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meow



 この人のトラブル誘引体質は、既に理解しているつもりだった。
 彼の存在そのものが疎ましいと思っていた時はさておいて、今はそんな所だって好ましく思っている。だってそれは、普通にしていれば気付かないだろう誰かのヘルプにこの人だけは気付いてしまうせいだと分かってしまったからだ。気付いたものを知らなかった振りで流す事も出来ない。だから、彼はいつだって面倒なトラブルに巻き込まれがちで、既に見慣れてしまった情けない笑顔で「バニー、悪い!」と両手を合わせるのだ。
 彼がいつだってヒーローでありたいと望む姿は、嫌いじゃない。
 虎徹さんが自覚しているのかどうかはともかく、もちろんそれは綺麗事ではない。ネクストであろうと僕達ヒーローは単なる人なので、無私で人助けが出来る訳ではないのだ。けれど一般以上の人の良さは持ち得ているし、当然悪い事でもない。職業ヒーローなのだから、それでいい。
 彼が損をするかもしれないな、と思う場面では相棒である僕がサポートに回れば良いだけの話だった。上手く噛み合わなかったコンビを組んだ当初に比べて、近頃はすっかりふたりで過ごす事には慣れた。出動中の細かな癖と同じように、つい見過ごせず手を伸ばしてしまう彼の善良さ(にも見える、なにか)にだって馴染んで、面倒な事になりそうな時はしょうがないなと苦笑して見せる余裕だって出来ていた。
 けれど、これはどうだろうか。
 大きく溜息を吐いた。
 久しぶりの休日の朝、僕の部屋だ。目が覚めてあちこちを探したのに、昨夜一緒に飲んだ筈の虎徹の姿はなかった。その代わりにずっと着いてあるく、小さな白黒の猫。
「……ねえ、どういう事なんです?」
 首を傾げて、にゃあんと可愛い声で猫は鳴く。
 白地に黒のぶち柄の猫は、ご丁寧に両ほほの部分になにやら見慣れた猫のような模様があった。小動物に馴染みがないので、大きさは彼相応のものなのかどうかは分からない。けれど小さいなぁと思う体ですりんと立ったまま見下ろす僕の脛に頭を擦り付けた彼は、やっぱりもう一度見上げてにゃあんと鳴いた。
「随分可愛いらしい声ですね」
 がらんとただただ広い僕の家のリビングで、虎徹さんが寝ていたチェアの傍には彼の衣服が一式落ちてつくねられていた。彼の姿はどこにもない。なんらかの急用が出来たとしても、家主に黙っていきなり帰るような事はしない筈だ。
 さて、それらを鑑みてこの状況が導く解答と言えば――ひとつしかあるまい。
「ねえ、なんでこんな事になってるんですか。虎徹さん」
 しゃがみ込んで、恐る恐る触れた手で小さな額を撫でてみた。気持ちの良い毛皮を彼の方からジャンプするように擦り付けて、その後でざりりとちいさな舌が指先を撫でる。案外痛い。
 はぁ、と嘆息した僕の事が分かっているのかいないのか、どうやら虎徹さんに違いないだろうと思われる猫は、指先を舐めたままごろごろと喉を鳴らし始めた。
 果たして虎徹さんとしての人格があるのかどうかはさっぱり分からないながらも、こんな状況でも暢気に目を細めているのは、いかにも彼らしいと思えて一気に疲れた気がした。


 一夜にして人が猫に、などという突拍子のない事態は、もう考えるまでもなくネクストによるものだろう。しかしいくらシュテルンビルトにネクストが多く存在していようと、より彼らと接触する機会もあれば能力被害も一般より受けやすいヒーローなんて職業をしていようとも、居る筈の人物が消えて居ない筈の猫がいる事を、そう簡単に結びつけたりはしない。
 イコールになったのは、きちんと道筋があったからだ。
 昨日、あと五分で終業のチャイムが鳴るタイミングで響いたPDAからのビープ音で出動した事件は、はっきり言ってバカげたものだった。一般的な休前日、賑わっている市街地では一時的なパニックも起きたのだから、あのまま放置しておけば大きな事故だって起きたかもしれないのだし、状況を利用した犯罪者が出て来ないとも限らなかったので、僕達の出動は必要なものだったのかもしれない。
 しかしシルバーステージの混み合うショッピングモールで、突然全ての人に猫耳が生えたなんて状況に、やっぱり僕達は必要だったのだろうか。
 考え得る限りの凄惨な現場に向かうのと寸分違わないヒーロースーツを着込んだ僕とワイルドタイガーが足を踏み入れた先は、確かに混乱していた。けれど、様々な毛並みの猫耳を頭の上にくっつけた人の群れは、現実味を削ぐファンシーさだったし、おそらく被害者と言うべき彼らだってそこまでの深刻さを感じてはいなかっただろう。
 そりゃあそうだ、単に猫耳が生えただけだ。
 それも後で分かった事ではあるが、造形としての猫耳であって、器官としての耳が増えた訳でもなかった。結構な床面積を誇るショッピングモールがほぼ時間差ナシで一斉にそのような状況に見舞われたのだから、威力はなかなかにすさまじい。けれど、いっそ感動したくなる程の無害な能力だったので、驚いていた被害者らは救助のつもりで姿を見せた僕達ヒーローの姿に色めき立ち、逆にそのせいで混乱が起きてしまう程だったのだ。
 状況をもたらしたネクストはすぐに判明した。自分の能力だと気付いたものの、どう収拾を付けて良いのか分かっていなかった能力保持者は、駆け付けたヒーローへ自分のせいだと名乗り出たからだ。ただの一市民の言葉ではなく、ヒーローを介しHERO TVと言うマスコミを経緯し伝播された能力の詳細は、安全に行き渡った。
 人体に影響はなく、猫耳に見えるようなものが生える能力は、長くとも三時間を上限に消える。ただの飾りと同然であるが、一応は「生えた」状態なので感覚はあって、無理に引っ張れば痛みもあるから気を付けるように……との簡単な注意を伝えて、その場は解散だ。些細な個人的事情により能力を暴発させたネクストは、厳重注意と万一の事があった時のために連絡先を警察に押さえられたようではあるが、身柄も解放された。
 僕達は何の為に出動したのか分からないなあと思ったものの、怪我をした人も怖い思いをした人もいなかったのだと思えばまあいいかと思えた。出番がないのは、きっと良い事に違いない。明日の休みに、過日の出動のせいで受けられなかった学校のテストを受けなければならないらしいブルーローズはさすがにやるせない思いを必死で隠していたようだが、それでも誰かに八つ当たるような真似はしていなかったのだからさすがだ。
 駆け付けた時には、既にネクスト能力は収束していたから、僕達に影響はなかった。
 トランスポーターに戻りスーツを脱いだ僕にも虎徹さんにも可愛らしい猫耳は生えていなかったし、直帰で構わないとの連絡を受けてふたり一緒に僕のマンション前で下ろしてもらった後も、そうだ。
 だから道筋と言っても、あの能力は関係ないのだ。
 ただ、猫もしくは猫に関係あるものとネクストを結びつける思考回路が出来てしまっていただけで……はぁ、とやっぱり僕は息を吐く。
「ねえ虎徹さん、昨日僕達は一緒に行動していましたよね? なんであなたひとりそんな能力受けちゃってるんですか。いったいいつ戻るんです?」
 思い返しても原因らしきものは思い当たらない。昨日の能力なら時間が経てば元に戻ったけれど、全く別だろうこれはそうだとは限らない。ロイズさんとアニエスさんへ報告を入れれば、あちらで原因は調査するから僕は彼を保護するようにとの指示を受けた。
 落ち着こう、と思ってコーヒーを淹れた。ミルクはたっぷり、砂糖なし。虎徹さんと飲んでどちらかの家へ泊まった翌朝は、彼がこれを淹れてくれるのが定番だった。軽く酒が残る程深酒してしまった翌朝も、ゆっくり冷ましながらカフェオレを飲んでいる内に落ち着いてくれる。だけど今日は悪酔いもしていないのに、淹れてくれる筈の虎徹さんがこの調子では無理だから、初めて自分で淹れた。ぴったり離れない猫にもお裾分けしてあげた。もちろんコーヒーは抜きで、温く暖めたミルクだけ。彼が虎徹さんだとすれば屈辱かもしれないが、まさか彼がマグカップでミルクを飲める筈もないので、小皿に入れて差し出せばふんふんと匂いをひとしきり嗅いだ後で、ぺちゃぺちゃと音を立て、舐めだした。
 お腹は減っていないだろうか。当たり前だがこの部屋にはペットフードなどない。猫が食べられるものも何か知らない。思いつきであげてしまったが、牛乳は飲んで大丈夫なのだろうか。
「虎徹さん、お腹壊したりしませんよね? 大丈夫ですか、無理なら無理って教えてください」
 途端不安になって彼の横にしゃがみこんで覗き込むが、彼は邪魔をするなとでも言うように一度鼻を鳴らし、再びぺちゃぺちゃとミルクを舐める。
「……大丈夫、なのかな。すごく飲みたがってるようには思うけど」
 そうだ、こういう時にこそネットだ。
 調べればいいのだと気が付いて、PCの置いてあるリビングに戻ろうとしたが、さっきまであれほどくっついて離れなかった猫は着いて来てくれない。ミルクに夢中だ。皿を移動させれば着いて来てくれるかと思ったけれども、突然取り上げられた事を理解出来ないのか、猫はきょとんとその場に座ったままだ。
「……しょうがないな、虎徹さん、こっちです」
 ほら、と皿を見せてもどうやら頭の出来はあまりよろしくないらしい猫はさっぱり理解してくれない。諦めて、手を伸ばした。
 正直、怖い。こんな小さな動物を抱き上げた事なんてない。痛い思いをさせないだろうかと恐る恐る伸ばして前足と後ろ足、間の胴体を掴んで引っ張ると、……伸びた。
「うわあっ!」
 頭を撫でた時以上に胴体はふわふわの毛に覆われていて、掴める場所は意外と細かった。けれど、全長三十センチ程度だった猫の体は、痛みを与えないだろう程度のふわっとした力で持てば、そのままずずずと伸びたように思えたのだ。
「な、なん……なんですか、あなた。なんで伸びる……」
 これは猫ではないのだろうか。もしかして似てるだけの変な生き物なのだろうか。
 驚いて、そして少しばかり気味が悪くて心臓がバクバクと音を立てている。もう怖くて手を伸ばす事は出来なくなった。これは虎徹さんだと言うのに、なんて自分を批難する内なる声は聞こえるものの、だって怖いのだからしょうがない。
「こ、虎徹さん……リビング、戻りますから。ほら、早く一緒に行きましょう」
 置いていけばいいのかもしれないが、残念な事に我が家の扉は全て自動扉になっている。おそらくこの小さな体を、センサーは感知してくれないだろう。気味が悪くはあるものの、これは虎徹さんなのだ。キッチンに閉じ込めておく事なんて出来ない。


 結局あれこれと気を惹いて、彼と共にリビングに戻れたのはそれから一時間後の事だった。
 妙に疲れた気分になりながらも、焦ってPCを開く。時刻はそろそろ昼を過ぎようとしていて、自分もだけれども、猫だってお腹が減っているだろう。早く食事の用意をしたい。僕はともかくとして、彼の為には何か手配しなければならないかもしれないのだ。
 PCのおかげで、さっき酷くびっくりさせられた胴体が伸びるのは別に不思議でもなんでもない事を知った。割と、伸びるらしい。ビクビクした気持ちは残っていたので、擦り寄ってくる可愛らしい姿にやっぱり僅かな怯えのせいで撫でてあげる事も出来なかったのに、ほっとした。
「驚かさないでくださいよ!」
 妙に気恥ずかしくなって、わしわしと背中を撫でる。ふわふわの毛並みが気持ち良い。
 ミルクは特に問題はないようだった。個体によっては腹を壊す事もあるらしいが、彼は平気な顔をしている。
「あ、トイレ!」
 そうだ、彼はトイレを使えないだろう。猫用のトイレを準備すべきだろうか。彼が猫になって、果たしてどれだけの時間が過ぎたのかは分からない。さっき牛乳を飲んだのだから、排泄はしたくなってもおかしくはなかった。けれどどこへ置けばいいのだろう。ひとりで扉を開けない以上、洗面所に置いても彼が向かう事は出来ないだろう。おそらく、リビングだ。ここに置くのが正しい。彼がいつ戻るか分からないし、それに虎徹さんとしての意識を保っているのかどうかは分からない。さっきから頻繁に声は掛けてみているけれど、意志の疎通はどうやら出来ていないと判断すべきだ。時折タイミング良くにゃんと返事はしてくれるが、そうじゃないにゃんだっていっぱいある。少なくとも僕にはそのにゃんがどういうにゃんかを判別出来ない。
 まあ、それはともあれ。彼が例え猫になりきっていたとしても、不快な思いはさせたくなかった。彼は大事な相棒だ。純粋に尊敬している、と言うには若干躊躇するが、それでも十年先輩で僕を引っ張ってくれるワイルドタイガーなのだ。頑なだった気持ちを溶かしてくれて、穿った物の見方ばかりしなくてもいいのだと教えてくれた、もっと楽に生きていいのだと肩を組み笑い合ってくれる大事な友人。
 欠片も不便な思いはさせたくなかった。けれどリビングで僕に見られながら排泄させるのは申し訳無い気もする。迷った結果、衝立を置けばいいのだとの結論が出て満足した。
「虎徹さん、僕頑張りますから」
 ひとまず猫に取って必要だろうと思われる品物をピックアップし、コンシェルジュに手配してもらった。急いでいる気配は気付かれたのか、いつもなら数時間はかかる筈の彼の手配は、一時間にも満たない時間で行ってくれて感激した。トイレだって間に合ったし、おりこうだった虎徹さんは粗相する事なく、窓際に設置したトイレを綺麗に使ってくれたから、頭を撫でて精一杯に褒めてあげれば嬉しそうに頬を舐められた。
 伸びるのは普通、とは分かったものの怖いからまだ抱き上げる事は出来ないでいる。だから、頬を舐められた僕は要するに、彼の傍に横になって顔を擦り寄せていたのだけれども、彼はどうやら意志を保ってはいなだろうと判断したので少しくらい格好悪くとも構わない。
 さていい加減お腹が減ったのでご飯にしよう。
 最高級猫缶をコンシェルジュには持って来てもらったけれど、多分これは人が食べるべきものではないだろう。ネットを調べた時に、人が食べるものと同じ猫ご飯を紹介しているサイトはあった。同じ材料も手配してある。全く人と同じ物はさすがにこの小さなからだでは調味料や添加物が危険で与える事は出来ない。僕の昼食はレトルトで構わなかったけれど、彼の分はそういう訳にはいかなかった。
「虎徹さん……ねえ、どうしましょう。猫缶、食べます……?」
 猫ごはんレシピサイトを開いて僕は困惑する。
 気持ちとしては、最高級とは言え、虎徹さんに猫缶を食べて欲しくない。僕なら食べたくないからだ。だからと言って、手作りしか無理であろう猫ご飯は果たして僕が作れるものなのだろうか。自炊なんて一度たりともした事がない僕には、余りにもハードルが高すぎるんじゃないだろうか。
「あ、ダメです! 生はダメです!」
 難しい顔をして材料であるささみをキッチンの作業台の上に載せ、にらみ合っていたら、飛び上がった彼が咥えて走り去って行った。
 生で食べる用ではないのだから、きっとだめだ、お腹を壊してしまう。
 急いで追いかけたけれども、簡単に捕まりそうにない。
「ねえ虎徹さん、ダメですって。聞いてください、お腹壊しちゃいますから!」


   ■   ■   ■


「なあ……アニエス」
「なに?」
「これ、マズくない? 俺多分バレたら殺されると思うんだけど」
 ゴールドステージ、バーナビーのマンション前の路上に停められたOBCの中継車の中での虎徹の訴えは、当たり前のように流された。そりゃあそうだ、この状態はある程度予測出来たのだ。分かっていて仕掛けているのだから、今更だ。
 昨日の最後の出動後に、アニエスからの個別通信が入った。
 バーナビーには気付かれないように、と極秘で伝えられた内容は、さすがに頷きたくないものだった。元からいくらショウアップされているとは言え、ヒーローは芸能人ではないと虎徹は思っている。ファンサービスは大切かもしれないと、この歳になって初めて出来た相棒のおかげで徐々に思い始めているが、しかしプライベートを切り売りする必要まではない。
 長年背負ってきた荷物を下ろした相棒は、近頃とてもふわふわしている。とても可愛いとは思うけれど、同時に何にでもいいですよと笑顔を向けてしまうから、そこまでしなくていいと引き留めるのは虎徹の役割だとも自負していた。カッコイイみんなのヒーローバーナビーならともかく、ふんわりと可愛く笑う彼の姿を皆にまで見せる必要はなく、無自覚のあれは自分が独占していい物だ。……もとい。年長者として諫めてやるべきなのだ。
 けれど、先日の出動で物の見事にOBCの中継車を一台大破させた虎徹は、現在非常にアニエスに対しての立場が弱かった。
 かくして、この状況だ。
 前から企画されていたプライベートのどっきり企画を、昨日の出動で丁度良いと思ったらしい。バーナビーも知らないまま、彼の部屋のあちこちにはカメラが仕込まれていた。昨晩の飲みの様子から撮影されている筈だ。
 まるで虎徹と猫が入れ替わったかのような仕込みを指示通りにしたものの、いくらなんでもバーナビーは騙されないだろうと思った。ワイルドタイガーの髭と似た柄は、良く見れば黒く塗られているだけに過ぎない(きちんと子猫の健康には問題のないものだとは説明された)。誘導はあったとしても、頭の良い彼ならあっという間に看破すると思っていたのだ。
 それが、この有様だ。
 彼は恐る恐る猫を抱き上げて、頬を擦り寄せている。
 頬を舐められているのだろう、やめて下さい痛いですよ、とくすくす笑う声はひどく楽しそうで、それでもって余りにも可愛くてしょうがない。虎徹さん、と呼ぶ声は自覚していないのかもしれないが、酷く甘く響いた。
「……バニー……ちょっとこれ……なあアニエス! もうやめようって!」
「煩さいわよ、タイガー!」
 ぴしゃりと切り捨てたアニエスの視線はモニタに釘付けだ。これはいけるわ、なんて予想以上に可愛らしいKOHも間近のスーパールーキーの素顔に興奮してリアルタイムで編集している。視聴率の鬼である彼女としては、満足のいく映像なのだろう。
 けれど、虎徹は不満だ。
 やっぱりこれは自分が独占したい。生意気で可愛くなかった後輩がどんどん可愛らしくなっていくのは、きっと自分のせいなのだ。あの猫が虎徹だと思っているからあんな無防備な顔をしている。だからあれは自分のもののはずだ。
 もう、いいだろう。一応の義理は果たした。邪魔して、それこそ名前の通り壊してしまおう。
 よし、とアニエスには聞こえないよう小さく口の中で決意を口にし、勝手に決めた虎徹は、静かに中継車から降りた。
 その後カメラが捉えた映像は、虎徹には残念な事ではあるが、途中まではシュテルンビルト市民の元へ届けられてしまっている。


 リビングのドアが開き、驚いたバーナビーが入り口を見る。そこにいる筈のない虎徹の姿をぽかんと見て、慌てて腕の中にあった子猫を見た。混乱したようにふたつの姿を何度も見る姿を、虎徹はくすりと笑ってごめん、と告げた。
「ど、どう、いう……え?」
「俺だと思って大事にしてくれたの?」
「え……虎徹さん、……え? え?」
 混乱したバーナビーの元へ歩み酔った虎徹が、腕の中から子猫を抱き上げて、脇に下ろした。軽く頭を撫でて「お前の出番はおしまい」と告げた虎徹が、バーナビーの頬をべろりと舐める。
「……こてつさん?」
 依然動揺しているバーナビーへ、虎徹はくすりと笑いかけた。
 そこで、映像はぶちりと切れる。
 続くにゃあん、と甘えて鳴いた虎徹のフィルムを、アニエスは握りつぶした。
 ヒーローのプライベートは視聴率の為に切り売りするのを厭わない彼女ではあるものの、冷静にこれはない、と判断したからだ。彼女の英断は、後にアポロンメディア首脳部からも感謝されるものであった。
2013.8.9.
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