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 そのアニエスからの通信は、死刑宣告のようなものだった。
「……え?」
『どうしたの、バーナビー? 何か問題が出てる?』
「いえ、あの……」
 出動は今から二時間前の事だった。


 昼休みを中断し呼び出された事件は、ゴールドステージの宝石店立てこもり事件だった。
 復帰してようやく一ヶ月になる一部リーグに、ようやく体がかつての空気を思い出し始めた。緊張より現場を駆け回る爽快さを近頃は感じる。こうやって呼び出される事件の規模も、反射的に浮かび上がるのは二部のものではなく、現実に即した一部のもので、現場に到着してからのギャップもなくなった。
 強盗目的で押し入ったらしいが迅速な動きとはほど遠く、結果逃走出来ずに店舗内に犯人が立てこもっているとの話で、なんとも間抜けな強盗だと思った。
 けれど、事件は事件だ。犯人が間抜けであろうと捕らわれた人質はいる訳で、彼等はきっと今頃恐怖に震えている。
 たった一口しか食べられなかった昼食には申し訳ないが、すぐさま店を出て会社へ走った。既に連絡の入っていた斎藤が出動準備を整えていたのはいつものことで、近場だったために今回はラボでスーツを着用して、ダブルチェイサーで飛び出した。
 遠巻きに出来た人垣をくぐり、現場へ一番に駆けつけたのはタイガー&バーナビーのふたりだ。店舗内の情報などは移動中に得ていた。HERO TVの中継も整っている。
 他のヒーローズの到着を待つ必要はなかったので、初登場ポイントと共にスピード解決で犯人確保ポイント、救助ポイントと全てのポイントを獲得した。復帰以降のふたりは、ブランクも減退した能力も感じさせず、絶好調だった。
 ただし今日は一点のみケチが付いた。
 バーナビーが確保した犯人が、ネクストだったのだ。しかもヒーローに捕まってしまったとのパニックが引き起こした目覚めのお陰で、能力は不明。
 能力発動時の青い光の傍にいたのはバーナビーと共犯の男がひとりで、焦ったもののネクスト能力者になんらかの変化はなかったし、周囲の自分達にも何も起きなかった。
 上手く能力が扱えなくて暴走という最悪の事態は逃れ、青い光が引いたのはわずか三十秒ほど後の事だ。そのまま警察に引き渡して、念のための簡易検査のためバーナビーは病院へ出向いた。今日のヒーローインタビューはワイルドタイガーが行った。
 ネクストの能力は千差万別で、自身になんらかの付加能力を得る事もあれば、周囲に影響をもたらすタイプもある。だが世に溢れる能力は得てして生活に支障を来さない些細なものばかりだ。ヒーローほどの能力を持ち合わせるのは非常に希で、そういったネクストは犯罪に巻き込まれる事が多々あるため、確認されればすぐに司法局のデータベースに登録され、ランク付けをした上で厳重に監視されている。
 まあ、保護目的と唱ってはいるが、犯罪抑止の意味合いが強いのは誰もが知っている。ネクスト人権団体が長年戦っている案件だが、それは今はどうでもいい。
 要するに、きっとバーナビーが捕らえた犯人のネクストも大した能力ではなかったのだろうとは思っていた。それを犯罪に用いていない限りは、そうそう強力なネクストに出会う事はない。
 病院でのルーチンに沿った検査でバーナビーは何一つ陽性の反応は出なかったし、警察に連行された犯人も能力を使って見事脱出などはしていないようだった。
 取り調べと共に能力把握の為の調査は続けられる筈だから、そのうち分かるだろうと気にも留めず、ヒーローズは既に解散していた。バーナビーもオフィスへ戻るのではなく、本来のスケジュールに従いトレーニングセンターへと出向いた。
 先に到着していた虎徹や、他にも揃っていたヒーローズが向けてくれた心配に礼と何も問題がなかった事を告げ、マシンの設定をする。
「良かったな、なにもなくて」
 ぽん、とその肩に手を乗せられた。
「ひぁっ」
 反射的に漏れた声に、びくっとする。
 虎徹も驚いたように目を見開いた。
「な……どうしたの、バニーちゃん?」
「……な、なんでしょう」
 漏れた声は、言ってしまえば夜中のものだ。まるで喘いだかのような声にぎょっとする。到底白々と良く晴れた陽光が差し込むトレーニングセンターで上げるものではなかった。
 虎徹の動きはなんでもないものだった。コミュニケーション過多な彼は、いつだってこっちの気を知らずに気軽に触れてくる。密かに抱いている想いは欠片も漏らしていないから、気付かれることもまたない。既に付き合いの長くなったそれとは仲良く付き合っていく術すらも見つけ始めていた。
 なのに、今のはなんだったのだろうか。
 何故か肩に軽く触れられただけだと言うのに、体を突き抜けて行ったのはあからさまな性的な快感だった。
 伝えられないものを抱いているから、そういった欲望は目を向けないようにしている。きっと自分の内側には抱き合ったりキスしたりしたい気持ちはあるのだろうが、いざ認めてしまえばそちらに振り回されて、せっかくの今の安定を失ってしまいそうだったからだ。
 もしかして、それらが飽和してしまったのだろうかとじわりと冷たい汗が背中を伝った。
 酷く動揺した気持ちなど当然気付かない虎徹は、おそるおそる、と言ったように手を伸ばして来た。
 咄嗟に逃げようとしたが、気付いたのが遅かった。
「ぁ……ぁあっ」
 慌てて口を押さえるが間に合わなかった。下腹へずくんと響く感覚。そして、漏れたのは色に塗れた声。
「虎徹、さ……手、はなし、て……おねがっ」
「ちょっ、バニーどうしたの! なんなのその声!?」
「うるさ、い……です、いや、だ……ぁ、やめ、離して」
 肩に掛けられたままのてのひらが、体の内側を震わせて温度を上げる。絶え間なく響くのはまるで達する直前のような激しい快楽で、引きはがそうと持って行った手は全く役に立たなかった。
「ちょっと、そこ! なにいやらしい事してるの!」
 仕切りも何もなく、ここは昼日中のトレーニングセンターだ。周囲にはついさっきバーナビーに何もトラブルはなかったと安心してくれた仲間のヒーローだっている。
 上げる声が周囲に響き渡っている事など、動転したふたりは気付かなかった。
 誰もが凍り付いた中でいち早く我を取り戻し、駆け寄って来たのはファイヤーエンブレムだ。
「あんたたち、場をわきまえなさい!」
 バーナビーの想いをもしかしたら気付いているのかもしれない彼女(彼?)だが、日頃は完全に触れないでいてくれている。慌てた声は、そんな気持ちが叶ったのだと誤解したかのような物だ。万一そんな事態が訪れたらきっと彼女は祝福してくれるだろうが、しかし今は血相を変えていた。
 経験はないが、きっと男性相手の性行為ならばそうなってしまうのではないか、と思うくらいに記憶にない程振り回される快感で、頭が朦朧とする。ファイヤーエンブレムの姿を見上げたが、輪郭がぼんやりとした曖昧な姿だった。
「だっ、何もしてねぇよ!」
「嘘おっしゃい、……って、あら?」
 ぐい、と虎徹を引き離してくれて、体を襲う感覚がわずかに弱まった。大きく息を吐き出し、ふと我に返る。
「な……っ」
「なあバニー、どうしたんだよ」
「本当になにもしてないわね……?」
 当たり前だろ、と胸を張っている虎徹だが突如引き込まれた感覚と状況にバーナビーは混乱した。
 ひとまず言えるのは、とんでもない失態を自分が犯したと言う事だ。
 顔に血が昇る。耳の先までもが熱い。
「なあ、どうしたんだバニー?」
「っ、触らないでください!」
 状況をさっぱり理解していない虎徹が再び手を伸ばして来たので、慌てて飛びずさった。チェストプレスに腰掛けていたので足がもつれてみっともなく床に倒れたが、いきなり喘ぎ出す事を思えばどうだって良かった。
「……なんだかハンサム、無理矢理襲われてるみたいね」
「おーい、ファイヤーエンブレム、お前変な事言うなよ」
「だってしょうがないでしょう? 色っぽい声出しちゃったかと思うと顔真っ赤にして崩れ落ちてるんだから」
「ちっ、違います!」
 必死でそれだけ叫ぶと、なんとか体勢を整えた。床に座り、長身の二人を見上げる。情けない事に先ほどからだが感じた熱は腰に響き、ちゃんと立てそうになかったのだ。
「じゃあ、一体どうしちゃったの?」
 優しげな彼女の問いかけに、バツの悪い気持ちになる。
 ふと気が付いて周囲を見回せば、ヒーロー全員がこちらを注視している事に気が付いた。今すぐこの場を去りたいと思った。けれど、自分一人で立ち上がる事すら難しい現状では逃げる事も適わない。
「……なんか、触られただけで」
「だけで?」
「あの……ちょっと、こっち来てもらっていいですか」
 性的に感じた、などと皆が聞いている中で言いたくはなかった。中には女子高生やそれ以下の女子だっているのだ。例え今更だとしても、さっきのバーナビーが思いっきり感じていたのだとは公言したくなかった。告げれば彼女は思案げな顔をして、首を傾げる。
「……あら、どうしてかしら」
 ひょい、とファイヤーエンブレムの手が伸ばされる。
 避ける間もなくぺたりと頭に張り付いた。
「……」
「……」
「……」
 びくりとしたが、何も起きない。三人で顔を見合わせた。
 ファイヤーエンブレムの手のぬくもりはともかく、他には何も感じない。
 場所が違うからかと冷静な顔になって、さっき虎徹が触れていた場所へ再びぺたりとファイヤーエンブレムのてのひらは張り付き直した。
 やはり、何も感じない。
「……なんだ? どういう事だ?」
「そんなのこっちが聞きたいですよ」
 ようやく落ち着きそうな感覚をなだめ、チェストプレスに手を突いて立ち上がる。
 何が起こったのかなど、自分が一番に分からない。ヒーローが顔を見合わしても解決しない。
「一時的なものか?」
「……っ、あ、あぁっ」
 今度は虎徹の手が腰に触れて、その場に崩れそうになった。
「っ、バニー?!」
「ぁ……っ、あ、や……離し……てっ」
「離したらこけるだろ、お前」
「いい、から……っ、も……ぁやっ、だ……」
 荒く浅い呼吸が溢れ、頭が白くぼやけて行く。あっと言う間に最中に突き落とされた。瞬間的に引き上げられる感覚には、さっぱり付いていく事もあらがう事も出来なかった。
 さっきよりも酷い。抱き留めるようにしているから、触れている面積が広いのだ。体中のあちこちから頭がバカになってしまいそうな快感が響き渡り、離せとすら喘ぐ呼吸に紛れてしまってままならない。
「バニー、バニー!?」
 焦った虎徹の声が耳に入るが、それすらもびくびくと体を震わせる。ダメだと分かっているし、理性は必死で頭の奥で悲鳴じみた声を上げている。こんな場所で乱れてあられもない声を出してるなんてありえない。しかもどんどん高められて、重苦しい熱がどうしようもなく体の内側、思考までもを蹂躙する。
「ちょっと、いいからタイガー! 代わりなさい!」
 ぐい、と横から掛かる力が体をひったくって行った。
 そのまま運ばれて、冷たい場所に横たわる。
 原因が取り除かれて少しはマシにはなったが、乱れた呼吸はそう簡単に収まってなどくれなかった。
「……私に触られても平気ね?」
 ゆっくりと、頷く。
「じゃあちょっと試すから、我慢しなさい」
「っ、虎徹さんは……!」
「大丈夫、タイガーには触らせないわ」
 周囲には人垣が出来ていた。ぺたぺたとあちこちを触られたが、ただ触られているだけでゆっくりと体の内側を落ち着かせる邪魔にはならなかった。むしろ気を張り詰めたから、冷静になるのはより早かったかもしれない。
「……っあ!」
「あ、やっぱりダメね」
 最後に触られた手に、びくんと体が跳ねる。
「ちょ、ファイヤーエンブレム!」
 無理に手を引っ張ったらしい彼女へ、虎徹が慌てた声を上げていた。
「もしかしてさっきのネクストの能力?」
「え? なんでこんなピンポイントなのよ!? タイガーにだけ?」
 もう全員に今の状態は丸バレだろう。
 せめて苦しんでいると誤解してはくれないだろうかとわずかに物を考えられるようになった頭が思ったが、間違いなく勃起したものを隠すように横向きに寝かされているし、腰には大きなタオルまで掛けられていた。
 なんとも言えない空気が流れた。
 突き刺さるような視線は、ブルーローズからだった。
 今すぐ死んでしまいたいといたたまれないものを感じながら、大きく息をする。
「……あの、すいません。原因が分からないので、病院に行きたいのですが」
「でもさっき、問題なかったって」
「今になってネクストの影響が出たのかもしれないし、もっと他の原因かもしれないじゃないですか!」
「……落ち着け、バーナビー」
「もう消えたい」
 頭を抱え込んでしまったら、ようやくファイヤーエンブレムが気を利かせてくれた。周囲の人だかりを散らしてくれる。残ったのはおそらく、虎徹ひとりだ。
「当分触らないでください」
 泣きそうな気持ちで言い切って、背を向ける。
 いくら一番に近しい仲間とは言え、そんな面々に醜態を晒してしまったのは最悪だ。更にこんな事で、虎徹へと抱いている欲まで突き付けられてしまった。
 泣いてしまいたい、とは思った。
 けれどこの歳になって本当に泣き出す訳にはいかない。
 目尻に滲む涙は手の甲で乱暴に拭い、なかった事にした。


 ぎくしゃくとした空気の中、それぞれのトレーニングの音が徐々に響き出す。
 虎徹は離れて行ってくれない。彼の事だから心配してくれているのだろうが、今は少しでも離れていて欲しいのだ。言ったところで額面通りに受け取ってくれない事など分かっている。ならば、接触は少しでも減らしたくて存在を無視し続けた。
 PDAのビープ音が鳴り響いたのは、そんな時だ。
 こんなタイミングで出動だとすれば最悪だと思ったが、どうやら鳴っているのは自分のものだけらしい。
 諦めて腕を引っ張り上げて、対応する。
『どう? なにか変化はあった? 病院の結果は?』
 事件でない時の前置きもナシに話始めるアニエスの姿には、もうとっくに慣れた。
「病院では問題ありませんでした」
『ん? あなた横になってるの?』
「ええ」
『どうして?』
 現実として受け入れたくない出来事だ。しかもそれを、女性へ話す事には抵抗がある。
『まあいいわ、取り敢えず警察の方でも取り調べと一緒に、一応の結果が出たから』
「どうだったんですか!」
 飛び起きた。興味津々で覗き込んでいた虎徹も驚いて一緒に跳ねる。
「あ……ちょっと、待ってください」
 なんらかの能力が確認されたのであれば、一刻も早く聞きたい。けれどそれが自分に不都合な可能性は高かった。こんな経緯で長年隠し通して来た虎徹への恋情がバレてしまうなんて、目も当てられない。
「おい、バニー?」
 立ち上がって、ロッカールームへ向かう。
「後で伝えますから、ここで待っていてください」
 もっと良い言い回しはあっただろうに、咄嗟に出てくるのはそんなものだ。到底虎徹が聞き入れてくれるとは思えない。
 案の定、「はぁ?」と目を剥いて突っかかってくる。
「ちょっ、触らないで下さい!」
 慌てて後ずさり、逃げた。
『何やってるの? コンビ漫才なら後にして、忙しいの! 犯人の能力は現状「何もナシ」よ』
「……え?」
『どうしたの、バーナビー? 何か問題が出てる?』
「いえ、あの……」
 にらみ合っていた視線は、同時にPDAへ向いた。
「なあ、触ったら変な反応するとかってねぇの?」
『なに? そんな影響が出てるの? バーナビー?』
 虎徹から強い視線を向けられ、しぶしぶ頷く。
「……はい」
「俺に触られた時だけ、こいつ変な反応するんだよ」
『タイガーが触れた時だけ? 他は反応しないのね? で、どんな反応?』
 さすがに虎徹も言い淀む。言えよと視線が促すのをイヤだと返し、無言で激しい言い合いをした。
『だから私は忙しいって言ってるでしょう! ほら、さっさと言う!」
 通信とは思えない凄みを効かされ、仕方なくバーナビーは口を割った。


 彼女の確認は的確だった。
 こっちが照れているのが逆に恥ずかしいくらい、さばさばとアニエスは現状を認識し、切り分けを行った。
 能力発動の条件と考えられるものを、ひとつずつ照らし合わせる。
 バーナビーがおそらくネクストの影響を受けていると考え、直前直後に至近に触れた人物は否、発動中に触れていたのも、否。その条件下で触れるではなく、見た相手としても否で、頭を占めていた相手とも違う。過去遭遇した簡単に思いつく限りのものは否定されて、今度はバーナビーに取っての虎徹の存在に注視した。
 けれど、最も大きな原因だろうものを隠しているので結局役に立ちそうになかった。
 虎徹からは一メートル以上の距離を取り、ふてて時間を潰す訳にはいかないと立ち直る。晒した醜態が取り消せる訳ではないけれど、アニエスからの通信でネクスト被害だと分かったせいか、トレーニングセンターの空気も同情的なものに変化していた。
 ブルーローズからは相変わらずの突き刺さる視線を感じたが、彼女が虎徹へ向ける想いを知っているので、それも仕方ないかと思った。しかし不可抗力なので許して欲しいとも思う。
 一通りのメニューをこなし終えたのは、日の暮れた時間だった。
 ひとまずの情報を得たアニエスからは、しかしその後連絡はない。特殊条件で発動するネクストだとすれば、分析は簡単に進まないだろう。バーナビー以外に被害者がいないようなので、能力の継続時間すらも分からない。自分で試すなんて、言語道断で却下だ。しばらくは虎徹から距離を置くべきだと思った。少し寂しいかもしれないが、虎徹の前であんな醜態をさらしたり、気持ちが滲む行為をしてしまうよりかはずっとマシな筈だった。
 その虎徹からは、トレーニングの間中延々と視線が向けられている。
 相変わらず不真面目に、気が向いた程度にしかトレーニングはこなさず、ベンチプレスにほぼ寝そべって、ただバーナビーを見ていた。煩い視線に気は掻き乱されたが、今の自分は日頃の安定を保ててはいない。上手く折り合いを付けていた彼へ向ける気持ちが浮き足立っていて、漏れ出していそうで怖いのだ。
 だからいつもは向けるお小言すら封印して、ただトレーニングへのめり込んだ。切り上げた途端に虎徹も起き上がり、一緒にロッカールームへと向かう。
 既に他のメンバーは既定のトレーニングを終えて引き上げていた。こんな時間まで掛かってしまったのは、偏にバーナビーが無駄な時間を過ごしてしまったからだ。それに虎徹が釣られただけの事。
 だからこうやってふたりで移動するのは、別段おかしくはない。時間はやや常と違うが、いつも通りの事だった。
 横たわる沈黙がなんとも居心地が悪い。彼がこんなに喋らないのは、珍しい。
 シャワーブースで汗を流して、体を拭う。出れば虎徹も同じタイミングで出て来たようだった。
 彼の裸など、見慣れている。
 なのに、つい先ほど味わったばかりの振り回されるような快感が沸き上がり、頭の芯が痺れた。思わず、ロッカーの扉に手を突く。
「……バニー」
「な、ん、ですか」
 掛けられた声に、戸惑いが混じってしまったのはマズいが仕方ない。
「……っ!」
 肩に衝撃を受けた直後、背をロッカーに打ち付ける。
「ぁ、やめ……っ、虎徹、さん!」
 虎徹の腕が、肩を押さえていた。
「なあ、バニー」
 ぞくぞくと背筋を伝い、快感が体中を這い回る。能力はさっぱり引いていない。未だにバーナビーの体を蝕んでいる。
「ちょっと考えたんだけどさ」
「……はなし、て……くださ……ぅあっ」
 肩に触れられた手が、そのまま首筋に添えられた。柔らかな動きで頬を撫でる。
 ずくん、と下腹に熱が溜まって必死で背後のロッカーへ体を押しつけた。それでずり落ちそうになる体を支える。柔らかな動きだし、触れている場所は少ない。なのに、向けられる視線が甘やかすぎて、さっき抱きかかえられた時と同じくらいの快感が襲いかかってきた。
「おねが、……はな、して……離してっ、こて、つ、さ」
「お前、俺の事好きなんじゃないか?」
 喘ぐような自分の息が煩い。なのに、虎徹の言葉は明確に耳に届いた。
「……っ、好き、ですよ」
 必死に息を整えて肯定したのは、「好き」を一般化しようとしたからだ。相棒として好き、先輩として好き、それだけで深い意味合いを持たせないようにしようとした。けれど、虎徹は手を頬に添えたまま、低い声で尋ねる。
「本当に?」
「……っあ」
 声が、耳を犯す。
 こんなのは知らない。虎徹はこんな顔を、自分に向けたりはしない。
 日頃の人の良い表情は姿を消して、どこか怖くすらある真剣な顔を向けられる。近すぎる場所にある瞳の色が、金に光って見えた。
 息を飲む。
 自分は、確かに今おかしい。
 けれど何故虎徹までこんな顔をしているのだ。
「その顔を、他のヤツに向けるのかと思ったら、すげー腹立ったんだけど」
 そして、その瞳すら見えなくなった。
 距離が近すぎて焦点が結べないのだ。触れたのは、頬だけではない。互いに素肌をむき出しにした体の前側全てと、そして唇。わずかに乾燥していて、今までに知っていたどれとも違うくせに、どれよりも心の奥底で切望していたものだった。
「……っ、は、あ、あ、ああぁっ」
 縋り付くようにして、腕を回した。強く掴み、固く目を閉じる。
 瞬間的に頭が白く弾けて、とてつもない気持ちよさが体中を駆けめぐった。
 下着しか身に付けていない状態で吐精してしまったのだと分かったのは、虎徹の肩へ頭を埋めてしゃくりあげるように呼吸を繰り返した後の事だった。
「……っ、んで」
 まだ整いきらない呼吸と、引かない快感。いたたまれない気持ちでいっぱいなのに、縋り付いたまま動く事が出来ない。
 それでも、なんとか声を絞り出す。
「この能力。好きな相手にだけ発揮するんだったらいいなと思ったんだけど」
「……っ」
 反則技の低い声が、空気を震わす。
「あーあ、せっかくなら触りたかったなぁ。キスだけでいっちまうとは思わなかった」
「……なんで」
「分かんない?」
 ぐい、と体を引き離して視線を合わせられた。
「お前を気持ち良くするのは、俺だけならいいと思ったんだ」
「……なんで」
「バニーちゃん、ちょっとは考えようぜ。いつも俺に頭使えって煩いだろ?」
 重ね合わせた視線が、笑う。
「いっぱいいっぱいのバニーちゃんが可愛いから、今回は特別に答えを教えてあげます」
 そう言えば、虎徹が触れているのにもうあの恐ろしい程の快感は体を震わせない。
「それは、虎徹さんがバニーちゃんの事好きだからです! 分かった?」
 笑みを浮かべたままの瞳が、再び見えなくなる。
 押しつけるだけのキスをされて、そのまま背に回していた腕で、強く抱きしめた。暴力的でない気持ちよさが、緩やかに体を覆った。
「だから他の人の前で、そんな顔するんのはやめてくれると嬉しいんだけど」
「……はい」
 こちらから好きです、と告げるのはなんとなく癪だったので、頷くだけにした。


 あのネクストがなんだったのかは、その後も判明することはなかった。
2012.07.01.
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