I had a dream like this
何でもない日々が続いていると思っていた。
そりゃあヒーローであるのだから、毎日のように出動はあるし、一部で対応する事件は生臭いものだって多い。相変わらず相棒はシュテルンビルト中の人気をかっさらっているから余波のように虎徹だって仕事を詰め込まれて忙しくもある。けれど、おおむねタイガー&バーナビーでない部分の自分達はそれなりに穏やかに過ごしていると思ったのだ。
バーナビーと出会ってから随分と時間が過ぎたにも関わらず、まさか十年近くも過ぎて相棒以外の関係性が出来てしまった事に戸惑ったのだって、既に過去のお話だ。元から傍にいるのが当たり前過ぎる相手であったので、もちろん恋人として過ごす喜びはいつも感じているが、それでも自然に馴染んでしまっていた。
お互い、若いとはさすがに言えない。バーナビーは自分より十歳以上も年下ではあるけれど、それでももう三十を超えた。がっつくような熱さはないものの、それでもタイミングが合えば例え平日であろうと一緒に夜を過ごす。それまでもどちらかの家で飲むのは普通にあって、そこに裸で抱き合うオプションが付いただけだ。いや、オプションと言うかそっちがメインになっているのはさておいて。
「……バニー?」
そんな夜を過ごした朝、目が覚めるのは大概自分の方が先だ。今日だってそうだった。
「バニー、おい?」
傍らで眠っているバーナビーが泣いていた。
こんな事は今までに一度だってなかったから、いつもならギリギリまで寝かせてやっていると言うのに、妙に焦って声を掛ける。
うなされていると言う訳ではないようだ。ただ閉じたまぶたから静かに落ちる涙が綺麗で、だからこそなんだか不安になった。
こちらだって寝起きだから掛ける声はささやかで、案外朝に弱い彼は当然目を覚まさない。結局体を揺さぶって、無理に目を覚まさせた。
涙に濡れているまぶたがゆっくりと引き上げられて、まだ眠っているような瞳が虎徹を見る。彼の泣き顔を見たのは初めてではないけれど、それでも見慣れている訳でもなかった。歳も取ったし寝起きだし、しかも泣き顔だ。だと言うのに相変わらず彼は綺麗で、いつまでこいつは王子様なんだろうと不似合いな事が浮かぶ。
ぱちりと長いまつげが音を立てそうな瞬きをして、ようやく何を見ているのかが分かったようだった。
「……こてつさん」
掠れた声。暖かなベッドの中で伸びて来た手が強く抱き締めて来て、再び彼の頬を涙が伝った。
「どうした? 悪い夢でも見たのか?」
まるで子供のような扱いを、彼は好まない。だけどこんな風にされれば、甘やかしてやりたくなった。抱き寄せて肩に埋められた頭にキスを落とし、背中を撫でてやる。
「夢……ええ、そうですね。夢です。悪い、夢だ」
ゆっくりとしたペースで背中を柔らかく叩いてやったが、今日ばかりは彼も嫌がる素振りを見せなかった。珍しく素直に甘えて、くっついてくる。
「僕が死ぬ夢です」
掠れた声で静かに告げた内容に、心臓がひやりと竦んだ。
「ああ、違います。死ぬのがイヤだったんじゃなくて……痛いとか苦しいとかもなかったですし、出動の末だったんで状況も理不尽じゃなかった。こんな事を言うと変なんですが、割と満足はしていたんです」
ぎくりと動きを止めたかのような心臓が、痛みを伴いながら静かに鼓動を刻んだ。考えたくはないものの、自分達の選んだ仕事にはそんな未来だってあり得る。出来る限りの手は打つし、回避だってする。長く続けて来た中に、ひやりとした瞬間がなかったかと言えば嘘になった。そんな日々を宥めて乗り越えて、平然とした顔をしている。
「……夢、です。僕は生きてますよ」
だけど、怯えは間違いなくあった。愛している者を失う怖さは、一度経験してしまったからだろう、だからこそ余計に臆病になっていた。
置いて行かれたくない。けれど先に行かれる苦しさを知っていて、バーナビーだって全く同じではないものの残される辛さを知っているから味合わせたくもない。
だからこれについて考える時は、いつだって思考停止だ。逃げるようにして、向き合わない。
恐らくそれを、彼は知っている。
突きつけてごめんなさい、と声音に滲ませ、彼の方が宥めるように優しく抱き締める。
「……じゃあ、なんで?」
夢のお話だ。聞きたくない気持ちだってあるのに、ならどうして彼が泣いていたのかは気になった。
「……割と、満足だったんです。不思議とあなたを置いて行く後悔はなかった。案外薄情なんだなって自分に呆れたりして、だけど穏やかに目を閉じて、父さんと母さんに会えるんだろうか、あなたの奥さんにも挨拶しなきゃとか、そんな事考えて……なのに」
肩に埋められた頭が起こされて、枕に預けている虎徹と向き合うように弛緩する。
時間を掛けた瞬きをひとつ。
「気が付いたら、トレーニングセンターにいました」
既に眠りの気配が抜けた瞳は虎徹を見ているのに、どこかピントが合わない。夢の世界を思い返しているのだろう。
「みんな、泣いてくれてて。何故かもう引退してしまったメンバーもいて、ドラゴンキッドやブルーローズなんて初めて出会った頃のようなまだ子供のような姿で、泣いてるんです」
じわり、と緑の瞳に涙が再びにじむ。
「あなただけ、今のままの姿で。そんな泣いてるみんなを、宥めてました。ちょっとおどけた仕草で、困った顔して」
「なんだよ、案外俺も薄情だな」
「そうですか? いかにもだなぁって思いましたよ。あなたらしい」
頬を伝う程ではないが濡れた目でバーナビーは笑う。
確かにそうだろうなと思った。きっと自分は皆の前では泣かない。そうやってみんなの面倒を見て、大丈夫だと空元気で振る舞うだろう。
「ブルーローズに無神経だって言われても、だってあいつ笑って死んだんだ、満足してたんだって。ああ僕の気持ちも筒抜けだったんだなぁって思いました。それがすごく嬉しくて……でも」
「でも?」
「ひとりひとり、帰って行って。最後のひとりが帰るまで、あなたは笑ってこそいなかったけど、普通の顔してたのに……ひとりだけ残って。ベンチに座って、泣いてたんです」
ああ、それもきっとそうだろう。
友恵が死んだ時だって、自分は誰かに泣き顔は見せなかった。
「いつも賑やかで、黙ってても煩いあなたが、声も出さずに静かに泣いてて……ああ、僕はなんてことをしてしまったんだろうって初めて後悔しました」
涙が頬を伝って行く。すん、と鼻を鳴らしてごめんなさいとバーナビーは言った。
「ごめんなさい、って謝りたかった。勝手な事して、悲しませてごめんなさいって。だけど僕はあなたが見えるのに、あなたには僕は見えない。何度声を掛けても聞こえないし、触れる事も出来ない。それが、寂しくて。あなたを泣かせた自分が許せなくて……」
「それで、泣いたのか?」
「ええ」
落ちる涙を拭ってやった。
ごめんなさい、ともう一度繰り返される。
「父さんと母さんが死んだ事があれだけつらくて、それにこんな仕事をして死と言うものにこれだけ接しているくせに、僕は死ぬと言うことが良く分かっていなかったんだ……あんなのは、イヤです。あなたがひとりで泣くのは、絶対に嫌です」
「そっちかよ」
「それ以外になにが?」
きっぱり言い切られて、これはただの夢のお話だと言うのに苦しいくらい胸が詰まった切なさは少し和らいだ。
「お前、そんなに俺の事が好きなの?」
「当たり前でしょう」
「だってそれって、俺しか心残りがないって事だぞ?」
バーナビーは目をぱちくりさせる。涙は止まっていたが、それでもまだ泣いた気配が残る顔で、笑い出した。
「本当だ。どうやら、そうらしいです」
「お前なぁ」
くしゃりと頭を撫でると、くすくすと笑って腕から逃げようとする。それを引き戻して、こちらからも強く抱き締めた。もう彼の夢に引きずられた痛みは消えてしまった。むしろ、気恥ずかしいくらいの気持ちが押し寄せる。
「どうしよう、本当に他になさそうだ」
「すげぇ告白」
「ええ。僕が生きる理由のようです――だから」
「ん?」
まだ笑いの滲む顔が、虎徹を見た。
ベッドの中で抱き締められた状態で見せる顔ではない。まるでヒーローとして市民に見せる表情。いや、それよりも、もっと強くて、眩しい。
「だから僕は、あなたより先には死にません。あなたがいる限り、僕の生きる理由があるんです。生きていなきゃいけない、かな」
「……バニー」
「だから安心してください」
一緒に過ごす事が当たり前になっていた。穏やかで、心地良くて、幸せで。
だからこそ怖い事は考えたくなかった。だけど自分達には喪失の記憶がある。それに苦しめられ、過ごした厳しい時間は決して忘れる事が出来ないのだ。
きっと、普通なら考えずに過ごしていたって良いのだろう。彼女が失われるかもしれない、と知らされる前には当たり前のように考えたりなどしなかった。けれど、幸せであればある程つきまとい存在を色濃くさせる不安から、自分達ふたりは逃げる事が出来ない。
虎徹だけではなかった。
心の芯が冷えるような、頭が考える事を放棄してしまう不安を彼も抱いていた。だからこそ、そんな夢を見てしまったのだろう。自分達は全く似ていないと思うのに、けれど似ている。
「置いて行かないでくれ」
「……はい」
「ずっといて」
「はい」
優しい声が、大丈夫だと言い聞かせてくれる。
剥き出しの弱い部分を見せて、それでもいいよと言ってくれる事に安堵して、甘えている。
「……俺も、置いて行かないようにするから」
「当たり前です、僕だけが頑張るのは不公平だ」
「そうだよな」
くすくすと笑って、触れ合うだけのキスをした。
好きだよ、と告げたい唇は彼の名前だけを呼んで満足する。くすぐったそうな顔をする彼にはきちんと伝わっていただろう。
今日も、ヒーローとしての一日を過ごす。失う怖さに怯えているくせに、だからと言って危険から逃げるつもりなんてふたりともさらさら無い。そんな選択をすれば、きっと自分達が生きている意味だってなくなってしまうのだろう。
因果だな、と思いつつもそれでも満たされていた。
やっぱり彼は、虎徹の事を良く知っている。
そしてきっと自分も、バーナビーの事を良く分かっているのだろう。
甘えも我が儘もすべてひっくるめて、愛している。