番に出る垂れ目がちな目が……いつもと違うのだ。
 細いフレームの眼鏡。そして、襟足の髪はばっさりと切られ耳に軽く掛かる程度までしかない。
「どう、したんです……? だって、昨日は」
 パクパクとおよそ自分らしくない格好悪さで言葉を見失った後、結局再び紡げたのは先の言葉の繰り返しでしかなかった。
 こんな、ただのおじさんだ。
 わずかな変化を注意深くチェックして、褒めなければいけないような社交界の女性ではない。そんな必要はないと言うのに、ぎょっとするくらいにバーナビーは動揺してしまっていた。
「老眼?」
「だっ、失礼だな!」
 なんとかいつもの調子の単語が思い浮かんだので口にすれば、返された反応はどこまでもいつも通りの虎徹だった。相棒だった。そもそも調子に乗って自慢する姿だってそうだったではないか。
 落ち着け、と自分に言い聞かせ気付かれないように深呼吸する。
「で? どうしたんですか?」
「あー、なんだ。もう元に戻っちまったの? 面白くねぇなぁ」
「十分あなたの欲しがる反応してあげたでしょう? 種明かしは?」
 かちゃり、と眼鏡を外し「慣れないから疲れるわ」と呟いた彼は、きっと凝ったのだろう肩をほぐしてからようやく顛末を語ろうと言う気になったようだった。
 机に置かれた眼鏡は、どうやら度の入っていない伊達だったようだ。フレームの外と中とにひずみはない。眼鏡を外せば50cm先もぼんやりとしか見えないバーナビーに取っては腹立たしくなる程視力の良い虎徹の事だ、眼鏡など今までの生活に縁はなかっただろう。さっき口にした通りにこれから忍び寄る老眼のためにいずれ仲良くはすべきだろうが、まだ覚悟もなさそうな彼には不慣れで疲れるものだったに違いない。
「で?」
「ああ、うん。昨日俺、打ち合わせだったろ?」
 近頃増えて来た、ワイルドタイガー単独の仕事。バーナビーに回って来る女性向きのものではなく、年齢層の高い男性へ向けた雑誌や商品CMに対するそれの打ち合わせは、さすがにバーナビーも全てを把握はしていない。
「そこで、やられた」
「やられた?」
「すっきりしましょうか! って有無を言わさずこうよ。ひでぇよな?」
 さすがに同意なしで髪を切ったりはしないだろうが、それでも予想外な出来事ではあったに違いない。出会ってから既に二年近く。この人の髪は微妙な中途半端さのまま長さを保っていた。
「……そう、ですか」
「ん? 落ち着かない?」
「そうですね」
 今一度、髪の短くなってしまった彼を見る。
 さっきだって今だって見てはいたけれども、少し動揺しすぎてイマイチきちんと見たと言いがたい。
 露わにされた首筋。耳から顎に掛けてのライン。
 きっちりと締められた襟元が男らしい肉の僅かに落ちた首筋を強調している。
「……バニーちゃん、見過ぎ」
 じっと見るバーナビーを楽しげに観察していた虎徹だけれども、そう言うと居心地悪そうに視線を逸らした。手がさまよって、眼鏡を手に取る。指先でかちゃかちゃと遊び、困ったようにさっきまでのように正しい位置へと戻された。
 テンプルを押さえる指先と、そのためにわずかにうつむいた首に落ちる陰影。
「いやらしい」
「え?」
「……っ、なんでもないです」
 慌てて目を逸らした。
 
 この姿が近いうちに衆目に晒されるのかと思うと、酷く腹立たしくなった。
 髪が短い方が年相応の落ち着きをみせるなんて。
 本能で動くくせに、薄いガラス一枚、細いフレームだけで理知的に見えるなんて。
 ――狡い人だ。

「似合ってますよ」
 極力落ち着いて、そしてそっけなく聞こえるようにそれだけ言い、バーナビーは端末へ向かった。昨日の虎徹のスケジュールを呼び出す。
 どこの仕事かを確かめ、果たしてそれは自分の力で内容を差し替える事が出来るかどうかを、静かに考え始めた。
「えー、なんかちょっと面白くないんだけど。なあなあ? かっこいいだろ?」
 かっこいいから問題なのだ、と、彼は気付いていない。
2012.4.4..
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