Public proposal
近頃シュテルンビルトでも多いとは知っていたけれど。
そろそろ寝ないとヤバいなぁと思いながら見ていたネットで、たまたま行き当たった動画が男から男へプロポーズしているものだった。顔の細かい所までは分からないんだけど、黒髪のすらっとした感じの男が、金髪のそれよりガタイいい男にひざまずいてなにかを差し出している。動画タイトルが「Public proposal」だから恐らく指輪かなんかだろう、差し出された金髪の方は驚いたのかしばらく動きを止めた。こんな場所だし相当驚いてるんだろうけど、もっと驚いてるのは偶然居合わせた通りすがりの人だ。
多分見覚えのあるこの背景は、シルバーにある公園だと思う。俺の職場に近いところで、たまに昼休みに行ったりする。繁華街が近いから子供が遊ぶような場所じゃなくて、大体俺と似たような感じで仕事中休憩してるような会社勤めのサラリーマンが多い所だ。実際、偶然行き会って思わず足を止めた風な回りの人はスーツだったり、女性でも落ち着いた感じのOLさんって風貌だった。多分俺でもこんなの行き会ったら見守ると思う。
だってシュテルンビルトでも法律は確かにあるし、最近多いとは聞くけれども、同性同士で結婚したり付き合ったりってのはどこかには居るんだろうけどおおっぴらに公表するのはまだまだ一般的じゃないし、俺の知り合いにも一人も居ない。そもそも人のプロポーズなんて一大事、そりゃあ見守って祝福してやりたくなるだろう。
そんな善人な訳じゃないけど、幸せのお裾分けしてもらえるみたいな感じだし。
だからこんな風につい見ちゃう訳だし。
固まった金髪の方に黒髪が首を傾げて、トントン、と手の届いた腰の辺りを叩いた。「聞いてる?」――そんな感じだ。それではっとした金髪が一度頭を振って、恐らく笑った。
どうでもいいんだけど、この金髪の方はなんかバーナビーに似てる。ヒーローの。まあ服装違うし、あんなに女性ファンがついてるヒーローが男と付き合ってましたなんてまず有り得ないだろうし、あり得たとしてもさすがにひた隠しにするだろう。もしそうなら面白いけれど、この動画がアップされた日時は二ヶ月前だ。どこでも話題になってないんだからさすがに有り得ない。
でもまあ、それくらい男前に見えた訳だ。画質はいい訳じゃないけど。ちなみに相手の男もそこそこ格好良さそうだから、彼女のいる身ではあるが男の敵になりそうなハンサム同士がくっつくのは大歓迎したい。
笑顔になった金髪に、黒髪が手応えを感じたのだろう。笑みを浮かべてもう一度指輪を差し出す。よし、受け取るか……と、周囲も身を乗り出さんばかりになって見守っていた中で、しかし金髪は意外な行動に出た。
指輪ケースの蓋を閉めたのだ。
「え?」
そしてぐいと黒髪の方へ押し戻す。
「え、ええ?!」
にこりと男へ笑いかけると、俺と同じようにどういう事だとびっくりしてる黒髪を置いて先に歩き出してしまった。
「う……っわぁ、これは」
置いて行かれた黒髪はしばしその姿勢で固まっていたけれど、気まずそうに立ち上がって周囲の見ていた人に頭を下げた。その仕草で日系かーと分かったけれども、公開プロポーズがまさかの公開処刑になって、なんともいたたまれない。多分周りの人もそうだろう。気の毒すぎてなんと言えばいいのか分からない。
あーあ、と思ったところで動画は終了してしまったので、彼らがその後どうなったのかは分からなかった。
苦笑を浮かべてモニタを見詰めて、思わずがっくりしてしまう。可哀相だけれど明日も仕事だし、寝るかと思ったのだけれど、同じページ内の関連動画の中に同じ人物を見つけてしまった。
「あれ、有名人なのか?」
ついクリックしてしまうのはしょうがない。だって、あの空回った彼がどんな人物なのかは気になったのだ。同性婚のプロポーズを人前でするなんて勇気があるし、でもそれをなかなか断り辛いだろうあの状況でにこやかに振った金髪の方も気になる。
再生されたのは駅の構内だった。黒髪の男がさっきのようにひざまずき、今度は花束を捧げているところからいきなり始まる。行き会った人がいきなり始まっただろう光景に驚いて携帯を向けたのだろう成り行きがありありと分かった。
「おいおいおい!」
そして相手はさっきと同じ金髪だった。
多分別人ではない。さっきのもそうだろうけれど、携帯の動画だから画質なんてたかが知れてて細かな部分まで判別出来る訳じゃないし、正直な所黒髪の方も同じ人物だと言い切れる訳ではなかった。でも多分同じふたりだ。
「すげえ、勇気あるなぁ」
思わずアップされた日時に目を走らせれば、あのちょうど一ヶ月後だった。もしかしてあれで別れた訳ではなかったのだろうか? 普通プロポーズ断られたらそのまま恋人としても破綻しそうなものだけど、前回よりハードルがあがった場所での公開プロポーズに金髪はイヤそうな顔をしていない。そもそも付き合っていなかったという選択肢もあるけれど、さすがにそんな相手から二度も公衆の面前でプロポーズされれば気持ち悪いだろうし、嫌がるだろう。そんな気配は感じなかった。
金髪は驚いたようだけれど、前より我に返るのは早かった。浮かべた笑みが苦笑だったので、思わず俺は落胆の息を吐く。
「また断られたのか……」
可哀相に。
案の定花束は受け取られる事なく降ろさせた上で、ひざまづく黒髪の手を引っ張って立ち上がらせた。すみませんと金髪が軽く頭を下げながら、黒髪の手を引っ張って去って行く。
「あれ、断ったよな?」
どうもその割に空気が温和で、だからだろう、残された人達もぽかんとした顔をしていた。
それが先月の動画なら……と思って、関連動画を探してみるとやっぱりあった。日付は先週だ。俺が彼女と喧嘩した日でもある。まだ仲直りをしていないのだけれど、理由がそう言えばバーナビーだったなぁと思いながら似てる金髪が多分セットだろう動画をクリックした。
俺の彼女はバーナビーファンではあるけれど、そこまでディープな方じゃない。と、思っていた。家行っても別にポスター貼ってある訳じゃないし、HERO TVが始まったら何が何でも優先するって事もない。本棚に写真集がある程度だった。なのに、前から約束してた来週の連休を、バーナビーのイベントに行くから予定変更したいと言われてはやっぱり機嫌は悪くなる。
しぶしぶいいよと頷いたものの、その日は一日中俺が不機嫌だったものだから、そこまでイヤなら最初からダメだって言えばいいじゃないと逆ギレされたのだ。一応は物わかりの良い彼氏になろうとした俺の努力も無視して!
思い出すとなんだかまた腹が立って来たし、それに今はそれは割とどうでも良かった。それよりこのプロポーズだ。予想通り出演者は黒髪と金髪、そして偶然居合わせたその場の人々だった。
「あ、ここ知ってる!」
今度の舞台はシルバーのオープンテラスカフェだった。ここのグラタンはすごくおいしいので、週に一度は大体通っているお気に入りの店だ。
まさかニアミスしていたりしたのだろうか。別に有名人でもなんでもないだろうに、二本の動画を見て妙に気分が上がっているのか、そわそわとする。今度行った時、この組み合わせがいないかどうか探してみようと思いながら、やっぱり床に膝をついて今度は婚姻届を差し出している姿を見た。なかなか捨て身だなと既に笑いが漏れてきた。
彼は少なくとも既に二回プロポーズを断られている訳だけれど、めげないどころか次々とハードルを上げている気がする。もしこれが普段使ってる店だとすれば次から使えないのではないだろうか。それに彼らの行動範囲は割と俺の知ってる所なんだけど、それって要するに彼らの行動範囲もこの付近で、オフィスもこの辺りなんじゃないだろうか。だったら同僚とかに目撃されてないかとこっちが心配になる。
「おおっ」
金髪が差し出された婚姻届を手を伸ばし、黒髪の方から抜き取ったので思わず声が漏れて身を乗り出した。なんとなく今回もダメだろうと思っていたのだ。良かったなと思ったのに金髪は手にした婚姻届を見てくすりと笑ってから、くしゃくしゃと丸めてしまった。
「ああーっ!」
俺の叫び声と同じタイミングで黒髪も声を上げて、手を伸ばしていた。
その手に押し付けて、金髪は立ち上がる。
どの動画もそうなんだけど、声はなんとなく拾ってるんだけど内容までは分からない。ちょっと惜しいな、もう少し近寄って何言ってるか教えてくれよと思うんだけど、たまたま居合わせた人が撮影してくれてるだけでも僥倖なのだから余り文句は言えない。
やっぱり金髪は怒った風でもイヤがった風でもない表情で黒髪を諫めて席を立った所で映像は終わった。
「……もしかしてなんか条件あんのかな。金髪は本気で断る気ないとか? ……それって相当意地悪くないか? 黒髪の方騙されてるのか?」
しかしこれだけの情報では彼らの関係を探るのは無理がある。
これが先週なら他に動画はないだろう。それに、最初の金髪の驚きっぷりから見ても、多分あれが最初だ。
「うわ、ヤバい」
つい夢中になっていたけれども、時計を見れば午前二時だった。普通にヤバい、明日も仕事だ。
それから彼女と仲直りしたり仕事はそれなりに忙しかったりで正直俺は黒髪と金髪の二人組の事をすっかり忘れていた。思い出したのはたまたまあの夜のように明日も仕事イヤだなあと思いながらなんとなくPCの前に座って動画を見ていた時だ。
「あれ、今日ってあの日付だよな」
動画が上がっていた日付だ。
途端そわそわしてブックマークしてあった三つの動画を開いてみた。一日に膨大な数がアップロードされる動画サイトで、前のように偶然行き当たるとは思っていない。似たテーマだと関連動画でまとめられるだろうからそれを期待したのだけれど、正解だった。
「新作来た!」
日付は今日で、ほんの数時間前だ。映像からして撮影されたのは日中だから、撮影者が帰宅してから上げてくれたのだろう、有り難い。
早速再生するとやっぱり見覚えのある場所だった。同じシルバーで……
「すっげえ!」
思わず笑ってしまった、思いっきり道端だ。多分これはアポロンメディアの前だろう、俺の勤めてるオフィス街の中でも一際人通りの多い付近だ。まあ今までもなかなかハードルは高かったけれど、いきなり横歩いてた人がこれやったらさすがに俺は引くかもしれない。
『……ちょっと、コテツさん』
やっぱりいつも通りひざまづいた黒髪へ、金髪が溜息を落とした。今回はすごい、声が入ってる。金髪の後ろから撮影しているようで、かなり距離が近かった。
「そうか黒髪はコテツさんっていうのか」
表情が見えないのではっきり言えないが、今回は割と金髪が不機嫌そうだ。黒髪が差し出しているのは小さくて分かりづらいが……なんだろう? あ、鍵だ。
黒髪の方は声が聞こえない。車通りも多いししょうがないだろう、余程近くなくては声は拾えない。
『だからそれ、もうもらってるんですけど』
「合い鍵か! えっ、もうもらってるの? やっぱり付き合ってんの? っつか不機嫌そうなんじゃなくて戸惑ってんの?」
黒髪が何か言ってるけれど、鍵は差し出されたままだ。
『さっさと解約してきてください、まだ間に合いますよね』
「合い鍵じゃない……の、か」
まさか。もしかして。
――新居の鍵か。
なんかすげえ、と思ったがやっぱり黒髪は置いていかれた。金髪の口調も若干の呆れは感じられたけれどもきつくはなくて、困った気配も感じない。ちょっとだけ前に過ぎった試してるのかなと言うのもなんだか違いそうなのだけれど、でもだったらこれはどう言うやりとりなのか分からない。
黒髪は頑張るなあとは感心するが、しかし新居はさすがにやり過ぎなんじゃないかなと俺も思った。解約無事出来てるといいなぁ、と言うかいつか報われるといいなあと黒髪を応援してPCを閉じる。
そう言えば声もバーナビーに似てたかもしれないとベッドに入ってから思ったけど、感じが似てるって事は骨格も似てて声も似るって聞いた事があったので、そんなとこだろうと納得して寝る事にした。大体俺、良く考えたらそこまではっきり分かるくらいにバーナビーが出てる番組、見た事なかった。
その後も月に一度のお楽しみは続いた。どれもやっぱり人目の付く場所で黒髪は仕掛けていたから、多分最初のプロポーズの言葉だとかどうやってそんな流れに持ち込んでるのかは映像は欠けてて分からないのだけれど、きっちり通りすがりに撮影されていた。多分俺もうっかり行き会ったら話のネタに携帯取り出すだろうと思う。
それに恐らくだけれど、俺みたいなやつは他にもいるんじゃないかと思う。
こんな風に続けて見た上で、月イチの恒例行事を楽しみに待って、黒髪を応援はしてるんだけれども今回は何しでかした上で振られたんだろうってのも楽しみにしてる層。だから撮影されたのは同じ動画サイトにアップされてる。案外知ってるヤツ多いんじゃないかなあと思わないでもないんだけど、コメントを残す形式ではないから同士を探るのは難しい。再生回数くらいは分かるけれど、それも多いと言う訳ではないのが微妙だった。
途中、ふと思い付いて彼女にも見せると大笑いしていたので、ちょっと黒髪が気の毒になった。そろそろ付き合いも長くなったしプロポーズも視野に入れているのだけれど、公開プロポーズはないなと「見世物になるのにすごいね」と言った彼女の言葉で却下された。まあ、そんな勇気も持ち合わせてはなかったけれど。
そして三ヶ月目の、いつも動画が上がるプロポーズの日の前日、俺としてはすごい事件に遭遇した。
あの二人に会ったのだ。
と、言ってもこっちが一方的に知ってるだけだから会ったとは言わないのかもしれない、見ただろうか? 場所は三度目に婚姻届をくしゃくしゃに丸められたカフェだった。
昼休み、いつものようにグラタンを食べるかと思い立って一人で来たのだけれど、一人である事をこれほど後悔した事はない。すごいと思ったのに俺はひとりで黙っていなければいけないのだ。だが後で気が付いたのだけれど、彼らは有名人と言う訳ではなかった。すごいとはしゃいでも同僚の誰一人として知らないのだ。この場であのプロポーズが敢行されれば話は別だが、残念ながらそれは明日だ。一日前倒しにならないかなあと思いながら意識しまくって食べたグラタンは、殆ど味を覚えていない。
「また今月もするんですか?」
「さーて、どうしよっかな」
すごく似てるけど、でもあの映像は綺麗なものじゃなかったからやっぱり違うかもしれないと思ったのに、確保した隣の席で聞き耳を立てたこの会話で俺は確信を持った。ビンゴだ。
ちゃんと見ると金髪はやっぱりものすごくバーナビーに似ていた。というか、バーナビーにしか見えなかった。だけどあんなものを誰にでも見れる場所にアップされている以上、そんな筈がないと思う。でもやっぱりバーナビーに見える。
「次は何で来るかと楽しみにしてるんですが」
「でもバニーちゃんは頷いてくれないんだろ?」
「さあ、どうでしょうね」
思わず口にしたレタスを吹き出しそうになった。今このおっさん……黒髪の方だけど、こっちはなんか思ってた以上に年上だった、すらっとしてたしあんな事しでかすんだからまだまだ若いんだろうと勝手に思ってたけど、間違いなく俺より年上だ。下手したら課長と同じくらいかもしれない。四十前で妻子持ち。最もそっちは腹がぼてっとしてるし並べるのは可哀相かもしれないくらいに若くは感じるけれど。見た目は思った通り、バーナビー似には負けるものの種類の違う男前だった。
話がズレた、そうじゃなくて。付け合わせのサラダを口に突っ込んだタイミングで黒髪が口にした「バニーちゃん」は間違いなく金髪の呼び名だ。こっそり横目で伺うが、バーナビーそっくりな金髪はその通りガタイがいいし間違っても子兎ちゃんなんて感じではない。だけど呼ばれ慣れてるのか突っ込みもなしにスルーされた。
「それにしても、待ってくれる気はないんですか?」
「待ってるよ?」
「嘘ですよね、それ待ってる姿勢じゃないですよね。最初に僕、ちゃんと言いましたよね?」
「うん、だから待って……」
お待たせしました、と熱々のグラタンが持って来られたので、関係ない筈の彼らの会話まで一度止まった。気にせず続きをどうぞと思いながらもみじんも出さず、ウエイトレスへありがとうと告げる。
「待ってる間、俺は俺で好きにしてるんだけど」
黒髪はすごい勢いでにこやかな笑みを浮かべている。プロポーズの時より今の方が金髪は困った顔をしていた。
「でも……」
「俺からプロポーズされるの、お前嫌がってはないだろ?」
「嫌がってませんよ、でも急かされてるかなあとは思います」
嘘だ、と俺は心の中で突っ込んだ。急かされてる気はしてるかもしれないけど、絶対喜んでる。
だけどそれもみじんに出さず、俺は熱々のマカロニを口に運ぶ。
「そのうち僕からプロポーズしますから、適当に待ってて下さい」
「うん、だから適当にプロポーズするな」
「適当に?」
「いや違う、本気で」
「……そうか、適当だったんですね。そうですよね、最近ネタに走ってるなとは思ってたんだ」
「違うって、俺はいつでも本気だって!」
慌てた黒髪を見て、結局金髪はくすくす笑い出した。
なんとなく俺はばからしくなってきた。これはただのバカップルだと分かって来たからだ。俺らはすごい勢いで茶番に振り回されていたらしい。つかこれバーナビーじゃないわ、有り得ないわ。相手おっさんだし、なんか変な髭生えてるし。あんまり俺はヒーロー興味ないけど、それでもバーナビーってもっとツンとした感じしてたからこれはないな。
そんな事を考えている間に隣の席は食べ終わって席を立ち、俺もいつの間にかグラタンが無くなってたから食後のコーヒーをウエイトレスに頼んだ。
だからと言って興味がなくなった訳ではなかったので、翌日やっぱり俺は動画を探して、案の定アップされてたものを見た。多分他にもこれを楽しみに待ってるだろう、再生回数が俺より若い数百人に「これは茶番だぞー!」と言ってやりたくなる。だけど案外俺も遭遇したくらいだから、他にも遭遇して知ってるヤツはいるんじゃないかなあと言う気もした。
そのうちバニーちゃんからのプロポーズ動画も上がるのかなと思いつつその日は寝たのだけれど、翌月の動画を見ては俺はPCの前で思わず叫ぶことになる。
いつも通りの流れだ。初心に戻ったのかネタが尽きたのか花束を差し出した黒髪へ、金髪がやっぱり丁寧な動きで降ろさせた。そこで終わるんだろうなと思ったのに動画はまだ続く。金髪がポケットから何かを取り出したと思うと、花束を持っていた男の片手を掴んで、ぐいぐいとなにかを押し込んだ。いや、何かではない。あの動きで推察されるのはひとつだ。
「え、え?!」
黒髪もびっくりした顔をしていた。
金髪が向き合って、顔を真っ赤にして、自分の左手を示す。
「うおおおおお! バニーちゃんやったか!」
銀色の輪っかがそこには嵌まっていた。黒髪は弾かれたように自分の左手も見て、同じ場所にそれがあるのを確認すると、感極まった顔で金髪に抱き付く。
初めてこの動画で金髪が困った顔をしているのを見た。嬉しそうで、幸せそうなのにすごく困って逃げ出したいという顔。そこへこれ以上の幸せはないとの笑顔を浮かべた黒髪がキスをする。
やっと祝福する権利を与えられた周囲の人々と一緒に、俺も拍手をしていた。
黒髪が嬉しそうに周囲へ向けてガッツポーズを向け、金髪もはにかみながらであるが、そんな相手の頬へとキスをして、最後に唇を合わせたキスをしていた。
動画を見終えた俺は、明日にでも指輪買いに行くかなと思った。
彼女にプロポーズしたくなったのだ。衝動的だってきっと知られたら怒られるだろうなあと思ったけれど、やけに幸せで胸が詰まった気持ちは俺自身のものとして味わいたくなった。
タイガー&バーナビーが結婚したとの噂がネットを駆け巡り、公式に記者会見を開いたのはその一週間後だ。
一緒にテレビを見ていた彼女が「へえ、あの人達ゲイだったんだ」なんて案外クールな反応をしていたから、いつかの喧嘩はなんだったんだろうなあと思い出した途端、思わず俺は立ち上がってPCに向かっていた。
ブックマークしてあったあの動画を見ようと思ったのだ。だけどそれは、全て削除してあった。権利者侵害の表示が出ていたので、アップした人が削除した訳ではない。
「え……、これって」
急に席を立った俺に、驚いた彼女が「どうしたの」と声を掛けて来た。
彼女の向こうに置いてあるテレビが映す、俺が初めて意識的に見た、あのごついヒーローの格好してないワイルドタイガーは黒髪で、顎に変な髭がある。あの黒髪のおっさんにも確か変な髭があった。
「……いや、うん。なんでもない」
そうごまかして、彼女の横へと戻った。確証はないし。それにそうとも限らないし。うん、きっとなんでもない。一緒に見た彼女ももう覚えていないようだし、きっと彼らは幸せなんだろうし。人の幸せを邪魔するのは余り良い事ではない筈だ。それに俺は、そんな事よりポケットに隠してある指輪の事を今は考えるべきだ。
彼女の横に戻って、さてどうやって切り出そうかと頭がぐるぐるし出したけれど、これを何度も繰り返したこの人はすごいなあと頭の端っこで素直に感動した。